第197話 立ちふさがった者
翌朝。
レンとガー太は、多くの人に見送られながら、街の大通りを歩いていた。
当初、レンは早朝にでもひっそりと城を出るつもりだった。
しかしサーリアとロレンツ公爵に反対されてしまった。
「この街を救った英雄の帰国だ。盛大に見送らねば」
そういうのが嫌なんですけど、と断ったのだが、
「もし誰かに見付かったら大騒ぎになるぞ」
と言われてしまうと、それはそうかもと納得した。街で騒ぎになって囲まれたりしたら、どうすることもできなくなる。
結果、レンとガー太が帰国することは大々的に告げられ、公国の兵士たちに警備されながら、レンはガー太に乗って城を出た。
城では多くの兵士たちの敬礼で送り出された。そこから街の大通りを進んだのだが、沿道には多くの住人たちがつめかけていた。
もうちょっとしたパレードである。
「ありがとう!」
「レン・オーバンス万歳!」
「ガー太様~!」
なんて声が次々と飛んでくる。
レンは他人に注目されると、喜びではなく居心地の悪さを感じるタイプだったので、この状況もあまりうれしくないのだが、それでも感謝の声を聞くと悪い気はしない。
ちなみに名前を呼ぶ声は、レンよりもガー太の方が圧倒的に多かった。
そのガー太といえば、名前を呼ばれて悪い気はしないのか、ガーと鳴いて応えたり、羽を振ったりして愛想よくしている。
式典の時もそうだったが、近くで囲まれるのは嫌でも、遠くから声援を受けるのは嫌ではないらしい。また後で、調子に乗ったと落ち込まなければいいのだが。
レンは城の方を振り返った。
もうだいぶ距離があるので、城にいる人の姿を見るのは難しい。だがガー太に乗って強化されているレンの目は、おぼろげながら人影を判別できた。
城壁の上に立っている小さな人影はサーリアだろう。
出発の際、レンに抱きついてきたサーリアは、別れを惜しむかのように一筋の涙を流した。
感動的な別れのシーンに見えたかもしれない。なにしろレンもだまされかけたのだ。だが抱きついて来たサーリアがニヤリと笑ったのを、レンは見逃さなかった。
女の涙は恐ろしいというか、この年でうそ泣きを使うサーリアが恐ろしいというか。もう感心するしかなかった。
そんな彼女に向かって、レンは最後に大きく手を振った。
城壁の上では、サーリアの他にも多くの者が、去っていくレンを見送っていた。
その中の一人の男が、別の男に声をかける。
「邪魔者が消えたんですから、もっとうれしそうな顔をしたらどうですか、兄上」
「ジェストか」
そう答えたのは、ロレンツ公爵の長男のレーダンだ。そんな彼に話しかけてきたのはジェスト――ロレンツ公爵の三男だった。
「お前はうれしそうというか、何だかさっぱりした顔をしているな」
レーダンは弟の顔を見ながら言った。
「そうですね。長年の重荷がなくなったような気がします」
「重荷?」
「思い込みともいえます。兄上、正直に言うと、私は自分が兄上より優れていると思っていました。それなのに兄上は長男で、私にはこの家を継ぐことはできない。その運命を呪っていたわけです」
「言ってくれるじゃないか」
「ですが、あのレン・オーバンスを見て気付かされました。いかに自分がうぬぼれていたか。私は自分を優秀だと思っていましたが、世の中にはああいう男もいる。私なんてまだまだです。自分がいかに小さな世界で生きてきたのか、思い知らされた気がします」
「私も同じようなことを思っていた」
「兄上も?」
「お前も見ただろう? あの男がガーガーに乗って、南海の風とともに飛んでくるのを」
「残念ながら、私はそれを見ていないのです」
レーダンもジェストも、サーペントと戦うために港まで出ていたのだ。そこでレーダンは、空を飛んでくるレンとガー太を見た。ジェストは見逃してしまったようだが。
「そうか。私はこの目で見たぞ。あんなモノを見せられてはどうしようもない。あの男がサーリアと結婚して、この家を継ぐという話が出ているが、しばらく前の私だったら、それを聞いて激怒していただろうな」
「今は違うのですか?」
「怒りも屈辱も感じる。だがそれ以上に楽しみだという思いもある。ガーガーに乗って空を飛ぶような男だぞ? 何をやり出すか予想もつかん。それをおもしろいと思うあたり、私も父上の息子だったということだろう。まあ女の趣味だけはどうかと思うが……」
「そうですか。実は私はしばらく旅に出ようと思っています。父上にも許可をもらいました」
「急な話だな」
「レン・オーバンスを見て、世の中は広いことを知りました。自分の目で、もっとそれを知りたいと思ったのです」
「私はお前を羨ましいと思ったことはなかったが、今は身軽なお前を少し羨ましく思うよ」
「予定も何も決めてない旅ですが、帰ってきたときには兄上が家を継いでいるかもしれませんね。あるいはレン・オーバンスが家を継いでいるかも」
そう言って兄弟は笑い合った。
住民たちに見送られながら街を出て、街道をしばらく進んだところで、ダークエルフの一団が待っていた。
カエデやシャドウズたちだ。あらかじめ、ここで落ち合うことを決めていた。
「それでは、我らはここで」
兵士たちの警護もここまでだった。
「ありがとうございました」
レンがお礼を言うと、兵士たちも笑顔を浮かべる。
「いえ、最後にご一緒できて光栄でした。どうか、よい南海の風を」
