第20話 ダークエルフ9
レンはダールゼンとテーブルを挟んで向かい合って座り、話を進めていた。レンの後ろにはロゼが立っていたが、室内にはこの三人しかいない。そして話し合いが始まってから、彼女はずっと黙ったままだったので、話し合いは二人だけで進められた。
「では十日に一度ぐらいで定期的な連絡を行い、なにか緊急事態が起こったときは、急いで領主様に連絡する、ということで」
二人が話し合っていたのは、ダークエルフとレンのこれからについてだった。両者共に関係強化という方針は一致していたので、後は具体的に何をやるかだ。
まずダールゼンがレンに頼んだのは、新しく来るであろう巡回商人との仲介だった。ナバルは商売と割り切ってダークエルフと取引してくれたが、新しい巡回商人がダークエルフを嫌悪していれば、簡単に取引とはいかないだろう。そこでレンに助力を頼んだのだ。
レンは二つ返事でそれを引き受けた。
ただし新しい巡回商人がどんな人物でいつ来るのか、そのあたりのことはレンも全然知らないので、まずはそれを確認してからということになった。
次の提案は、定期的な連絡のやりとりだった。この世界には電話もメールもないため、連絡するには実際に人を行き来させるしかない。
レンとしては、ダークエルフから魔獣についての情報をもらいたかった。黒の大森林に暮らす彼らなら、大規模な魔獣の活動をいち早く察知することができるかもしれない。そうすれば、少しでも魔獣の犠牲者を減らすことができるだろう。
レンは魔獣に殺されたナバルの無残な遺体を忘れてはいない。そして彼の死の責任の一端が、自分にあるという思いも消えていない。魔獣の犠牲者を減らすため、できるだけのことはやるつもりだった。
そこで十日に一度ぐらい、森の巡回も兼ねて、集落からレンの屋敷へ使いを送ることに決まった。もちろん魔獣の群れが現れた場合には、すぐに急使を送ることにする。
「もう一つ提案なのですが、領主様の屋敷に我々を何人か置いていただけないでしょうか?」
「僕の屋敷で雇うということですか?」
「食事と寝る場所さえ用意していただければ、給金などはいりません。雑用から護衛まで、なんでも命じていただければ。領主様から我々に連絡したい場合もあると思うのですが、そのときのためにも」
「そうですね。確かに連絡は相互の方がいいですね」
現状だと、レンの方からダークエルフに連絡しようとすると、レン自身がガー太に乗って行くしかない。だから連絡役のダークエルフを屋敷に置くこと自体には賛成だったが、
「問題なければ、昨日領主様を迎えに行ったの三人をそのまま行かせますが?」
リゼットたちダークエルフの美女三名を屋敷に置けば、これはもうハーレム状態だ。
正直なところ、レンにもそれをやってみたい気持ちはある。だが現実にあの三人が屋敷にいることを想像すると、うれしさよりも恐怖の方が大きい。美人が苦手な自分が、ダークエルフの美女三人に囲まれて生活したりすれば、ストレスで倒れるんじゃないかとレンは思った。
一番いいのは、ちょっと落ち着いた感じの初老のダークエルフあたりなのだが、ダークエルフに老人はいないので、女性は見た目が若い美人しかいない。
だったら男性ということになるが、まだそっちの方がいいだろうと考えて、レンはもう一つ候補があることに気付いた。
「ちょっと聞きたいんですけど、ロゼさんでもここと屋敷の往復ってできますか?」
「ロゼですか? できると思いますが」
「できます。行けと言われれば今すぐにでも行きますが」
「ロゼぐらいの年になれば、魔獣と一対一で戦えるだけの技量は持っています。ロゼを連れて行くおつもりですか?」
「問題ないなら、彼女に来てもらいたいと思いますが、よろしいですか?」
「もちろん構いません」
「ロゼさんはどうですか?」
「ダールゼンが行けと言うなら当然行きます」
「いえ、そうではなくてロゼさん本人の気持ちを確認したくて」
レンは彼女がどう思っているか聞きたかったのだが、ロゼはなぜそんなことを聞かれるのかよくわからないといった顔で答える。
「ですから、ダールゼンが行けと言っているので行くとしか」
どうにも話がかみ合わないと思いつつ、レンは再度訊ねる。
「確かに命令に従うのが当然かもしれませんが、僕は無理に来てもらいたいと思っているわけではないんです。ロゼさんが少しでも嫌だと思っているなら、正直にそれを言って下さい」
「ダールゼンが行けと言うのに、私がそれを嫌がる理由がありません」
「いえ、ですから――」
どう言えばいいんだろうと思いながら、レンは再度質問しようとしたのだが、そこへダールゼンが割り込んだ。
「領主様。もしかして領主様は、我々の序列についてご存じないのですか?」
「序列……ですか? いえ」
「我々には生まれついての序列があるのです。人間でいう身分のようなものでしょうか。これはエルフもダークエルフも同じで、世界樹を最高位として、そこから一人一人の序列が決まっています。そして序列が上の者が命令すれば、下の者は喜んでそれに従うのです」
「生まれつき決まっているって、それじゃあ下の者は一生下のままなんですか?」
「はい。序列の順序が入れ替わることはありません」
「上の者はそれでいいとして、下の者はそれを不満に思ったりしないんですか?」
「思いません。我々は世界樹に尽くすことに至上の喜びを感じるのです。そして世界樹の命令は序列の上から下の者に下されますから、それに喜びを感じても、不満に思ったりはしません」
「世界樹が一番上にいるなら、少しでもそれに近い上の序列に上がりたいと思ったりは?」
人間で考えた場合、例えば心から尊敬できる上司がいたとして、その上司のために必死になって働くというのは理解できる。だが、その上司に他にもたくさんの部下がいたらどうだろう? 上司に、お前が一番だと認められたいと思い、他の部下と手柄を争ったりしないだろうか? その上司が出世すれば、自分にも見返りがほしいと思ったりはしないのだろうか?
