第198話 標的
バルドは大きく呼吸しながら、魔人の力を解放する。
もしかして、ここで斬りかかったらあっさり勝てるんじゃ? と思ったレンだったが、実はそれは正解だった。
今のバルドは隙だらけに見えたが、実際その通りで、もしここでカエデが攻撃していれば、それで決着していただろう。
魔人の力を解放するには少し時間がかかる。それはバルドの大きな隙だったが、カエデは左右の剣を抜くと、両腕をだらりと下げたまま動こうとしなかった。
「待たせたな」
最後に一つ、大きく息を吐いてバルドが言った。魔人の力は完全に解放した。
「名前を聞いても?」
「カエデだけど」
「俺の名はバルド。行くぞ!」
言葉と同時にバルドは動いていた。
地面を蹴って、数メートルあったカエデとの距離を一瞬でつめる。
「おおっ!?」
という声が、ダークエルフたちから上がった。
バルドの動きは、彼らの目でもとらえきれなかったのだ。
その動きを完全に見切っていたのは、レン、ガー太、そしてカエデだけだっただろう。
バルドは両手で持った長剣をカエデにたたきつけたが、カエデはそれを左手の剣一本で受け止めた。
両者の剣が打ち合い、キインという金属音が鳴る。
片手では衝撃を受け止めきれなかったのか、カエデの体が少し後ろに揺らいだが、右の剣が攻撃に動いていた。
バルドは後ろに下がって、横薙ぎの一撃を回避――したが、完全にはよけきれず腹のところに剣先がかすった。着ていた服が破れ、肌にわずかな血がにじむ。
俺の一撃を片手で受け止め、さらに反撃してくるとはな。
並の相手であれば、バルドの一撃を受け止めることすら難しい。それを片手で受けるとは、小柄な体のどこにそんな力があるのか。
わかってはいたが、二本の剣を軽々と振り回すあの力。対峙してみてあらためて思う――こいつは化け物だ。
だが、そうでなければ面白くない。
「うおおおおおッ!」
気合いを上げて、バルドは再びカエデに斬りかかった。
いいぞバルド。そのまま全員の目を引きつけてくれ。
戦うバルドを見ながら、バッテナムは心の中で応援する。
カエデに戦いを申し込んできたのはバルドだったが、彼には付き添いの男が一人いた。
それがバッテナムである。
長男のレーダンに雇われ、傭兵隊を率いていた男だが、その正体は隣国バチニア公国の騎士。バルドの上官でもある。
そんな彼がここにいるのは、バルドの付き添いとしてだった――表向きは。
彼はバルドの戦いに手を出すつもりもなかった。狙いは他にある。
この場にいる全員が二人の戦いに注目している中、バッテナムは標的を見つめる。
ガーガーに乗っている若い男、レン・オーバンス。彼の殺害がバッテナムの目的だった。
レン・オーバンスに恨みはない。それどころか島では助けてもらった恩があるし、個人的には好感を抱いている。それでも彼を殺さねばならない。
あの男は危険すぎる。
バッテナムがそれを確信したのは、昨日の戦勝式典だ。彼は住人に混じって式典を見に行っていたのだ。
そこで彼が見たのは、救国の英雄として登場したレン・オーバンスに謎のガーガー。そして、そんな彼らに熱狂的な声援を送る住民たちだった。
熱狂する人々の中で、バッテナムは恐怖していた。
もし、本当にレン・オーバンスがロレンツ公爵の娘と結婚したりすれば、バチニアにとって恐るべき敵になる。
想像してみる。
レン・オーバンスが、あのガーガーに乗り、ロレンツ公国の兵士たちを率いて、母国バチニアに攻め込んできたら?
