第206話 褒賞
エッセン伯爵がいい人だったのは誤算だったなあ。
もっとちゃんと話をしておけばよかった、とレンは後悔していたが、今となっては手遅れだ。
話はさらわれたネリスを追って、バドス王国へ向かった頃までさかのぼる。
エッセン伯爵は国境の街、ロッタムを治める貴族だった。
レンもロッタムを通ってバドス王国へ向かったのだが、その際、エッセン伯爵と協力して魔獣の群れを討伐した。
これまで何度か同じようなことがあったのだが、レンはそのたび、
「手柄はお譲りしますので、僕のことは言わないで下さい」
と相手に頼んできた。
下手に目立つと都合が悪いので、手柄とかは全部譲ってきたのだ。
これまではそれで上手くいっていた。
貴族にとっては名誉が一番大事、レンが譲ると言えば、相手は喜んで承諾してくれた。
だから今回もそれでよし、と思っていたのだが……。
レンにとって誤算は二つあった。
一つはロッタムに国から派遣された役人がいたことだ。
国境の街であるロッタムは、グラウデン王国にとっても重要な街だ。エッセン伯爵はそこの領主だったが、王国は彼に任せっきりにはせず、国の役人を派遣していたのだ。
王国の役人は、エッセン伯爵の部下ではなく国王の部下である。立場は同格であり、エッセン伯爵の命令に従う必要はない。
その王国の役人が、レンのことを王国へ報告してしまったのだ。
この役人がいたのが誤算の一つ目だが、それより失敗したと思ったのはエッセン伯爵についてだった。
もしエッセン伯爵が、本気で手柄を独占しようと思えばできたはずなのだ。役人と敵対していたならともかく、そうでなければ二人は同僚、伯爵が言いくるめれば役人も協力したに違いない。
レンは帰国して、ロッタムの街に立ち寄った際に、エッセン伯爵からそのことを聞かされたが、手柄を独占できなかったことを悔しがっている様子はなく、
「やはりオーバンス殿の功績は大きいですからなあ。それを私が独り占めというのも、よろしくないでしょう」
などと笑っていた。悔しがるどころか、つかえていた物が取れてすっきりした、という感じで。
レンはこれまでの経験から、貴族はみんな名誉に貪欲なので、手柄を譲ると言えば喜んで受け入れる人ばかり、と思い込んでいた。だがその思い込みこそが二つ目の誤算だった。
ちょっと考えればわかる。貴族だって人間、様々な貴族がいて当然なのだ。
エッセン伯爵は手柄を独占するのをよしとするような人間ではなかった。だから役人が報告するのも止めなかった。彼はいい人だったのだ。
貴族だから手柄を譲ると言えばそれでいいだろう、なんて安易に考えたのが失敗だった。もっとちゃんと話をしておくべきだった。
「ちょっと問題があって、ここにいたのを知られたくないのです。ですからどうかお願いします。私のことは秘密にしておいて下さい」
と強く頼んでいたら、エッセン伯爵も気兼ねなく手柄を独占してくれたかもしれない。
思い込みは危険だな、と反省したレンだったが、報告されてしまったのはどうしようもない。
レンがロレンツ公国へ行っている間に報告は行われ、その返事がエッセン伯爵のところに来たそうだ。
「私とオーバンス殿、二人そろって褒賞を与えるので王都に来るように、とのことです。国王陛下直々にお褒めの言葉をいただけるようで、勲章ももらえるかもしれませんぞ」
とエッセン伯爵はうれしそうに笑っていたが、レンは喜べなかった。
貴族の名誉に興味ないレンには、国王のお言葉も、勲章もありがたいと思えない。元はこの国に縁もゆかりもない異世界人、価値観が違うのだ。
何より問題なのは、呼ばれたのがレン一人でなかったことだ。役人はレンの活躍をしっかりと報告したらしく、
「レン・オーバンスが乗っているという、ガーガーらしい鳥も一緒に連れてくるように」
「魔獣との戦闘で活躍したという、銀髪の女ダークエルフも一緒に連れてくるように」
という二つが、しっかり返事の通達に明記されていたのだ。
レンはこれに頭を抱えてしまった。
自分一人だけなら、ひっそりやり過ごせたかもしれないが、ガー太を連れて行ったらひっそりなんて絶対無理だろう。
ロレンツ公国でも、ガー太は大人気だった。
あれは遠い他国だったので、騒がれてもさっさと帰国してくればよかったが、今度は自分の国の王都の話だ。前回、王都に行ったときはそれを危惧してガー太を街に入れなかった。しかし今回は名指しだ。
ガー太はどこかへ逃げ出しました、とかウソをつこうかと一瞬思ったが、バレたらそれこそ問題なので連れて行くしかないだろう。
そこでガー太が人気者になったら……どういう影響が出るのか、見当もつかない。どうか平穏無事で、と祈るしかなかった。
カイルへの頼み事は終わったので、レンはマルコに挨拶してから帰ろうと思い、彼の姿を捜す。
マルコは店内に備え付けられた運送予定表の前にいた。
この運送予定表はレンが考案して設置したものだ。もっとも考案というほど考えたわけではない。現代日本人なら、誰でも常識として知っている物をパクっただけなのだから。
運送予定表は縦横数メートルの大きな板を置き、そこへ荷馬車の木札(それぞれ番号を振ってある)、目的地、出発日時、帰ってくる予定日時などの木札を並べてかけている。こうすることで、どの荷馬車がどういう状況なのか、一目でわかるようになった。
元になったのは、現代日本ならどこの会社にもある社員の予定表だ。レンの会社にもあった。ホワイトボードに名前の書いたマグネットシートを並べて、それで出欠と予定を管理する、というやつだ。
