第205話 運送路、拡大(下)
見事に寝落ちして日をまたいでしまいましたが、続きです。
バドス王国への運送路拡大。それはマルコも考えていた。ただしまだまだ先の話として。
だが二ヶ月ほど前、レンがさらわれたイール――エルフそっくりの不思議な種族――の女性を取り戻すため、自らバドス王国まで行くと言い出した際に、予定が早まるかもしれないな、と心構えはしていた。
せっかくバドス王国まで行くというのだ。ついでに商売の話をしてきてもおかしくない。いや、当然してくるはずだ。
だからレンからその話が出てきても、驚いたりはしなかった。
「この先、そういうことも考えていましたが。やはり向こうでそういう話をしてきたのですか?」
「ええ。ついでというわけじゃないですけど、向こうで何人か、偉い人と話をする機会があって」
とレンは説明してくれたが、それを聞いてマルコは驚く。
その偉い人が、とんでもない人物だったからだ。
「エッセン伯爵とビロウスさんですか……」
「知ってるんですか?」
「私はバドス王国に行ったことはありませんが、レン様が行くと聞いて、少し調べたんです。この先、バドス王国との商売も考えて、情報を集めておいた方がいいだろうと」
エッセン伯爵はロッタムの街の領主だ。そしてロッタムの街はグラウデン王国の南端、ダーンクラック山脈のふもとに位置する国境の街だ。
一方、ビロウスはダランの街の有力な商人だ。ダーンクラック山脈を越えた向こう側、バドス王国の北端に位置するダランの街は、やはり国境の街だ。
この二つの街を結ぶのが、竜の爪跡と呼ばれる街道で、ダーンクラック山脈を越えられる唯一の道といっていい。当然、バドス王国との交易を考えるなら、この道を外すことはできない。
他の道はダーンクラック山脈を大きく西に迂回するしかないからだ。
国をまたいだ取引で重要なのは、当然、国境をどのように越えるかだが、レンはその国境のこちら側と向こう側、両方の有力者と話をつけてきたという。急所を押さえたのだ。
「お二人の協力を得られるなら、話もすんなり進むと思います」
この二人だけなら、まだマルコの予想の範囲内だったのだが、
「さらにロレンツ公爵ともお会いになっているとは。さすがですね」
バドス王国まで運送路を伸ばすなら、ぜひロレンツ公国まで――というのはマルコも考えていたことだった。
バドス王国は四つの公国による連合王国のような国で、山脈の向こうにあるのはハーガン公国。ロレンツ公国はその南だ。
ここでロレンツ公国が重要になってくるのは、公国が海に面しているからだ。海があれば海路を通って様々な品物が入ってくる。海路の広さは、陸路とは比べものにならない。
グラウデン王国は海に面していないので、もしロレンツ公国まで――海まで運送路がつながれば、その効果は計り知れない。もちろん、そこを行き交うのはマルコの荷馬車だ。
まだ見ぬ品物を満載し、街道を進む荷馬車がマルコの脳裏に浮かんだ。
やはり店のことは後回しだな。
せっかく手に入ったゴナスの店だが、今はバドス王国の話を優先すべきだ。できるだけ早くバドス王国へ出かけ、話をまとめてこなければ。
ゴナスの店は当面そのまま、あの番頭に任せておけばいいだろう。
レンの話を聞いて、マルコの心は早くもバドス王国へと飛んでいた。
後見人の話があった翌日、レンはまたもマルコに呼び出されて街へと向かった。
昨日の後見人になるという話は突発的な出来事だったが、今日は違う。レンが待っていた人物が、マルコの店にやってきたのだ。
「お久しぶりですオーバンス様。お元気そうでなりよりです」
店に着いたレンを、一人の男が待っていた。愛想のいい笑いを浮かべ、挨拶してきた男の名はカイル。一見すると気のいい商人のような男だが中身は違う。
以前、レンの荷馬車が襲われる事件があったが、彼はその一味だった。
犯人を追って王都まで行った結果、実行犯の盗賊たちをほとんど殺し、背後にいた犯罪ギルドも潰した。
カイルも盗賊の仲間だったので殺されて当然だったが、彼はレンに必死の命乞いをして生き延びたのだ。
甘いと言われるかもしれないが、レンは元は平和な日本人。命乞いする人間を殺すというのは中々できず、カイルにも情けをかけたのだった。
だが、もしカイルの正体を知っていたなら、レンも彼を許しはしなかっただろう。カイルは単なる盗賊の仲間ではなく、荷馬車襲撃の発案者であり、主犯の一人だったからだ。
カイルは必死の演技でレンをだまして生き延びたのだ。
ただ損得で考えれば、彼を生かしたのはレンにとって有益だった。
レンは王都へ行った際、事件の解決に王都の犯罪ギルドの力を借りた。そこで幹部の一人、シーゲルと知り合いになったのだが、事件解決後も彼との協力関係は続いた。
商人たちが、安定した運送手段を求めていたのと同じく、犯罪ギルドも運送手段を求めていた。
彼らが扱うのは盗品とか、密輸品とか、表に出せない品が多かったが、他の街との取引を望んでいたことに変わりはない。
シーゲルはレンの協力を得て、各地の犯罪ギルドに取引を持ちかけた。王都を中心とした、いわば裏の流通網の構築に取りかかったのだ。
犯罪ギルドは金になると思えば即座に動く。