彼に率いられた兵士たちは死ぬことも恐れず、レン・オーバンスとともに突き進むだろう。そうなったあの男を、誰が止められるというのか。
バッテナム自身、島でレン・オーバンスの勇敢な戦いぶりを見ている。あの時は相手が魔獣で、バッテナムにとっては頼もしい味方だった。だがそれが敵になったとしたら……とてもではないが勝てる気がしない。
式典では竜騎士も助けに来てくれた、なんて話も出ていた。こちらも大いに気になる話だったが、ひとまず横に置いておく。竜騎士は最強の存在だが、国家間の争いには介入しない。
だがあのガーガーは自由に介入できる。
大陸で広く信仰されるドルカ教では、ガーガーは聖なる神の使いとされている。そんなガーガーが攻めてきたら戦うどころではない。熱心な教徒なら、その場でひれ伏すかもしれない。
あの男はあまりに危険すぎる。排除しなければならない、と心に決めた。そしてやるなら今しかない、と。
今のバッテナムは単なる傭兵だ。バチニア公国の騎士がレン・オーバンスを殺せば大問題になるが、誰かに雇われた傭兵が殺せば問題ない。
もちろん正体を知られてはいけない。成功しようが失敗しようが、捕まるわけにはいかない。成功して逃げられればいいが、それが無理なら捕まる前に死ぬしかない。
バッテナムは命を捨てる覚悟を決めたが、実行方法が問題だった。
最初、バッテナムは人を集めてレンを襲うつもりだった。大会が終わったばかりで、街にはまだ多くの傭兵が残っている。人を集めるのは簡単だった。
しかしそれはやめた。
急いで傭兵を集めれば、情報が漏れる危険も高まる。
相手は英雄だ。手に入れた情報を向こうに売って取り入ろう、なんて者が出てくる可能性が高い。
それに島での戦いを思い出すと、たとえ百人で囲んでも、ガーガーに乗ったあの男を殺せる自信がなかった。囲みを突破されたら、もう追いつけないだろう。
何か別の手を、と考えているところに、バルドがやってきたのだ。
「あのダークエルフの娘に勝負を挑む。許可してもらおうとは思わない。止められても俺は行く」
いきなりそんなことを言い出したのだ。
普段のバッテナムなら、そんな勝手は許さなかったはずだ。
一人の男として、強い相手と戦いたいという気持ちは理解できたが――バルドにもそういう熱い気持ちがあったのかと驚いたが――立場上、それを許すことはできない。バルドは女帝の貴重な手駒である。そんな手駒に勝手に動かれては困るのだ。
だがバッテナムは賛成した。
「本当にいいのか?」
言い出したバルドの方が驚いていた。
「構わん。俺にもやるべきことがある」
バルドが戦いたいという相手、銀髪のダークエルフのことは、バッテナムも島で見ている。
遠目からはバルドと同等の動きをしていたようだし、バルドも自分と互角以上と言っている。
そんな相手とバルドが戦えば、すさまじい戦いとなるだろう。きっと誰もが注目するに違いない。あのレン・オーバンスですら。
そこにつけ込む隙が生じると思った。
誰もが戦いに目を奪われたその時、レン・オーバンスを殺すのだ。
計画と呼ぶにはあまりに大ざっぱだったが、他にいい手も思い浮かばず、バッテナムはそれに賭けた。
バルドと二人だけでやって来たのも、相手を警戒させないためだ。
他の仲間たちは、先に国へ帰らせた。成功すればよし、失敗してもつながりをたどられることはないだろう。
計画はバルドにも話してある。
「絶対に正体を知られるな。それが条件だ」
そうなるとバルドが生き残れる可能性も極めて低い。
例え勝負に勝てたとしても無傷とは思えない。傷ついた状態で、レン・オーバンスの護衛たち――当然いるだろう――を相手にせねばならないのだから。
「構わない。あのダークエルフと戦うと決めたときから、死ぬのは覚悟の上だ」
と承諾した。彼は彼で、すでに覚悟を決めていたようだ。
こうして計画は実行に移され順調に推移していた。順調すぎるほど順調だった。
バルドとダークエルフの戦いが始まり、誰もが目を奪われている。
それはすさまじい戦いだった。バッテナムですら目的を忘れそうになってしまうほどの。
バッテナムはバルドの実力を知っているつもりだったが、今日のバルドの動きは、その一段上を行っているように見える。斬りかかるバルドの動きが速すぎで、バッテナムの目では捉えきれないのだ。
おそらく相手のダークエルフ、あの銀髪のダークエルフが、バルドの力を引き出している。
何しろバルド相手に一歩も退かず、苛烈な攻撃を受け止めているのだ。あのダークエルフもまた怪物だった。
人間が最も成長するのは、競い合える相手――好敵手と出会ったときだ。バルドにとって、あのダークエルフは初めて会った好敵手なのかもしれない。それがバルドの実力を引き上げたのだ。
なるほど、戦いたがるわけだ、と納得した。あれほどの戦いができるのなら、他に何もいらない、自分の命すらいらないと思うだろう。
戦いはバルドが優勢のようだ。一人の剣士として、この戦いをしっかり見届けたいという思いもあったが、それよりもやるべきことがあった。
誰にも気取られぬよう注意しながら、バッテナムはゆっくりとレンに近付いていった。
一見すると押しているのはこっち、だが実際は――
矢継ぎ早に攻撃を繰り出しながら、バルドは自分の不利を自覚していた。
