第207話 理想像
レンの前世、現代日本は情報化社会などと呼ばれていた。社会は情報であふれかえり、そんな情報をいかに活用するか、あるいはいかに価値ある情報を見つけ出すか、とにかく情報の重要性が叫ばれていた。
そんな社会にいたのでレンも情報の重要性は知っていた。ただ、知っているのと、ちゃんと理解しているのとは違う。情報が重要っていわれてるし、やっぱり重要だよね――レンの理解はその程度だった。
むしろ情報の重要性を本当に理解し始めたのは、こちらの世界に来てからだった。
何しろこちらの世界では情報が少ない。ネットどころか本すら貴重なこの世界では、情報や知識が少なすぎて、わからないことが多すぎた。
とにかくもっと情報を集めねば、と思ったレンは、それをダークエルフたちに頼むことにした。
運送業が軌道に乗り始めると、レンは各地に出向くダークエルフたちに情報収集を依頼したのだ。
最初は簡単な地図の作成から始まった。迷わないように道案内するための地図で、分かれ道しか書いてないようなものだった。それを次第に詳細なものへと変えていった。周辺の地形など、書き込む情報を増やして地図はより詳細になった。
今はまだ実現できていないが、いずれは測量技術も身につけてもらって、さらに正確な地図を作る専門部隊の設立も考えていた。
また訪れた先の街の情報も集め始めた。
街の規模や人口、それから商売に役立ちそうな情報――例えば不足している品がないかとか、逆にあまっている品がないかとか。
不足している品があれば、それを持って行けば高く売れる。逆にあまっている品があれば安く買える。
ダークエルフがやっているのは運送屋、自分たちで仕入れや販売を行っていなかったが、そういう情報を他の商人に流せば取引しようとする者が現れるだろう。取引が増えれば、運送屋の仕事も増えるというわけだ。
そしてこの情報収集は、各地の特産品の掘り起こしにつながっていった。
もちろんこの世界でも、すでに多くの特産品が知られている。どこそこの地方では鉄が採れるとか、あそこの街は織物で有名だ、とか。
しかしその数は全体から見ればごくわずかだった。人の行き来が少なく、情報も不足していたため、まだまだ知られざる特産品が多く眠っていたのだ。
荷馬車と一緒に各地へ出かけたダークエルフたちは、次々とそういう情報を持ち帰ってきた。それができたのも、ダークエルフたちが読み書きを身につけていたからだ。情報をメモして持ち帰ることができなければ、不確かな情報ばかりになっていただろう。
最初は手探りだったやり方も、手順が整理され、マニュアル化されてきている。
荷物を運んで目的地に到着すると、まずは現地のダークエルフと接触して情報を集め、その後で人間の住民たちに接触する。
ダークエルフは差別されていたが、多くの街や村にとって、よそから運ばれてくる物品はどれも貴重なものばかり。それを運んでくるダークエルフたちを無下にするわけにもいかず、
「主様から聞いてこいと言われたのですが――」
なんてダークエルフが質問すれば、応対した街の住民たちは嫌々ながらでも答えてくれたのだ。友好的とはいかなかったが、最低限の受け答えはしてくれたのである。
そうやって一度つながりができれば、次からはさらに仕事がやりやすくなる。また有益な情報には謝礼もはずんだので、情報提供者の数は増えていた。
こうして集められた情報は、マルコを通じて他の商人へもたらされた。
「そういえば、ちょっと耳寄りな話があるんですが」
商談の際に、マルコがそうやって切り出せば、無視できる商人はいなかった。
最初は半信半疑だった商人も、試しに取引してみるとその通りということが多く、次からはもっと大きな取引に発展した。
今までなかった新しい販路が次々と開拓され、経済活動はどんどん活発になっていった。ここ最近、ジャガルの街の景気がよくなったのも、既存の商売の拡大に加え、新しい商売が多く生まれていたからだ。
情報を握るマルコの元には「おいしい話」を求めて、多くの商人たちが集まるようになり、そこからまた新しい情報を得ることもできた。情報をエサにして、交渉を優位に進めることもできた。
それは商人相手に限らない。貴族たちも情報を欲していたからだ。
自分の領内の情報、他の貴族の領内の情報、どちらも知っていて損にはならない。運送業の拡大にともない、各地の貴族たちとの交渉も必要になっていたが、その交渉において、情報は大きな武器となったのだ。
もちろん情報の重要性を知っているのはレンだけではなかった。元の世界でも情報の重要性は古くから知られていた。レンも知っている有名な言葉に「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というのがあったが、これは孫子、古代中国の言葉だ。
まさに情報の重要さを教えてくれる言葉だったが、それがはるか昔から語り継がれてきたのは、多くの人間が情報の重要性を認識していたからだ。当然、この世界にも情報を重要だと思い、情報収集に熱心な者も多くいた。
貴族の中には、レン以上に情報の重要性を理解していた者もいただろう。配下にスパイ組織のような集団を抱えている者だっていた。
だがそんな貴族たちですら、レンほどの巨大組織――ダークエルフの運送屋を持ってはいなかった。情報収集には金も、人も、時間もかかる。やりたくても先立つ物がないと無理なのだ。
