第211話 ドルカ教の使者(下)
「こちらこそ初めまして」
レンも右手を胸に当ててマローネに一礼する。これはドルカ教徒としての挨拶だ。
当然ながら今のレンはドルカ教を信仰していない。だが前のレンはドルカ教の信徒だった。もっとも不真面目で祈りを捧げたこともない不真面目な信徒だったようだが。しかし一応信徒なので、ちゃんと挨拶を返すべきだろう。レンも挨拶のやり方ぐらいは勉強していた。
「私はシャンティエ大聖堂からの使いとして、オーバンス様のところへ参る途中でした」
涼しげな笑みを浮かべてマローネが言う。
「僕のところへですか?」
つまり領地へ行く途中で、偶然出会ったというわけか。
わざわざ王都の教会から人が来るとか、思い当たるような事件はなかったが、おそらくガー太だろうと予想する。どこからか噂が伝わったとか?
「ここで会えたのも神のお導き。ですが用件をお伝えする前に、一つ確認しておきたいのですが。先程、オーバンス様はガーガーに乗っておられましたよね?」
やっぱり見られていたようだ。ガー太は目立つが、こちらが向こうを見つけた時点では、まだだいぶ距離があった。どうやら向こうにも目のいい者がいるようだ。
見られた以上、隠し通すのはあきらめる。
「ガー太」
と呼びかけると、林の中からガー太がトコトコと出てきた。
おおっ! というどよめきが、ドルカ教の一団から上がる。何人かは右手を胸に当て祈りの言葉を唱える。マローネも右手を胸に当て、短く祈りの言葉を唱えた。
「話を聞いた時はまさかと思いましたが……本当にガーガーなのですね」
「すみません、それで話というのは?」
まずはそれをはっきりさせておきたかった。
「オーバンス様は先日、魔獣討伐の武勲を立てられ、その褒賞を受けるため王都に向かっているとか。教会にもその話が伝わってきたのです」
なるほど、それが原因か。
「魔獣討伐は素晴らしいことですが、本来、それは政治や軍事の話、教会が動くようなことではありません。ですがオーバンス様は特別です。何しろガーガーに乗って魔獣を倒したというのですから」
言いたいことはわかった。自分が特別なのだという自覚はレンにもある。
「知っての通り、私たちにはガーガーに害を与えるなかれ、という教えがあります。今まではこれを守ることは難しくなかった。しかしオーバンス様は、この教えに大問題を投げかけたのです。おわかりですね?」
「すみません。よくわからないのですが……」
自分の存在が注目されることまではレンにもわかった。だがそれが具体的にどういう問題になるのか、レンには説明できなかった。
少し考えるようにしてからマローネが言う。
「少し込み入った話になりそうですね。あちらへ」
どうやら二人だけで話がしたいらしい。レンにも異論はなかったので、彼と一緒に少し離れた所まで歩く。
「オーバンス様は、まどろっこしい話が好きではないようですね?」
「そうですね」
はっきりいって苦手である。よく知らない人と話すのは苦手なので、用件は簡潔にすませてほしい。
「では、はっきりと申し上げましょう。教会はオーバンス様のことを危惧しております」
「僕のことを? でも僕は教会に迷惑をかけた覚えはありませんが」
「これまではそうでした。しかしこれからはわからない。先程も言いましたが、ガーガーに害を与えるなかれ、という教え、これを守ることは難しくありませんでした。何しろガーガーは臆病な鳥で、こちらから近付いてもすぐに逃げてしまいます。教えを守るためには、ガーガーに近寄らなければいいし、近寄ろうと思っても簡単ではありません」
レンもマローネが何を言いたいのか、少しずつわかってきた。
「そこへ現れたのがあのガーガーです。この目で見て私も驚きました。人を恐れず近付いて、しかもオーバンス様はそれに乗ることができるのですよね?」
「一応、乗れますね」
「ガーガーは聖なる神の使いとされる鳥です。ではその鳥に乗れる人間がいたとしたら、教会はその人物をどう扱うべきだと思いますか?」
「ちょっとわからないですね」
ドルカ教のことを聞かれても困ってしまう。ちょっと勉強しただけで、詳しいことは知らないのだから。
レンの返答を聞いたマローネは微笑を浮かべた。
「教会もわからないのです。前代未聞のことですから。今もその人物をどう扱うか、どう位置付けるべきなのか、激論が交わされていることでしょう」
その人物というのがレンだというのは、レンにもわかった。
「ちょっと大げさじゃないんですか?」
「とんでもありません。ガーガーは私たちに魔獣の存在を教えてくれる神の使いとされています。ではその神の使いに恐れられることなく、受け入れられた人間というのはどんな人間なのか? やはり神に選ばれた特別な人間だと思いませんか?」
「単なる偶然とかでは?」
「神のなさることに偶然はありません。必ず何らかの意図があるのです。ガーガーに乗れる人間が現れたというならば、私たちはそこに込められた意図をくみ取らねばなりません」
これは思った以上に厄介かもしれない。
レンはこの世界でも、前の世界でも宗教に興味はなかった。関わりがあったのは、祖父母の葬式や墓参りぐらいだろうか?
