第208話 もう一人
店の将来、ひいてはダークエルフの将来も重要だったが、その前にレンは直近の問題に対処しなければならなかった
王都行きである。
気は進まないが、呼ばれてしまっては行くしかない。カイルに賞金首のことも頼んだので、王都へ向かう準備に取りかかることにした。
まずリリム、ミミ、ネリスのイール三人には、このままレンの屋敷に行ってもらうことにした。ロゼも三人と一緒に帰ってもらう。
「私も領主様とご一緒します」
とロゼは言ったのだが、
「ロゼが行くって言ったら、リリムとミミも一緒に行くって言い出すよ?」
と言ったら、渋々ながら納得してくれた。
思い返せば、さらわれたリリムとミミを最初に救出したのがロゼで、そのおかげか二人はずっと彼女になついていた。母親のネリスを助け出したので、少しは変わるかなと思ったのだが、あいかわらず二人はロゼにべったりだ。
二人にとってロゼは、自分たちを助けてくれた強くて頼れるお姉さん、なのだろう。ロゼにとっても二人はかわいい妹のようなものなので、そんな二人を置いていくわけにはいかなかったようだ。
本来なら、レンもみんなと一緒に屋敷に戻り、それからダーンクラック山脈にあるというイールの里まで送り届けるつもりだったが、その前に王都へ行かなければならなくなった。
ダークエルフたちには事情を伝え、イールの里と接触してもらうように頼んである。
レンが王都から帰ってくる頃には、何らかの結果が出ているはずだ。当然ながら、レンはイールたちともよい関係を築ければ、と思っている。
ディアナにもここに残ってもらうことにした。屋敷に戻るのではなくここ、ジャガルの街に残ってもらう。彼女にも子供――イーリスの世話を頼むことにした。
イーリスはダランの街の商人、ビロウスの娘で、今年で十才になる女の子だ。
王都に呼ばれる原因となった国境での魔獣討伐、その時にレンはビロウスの娘――イーリスではなく、彼女の姉だ――も助けたのをきっかけに、彼と知り合いになった。
イーリスと出会ったのは、ダランの街にある彼の店に行ったときだ。まだ小さい女の子なのに暗算が得意で、成り行きでリゲルと暗算勝負をすることになった。勝負はそろばんを習っているリゲルが勝ったが、イーリスの暗算もかなりのものだった。何しろレンより速くて正確だったのだから。
これが現代日本なら、それほど驚くことでもないだろう。暗算が得意な小学生はたくさんいる。だがこの世界で彼女の存在はかなり異質だった。
普通の大人でも、簡単な計算すらできない者が多いのだ。さらに女に勉強は不要とか、女の頭で勉強は無理とか、そういうことが常識として語られているような、男尊女卑の世界でもある。
小さな女の子が、計算ができるだけですごい世界なのだ。しかもイーリスは誰に教えてもらうこともなく、自力で計算能力を身につけたという。
もしかしたら、この子は天才なのでは? とレンは興味をひかれた。
そして彼女の父、商人のビロウスも娘の才能を評価していた。
「娘に算術の才能があるというなら、それを伸ばしてやりたい」
という彼の言葉に、レンは大いに共感し、そんな先進的な考えを持っている彼のことを尊敬すらした。
幸い、レンはダークエルフたちの教育環境を整えつつあった。だから一緒にイーリスにも勉強を教えられるはず、ということでビロウスと約束を交わした。イーリスを預かって勉強を教えると約束したのだ。
ちゃんと約束は守るつもりだった。とはいえ、いきなりは無理だ。まずは人間の女の子を受け入れる体制を整えねば。
だが事態は彼が予想していたより早く動いてしまった。
ビロウスやイーリスと会ってから、レンはさらに南のロレンツ公国へと向かった。そこで後継者争いとか、魔獣の襲撃とか、色々騒ぎに巻き込まれながら、どうにかネリスを取り戻して帰国した。その帰り道でダランの街にも立ち寄った。ビロウスに軽く挨拶ぐらいはしておくか、と思いながら。
ところが再会したビロウスは鬼気迫るような勢いで、
「どうかイーリスをお連れ下さい!」
と迫ってきたのだ。最初は準備不足だと断ろうとしたレンだったが、結局ビロウスの勢いに負けて承諾してしまった。必死に頼まれると断れないという、レンの精神的な弱さがまた出てしまった。
ビロウスは娘の教育のことを、そこまで気にかけていたのか、と思いたいところだったが、どうやらそれだけではないらしい。
どうやって知ったのか、ビロウスはレンがロレンツ公国で活躍したことを知っていた。ロレンツ公爵と親しくなったことも知っていた。