各地の犯罪ギルド間の取引は急増し、運送屋の規模も急拡大した。
この犯罪ギルドの取引で、カイルは大活躍した。
「私はあちこちの犯罪ギルドに顔が利きます。きっとお役に立ちます」
などと必死に命乞いしたカイルだったが、その言葉はウソではなかったのだ。シーゲルの部下として働くことになったカイルは、各地の犯罪ギルドに出向き、多数の取引をまとめた。口先一つで裏社会を生き抜いてきたカイルは、優秀な交渉人でもあった。
今もカイルはあちこちの犯罪ギルドへ出かけ、王都のシーゲルと、ジャガルのマルコのところへ報告に訪れる、という生活を送っている。
南から戻ってきたレンが、マルコと会ってからもジャガルの街にとどまっていたのは、彼がやって来るのを待っていたからだった。
「カイルさんにお願いがあるんですが」
「何でしょうか?」
「僕はゲルケスという男を捜しているんですけど、そいつを賞金首として、犯罪ギルドに手配してもらうとかできます?」
ゲルケスはイールの里からネリスを連れ去った男だった。レンがロレンツ公国まで出かけることになった元凶といってもいい。
さらわれたネリスを見つけ出し、どうにか連れ帰ってくることはできたが、誘拐犯であるゲルケスを見付けることはできなかった。
現地のダークエルフたちに頼んで捜してもらったが、ゲルケスは金を受け取ってすぐに街を出たらしく、どこへ行ったかわからなかった。
しかしゲルケスをそのままにしておくわけにはいかない。彼はイールの里の場所を知っているので、二度目、三度目の誘拐が起こるかもしれないし、それ以上にまずいのは彼の口からイールの存在が広く知られてしまうことだ。
イールとエルフの外見はよく似ている。そしてこの世界にはエルフを信奉している人間が多い。イールの存在が知られてしまえば、彼らが大規模な奴隷狩りにあう危険性があった。
だから彼だけは生かしておくわけにはいかなかった。
ダークエルフたちには捜索を続けてもらうが、他にも何か手はないかと考えたとき、一人のダークエルフから、
「賞金をかけて、捜してみてはどうでしょう?」
という意見が出てきた。
犯罪ギルドは人捜しもよくやる。裏切り者とか、借金したまま逃げた者とか、そういう者を捜す横のつながりがあるのだ。
レンはその話に乗った。ゲルケスの首に賞金をかけ、カイルに頼んでその情報を広く犯罪ギルドに流してもらうことにした。
毒をもって毒を制す、というわけだ。
「賞金首とは穏やかじゃありませんな。そのゲルケスという男、何をやったんです?」
興味深そうに聞いてくるカイルに、レンはしれっと答えた。
「僕の女に手を出しました」
カイルがちょっと驚いた顔になる。
最初、レンは理由を隠したままゲルケスを賞金首にするつもりだったが、話を聞いたリゲルから、
「レン様、それだとどうして狙われているのか、理由を探ろうとする奴が出てきませんか?」
と言われて考えを変えた。ゲルケスを賞金首にした結果、彼の持っている秘密を他の者に知られてしまえば本末転倒である。
そこで考えた理由が、僕の女に手を出した、だ。
古今東西、女性問題で恨みを買うというのはよくある話だし、完全にウソでもない。
僕の(治める領内に住んでいるイールの)女性に手を出した、というわけだ。
それに女性問題は損得ではなく感情だ。多額の賞金をかけても、メンツを潰され怒り狂っている、と思ってくれるだろう。
「ちなみに賞金額はいくらですか?」
「金貨百枚で」
「それはまた……」
カイルはまたも驚いたようだ。
金貨一枚あれば、庶民が一ヶ月は遊んで暮らせるという。物の価値が違うので単純計算はできないが、金貨一枚が日本円だと十万以上の価値はあるだろう。
金貨百枚なら一千万円以上だ。賞金首としては、かなりの高額である。
レンはネリスから聞いていた、ゲルケスの人相や情報を伝える。本当は紙に似顔絵も描いて配布したかったが、紙は高級品だし、絵心のある者もいなかったのであきらめた。
興味深そうに聞いていたカイルだったが、ゲルケスの足取りがロレンツ公国で途切れたことを聞くと、困ったような顔になった。
「ロレンツ公国で消えたとなれば、この国の犯罪ギルドに情報を流しても、見つかるとは思えないのですが」
「その男は、またここに戻ってくる可能性があります」
再びイールをさらおうとするなら、ゲルケスはグラウデン王国へ戻って来なければならない。その時に見付けることができれば、と思っていた。
カイルはそれで了承してくれたので、後は網にかかるのを待つだけだ。
もし賞金を払う結果になれば、金はダークエルフに頼んで出してもらうことになっている。最初にレンと会った頃は、自分たちの食べ物を買うのにも苦労していた彼らだが、今では金貨百枚ぐらい、ぽんっと出せるぐらいの余裕があった。
それにしても、とレンはちょっと複雑な気分になる。
今、自分は金で人殺しを依頼したのだ。いつの間にか、そんなことができる金と権力を持つようになっていた。自覚はないが、自覚しなければならないだろう。
とにかく、これでこの街での用事はすませた。
後は自分の屋敷に帰るだけ――ならよかったのだが、まだ帰るわけにはいかなかった。
レンはこれから王都へ行かねばならならいのだ。
そのことを考えると憂鬱だった。