だがダールゼンの答えは、そんなレンの考えを否定する。
「我々が一番望むことは、世界樹に尽くすことなのです。失礼ながら、人間は自分の幸せが一番だと考えていませんか?」
「そういう人も多いと思いますが、必ずしもそんな人ばかりではないですよ。自分の大切な人のためにがんばる人だっています」
自分が一番という人間は多い。だが家族や仲間のため、自分を犠牲にしても行動する人間だっている。
「でしたら我々にとっての世界樹が、その大切な人だと思っていただければ。我々は自分のことより、大切な世界樹のために行動するのです」
他人のために行動できる人間は尊敬されるものだ。自分だけでなく、人のことも考えなさいと学校でも教えられる。
だがダールゼンの言葉を聞いたレンは、なんともいえない違和感を覚えた。それが何なのか考えてみて、答えに思い当たった。
なんだか狂信的な宗教に似ていると思ったのだ。
神のためと言いながら、自分の全てを捨てて行動する。全財産を寄進したり、命を捨ててテロを起こしたり。日本でもそういう新興宗教が問題になったこともあった。ダールゼンが言うダークエルフの姿が、そんな宗教の信者に重なったのだ。
そしてレンは他の重要なことにも気付いた。
「序列の一番上が世界樹と言いましたが、世界樹が直接命令を下すこともあるのですか?」
「あります。滅多にあることではありませんが、例えば我々が誕生することとなった五百年前のキカバ大魔群。あのときも世界樹がエルフに参戦を命じました。その命令に従い、エルフたちは世界樹の森を出て魔獣と戦ったのです」
「世界樹って言葉を話したりするんですか?」
「世界樹の声は、心に直接聞こえてくるそうです。もっとも世界樹の森から追放された我々には、その声を聞くことはできませんが」
悲しそうな顔でダールゼンが言う。
レンは世界樹のことを、巨大な力を持っているが、結局は木だと考えていた。エルフやダークエルフはそんな木を一方的に信仰しているのだと。だが世界樹が意志を持ち、エルフに命令するというなら話が変わってくる。
言ってみれば、神が本当に実在しているようなものだ。信徒たちが己の全てを捨てて、偉大な神の信仰に生きるのも理解できる。なにしろ仕えるべき神がそこにいるのだから。
「序列というのは、何で決まるんですか?」
「わかりません。生まれたときから決まっているので、世界樹が決めているとしか」
神が決めた序列だから、それに従うのも当然ということだろうか。
「じゃあ他のダークエルフの序列はどう判断するんですか?」
「実際に会えば、どちらの序列が上かわかります」
レンにはダークエルフの序列がどうなっているのか、見ただけはまるでわからない。彼らにだけわかる判断基準があるのだろう。
「我々からすれば、人間の方が不思議に思えます」
「何がですか?」
「人間には生まれつきの序列がないのですよね? しかし身分は存在する。それがどうやって決まっているのか、なぜその身分に従って行動するのか、それがわからないのです。あ、領主様の身分を否定するつもりは全くありません。ただ我々から見て不思議に思えるだけで」
ダールゼンは余計なことを言ってしまった、という顔をしていた。確かに受け取り方によっては、人間の身分制度を否定するような言葉だ。
だがレンは現代日本で育ってきた人間だ。基本的に人間は平等だと思っているから、身分制度を否定する言葉には共感する。
だが、実際には身分は存在する。それは日本だって変わりなかった。確かに貴族制のような身分制度はなかったが、会社の上司や部下だって身分だし、学校の先輩後輩も身分といえば身分だろう。
ではそんな身分の上下がどうやって決まるかといえば、レンにもこれだという答えはわからなかった。色々な要因は思い浮かぶが、偉いと言われる人がどうして偉いのか? を突き詰めて考えていくと難しい問題だと思う。
そしてそう考えると、なるほどダークエルフの社会はわかりやすいかもしれない。
一番上に神である世界樹がいて、生まれたときから序列が決まっているのだ。これは非常にわかりやすい。それが当たり前の社会に生まれれば、なんの疑問も抱かず生きていけるかもしれない。もしかすると、人間社会で上下関係に苦悩するより、ずっと生きやすい可能性だってある。
