第209話 疑惑の目
レンがジャガルの街を出たのと同じ頃、カイルも街を出た。
こちらは王都へは向かわず、別の街の犯罪ギルドへと向かう。
同行者はいない。一人で仕事をしていた昔と違い、今なら護衛を付けてもらうこともできたが、カイルがそれを望まなかった。
一人の方が気楽だったからだ。元々一人で行動することが多く、それでどうにかやってきた。しかも今はダークエルフの荷馬車が街道を行き来するようになり、周辺での魔獣被害は激減している。昔より安全になっているのだから、一人旅で問題なかった。
街道の方を見ると、街を出たレンが西へと向かって行くのが見えた。ここからだと顔はわからないが、ガーガーに乗っているのが見える。そんな人間が二人もいるはずないから、あれはレンに違いない。
「賞金首ですか。どうしますかねえ……」
そんなことをつぶやく。レンから命じられた賞金首のことだ。
ゲルケスというこの賞金首、レンの女に手を出したそうだが、本当なら命知らずもいいところだ。そう、本当なら。
カイルはレンの言葉を信じていなかった。女に手を出したというのはウソで、本当は他の理由があるに違いない。
彼がそう疑う理由は、レンの言葉にあった。彼はカイルに命じるとき、こんなことを言ったのだ。
「その男は、またここに戻ってくる可能性があります」
少し考えればわかるが、これはおかしい。
今やレンは裏社会の有名人で、その冷酷非情さは広く知られている。そんな彼の女に手を出したのなら、自殺志願者でもない限り、恐ろしくてジャガルの街には近寄らないだろう。
それでも戻ってくるというなら、特別な事情があるに違いない。レンはそれを隠し、女に手を出したという理由でゲルケスを殺そうとしている。
さて、その裏を探るべきだろうか?
少し前までのカイルなら、間違いなく探っていた。彼はそうやって仕入れた情報を、各地の犯罪ギルドに提供して稼ぎを得ていたのだから。
そんな彼のカンが告げている。この情報は金になる、と。ただし金になる情報には、危険が伴うことも多い。
あのレンが隠そうとしている情報だ。下手に探れば命に関わるかもしれない。
今のカイルは王都にある犯罪ギルドの幹部、シーゲルの部下として働いている。単独で仕事をしていた頃と違い、危険を冒してまで情報を探る必要はない。
どこの犯罪ギルドにも属さず一人で仕事をしてきたのは、組織に入るのが嫌だったからだ。
一度犯罪ギルドに入ると簡単には抜けられない。上からは無理難題を押しつけられ、最後はゴミのように捨てられる――そんな未来が予想できたから、一人で仕事をしてきた。
レンに命乞いをして生き延び、犯罪ギルドに入ることになったカイルだったが、当初は逃げることだけを考えていた。
一応許されたとはいえ、敵だった人間にろくな仕事は回ってこないだろう。使いつぶされる前に逃げるしかないと思っていたのだが、意外なことに組織での待遇は悪くなかった。
彼のボスであるシーゲルは、やるべきことをやっていれば、細かいことは言わない男だった。
犯罪ギルドは上下関係にとても厳しいのだが――下が上にちょっとでも逆らえば殺されるような世界だ――シーゲルはそういうのにもあまりこだわらない、珍しいタイプの男だった。もちろん調子に乗りすぎれば、きつい制裁を食らうことになるだろうが。
カイルが成果を出せば、シーゲルはきちんとそれを評価して報酬を与えてくれた。
「ボス。私はオーバンス様の敵だった人間なんですけど、まさかそれを忘れてるわけじゃないですよね?」
一度、シーゲルにそんな風に訊ねたことがあるのだが、
「当たり前だろ。だがお前が敵対したのは俺じゃなくて兄弟だ。その兄弟が許すと言ったんだから問題ない。がんばって働いたなら、それに見合った褒美を出さないとな」
ただし、とシーゲルは凄味のある顔で付け加えた。
「もし次に俺や兄弟を裏切ったら容赦はしない。どこへ逃げても見つけ出して殺すからな」
「もちろん逃げたりなんてしませんよ」
その頃には、逃げようという気持ちはほとんどなくなっていた。
逃げるのが難しいのは彼もわかっていた。シーゲルが言うように、もし逃げ出せば彼もレンもどこまでも追ってくるだろう。
組織での待遇は悪くなかったし、報酬も十分もらっているのだから、危険を冒して逃げる必要はない。
シーゲルはレンと組んで、各地の犯罪ギルドと取引を始めようとした。これまでも取引はあったが、レンの運送屋を使って、もっと大規模にやろうとしたのだ。
人身売買とクスリ関係はレンが反対したのでやらないようだが、それ以外にも盗品や密輸品など、売買したい品は山ほどあった。
今までは品があっても、それを安定して運ぶ手段がなかったのだが、レンの運送屋が運び屋となることで問題は解決した。
とはいえ、いきなり大規模な取引を始めることはできない。取引する品物の種類、数、価格などを調整しなければ。
その調整がカイルの仕事だ。元々、各地の犯罪ギルドを渡り歩いていたので顔は広い。
その人脈を駆使して、各地の犯罪ギルドへ行き取引をまとめる、というのが彼の仕事だった。
上手く話がまとまり、取引が成功して利益が出れば、それに応じた成功報酬を受け取る。取引が大きくなればなるほど報酬も大きくなる。俄然やる気が出た。