最後にそう言って兵士たちはレンに敬礼し、去っていった。
「レン、おそーい」
「ごめん。待たせたね」
ダークエルフたちと合流すると、カエデが文句を言ってきた。
彼女が遅いというのは、今の時間が遅いというだけではないだろう。
サーペントを倒してから今日までの数日、レンは城で過ごしていたが、カエデやシャドウズたちには、ずっと郊外の森で待機してもらっていた。それを含めての遅い、だ。
ダークエルフたち、特にカエデは、城にいる方が窮屈だと思ったからだったが、そのせいでダークエルフたちの功績もレンが独り占めする形になってしまった。彼らも島で戦ったのに、何の褒美も出ていないのだ。
もっともダークエルフたちは、レン以上に名誉とか報酬とかにはこだわらない。それを知っているので、レンもあまり気にしてはいなかったが。
「三人はあの中?」
「はい。ロゼも一緒に乗っています」
リゲルが答えてくれる。
ダークエルフたちと一緒に、一台の馬車が止まっていた。中にはイールの三人が乗っている。レンが城を出る前に、三人はあの馬車に乗って、こっそり城を出ていた。そしてレンより一足先にここまで来て、みんなと合流していたというわけだ。
三人が乗っている馬車は、ロレンツ公爵にもらった物だ。城の者がお忍びとかに使う馬車で、見た目は地味だが、乗り心地はいいらしい。
「じゃあ出発しようか」
レンたち一行は、街道を歩き出す。
この感じ、ずいぶん久しぶりのような気がするなあ。
やっぱりダークエルフたちと一緒の方が落ち着く。城にいて別に不満があるというわけではなかったが、今の方がしっくりくる。
ハーベンの街に来てから、まだ一週間もたっていないはずだが、ずいぶんと長い間いたような気がする。
それでも目的は達成したし、後は帰るだけだと思っていたのだが、そんなレンたちを待っていた男たちがいた。
一行の前をふさぐように、街道に二人の男が立っていた。
警戒したシャドウズが前に出ようとしたが、それをレンが止める。周囲に他の人間の気配はない。二人だけのようだ。
「レン・オーバンス様とお見受けする」
「そうですけど、あなたは?」
呼びかけられたレンが、足を止めて応じる。ガー太には乗ったままだ。
「俺の名はバルド。覚えておられるかどうかわからないが、先日、島でオーバンス様とともに超個体と戦いました」
「あの時の……」
言われて思い出した。ファイグスを相手に、カエデと互角の戦いを見せた男だ。普通の人間ではなく、おそらくは魔人。
「思い出しました。それで僕らに何か用ですか?」
「そこの彼女との一対一の立ち会いを許していただきたい」
バルドがカエデを指差して言った。
まさかの申し出だった。つまり向こうはカエデと決闘がしたいと言っているのだ。練習試合ではないだろう。命をかけた真剣勝負だ。
これが普通の相手だったら、レンはあっさり許可していたかもしれない。普通の人間相手に、一対一でカエデが負けるとは思えないし、相手を殺さないように手加減するのも余裕だろう。
しかし魔人相手では、手加減どころか、勝てるかどうかもわからない。しかもこちらには戦うメリットも皆無。戦いを受ける理由がない。
「すみませんけど、そういうのはお断りします」
「えーっ!?」
と不満そうな声を上げたのは、向こうではなくカエデだった。見れば、いつの間にか戦う気満々になっている。
「戦っちゃダメなの?」
「ダメ」
とは言ったものの、カエデは納得していないようだ。
それは向こうも同じだったようで、
「無理な申し出なのは重々承知しております。しかしそこをどうか!」
バルドは地面に跪いて頭を下げる。
「あの戦い以来、彼女の姿が目に焼き付いて離れないのです! どうか戦わせてほしい」
という言葉の後に、バルドは付け加える。
「もし許可していただけないのなら、こちらから一方的に攻撃させていただく」
無茶苦茶言っているなあ、と思った。向こうが勝手に攻撃してくると言うなら、こっちは一対一を受ける必要もない。カエデに加えてレンとガー太、それにシャドウズもいるのだ。いくら魔人でも勝てるはずがない。
それはバルドもよくわかっているはずだ。その上で、戦うと言っているのだ。
この世界に来て何度も戦いを経験してきたレンだが、彼は武人ではなかった。だから命を賭けてまで戦いたいという、その本当の気持ちは理解できない。
しかし必死さは十分伝わってきた。許可しなければ、攻撃してくるというのも本気だろう。
「カエデも戦いたいんだよね?」
「うん!」
それで心は決まった。
「わかりました。その勝負、お受けしましょう」
「おおっ! 感謝いたします」
喜びを浮かべるバルド。
「ただし条件があります。僕が勝負ありだと思ったら、そこで止めさせてもらいます」
「それは――」
バルドはとっさに反論しかけたようだが、それを飲み込んだ。彼もここが落としどころと判断したのだろう。
「わかりました。それで構いません」
そう言って立ち上がったバルドは、すでに全身から闘気をみなぎらせていた。
それに応えるように、カエデが楽しそうに笑いながら前に出る。
「ガー太、いざという時は頼むね」
「ガー」
今言った通り、もしカエデが危なくなったら割って入るつもりだった。レンにとっては勝負よりもカエデの命の方が大事だ。
ガー太に突っ込んでもらうか、それとも弓で止めるか――そう思いながら、レンは背負っていた弓を構えた。