おそらくビロウスはここでレンとつながりを深めておけば、将来プラスになると考えて強引にイーリスを押しつけてきたのだろう。娘の将来も考えていたとは思うが、それ以上に商人として損得で行動したに違いない。
商人だから損得を考えるのは当たり前、というのはレンも頭では理解できたが、そのために娘を利用しようとするのはどうかと思う。このことでレンの中でビロウスへの好感度が一段下がった。
しかしイーリスに教育の場を整えるという約束は約束だ。レンは彼女を一緒に連れ帰り、約束通り学ぶための環境を整えるつもりだった。
最初は彼女を屋敷まで連れ帰り、ダークエルフの子供たちと一緒に勉強してもらおうと考えていた。
すでにレンの屋敷はダークエルフたちの学校のようになっている。ここにイーリスが入っても何の問題もない。
だが帰る途中で、それはちょっと問題かもしれないと思うようになった。受け入れ側ではなく、彼女の方に。
レンの屋敷に行けば、イーリスの周りにはダークエルフの子供しかいなくなってしまう。これは問題ではないか?
レンはダークエルフを差別していない。むしろこの世界の人間よりダークエルフの方へ肩入れしている。だがダークエルフは人間とは違う種族だと区別もしている。そんなダークエルフたちの中で人間の女の子が一人で過ごしたら、彼らの行動や価値観に影響を受け、将来困ったことになったりしないだろうか?
前の世界で聞いた話では、小さい頃から海外で育った帰国子女が、日本に帰国してから文化の違いで苦しんだ、なんてことがあったらしい。
レンには海外留学とかの経験はないが、死んでから海外どころか異世界に来た。そして常識や文化の違いで苦労している。
同じようなことがイーリスに起こったりしないだろうか?
なんて悩んでいたところに、さらに別の問題が加わった。
ミオである。
レンは彼女の後見人になったわけだが、
「後見人って具体的に何をすればいいんですか?」
とマルコに聞いてみたところ、
「場合によりけりです。引き取って本当の親代わりになる場合もあれば、名前だけの後見人もいます」
例えば後継者の地位を明確にするため、有力な人物に後見人になってもらうこともあるらしい。そういう場合は名前だけで、実際には何もしないというわけだ。
「じゃあ、それでいきましょうか」
レンはミオや彼女の店をどうこうするつもりはなかったので、名前だけの後見人でいこうと思ったのだが……
後見人になった翌日、ミオの方からレンのところへやって来てしまった。身の回りの道具を揃え、世話をするメイドを何人か連れて、彼女がマルコの店に現れたのだ。
知らせを聞いて慌てて駆けつけたレンは、困り顔でマルコに聞いた。
「こういう場合、どうしたらいいんですか?」
「向こうから後見人であるレン様を頼ってきた形ですから、ここは受け入れるのが筋ですね」
後見人は親代わり。子供が頼ってきたら面倒をみなければならない、ということらしい。
それにしても行動が早いですねえ、なんてマルコは感心したように言っていたが、レンも同感だった。もう数日もすれば、レンは王都に向けて出発していたはずなので、ミオがやって来ても不在だと帰ってもらうことができた。だがレンはまだいた。ここで追い返すのはマズいようだ。
すでに出発したことにして、居留守を使えばよかったんじゃ? と気付いたが、もう店まで来てしまったのでダメだ。
「仕方ないですね。ひとまずマルコさんの店で預かってもらえますか?」
「それが妥当でしょうね」
王都まで連れてはいけないし、レンの屋敷は遠すぎる。マルコの言う通り、この店で預かってもらうのが妥当だろう。
「そうだ。だったらもう一人預かってもらいたい子がいるんですけど」
ミオを店で預かるなら、イーリスも一緒に預かってもらおうとひらめいた。一人預かるのも二人預かるのも一緒だろう、というのはちょっと乱暴だったが、とりあえず彼女もここで一緒に預かってもらおう。
マルコにはイーリスのことは言っていなかったので、事情を説明して頼んでみた。レンとしてはミオのように簡単に承諾してくれると思ったのだが、ちょっと予想外の反応が返ってきた。
「ビロウスさんの娘!? まさかレン様、気に入ったから強引に連れ帰ってきたとかではないですよね……?」
話を聞いたマルコは、恐る恐るといった様子で訊ねてきたのだ。
「なんでそんな話になるんですか」
レンはもう一度、ちゃんと事情を説明した。ビロウスの方から強く頼まれたのだ、と強調して。
それでマルコは一応納得してくれたようだが、まだなんだか不安そうにしているような……?