個人で仕事をしていたときは、犯罪ギルドへ顔を出しても、冷たくあしらわれることが多かった。
今は違う。
裏社会でシーゲルの名声は高まっており、その直属の部下であるカイルも、それなりの扱いを受けるようになった。
加えてカイルは、あのレン・オーバンスともつながりがある男だった。
つながりの中身について詳細に話す必要はない。殺されかけたとか、そういう情報は不要だ。
「その気になれば、オーバンス様と直接話をするぐらいはできますよ」
とでも言ってやれば、相手の対応は目に見えて変わった。
裏社会でレンは有名人になっていたが、うわさばかりが先行して――そのうわさの半分ぐらいはカイルが流したのだが――実像はほとんど知られていない。周囲にダークエルフしかいないので、情報が全然入ってこないし、実際に会った者も皆無に近い。
そんなレンに直接会ったというだけで、カイルは一目置かれた。誰もがレンの話を聞きたがったし、レンとの取り成しを頼んでくる者も多かった。
以前は偉そうにしていた連中が、腰を低くして対応してくるのは気持ちがよかった。
つまりカイルは今の地位に満足していたのだ。
だからレンが依頼した賞金首の裏を探る必要などない。余計なことをして、今の地位を失えば元も子もない。
それはわかっているのだが、好奇心は抑えがたい。
多分、私が本当に知りたいのは賞金首のことなどではなくその先、レン・オーバンスという人間についてなんでしょうねえ――とカイルは自己分析する。
カイルから見たレンは、甘くてお人好しな貴族のお坊ちゃん、といった感じだ。
甘いのは間違いない。カイル自身、彼の甘さにすがって生き延びたのだから。
しかし、ただ甘いだけの人間とも思えない。
彼の周りには恐ろしいダークエルフたちが何人もいる。殺せと命じられれば、何のためらいもなく人を殺せそうな連中が。
その中でも銀髪のダークエルフ、あれが特にヤバイ。
裏社会の人間の多くが、あれをレンの愛人ぐらいに思っていて
「どこへ行くにも子供同伴か」
などと笑っているが、カイルは笑えない。
幼い外見に騙されそうだが、あれは化け物だ。それもちょっと機嫌を損ねただけで殺されかねない危険な化け物。あの少女の前に立つとき、カイルはいつも寒気を覚える。
そんな危険なダークエルフを、レンは平気な顔で側に置いている。普通の人間なら、恐くてとても一緒にはいられないだろう。
レンが単に鈍感なだけという可能性もある。暴力とは無縁の、温室のような世界で育てられた貴族のお坊ちゃんなら、あれの恐ろしさに気付かないかもしれない。
だがレンの過去は暴力に彩られている。
カイルの調べたところでは、レンは犯罪まがいのことを繰り返し、素行不良で家から追い出されたような人間だ。裏社会にも出入りしていたという。
そんな人間が、あのダークエルフがまとう濃密な死と暴力の臭いに気付かない、なんてことがあり得るだろうか?
というか、そもそも過去のレンと、今のレンがつながらない。
今のレンを見て、数年前まで悪事を繰り返していたクソガキだった、と見抜ける者がいるのか?
カイルは人を見る目には自信を持っていた。
単独で犯罪ギルド相手に仕事をしてこれたのは、よく回る口と、相手を見抜く目のおかげだ。
例えば今のボスのシーゲル。
普段の彼は、気さくで人当たりのいいおじさんに見える。だがよく見ると、目の底には暗い闇がある。犯罪ギルドの幹部になるような男が、単なる気さくなおじさんであるわけないのだ。
だがそんな彼の目でも、レンの底が見えない。どこからどう見ても、お人好しの貴族のお坊ちゃんなのだ。
相手の方が一枚上手で、こちらの目をごまかすほどの芝居をしている可能性はある。カイルは人を見る目に自信を持っていたが、過信はしていない。
それにしてもあそこまで見事に演じきれるものだろうか?
いっそのこと、どこかで別人に成り代わった、といわれた方が納得できる。というか、カイルはその可能性も疑っていた。
もし本当に今のレンが別人なら、それこそとんでもない秘密だ。それを探ろうとすれば、間違いなく殺されるほどの。
ボスのシーゲル、それに商人のマルコだって、レンの態度に不信感を持っているはずだが、二人は自分の利益になるならレンが何者でも構わないと思っているのだろう。
それが正しいとカイルも思う。
今のカイルに危ない橋を渡る理由はない。仕事をこなし、レンの役に立っている限り、彼に殺される心配はないだろう。
レンの秘密を握って脅そうとか、今の地位から蹴り落としてやろうとか、そんな大それたことを考えているわけでもない。
それなのに彼の秘密を知りたいと思うのは、これはもうカイルの趣味だ。
悪いクセだ、と自分でも思う。一度知りたいと思ったら、気がすむまで調べたくなってしまう。
「さて、どうしますかね」
調べるとしてもあせりは禁物、慎重にやらねばならない。
まずは与えられた仕事をこなしつつ臨機応変に、といったところですか。
カイルは自嘲するような笑みを浮かべ、次の目的地へと向かった。
すみません。ちょっと時間をオーバーして、日付をまたいでしまいました。
次の話はできるだけ早く上げます。