第19話 ダークエルフ8
翌朝。外から差し込む朝日で目覚めたレンは、寝ていたバゼの上でゆっくりと体を起こし――驚きのあまりバゼから転げ落ちそうになった。
いつからいたのか、バゼの横にダークエルフの少女が一人立っていたのだ。
「おはようございます領主様」
「お、おはようございます」
とりあえず挨拶を返したレンは、
「ところで、あなたは?」
「ロゼといいます。領主様のお世話をするように言われています。なんでもお命じ下さい」
そういえば、昨日寝る前にダールゼンがそんなことを言っていたのを思い出す。
ロゼと名乗った少女は、レンには中学生ぐらいに見えた。昨日聞いた話だとダークエルフの外見と年齢は一致しない場合もあるが……
いや、ダークエルフの成長期は二十歳前後まで、とも言ってたから、この年だと見た目通りか?
「一つ聞いてもいいですか?」
「なんでしょうか?」
「ロゼさんって何歳なんですか?」
「十四歳ですが」
よかった。見た目通りだとレンは思った。
これで実は大人の女性だったら、話すのに余計な気を使ってしまう。
実のところ、レンはロゼ相手に少し緊張していた。さすがに子供相手なら気楽に話せるのだが、レンにとって、ロゼは子供と女性の中間ぐらいなのだ。しかも気の強そうなタイプの美少女だから、どうしても身構えてしまう。
中学生ぐらいの少女相手に、自分でも情けないとは思うが、これはもうどうしようもない。
「では領主様。なにかご命令はあるでしょうか?」
「いえ、別に」
「わかりました」
そう答えたロゼだが、そのまま動かず、じーっとレンの方をにらんでくる。
居心地の悪いレンは、
「えっと、ロゼさん。僕の方はもういいんで……」
彼女に下がってもらおうと思ったのだが、
「いえ。お側に付いているよう言われていますので」
きっぱり言われてレンはあきらめた。強く言えば出て行ってくれると思うのだが、なんだか相手に悪い気がして言えなかったのだ。
そのままレンにとっては居心地の悪い沈黙が続く。
「ちょっと散歩にでも行ってきます」
どうしたものかと思ったレンは、逃げ出すように家の外へ出たのだが、ロゼは当然のごとくついてきた。
仕方がない、これが彼女の仕事なんだろう――レンはそう思うことにする。
昨日、ここに着いたときはもう夕方だったため、集落の様子はよくわからなかった。だからあらためて集落の様子を観察してみる。
レンが泊まったのは小屋のような小さな家だったが、それと同じような家が全部で三十軒ぐらい。それが世界樹を中心に建ち並んでいるだけの、本当に小規模な集落だった。森の中の隠れ里、というのがぴったりだ。
「ん?」
集落の一角に人だかりができていた。数十人のダークエルフが集まっているので、レンはなんだろうと思ってそちらに近づいてみる。
そこにいたのはガー太だった。その周囲を、物珍しそうな顔のダークエルフたちが囲んでいるのだ。
注目を集めているガー太は、満更でもない顔をしている――ようにレンには見えた。
「ガー!」
ガー太もレンに気付き、一声鳴いてトコトコと近寄ってきた。
「おはようガー太」
「ガー」
ダークエルフたちもレンに気付き、
「おはようございます。領主様」
全員が丁寧に頭を下げる。
「あ、おはようございます」
レンも頭を下げて挨拶する。
単に挨拶をしてくれただけの、当たり前といえば当たり前の対応なのだが、レンはそれだけでこの集落に好感を抱いた。なにしろ、この世界に来て最初に訪れた南の村での対応が最悪だったため、それと比べればなんでもよく思えてしまう。
「ガー太、ちょっといいかな」
そう言ってレンはガー太に乗る。少し試してみたいことがあったのだ。
はたして、ガー太の背に跨った瞬間、レンの視界が一気にクリアになる。より広く、より鮮明に見えるように視界が強化されたのだ。視界だけではなく、聴覚も鋭くなったのがわかる。
