第200話 不幸な再会
レンたちがジャガルの街に戻ってきたのは、七月下旬のことだった。
さらわれたネリスを追って、ジャガルを出発したのは六月上旬、まだ初夏の頃だったが、帰ってきた今はもう夏真っ盛り、といった感じだ。
こちらの夏は、日本の夏と違ってそこまで蒸し暑くないので、レンはまだ過ごしやすいと思っているのだが、イールの三人にとっては限界を超えていたようだ。
「これぐらい平気だし!」
なんてリリムは強がっていたが、疲れているのは明白だった。
ミミとネリスは疲れを隠す余裕もなく、馬車の中でぐったりしていた。
最初は頻繁に水を汲んできたりして体を冷やしてもらっていたのだが、すぐに限界が来た。
ずっと馬車の中というのも辛かった。人に姿を見られるとまずいので、窓を開けっ放しにすることもできなかったし。
イールは暑さに弱いし、ずっと高い山の中で暮らしていたので、平地の夏の暑さも初めての経験だ。
これでは体調を崩して当然だった。
というわけで、途中からは昼夜逆転で進んできた。
夜の間に道を進み、昼間はどこか涼しいところで待機する。
夜なら人目を気にせず馬車の外にも出られるし、三人の体調もどうにかマシになった。
問題は魔獣だったが、そこはカエデやガー太がいた。道中、何度か魔獣に襲われたが、問題なく撃退している。
それにしても、日本は便利だったんだなあ、とつくづく思ってしまう。クーラーなんてないので、暑くても我慢するしかないし、冷蔵庫もないので、冷たい水を飲むこともできない。
すぐに涼しくなりたいなら、川に飛び込むぐらいしかないのだ。便利な暮らしが懐かしかった。
それでも、どうにかジャガルまで帰ってきた。ここまで来れば、レンの屋敷までは数日だ。
イールの三人、それに付きっきりのロゼを入れて四人には、ここまで窮屈な生活を我慢してもらっていたが、後もう少しの辛抱だ。
「それにしても、街が何だか活気づいてない?」
夏の暑さのせいではない。前に来たときより、明らかに人が増えている気がする。
「そうですね。僕もそう思います」
とリゲルが答える。
街に来るのに、ガー太はいつものように近くの森でお留守番。カエデも残り、イールたちも馬車に残った。ロゼもその付き添いで残っている。
後はシャドウズ三人の内、二人が馬車の警護に残って、リーダーのジョルスがレンについてきた。そしてリゲルとディアナの二人。
今のレンたちは四人で、ジャガルの街の通りを歩いているのだが、前より人通りが多くなっている気がした。
戻ってきたのは二ヶ月ぶりぐらいで、短いとはいえないが、長いともいえない。この間に何かあったのだろうか?
「とにかくマルコさんの店に行ってみよう」
レンがジャガルに寄ったのは、商人のマルコに会うためだった。
旅の報告と、いくつか頼み事をするためだった。
もっともマルコは密輸に運送業の事業拡大と、今でも忙しくしているはずだ。そこへ新しい仕事の話を持ち込んでも、すぐの対応は無理かもしれないが……
とにかく話すだけ話してみようとマルコの店を訪れたのだが、
「これは領主様。あいにくマルコ様は別の街に出かけておりまして」
応対してくれた店員から、残念な答えが返ってきた。
「やっぱりそうですか」
予想はしていた。マルコは仕事であちこち飛び回っているので、この店にいるとは限らないのだ。
「いつ頃帰る予定ですか?」
「予定では今日か明日ですが……」
店員が、ちょっと自信なさそうに言う。
予定はあっても、変わることなどしょっちゅうだ。そして電話もメールもないこの世界では、予定変更の連絡も来ない。
ただそれでも数日以内というのは朗報だ。長期なら帰ってくるのが一ヶ月後、なんて可能性もあったのだから。ここで会えないと、次に会えるのがいつかわからないので待つことにした。
店員に、街の外の森にいることを教えて、帰ることにする。店員もダークエルフなので、隠し事は不要だ。
マルコの店は、彼に限らず店員のほぼ全員がダークエルフだった。これはかなり異質なことで、ジャガルの街でも話題になっている、らしい。悪い意味で。
これが直接、客に物を売る商売なら、マルコの店はお客が来ずに潰れていただろう。一般人にとって、ダークエルフのいる店など、汚らわしくて近寄るのも嫌だ、ぐらいに思われているのだから。