最初、レンは磁石を使えないかと思った。ホワイトボードは無理でも、鉄板に磁石で貼り付ければ使いやすいだろう、と。
ところがこの磁石が高価だった。すでに方位磁石もこの世界にも存在しているのだが、磁石は希少価値が高くて、大量に買いそろえるとなるとお金がかかった。
だったら磁石を大量生産すれば大儲けできるのでは? と思ったレンだったが、よく考えるとレンは磁石の生産方法を知らなかった。
この世界での磁石の生産方法がどうなっているのか、マルコに聞いても知らないようだったが、多分、天然の磁石をそのまま利用してると思う。天然の磁石がどんなところに埋まっているのか、こっちでも元の世界でもレンは全然知らなかったが、多分どこかで採掘されているのだろう。
現代日本で大量に使われていた磁石とかマグネットシートとかは、さすがに天然物ではなく工業生産されていたはずだが、やり方がわからない。磁力は電気と関係があるから――フレミングの右手の法則をまだ覚えていた――電気で作っているのだろうか? 電磁石とかあるし。
わからないのは作れなかったし、もし電気で作っているならお手上げである。だから磁石はあきらめて木の板を利用することにした。
この予定表、導入してみるとマルコや他のダークエルフたちにも大好評だった。
「これだと予定が一目でわかります。すばらしい」
それまでは荷馬車がバラバラに管理されているので、どの荷馬車がどこへ行っているのか、それを調べるだけでも時間がかかっていたのだ。
それが効率化された。さすがはレン様、なんてほめられて悪い気はしなかったが、不思議にも思った。予定表なんて単純なものを、どうして誰も思い付かなかったのか。
理由は単純だった。
今までそんな必要がなかったからだ。
この世界では、まだまだ小規模な個人商店がほとんどだ。数人とか、十数人とかの従業員だけなら、予定表などなくても管理できる。だから誰も予定表を作ってこなかった。そういう物があるというのを知らないので、マルコも運送予定表を作ろうという発想がなかった。
また、この運送予定表がちゃんと機能しているのは、ダークエルフたちの行動予定を、ある程度まで立てられるようになったからだ。
この世界では、時間の管理はよくも悪くも適当だ。
ちょっと遠くの街まで往復するとなったら、どれだけ日数がかかるのか、誰もよくわかっていなかった。
「早かったら一週間ぐらいか? 遅かったら二週間以上かかるかも?」
そんな具合に適当なのだ。
誰もが時間にルーズというか、現実問題、そうならざるを得なかった。
移動手段は徒歩や馬車、正確な地図もないし、危険な魔獣はウヨウヨいる、なんて世界で時間通りきっちり行動しろ、なんていうのは不可能だ。
それはみんなわかっているから、例えば物を運ぶために雇われた傭兵たちも、適当にゆっくり行けばいいか、ぐらいの気持ちで仕事をする。
そういうわけで、これまでは一日で行けるような近くの街ならともかく、ある程度遠くまで行くとなると予定の立てようがなく、それを管理しようとしても難しかった。
だがダークエルフたちは違った。彼らは命令に従って行動し、まじめに働く。レンはそこに日本社会に近いものを感じて、勝手に親近感を抱いていたりするのだが、とにかく彼らは序列が上の者に命令されたことは、その通りに実行しようとする。代わりに臨機応変とか、自主的対応とかはまるで期待できないが、そこは仕方ない。
言われた通りにきっちり行動するなら、同じ行動を繰り返したときに、予定を立てやすくなる。
さらにレンはダークエルフたちに情報収集と蓄積を頼んでいた。
どこそこの街に行ったときには何日かかったか、途中、どんなトラブルや難所などがあったか、等を記録させた。さらに手書きだが地図も書いてもらった。
そうやって情報を蓄積していけば、どこそこの街に行くにはだいたい何日かかるとか、そういう予定が立てられるようになってくる。問題点や地図を共有し、周知していけば、さらなる効率化につながる。
このような情報活用が可能になったのは教育のおかげだった。ダークエルフたちが最低限の読み書きや計算ができるようになったからこそ、情報を活用することが可能となったのだ。
レンがダークエルフたちの教育環境を整えたのはこれを予想していたから――ではなく勉強しておけば何かの役に立つかも、ぐらいの思い付きからだったが、それが大いに役立っていた。
従業員のダークエルフたちの高い教育水準――この時代の平均と比較して――とレンの知識を元にした様々な施策の導入によって、マルコの運送屋は同時代の他の商店と比較して、群を抜いた効率化を実現していた。
またそこまで効率化できていたからこそ、主要な人間がマルコ一人でも、どうにか店を回すことができていたのだ。外との営業とか交渉とかはマルコが一手に引き受ける代わりに、店の中のことはダークエルフたちで回すという仕組みができあがっていた。
マルコが、
「来週は荷馬車に空きがあるか? 後、来月の余裕はどれくらいだ?」
と部下のダークエルフに聞けば、
「来週は中頃に一台帰ってくる予定で、それが空いています。来月の予定は、ほぼ埋まっていますが、まだ何台か空きがあります」
みたいな答えがすぐに帰って来るようになっていた。
これは、この当時としてはかなり先進的なシステムだったが、それでもレンはまだまだ満足していなかった。