他でもないレンだってそうだ。レンは会社で下っ端のプログラマーをやっていたが、特に出世したいとは思っていなかった。もしその地位が固定され、出世もないがクビもない立場になれるとしたら、なっていたかもしれない。上を目指すより、安定を選ぶ人間も多いはずだ。
「でも、これはダールゼンさんがそうだという訳じゃありませんが、もし自分勝手なダークエルフが序列の一番上にいたら、その集団はメチャクチャになったりしませんか?」
「我々には強い自我がありますが、それでも世界樹に尽くすことが一番なのは変わりません。それを一番に考える限り、どの集団も基本方針は変わらないでしょう」
「じゃあ、例えばダールゼンさんの基本方針ってなんなんですか?」
「この集落を守ることです」
なんの気負いもなく、当たり前のことを言うようにダールゼンは言った。
「より多くのダークエルフを生かすことが、最終的には世界樹のためになると考えます。それは我々の誰にとっても共通する思いです」
「最大多数の最大幸福ってやつですか?」
レンのその言葉に、ダールゼンは感銘を受けたようだ。
「最大多数の最大幸福ですか……そうですね。それです。とてもいい言葉だと思います」
ちなみにレンはその言葉の語源などは知らない。なんとなく意味は理解しているが、単にどこかで知っただけの言葉だ。
一方これ以降、この最大多数の最大幸福という言葉は、ダークエルフ社会に広がっていくことになる。まさに彼らの行動原理を示す言葉だったからだ。
彼らの本当の第一は世界樹だ。それが世界樹のためならば、ダークエルフが全滅することも厭わない。だが、世界樹に不利益にならない限りは、一人でも多くのダークエルフが生きていくことが、世界樹のためになる。世界樹を信仰する敬虔な信徒が増えることになるからだ。
レンは最大多数の最大幸福はあくまで理想論であり、現実では上手くいかないと思っていた。名前も知らない多数の他人より、自分の幸せを優先するのが人間だからだ。
だがダークエルフの社会ではどうだろう。もし本当に全てのダークエルフが、自分優先ではなく世界樹優先、そしてダークエルフ全体を優先するのだとしたら? それは人間ならあり得ないことだが、彼らはそれこそ人間ではない。ダークエルフという別の生き物なのだ。
「我々には序列があり、序列が上の者の言葉に従います。それがダークエルフなのです」
「わかりました。正直、まだ理解しきれていませんが、そういうものだと思っておきます」
色々と考えることはあったが、今は話し合いの途中だったことを思い出す。考えるのは後にして、まずは話を進めるべきだろう。
「では話を元に戻すとして、ロゼさんに屋敷に来てもらうということでいいですか?」
「はい」
「じゃあそれに加えて提案があるんですが、ロゼさんぐらいの年の子供が他にもいれば、一緒に屋敷に来ませんか? もしよければ、屋敷で僕と一緒に勉強するのはどうでしょう?」
「勉強というと?」
「文字の読み書きに計算、後は歴史とかでしょうか」
つまりレンが家庭教師から受けている授業を、ダークエルフたちの子供たちも一緒に受ければいいと思ったのだ。これは今話していて思い付いたことだった。
「ありがたいお言葉ですが、我々がそのような勉強をしても役には立たないと思います」
「いいえ、それは違います」
レンには珍しく強い調子で断言する。それだけレンには確信があったのだ。
「これから先のことを考えるなら、基本的な教育は絶対に必要です。失礼ですが、今この集落に読み書きができる人はいますか?」
「少しぐらいなら読める者はいますが、ちゃんと読み書きができる者はいないでしょう」
この国の庶民の識字率が低いことは知っていた。だったら人間に差別されているダークエルフの識字率はもっと低いだろうと思っていたのが、やはり当たっていた。
「勉強してもすぐに役立つとは限りません。ですがダールゼンさんが本当に集落全体のことを考えているなら、教育に力を入れないとダメです。集落の発展にはそれが不可欠です」
明治以降の日本の急速な近代化は、高い識字率が大きな要因だった、という話もある。やはり発展には教育が不可欠なのだ。
そしてレンは自分の思いを自覚する。
僕はこの集落の発展に力を貸したいと思っている――レンはあらためてそう思った。