マルコの店は運送業の店で、相手にするのは一般人はなく商人だ。商人たちは利益のためにはダークエルフでも利用するし――彼らを嫌って利用しない者もいるが――そもそもマルコがダークエルフたちを使って運送業を行っているのを知っているので、どうにか受け入れられていた。
もっともマルコもその辺は気にしていて、最初は店先で応対する者や、他の店への使いとかは、人間を雇っていた。
ところが、これが上手くいかなかった。
ダークエルフがたくさんいる職場で、好きこのんで働こうという人間はまずいない。有能な人間は他の店を選ぶので、マルコが人間を雇おうとしても、どうしても質の低い人材しか集まらず、しかもそういう人間はすぐに仕事を辞めてしまう。
一方、ダークエルフたちは全員がまじめに働く。序列で命令されているからで、もしいっせいに辞めろとか命令されたら、その通りに行動するだろうが、知らない人間にはその危険性はわからない。マルコも知らないので、ダークエルフはまじめに働いている、としか見えなかった。
そこへレンの教育方針も影響した。
レンは子供から始めた教育を、大人のダークエルフにも広げている。
マルコの店で働いているダークエルフたちにも、働く前に数ヶ月間、最低限の読み書きそろばんを教えてから、マルコのところへ送り込んでいる。
最初はそんな余裕もなく、勉強させずに働かせていたが、そんなダークエルフたちにも長期の休みを取らせ、順次、勉強させるようにしている。
日本人なら、小学校低学年レベルの読み書き、計算だったとしても、この世界では立派な技能として通用するのだ。
庶民には勉強など必要ない、というのが常識なので、街の住人たちでも、読み書きができない者が多い。
この勉強がいらないという常識、どうやら庶民から生まれたものでなく、貴族がそう教え込んでいるようだ。
いわゆる愚民化政策、というやつだろう。
上の者にしてみれば、下の者がバカで単純な方が都合がいいのだ。庶民が知識を得て、自分たちで考え、上の者に反抗するようになれば、やがて貴族制は崩壊するだろう。地球の歴史がそれを証明していると思う。
この世界の貴族が、どこまで意図して愚民化政策を行っているかはわからない。多分、もっと単純に、バカな庶民たちには勉強など必要ない、ぐらいにしか思ってないような気がするが。
もっとも、レンも深く考えてダークエルフに勉強を教え始めたわけではない。日本では勉強が当たり前だったので、ダークエルフたちも簡単な読み書きぐらいできた方がいいのでは? と思って始めただけだ。
しかし教育が進むにつれて、はっきりした効果が現れてきた。
例えば、人と話をするだけだったとしても、話した内容をメモできるかどうかで、仕事の効率は全然違ってくる。
マルコの下で働くダークエルフたちは、みんなそれができるようになっている。
あまり有能でない人間と、まじめで読み書きもできるダークエルフ――だったらもう、ダークエルフばかりでもいいか、とマルコは割り切り、ダークエルフばかりの異質な店ができることになった。
はっきり言って近所の評判はよくないらしいが、そのあたりはマルコが上手く取りなしているようだ。挨拶に回ったり、お土産を買ってきて配ったり、人付き合いはマルコが得意とするところだ。
多分、レンが同じことをやったら失敗していただろう。近所付き合いとか、そういうのは大の苦手だった。
まあ街の住人たちの評判はともかく、レンとしてはやりやすくなったのは間違いない。伝えるべきことを伝えて、レンは店を出た。
ちょっと街中を見物でもしてから森へ帰ろうかな、とか考えていると、店を出たところで声をかけられた。
「おい、そこのお前」
声をかけてきたのは中年の男性だった。後ろには召し使いらしい若い男を連れている。
「主人はいるのか?」
と聞かれたのだが、主人が誰のことかわからない。
「マルコさんのことでしょうか?」
「他に誰がいる」
どうやらこの中年男性は、レンのことを店の人間と思い込んでいるようだ。
「あいにく外出していて、早ければ今日か明日には戻るとのことですが」
マルコはレンの主人ではなく、むしろ逆なのだが、訂正するのも面倒なのでそのまま話を続ける。店の関係者なのは間違っていないし。