さらに目を閉じても、ダークエルフたちの気配をはっきりと察知できる。まるで武道の達人になったような気分だ。
昨日バルチーという魔獣と戦った際、レンはガー太との感覚を共有しようと強く意識を集中することで、この超感覚とでもいうべき状態になった。だが今は特に意識することもなく、ガー太に乗るだけで感覚が強化されている。
はっきりとはわからないが、昨日の戦いを経て、ガー太とのつながりが一段階強化されたような気がした。
「本当にガーガーに乗られるのですね」
ロゼが感心したように言う。
「ええ、まあ」
レンはガー太から降りたが、そこで軽くふらついた。これも昨日と同じだ。急に感覚が元の状態に戻ったため、体の方がそれについていけなかったのだ。
「ガーガーは、やっぱりダークエルフにも近寄ってこないんですか?」
「はい。警戒心が強く、我々が近寄っても逃げてしまいます。また、普通のガーガーはこの森に近づいたりもしません。このガーガーは普通のガーガーとは違うのですか?」
「ちょっと変わってるとは思います」
ロゼが興味深そうにガー太を見ているので、レンは彼女に聞いてみる。
「よかったらさわってみます?」
「え? いえ、私は……」
一度は断りそうなったロゼだが、おずおずとレンに訊ねる。
「よろしいのですか?」
「いいよね?」
一応ガー太に確認してみると、仕方がないというように「ガー」と返事をくれた。
「それでは失礼して」
最初は右手で恐る恐るガー太の羽に触れたが、ガー太が逃げないのを確認すると、どんどん大胆になって最後はガバッと抱きついた。
それを見た他のダークエルフたちも、次々とガー太にさわろうと集まってくる。
「ガー? ガー?」
ダークエルフに囲まれ、戸惑うような鳴き声を上げるガー太にがんばれと声をかけ、レンはその場から離れた。次に向かったのは集落の中心にある世界樹だ。
「失礼しました。少々はしゃぎすぎてしまいました」
やはりレンについてきたロゼが、恥ずかしそうに頭を下げる。
「いえいえ。でもガーガーはダークエルフに人気があるんですね」
魔獣の出現を教えてくれる鳥として、ガーガーは人間から大事にされている。だがダークエルフたちのガーガーに対する思いは、それとは少し違う気がした。
「ガーガーは世界樹に認められた鳥ですから」
「世界樹に?」
ロゼの話によると、世界樹の森にはエルフと共に多数のガーガーが共生しているそうなのだ。
世界樹がダークエルフのご神木だとすれば、ガーガーは神の使いといったところか、とレンは理解した。特定の獣が神の使いとして大事にされたりするのは、元の世界でも珍しくなかったので、レンはすんなりと納得できた。
昨日、世界樹を見たときも立派な大木だと思ったが、こうして朝日の下で見てみると、よりいっそう立派な木に見える。そしてその根本には、一人の女性が座ってもたれかかっていた。
昨日の戦いで負傷したレジーナだ。
「レジーナさんは、一晩中ずっとああしてあそこにいたんですか?」
「はい。ああやって傷を治しています」
ロゼはそれが当然のことのように答えた。ダールゼンも根拠のないまじないなどではなく、ちゃんと治癒効果があると言っていた。
本当に効果があるんだろうかと思いつつ、レンはレジーナのところへ近づいていく。すると気配に気付いたのか、眠っているように見えたレジーナが目を開けた。
「これは領主様」
「あ、そのままでいいですよ」
レジーナが立ち上がろうとしたので、レンはそれを止める。
「それではこのままで失礼して、おはようございます」
「おはようございます。起こしてしまってすみません」
「いえ。傷の状態もだいぶよくなったので」
「本当ですか」
「はい。このように」
レジーナは襟元を大きく開いて肩の傷を見せようとしたのだが、レンは慌てて目をそらした。開いた襟元から、胸まで見えそうになったからだ。
「し、失礼しました」