ダークエルフの集落が発展すれば、魔獣に対抗する大きな力になる――というのも理由の一つだが、一番の理由は単純にダークエルフに対する好意だ。
ダークエルフのデルゲルに命を救われ、ダールゼンをはじめとするこの集落のダークエルフたちにも温かく迎えてもらえた。もちろん彼らにも打算があるだろうが、それでもレンは彼らのために力を貸したいと思った。
甘くてチョロいかもしれないが、それがレンという人間だったのだ。
もちろん決意したところで、レンに何ができるかはわからない。異世界から転生したといっても、転生前は下っ端プログラマーだったのだ。ここで生かせる知識がどれだけあるかもわからない。
だがこの世界とは違う常識を持ち、この世界の誰も知らない知識を持っているのは確かなのだ。どんな集団でも、部外者の加入が大きな変革の契機になる場合がある。レンはこの世界の部外者なのだから、きっとそれが役立つこともあるはずだ。
「わかりました。領主様がそこまでおっしゃるなら、他の子供たちも領主様にお預けいたします。勉強の方はよろしくお願いします」
「はい。できるだけのことはします」
「後は、一人ずつでいいので、子供たちを定期的にこちらに戻らせてもいいでしょうか?」
「もちろん。帰りたいと思ったら、いつ帰ってもらってもいいです」
「いえ、そうではなく我々は世界樹から長い間離れていると力が低下するのです」
「どういうことですか?」
「我々は人間以上の身体能力を持っていますが、それは世界樹から与えられた力なのです。一ヶ月ぐらい世界樹から離れていると身体能力が低下し始め、三ヶ月もすれば普通の人間と変わらないぐらいになります。そのためにも、定期的に世界樹のところに戻らせてほしいのです」
「それは構いませんが……」
少し考えてからレンは質問する。
「今の話は人間社会でもよく知られているのですか?」
少なくともレンは知らなかった。マーカスが教えてくれなかったからだが、彼は知っていたのだろうか。
「どうでしょうか……。あまり知られていないと思います。わざわざ言うことでもないと思いますし」
「そうですね。これは弱点ですから、人間には知られない方がいいでしょう。ダールゼンさん。これからはこのことはできる限り人間には秘密にしてもらえますか?」
「わかりました。ですが、どうしてでしょうか?」
「今言った通り弱点になるからです。弱点はできる限り秘密にすべきでしょう?」
ダールゼンが口止めすれば、この集落から人間に伝わることはない。だが他にもダークエルフはたくさんいるから、ここで口止めすることにどれほど意味があるかはわからない。それでもできるだけのことはするべきだとレンは思った。
この先、もし人間と対立することになったときのことを考えれば、弱点は知られていない方がいいに決まっている。
ダークエルフの集落の発展に力を貸そうと思ったレンは、さらに踏み込んで優先順位を明確にした。それはつまり、ダークエルフたちのことを第一に考えるということであり、もしこの世界のダークエルフと人間が対立するなら、ダークエルフの側に立とうと決意したということだ。
レンは人間だったが異世界の人間である。彼にとっては、この世界に生きる人間もダークエルフも、異世界人という点で同じなのだ。だったら自分に好意を寄せてくれているダークエルフの側に立とうと思った。
もし、ということを考えてみる。
もしこの世界で最初に訪れた南の村の住人たちがレンに好意的であったなら、レンはその人たちのことを一番に考えていたはずだ。そうなるとダークエルフたちとの付き合い方も変化したはずだ。
もしそうなっていれば、この先の歴史も大きく変わっていただろう。
しかしレンはダークエルフの側に立つことを選んだ。
ダークエルフ戦記の著者バンバ・バーンは、その著作の中で、ダークエルフの歴史を語るならば、レン・オーバンスという人間の存在抜きには語れないと書いている。
良くも悪くも、レンはこれからのダークエルフの歴史に大きな影響を与えていくことになる。
ここまでで、ひとまず序章終了といったところです。
自分でいうのもなんですが、長い序章でした。
当初の予定だと、10話もあればここまでいけるだろうと思っていたのですが、終わってみれば20話……
好きなだけ書けるのがなろうのいいところだし、なんて言い訳しながら書いていましたが、もう少し展開を早くするようがんばります。