「そうか。では主人に、私が来たと伝えておいてくれ」
それだけ言って男が帰ろうとしたので、レンは慌てて呼び止める。
「あ、ちょっと待って下さい。お名前を」
知らない相手だったし、名前を聞くのは当然と思ったのだが、呼び止められた男は不機嫌そうな顔になった。
「お前、私の顔を忘れたのか? この前ここで会っただろうが!」
怒った口調で言われても、レンには思い当たるふしがない。人違いじゃないのか、と思っていたら、リゲルが耳打ちしてくれた。
「商人のゴナス様です」
と名前を言われてもわからなかったが、
「荷馬車が襲われたときの荷主の商人で、補償金をごまかした方です。以前、ここでお会いしていますが、向こうはレン様に気付きませんでした」
そこまで言われてやっと思い出した。
以前、ダークエルフたちの荷馬車が盗賊に襲われるという事件があったが、その時の荷主の一人だ。レンは奪われた荷物の全額補償を申し出たのだが、ゴナスは過大な請求額を出してきたのだ。
結局、奪われた荷物は取り返したので、それを返却して、先に渡していた補償金を返してもらったのだが、一人だけ明らかに高値を言ってきたゴナスとは、それ以降の取引を打ち切った。
レンにとってはそれで終わった話だったが、ゴナスは取引に未練があるのか、それからもマルコのところを訪れ、レンにも謝罪したいので会わせてほしい、と言ってきていた。
そして前回、レンがこの店に来ていたときに、店を訪れたゴナスと顔を合わせている。ただし向こうはレンのことを店員と勘違いして、レンだと気付かなかった。
それを向こうは覚えていて、レンの方は忘れていたのだ。
それにしても、向こうにしてみればレンは名前も知らない店員のはずだ。一回会っただけで、その顔をちゃんと覚えているとは、さすがは商人といったところか。人の顔を覚えるのが苦手なレンとしては、見習いたいところである。
「すみませんゴナス様。忘れておりました」
とレンは頭を下げる。
今回も前回と同じ、レンは名乗らずやり過ごすつもりだった。着ている服はいつもの質素な物だし、レンが貴族とは思わないだろう。向こうが店員と思い込んだままならそれでいい。
繰り返すが、レンの中ではすでに終わった話なのだ。
この以上の謝罪も要求しないが、取引を再開するつもりもない。無駄な話はしたくなかった。
「大事な客の顔ぐらい、ちゃんと覚えておけ」
最後にそう言って、ゴナスは帰っていった。
いや、別に大事な客じゃないし、なんて心の中で思ったレンだったが、声に出したりせずゴナスを見送る。
上手くやり過ごせたと思ったレンだったが、そこへさらに声をかけてきた者がいた。
「レン様! お戻りになっていたのですか」
幸か不幸か、ちょうどこのタイミングでマルコが帰ってきたのだ。
彼はレンに呼びかけた後で、そこにゴナスがいたのに気付いて、あっ、という顔になった。以前、レンとゴナスが会ったときにマルコもいて、レンが自分のことをごまかしたのも知っていた。
素早く状況を推測したマルコは、まずいところで声をかけたかな? と思ったが、もうどうしようもない。
そんなマルコ以上に驚いたのがゴナスだった。
「レン・オーバンス様がいらっしゃるのか!?」
慌てて振り返り、周囲を探すがそれらしい人物は見あたらない。
マルコが話しかける相手も、店の従業員の男ぐらいしかいない――となったところで、ゴナスは恐ろしい可能性に気付いた。
「も、もしや……」
額に汗を浮かべたゴナスが、レンの方を凝視する。
これ以上はさすがに無理か、とあきらめたレンは名乗ることにする。
「どうもレン・オーバンスです。名乗るきっかけが中々なくて……」
愛想笑いを浮かべるレンだったが、ゴナスの方は相手の言葉を聞く余裕もなかった。
引きつった顔で何か言おうとしているようだが、口をパクパクさせるばかりで言葉が出てこない。
大丈夫かと心配になったレンだが、全然大丈夫ではなかった。
「うっ!」
とうめき声を上げたゴナスは、その場で卒倒した。
ちょっと遅れて週末に間に合いませんでしたが、六章開始です。
狙ったわけじゃなくたまたまですけど、200話からとキリよくちょっとうれしかったり。
よろしくお願いします。