まったく、マルコさんもとんでもない勘違いをする。困ったものだ、と思ったレンだったが、そこでふと考え込む。
もしかして他人にはそう見えてもおかしくない、とか?
ビロウスがレンとの関係を深めたいと思っていたのは間違いないし、ビロウスが娘をレンに預けたのには、そういう思惑もあったからだ。つまり立場が強いの方はレンの方で、他人の目にはレンが、
「だったら娘をよこせ」
と要求したように見えるとか……?
いやいや、そんなことはないだろうと打ち消す。レンからは何も言っていないし、むしろ困ったのはこちら側だ。誤解を招くようなことは何もない、きっと大丈夫のはず。うん、そのはずだ。
だが念のためだ。誰かに聞かれたときは、しっかり事情を説明してもらうようマルコさんに頼んでおこう。
色々と不安はあったが、とにかく二人は店で預かってもらうことにした。
ディアナにはこの二人の面倒を見てもらうため、ここに残ってもらうことにした。他は大人ばかりだし、年の近い子供がいた方が二人にもいいだろう。
イーリスについては、帰って来るときもディアナに面倒を見てもらっていた。イーリスはちょっと何を考えているのかわからない部分があったりして、ディアナになついているかどうかはっきりしないが、少なくとも嫌ではなさそうだったので大丈夫だろう。それにディアナは基本的な読み書きもできる。とりあえず二人にそれを教えてもらうことにした。
この先二人をどうするかは、王都から戻ってきてから、もう一度じっくり考えよう。
こうしてロゼとディアナが残ることになり、王都へはリゲル一人がついてきてくれることになった。
さらにもう一人、ゼルドが同行してくれる。
「わざわざゼルドさんが来なくても大丈夫ですよ」
彼はシャドウズの隊長だ。護衛としてレンに同行するより、やるべき仕事があるだろうと思ったのだが、
「いえ。領主様の護衛が最優先です」
と譲らなかったのでそうなった。
ゼルドはさらに他のシャドウズ隊員も連れて行こうとしたのだが、これはレンが強く断った。
人数が増えると気疲れしてしまう。顔見知りの少人数の方がいい。
それにここ数ヶ月の間に、ジャガルから王都までの街道の治安は大きく改善していた。
ダークエルフの荷馬車が行き交うようになり、彼らが道中の魔獣を駆除するようになったからだ。その分、ダークエルフたちにも若干の被害が出ていたが。
また各地の犯罪ギルドの荷物も運ぶようになっていたため、ダークエルフが盗賊に襲われることもほぼなくなった。以前、荷馬車を襲った盗賊たちが、レンによって倒されたことも影響している。
「奴らに手を出すと後が怖い」
というのが裏社会に知れ渡っているのだ。
おかげで王都への道中はかなり安全になっていた。一般人が安心して旅ができる、とまではいかなかったが、レンたちなら少人数で問題ない。
街を出たところでガー太と合流したレンは、その背中にまたがり、カエデ、リゲル、ゼルドの三人と一緒に王都へと向かった。
先週末はまた更新できずにすみません。
長くなりすぎて終わらず、整理して短くしたはずなのにまた長くなってしまったという……
結局二話に分けることにしたので、次の話も今日中には上げます。