レンはダークエルフたちの協力を得ることで、いわば巨大な情報収集組織を作り上げたわけだが、人間を使って同じような組織を作ろうとすれば、とんでもない金がかかっただろう。
もう一つ、この世界の人々とレンの大きな違いは、情報化が進んだ未来を知っているかどうかだった。
例えば商人のマルコも、情報の重要さを知っている者の一人だった。
人より儲けようと思うなら、人より早く儲け話を手に入れなければならない、ということを彼は知っていた。書物を読んで勉強したのではなく、実務の中でそれを学んでいた。
過去にはそれを実践したこともある。
隣のザウス帝国とターベラス王国の国境付近で魔群が発生し、レンもその魔獣退治に加わったことがあった。マルコはその戦いの結果を、レンから誰よりも早く教えてもらったのだ。そうやって得た情報から、物価の動きを予測して大儲けしたことがある。
ダークエルフたちが多くの情報を仕入れてくるようになって、マルコはさらに情報の大切さを実感していた。
だがそんなマルコでも、これ以上のことは望んでいなかった、というかこれ以上のことを想像できなかった。
「情報集めは今で十分すぎるほどできている。これでひとまず完成だろう」
と思っていた。
ダークエルフを使った大規模な情報収集など、過去に誰もやったことがない。それを成し遂げて、しかも上手く回っているのだから、マルコがこれで十分と思うのも当然だった。
だがレンは違う。
レンが理想としていたのは現代日本だ。インターネットが発達し、パソコンやスマホで瞬時に世界中の情報を手に入れることができる、それが彼の目指すべき到達点だ。
もちろん、そこまでいくには時間がかかるだろう。このままレンが百才まで生きたとしても、ネットはおろか、電話の発明も無理に違いない。
それでもそこへ一歩でも近付かねばならない。だからレンは現状に全然満足していなかった。
もっと多くの情報や知識を、もっと詳細に、もっと正確に、もっと迅速に集めなければと考えていた。
ダークエルフたちには、もっと幅広い分野で、様々な情報を集めてもらうつもりだ。
また集めるだけではなく、集めた情報を管理する専門部署も立ち上げていた。まずは情報を整理して、さらに活用しやすくする。そこから進んで、情報を分析して予測を立てられるようになれば、と考えていた。
イメージしているのは、海外ドラマで見たCIAとかMI6みたいな情報機関だ。
実のところ、それを作ってどうするとか、具体的なところまでは考えていなかった。情報を集めて損はないだろう、ぐらいの考えだ。だが進もうとしている先は間違っていないはずだ。将来、きっとダークエルフたちの役に立つはず、と思っていた。
ただ全て上手くいっているわけではなく、新しい問題も発生していた。
その一つが紙問題である。
情報収集の拡大とともに紙の使用量も増大し、その費用がかさむようになってきていた。記録には紙が必要だし、レンは前世の仕事で使っていた図表――工程表とか――を教えて、できるだけ表にまとめるように頼んだので、さらに使用量が増えた。
この国では獣皮紙と呼ばれる紙と、普通の(?)紙の二種類が流通していたが、どちらも高級品なのでお金がかかる。
レンは不確かな記憶――紙の原料は木、それを茹でて紙を作る?――を元に何とか紙を作れないか、ダークエルフに試作してもらっていたが、まだ上手くいっていない。
紙の製造に自力で成功するか、どこからか製造方法を入手するか、あるいは安い購入ルートを開拓するか――とにかくこのままだと費用がかかりすぎるので、紙の問題はなんとかしなければならなかった。
またこちらは問題ではなかったが、レンは図表と一緒に複式簿記を提案して、店に導入されていた。
レンは前世でプログラマーをやっていたが、その時に会計システムの開発にたずさわったことがあり、それで簿記についても基本的な知識を身につけていたのだ。こちらの世界に来てから、前の仕事の知識が役に立つことはほとんどなかったのだが、やっと少し役立ったというわけだ。
この世界に複式簿記があるのかないのかわからないが、少なくともマルコは知らなかったようで、これまでは単純なお金の出入りだけをつけていた。単式簿記だ。
そこでレンは複式簿記を思い出して提案してみたのだが、実はレンは複式簿記の利点をよく理解していなかった。簿記のやり方は知っていても、実際に簿記を付けたことがないので、どうして単式より複式の方がいいのか説明できなかったのだ。
ただ複式簿記の方が複雑で手間がかかるのに、日本の会社はみんな複式簿記を使っていた。なのでそちらの方が利点があるのだろうと思って提案してみたのだ。
はたして、さすが商人というべきか、説明を受けたマルコは、
「なるほど……。手間はかかりますが、こちらの方がいいかもしれませんね」
と利点に気付いたようで、導入に賛成してくれた。
今は帳簿の記入もダークエルフが行っているが、まずは彼らに複式簿記を勉強してもらわねばならない、ということで現在は前から使っている単式簿記と、複式簿記の両方をつけている。このまま問題なければ複式簿記に一本化する予定だった。
このようにやるべきこと、やりたいことはまだまだいっぱいあった。レンの理想ははるか先にあって、そこへ到達する日まで歩みを止めるつもりはなかった。