第196話 危機感
結婚の話はとりあえず先送り、ということで話を終えたレンは、サーリアとリタと一緒に部屋を出た。
この後、ガー太の様子を見に行くと伝えると、サーリアも一緒に行くと言い出したからだ。
式典が終わった後、ガー太はさっさと元いた倉庫の中に引っ込んでしまった。式典ではノリノリだったが、あれはやはり一時の気の迷いだったのか、人前に出る気はないようだ。城内の誰もがガー太に興味津々であり、勝手に近付く者が出ないように、倉庫の周囲には警備兵も配置されている。
三人で城の廊下を歩いていると、前から女性たちの集団が歩いてきた。先頭にいるのは色気のある美人で、顔に見覚えがある。
誰だっけと思い出そうとしていると、先にサーリアが挨拶してくれた。
「姉上、ごきげんよう」
それで思い出した。サーリアの姉、長女のシンシアだ。
彼女には、なぜか激しい敵意を向けられているのだ。嫌な人と会っちゃったなあ、と思いつつ、レンも頭を下げて挨拶する。
シンシアの方は三人を無視して、そのまま通り過ぎるかと思われたが、すれ違ったところで足を止めて声をかけてきた。
「レン・オーバンスでしたね。あなたがわたくしに働いた無礼は、決して許されるものではありません。幼子へ欲望を抱くのも汚らわしい。ですがあなたの本気は見せてもらいました」
レンは呆気にとられた顔で、彼女の話を聞いているだけだった。何と答えていいのか、わからなかった。
「その活躍に免じ、今回の無礼は不問としましょう」
言うだけ言って、シンシアはお供の女官たちを引き連れ、立ち去ってしまった。
無礼と言われても、そもそもレンには思い当たるフシがないので、それを不問にすると言われても、はあそうですか、ぐらいしか返す言葉がない。
それより問題は、幼子への欲望とかの部分だ。まるでレンが小さな子供に欲望を抱くロリコンのようではないか。
冗談ではない。冗談ではないが……レンの額に嫌な汗が浮かぶ。
今日の式典のことを思い出す。
ロレンツ公爵が、レンがサーリアに一目惚れしたとか言いだし、そのサーリアにはキスまでされた。
だがあれこそ冗談だろう。サーリアのキスだって、小さな女の子の微笑ましい行動だ。誰も本気でレンがロリコンだなんて思わない、と今まで思っていたのだが……
さっきのシンシアの言葉、あれが単なる嫌みとかではなく、本気の言葉だとしたら?
レンは自分が大きな過ちを犯していたのかもしれない、と初めて危機感を覚えた。
えっ? もしかして、僕は周りからガチのロリコンだと思われてる?
「サーリアさん、ちょっと聞きたいんだけど」
嫌な汗を浮かべながら、レンはサーリアに聞く。間違いであってくれと祈りながら。
「さっきのシンシアさんとか、他の人も、もしかして僕が本気でサーリアさんを愛してるとか、思ってないですよね?」
「思っておるじゃろ」
サーリアはあっさりとレンの希望を打ち砕く。
「きっと多くの者が、レン殿がわらわに心底惚れていると思っておるぞ。わらわの愛のために戦ったのだ、と」
レンがサーリアに一目惚れしたとか、そのあたりの話は、元々サーリアが流したうわさが発端である。だが彼女はそんなことはおくびにも出さず、当たり前のように言った。
「リタさんはどう思います?」
「私も同じだと思います」
「いやいや、それ本気で思ってます?」
「はい。皆さん、そう思っているのではないでしょうか」
リタから同じような答えが返ってきて、レンは事態の深刻さを理解した。
このままではマズい。何とかみんなの誤解を解かなければ。
「別によいではないか。皆、レン殿が本気だと思ったから、わらわとの結婚を祝福してくれるのじゃ」
「その結婚ですけど、やっぱりなかったことに……」
政略結婚と思われるのはいい。だがロリコンと思われて結婚するのは嫌だ。政略結婚で小さい女の子と結婚するのと、ロリコンが小さい女の子と結婚するのでは、話が全然違う。
「今さら結婚しようがしまいが、周囲の評価は変わらんと思うぞ? もう開き直って、本気でわらわのことを好きになればよいではないか」
「よくないですよ!?」
どうせすぐにグラウデン王国へ帰るのだ。情報伝達手段が乏しいので、ここでの出来事が向こうまで伝わっても概要まで、レンの名前とかまでは伝わらないだろう。
だから何の問題もないと思っていた。だがロリコンと思われたままなのはマズい。グラウデン王国には伝わらなくても、ここでは誤解された話がずっと残るかもしれない。
誰かがレンのことを書き残したりすれば、彼の名は未来永劫、ロリコンとして語り継がれてしまう。
遠い遠い未来、この世界でもコンピューターやインターネットが発明され、ネットの匿名掲示板で、
「レン・オーバンスとかいうロリコンw」
「残ってる記録を読むと、ガチだったとしか思えないからな」
なんてやり取りが交わされるかもしれない。
前の世界で、平凡な日本人として生きていたレンは、歴史に名を残すなど考えたこともなかったし、死んでしまった今、前の世界で名前を覚えている者もいないのではないだろうか。