レジーナの方も自分のしたことに気づき顔を赤くする。
「ここが傷のところです」
今度は慎重に、肩の傷だけ見せるようにレジーナは襟元を広げる。
だが、それでもレンは顔を赤くした。肩のところを見るだけだというのに、なんだかとてもエロチックに見えてしまう。そんなよからぬ思いにとらわれつつ肩の傷を確認すると、確かに傷は塞がりかけていた。
すごいなとレンは思った。
レジーナの肩には、魔獣に切り裂かれた跡がざっくりと残っていた。しかしその上にはもうかさぶたができているのだ。一晩でここまで治っているのだから、異常な回復速度だ。
「これが世界樹の力ですか?」
「はい。世界樹から力をもらうことで、こうして傷の治りが早くなるんです」
やっぱり普通の木じゃないんだなとレンは世界樹を見上げる。
大きくて立派な木だが、これぐらいの木なら日本にもあるだろう。世界樹の森にある大本の世界樹はとんでもなく巨大らしいが、どれぐらい大きいのだろうか。いや、重要なのは大きさではない。触れているだけで傷の治りが早くなる木など、地球には存在しないだろう。
それに昨日も感じたのだが、やはりこの世界樹の周囲は空気が違う。やけにすっきりさわやかなのだ。
「僕も世界樹にさわってみていいですか?」
「はい。どうぞ」
レジーナから許可をもらえたので、レンは右手で世界樹の幹に触れてみた。すると世界樹からなにかが流れ込んでくるのを感じた。
これはガー太にさわったときと似ている?
ガー太に触れたり乗ったりしているとき、レンはガー太から流れ込んでくる力を感じている。それは一方通行ではなく、レンからもガー太へと力が流れ、両者の間で循環している。
そして今、こうして世界樹に触れていると、同じような力を感じるのだ。ただ、大きく違っているところもある。
ガー太に触れているときは、熱い力が勢いよく循環しているような感じだ。例えるなら、熱いお湯を勢いよくかき混ぜているような。
だが世界樹から流れ込んでくる力は、冷たく清浄だった。それがゆっくりと体の中に流れ込んでくる感じだ。例えるなら、森の中を流れる小川に手をひたしているような。
目を閉じて意識を集中すれば、手に触れる世界樹が持つ力が、とんでもなく巨大なものだとわかる。大木などというレベルではなく、まるで目の前に巨大な山がそびえ立っているかのような、圧倒的な力を感じた。
レンは今、そんな山の中を流れる小さな清流に手をひたしているに過ぎない。世界樹と比べ、自分がどれほどちっぽけな存在なのか実感させられた。
世界樹から手を離すと、レンは大きく息を吐き出した。
「なにか感じましたか?」
「ええ。とんでもなく大きな力を感じました。それに圧倒されたというか。これが世界樹なんですね……」
レンの言葉を聞いて、レジーナがうれしそうに笑う。
「わかっていただけましたか? 人間の方は世界樹の力を感じ取れないと聞いていましたが、領主様はそれを感じ取ったのですね」
あんな巨大な力を感じ取れない者がいるのだろうかとレンは疑問に思った。目の前にそびえ立つ山を見落とすようなものだと思うのだが。
前にダールゼンは世界樹は世界に一本だけだと言っていた。レンは挿し木で育てた世界樹も同じ木だという意味に捉えていたのだが、今なら本当の意味がわかる。
確かに世界樹は一本なのだ。レンは目の前の世界樹の先に、もっと巨大な存在を感じ取っていた。この世界樹は、どこか深いところで大本の世界樹とつながっている。それら全てを合わせて一本の世界樹なのだ。
そしてダークエルフたちが世界樹を信仰する理由も理解した。あんな巨大な存在に触れてしまえば、恐れ敬うしかない。世界樹に懐疑的だったレンですら圧倒されてしまったのだから。
世界樹が神なのかどうかはわからない。だが人智を越えた巨大な存在であることはわかった。
この集落に来てよかった――世界樹を見上げながら、レンはそう思った。