今はバルドが一方的に攻撃して、カエデは受けに回っている。だから周囲からはバルドが優勢に見えるかもしれないが、彼の攻撃は無理矢理だった。
一度でも受けに回れば勝てない、と確信していた彼は、とにかく攻めなければと決め、最初から防御を捨てて全力で攻撃した。
調子はいい。間違いなく今までで最高の動きができている。闘争心が魔人の力と呼応し、最大限に力を発揮しているのがわかる。自分の意志一つで、ここまで変わるものなのかと驚くほどだ。
それでも相手の防御を崩せない。
魔人の一撃だ。並みの相手なら反応すらできずに斬られているだろうし、もし反応できても、受け止めきれずにやはり斬られているだろう。
それなのにカエデは二刀流、つまり片手で持った剣で、バルドの両手の一撃を受け止めている。さすがに楽々とはいかず押されてるが、それでも崩れるほどではない。
受け止めつつ、もう片方の剣で反撃もできるはずなのに、防御に徹している。
獲物を狙う獣だな、と思った。
じっと機会をうかがい、ここぞというところで仕留めるつもりだ。相手はこちらの無理攻めを見抜いている。こんな攻撃は長く続かない、どこかでスキを見せるはずだと確信し、それを待っている。
やはりこうなるか。
元より、まともにやって勝てるとは思っていなかった。だからこそ戦いたかった。
まともにやって勝てないなら、別の手を使うまで。
バルドは渾身の力を込めて、剣をカエデの左手の剣に叩きつけた。
これまでにない強烈な一撃を受けて、カエデの剣が大きくはじかれた。しかし全力の一撃を放ったバルドも体勢が崩れ、すぐに次の攻撃に移れない。
先に動いたのはカエデの右手だった。左手の剣がはじかれても、彼女には右手の剣がある。それで攻撃した。
バルドの防御は間に合わない。勢いのついた剣を止めて戻すより、カエデの剣の方が速い。
ここだ――バルドは左手を剣から離して、素手でカエデの剣を受け止めた。
もちろんそれで受け止められるわけがない。
振り下ろされたカエデの剣は、受け止めようとしたバルドの手の平を斬り裂き、そのままヒジあたりまで真っ二つにして――止まった。
カエデが驚きの表情を浮かべる。
まさか止められるとは思っていなかったのだろう。彼女の力なら、腕ごと胴体まで両断していてもおかしくなかった。
バルドの肉体は魔人の力によって強化されていたが、それでも素手で剣を受け止められるほどではない。
彼は左手に鉄製の小手を装備し、その下には細い鎖を巻き付けていた。そこまでやってカエデの一撃を受け止めたのだ。
全て事前に準備していた。
カエデの二刀流をどう破るかを考え、導き出した答えがこれだ。片腕を犠牲にして、相手の片方の剣を止める。
バルドは残った右手一本で剣を振り上げる。
驚きで動きが遅れたのか、カエデの左手の剣はまだはじかれたまま戻っていない。
「もらったあッ!」
勝利を確信し、無防備なカエデの脳天に剣を振り下ろそうとした瞬間、予期せぬ衝撃がバルドを襲った。
「がっ!?」
呼吸ができなくなり、体をくの字に折るバルド。
彼の腹に、カエデの蹴りがめり込んでいた。
両手が使えなければ蹴る。何も珍しいことではない。武器が使えなければ、組み打ちというのは当たり前だ。素手での格闘術――打撃、投げ技、絞め技などは、兵士の訓練でも取り入れられている。
しかしバルドの頭に蹴りはなかった。なぜなら、今までその必要がなかったからだ。
魔人の身体能力は圧倒的で、強化された体は、大の男に数発殴られた程度ではびくともしない。蹴りも同様だ。だから打撃など気にする必要もなかったのだ。
しかしカエデの身体能力はバルドと互角以上。当然、打撃も警戒する必要があったが、二刀流対策に気を取られるあまり、それを忘れていた。
カエデの蹴りは強烈だったが、致命傷を受けたわけではない。腹部へのダメージで動きが止まったが、数秒あれば回復する。しかしその数秒が致命的だった。
カエデが剣を振り上げるのを見て、バルドは己の敗北と死を覚悟した。
今だ!
バルドとカエデの戦いが決着する寸前、バッテナムも動いていた。
レンとの距離はおよそ十メートル。そこを一気に走りながら剣を抜く。その刀身からは、液体がしたたり落ちた。
毒である。
戦いで毒を用いるのは卑怯な手段であり、もし騎士が毒を使えば、例え勝ったところで名誉は地に落ちる。
バッテナムも騎士であり、毒など使ったことはない。だが今の彼は傭兵だった。失う名誉も存在しない。
後は自分の誇りの問題だったが、彼はそれも捨て去った。そこまでレンを危険視していたのだ。
タイミングは完璧だった。
レンも、護衛のダークエルフたちも、目の前の戦いに気を取られていて、バッテナムの動きに反応するのが遅れた。
やっと気付いたときには、バッテナムはレンまで後一歩のところまで迫っていた。
ここまで来たら止められない。後はかすり傷さえ付ければ、それでいい。
バッテナムは己の勝利を確信し、剣を突き出した。
先々週は、今週末で終わらせるつもりとか、またウソついてしまってすみません。
さらに先週は色々あって更新もできず、ダブルでごめんなさい。
なんか詐欺みたいになってきましたけど、この章、今度こそ次で終わりなんで、今日中に終わらせます。