この世界に来てからも、やはり歴史に名を残すとか、考えたこともなかった。
しかし今初めて、後世に名前が残るというのが、どういう意味なのかわかった気がする。ロリコンとして名を残すなど、死んでも死にきれないとはこのことだ。
いやいや、待て、落ち着け。
レンは自分に言い聞かせる。
意識が先走りすぎている。ロリコンと誤解されているかどうかも不明だし、誤解されていても、それが歴史に残るなど大げさすぎる。
今回の事件だって、時間がたてば風化し、みんなレンの名前なんて忘れてしまうだろう。きっと歴史の闇の中へ消えていく。そうだ、そうに違いない。
どうにか落ち着きを取り戻したレンだが、やはり不安はぬぐえなかった。
ガー太の様子を見た後で、レンはネリスたちのいる部屋へ向かった。
ちなみにガー太は、なんで調子に乗ってあんなことをやってしまったんだ、みたいな自己嫌悪に陥っているようだった。倉庫の片隅でうずくまっていたので、そっとしておくことにした。
サーリアとリタは自室に戻ったので、レンは一人でネリスたちのいる部屋までやって来た。
扉の前には、見張りの兵士が二人立っていたが、彼らはレンに気付くと姿勢を正して直立不動となった。二人の目に浮かぶのは尊敬。レンのことを、サーペントを倒した英雄として尊敬していたのだ。
だがさっきのことが頭にあったレンは、二人の視線を素直に受け止められない。
このロリコン野郎が、と嘲笑されているような気がした。完全な被害妄想である。
扉をノックしてから中に入ると、室内にはネリス、リリム、ミミのイール三人組と、付き添っているロゼがいた。
「領主様」
リリムとミミの相手をしていたロゼが、レンのところへ駆け寄ってくる。
「特に問題はない?」
「はい。問題ありません」
サーペントを倒して城に戻ってきたときに、みんなの無事は一応確認していた。それからは全員、部屋から一歩も出られない軟禁状態だ。いやダークエルフのロゼは出入り自由だが、ずっとリリムとミミと一緒にいてくれている。
軟禁状態はロレンツ公爵の命令だが、それはレンの希望でもあった。
これ以上、イールの姿を人目にさらしたくないというのが理由だ。どうせ明日には城を出る予定だ。それまで我慢してほしいとネリスにも伝え、了承してもらっていたのだが、
「レン! どうして部屋から出たらダメなんだ? ヒマだぞ」
不満顔のリリムが文句を言ってきた。
「ダメだよリリム。お兄ちゃんにそんなこと言ったら」
ミミが止めるが、きっと彼女も心の中では不満に思っているだろう。大人ならともかく、小さい子供にずっと部屋の中にいろというのは酷だ。
食べ物などで不便はないはずだが、自由に行動できないのは大きなストレスだ。ロゼが一緒にいてくれるから、どうにか我慢してくれているようだが。
「ごめんごめん。明日にはここから帰る予定だからさ」
「本当か? ウソじゃないだろうな?」
「多分大丈夫だよ」
「多分ってなんだよ。あいかわらずお前はたよりにならないッ!?」
リリムの言葉の最後がおかしくなったのは、慌てて走ってきたネリスにゲンコツを食らったからだった。
「リリム! レン様にそんな口の利き方をしたらダメだって言ってるでしょ」
「だってこいつが――」
反論しようとしたリリムだったが、ネリスにじろりとにらまれると、慌ててロゼの後ろに隠れた。
「申し訳ありませんレン様。リリムの無礼の罰は全て私に――」
「いえ、そういうのはいいですから」
レンはきっぱりと話を断ち切る。ここで切らないと長くなるのは経験済みだ。
それにしても、ネリス相手だとやっぱりあまり緊張しない。
ネリスは美人だから、普通のレンだったらガチガチに緊張するはずなのだが、彼女は単なる美人ではなく神秘的な美人だ。イールの特徴である白い髪に白い肌、そういう人間離れした美しさのおかげで、彼女を人間の美人ではなく、美しい別の生き物のように認識しているからだと思う。
「ネリスさんも、明日帰る予定なんで準備しておいて下さい」
「わかりました。といっても私には準備する物なんてないのですが」
さらわれてここに連れてこられたネリスには、持ち帰る荷物もないのだ。
「ありがとうございましたレン様。まさかもう一度、帰れるなんて思ってもみませんでした」
「お礼は帰ってからでいいですよ」
家に帰るまでが遠足です、なんて言葉をレンは思い出していた。
ロレンツ公爵やサーリアからは、もっとゆっくりしていけばいいのに、とか、いっそこのまま永住すればいい、とか引き留められていたが、レンは何よりもまず、彼女たちを連れ帰らねばならないと思っていた。
この章、本当は連休中に終わらせるつもりだったんです。
それが無理だったので、じゃあ先週末で終わらせようと思ってたら、そっちも無理でした。
なので今週末こそ、終わらせるつもりでがんばります。
次か、その次で終わる予定です。