しかし知識として、宗教問題が非常にややこしいことは知っている。
日本は宗教にかなり寛容だったが、世界を見てみれば、違う宗教どころか同じ宗教でも、教義の違いから争ったりしてきたのだ。
ガー太とレンの存在が、ドルカ教に目をつけられるのではないか、というところまでは予想していた。だがそれは珍獣扱いされるぐらいだろう、と思っていた。
まさか神に選ばれた人間とか、教義とか、そういう本物の宗教問題になるとは思ってもいなかった。事態を甘く見ていたというしかない。
「一つ確かなのは、僕は平凡な普通の人間ってことです。神に選ばれたなんてとんでもない」
ウソである。異世界から転生してきた時点で、普通の人間ではない。それにレンをこの世界に招いた存在、最初に会って以来まったく会っていないが、竜の魂の集合体と名乗っていたあの存在は、まさしく神のような存在ではないだろうか? だとしたら本当に神に選ばれた人間ということになるが……
いやいや、それはダメだ。
本当のことを言って、宗教問題に巻き込まれたりしたら、どうなるかまったく予想がつかない。ここはドルカ教とは距離を置き、無関係を貫かねば。
「オーバンス様が平凡な人間とおっしゃるのであれば、そのガーガーが特別なガーガーということになりますね。オーバンス様は他のガーガーにも近寄れるのでしょうか?」
「ちゃんと試していませんが、多分、無理なんじゃないかと」
これまたウソである。
他のガーガーにも近寄れるどころか、ガーガーの方から近寄ってくるのだから。しかしこれを正直に言ってしまうと、やっぱりガーガーに選ばれた特別な人間だ、となりそうなので言わないことにした。
幸い、他の人間と一緒にいるときはガーガーも近寄っては来ない。ウソがバレる心配はないだろう。
しかし、そうなると別の問題が出てくる危険があった。
「では、やはりそのガーガーこそが特別なのですね? でしたらオーバンス様、そちらのガーガーを教会に献上する気はありませんか? そうしていただければ、全て問題なく収まると思うのですが」
「それはダメです」
やっぱりそうなるか、と思いつつ即答する。
今のレンにとってガー太は最も大切な存在だ。それを差し出すことだけはできない。
だが他の人間にとってもガー太は価値のある存在だ。珍獣、という意味で。人を恐れない珍しいガーガー。ほしいという人間は山ほどいるだろう。
今回、国王から呼び出されたレンが、最も危惧したのもそれだった。もし国王から、ガー太を寄越せと言われたらどうしようか、と。
ちょっと調べたところ、何とかなりそうな気はした。
貴族の所有物――領地とかお金とかは、その所有権が保障されている。きっちりした法律はないが、慣習としてそうなっている。国王でも勝手に貴族の所有物を取り上げることはできない。
これが平民だったら問答無用だが、レンは貴族なのでひとまず大丈夫だ。
だが絶対ともいえない。
貴族に落ち度があれば処罰が下る。地位や領地の没収もあり得るのだ。冤罪をでっち上げられることもあるし、レンの場合、密輸という罪を犯している。本気になって調べられたら、色々とマズいのだ。
あるいは国王がとんでもなくガー太のことを気に入り、慣習も無視して、無理矢理差し出せと迫ってきたら、やはり抵抗できないだろう。
最悪の場合、ガー太と一緒にどこかへ逃げなきゃダメかも……なんてことまで考えていたレンだったが、ドルカ教はノーマークだった。
宗教のシンボルとして使えそうだ、なんて教会が思えば、それこそあらゆる手を使ってガー太を手に入れようとしてくるはずだ。
一つ考えていた手はあった。かなりの力業になってしまうが、教会が協力してくれれば上手くいくかもしれない。協力してくれれば、だが。
「マローネさん。一つお聞きしたいことがあるのですが」
「何でしょうか?」
「このガー太なんですが、本当にガーガーなんでしょうか?」
「……どういうことでしょうか?」
予想外の質問だったせいか、マローネも戸惑っているようだ。
「見ての通り、ガー太は見た目も普通のガーガーとちょっと違うし、性格は全然違います。これって本当に同じガーガーなんでしょうか? 教会はガーガーの専門家といってもいいですよね? その専門家の目から見て、ガー太は本当にガーガーに見えますか?」