第195話 やりたいこと
「あと一つ、大事なことを聞いておきたいんですが」
ちょっと迷ったレンだったが、本当に大事なことなのでちゃんと聞いておくことにする。
「サーリアさんはダークエルフが嫌いですか?」
彼女がダークエルフについてどう思っているか、聞いたことはなかった。大会だけの短い付き合いだし、わざわざ聞かなくてもいいか、と思っていたからだ。
しかし、これからも付き合いが続くかもしれないなら、ちゃんと聞いておく必要がある。
利益だ、結婚だと色々考えてはいたが、レンは出世欲などとは無縁だ。
偉くなっても仕事が増えてしんどいだけ、だったら下っ端の方が気楽でいい、と考えるタイプだった。
もちろん食うにも困るような生活は嫌だが、ある程度生活が安定していればそれでいい。
そういうレンにとって、現状は悪くなかった。
田舎でのんびり温泉に入りながら暮らすというのは、元の世界のような快適な生活が望めない以上、悪くない生活どころか、理想的な生活ではないだろうか。
しかしレン個人としてはそれでよくても、ダークエルフのことを考えると、そうもいっていられない。
密輸や運送業によって、黒の大森林に暮らしていたダークエルフの生活は劇的に改善したが、それだけではまだまだ足りない。
世界中にはもっと多くのダークエルフがいるからだ。
レンは一人でも多くのダークエルフを救いたいと思っている。はっきりいって、この世界の人間より、ダークエルフに入れ込んでいるといってもいい。
最初に会った村人たちと敵対したこと、ダークエルフに命を救われたことが、レンの考え方に大きく影響している。
レンはこの世界の人間ではない。そんな彼にとっては、この世界の人間もダークエルフも等しく異世界人だ。だったら自分に優しくしてくれた方に親近感を覚えるのも当然だろう。
ダークエルフの生活環境は向上したが、まだ十分ではない。
それに豊かになったといっても、それは不安定だ。レンのやっていることが実家の伯爵家にばれただけで、全部崩壊してしまうかもしない。
サーリアとの結婚話を考えるのも、それでもっと大きな権力を手に入れることができれば、ダークエルフたちの役に立つのではないか、と思うからだ。
そうでなければ、権力闘争の渦中に飛び込むような結婚など、どんなに頼まれてもお断りだ。
そして、そこで重要になってくるのがサーリアの意志だった。彼女がダークエルフを嫌いだというなら、この話は成り立たない。
「ダークエルフか。別に好きでも嫌いでもないな。わらわの周りにいないので、気にしたこともなかった」
無関心というわけだ。嫌いといわれるよりマシだが……
「じゃが安心しろ。レン殿が心配しておるようなことは大丈夫じゃ」
ちょっと驚く。今の質問だけで、こちらの考えを読み取ったのだろうか?
「レン殿がダークエルフが好きだというなら、女だろうが子供だろうが、好きなだけ集めてはべらせればよい。あまりほめられた趣味ではないが、わらわは心が広いから許そう」
全然大丈夫じゃなかった。おまけにリタの目も冷たくなった。ゴミを見るような目で、こちらを見てくる。
「そうじゃなくてですね――」
レンは自分とダークエルフの関係について説明する。
密輸のこととかまでは言えないので、詳細はぼかして、強い利害関係がある、といった程度で。
「なるほど。レン殿がダークエルフばかりを連れているのは知っていたが、かなり深い関係にあるようじゃな?」
「色々ありましたからね。僕としては、彼らのことも考えてあげないと」
「じゃがそれは中々難しいぞ。ロレンツ公国の民は開放的じゃ。海に面し、その海のから来た人や物を受け入れ、発展してきた国じゃからな。ゆえにダークエルフへの風当たりも弱い、が、それも他と比べて弱いというだけで、嫌われ者であることに変わりはない」
「つまりサーリアさんも反対なんですね?」
「いや。わらわは特にダークエルフに思うところはない。役に立つなら積極的に利用すべきだと思う。じゃが、その関係を表には出さない方がよいじゃろう」
「ダークエルフと仲良くしているのを見られたら、反感を買うってことですか」
ダークエルフ差別があるのは、これまでの経験でも十分承知しているが、あらためて言われると気持ちが重くなる。
「まあダークエルフをどう扱うかは、おいおい考えていけばよいじゃろう。結婚してから、な」
冗談めかして言うサーリアに、レンも軽く笑って答える。
「そうですね。まずは結婚をどうするか考えないと」
まだ本当に結婚するかどうかも決まっていないのだ。現時点では、サーリアがダークエルフを嫌っていないことがわかっただけで十分だろう。
レンとサーリアが話し合っていた頃、城内の別の場所でもサーリアのことが話題に上がっていた。
「さすがは公爵様というか、まさか、本当にこのようなことになるとは……」
「何のことだ?」
立ったまま、感心したように言うベルダースに、執務机に座るロレンツ公爵はよくわからない、といった顔で答えた。
「サーリア様のことです。公爵様は、大会前にサーリア様が何かやるかもしれない、とおっしゃっていたではありませんか」
「ああ、そういえば、そんなことも言ったな」
大会を開いて後継者を決めるという前代未聞の出来事に、ロレンツ公爵の部下たちはこぞって反対した。もちろんベルダースも大反対した。
自他ともにロレンツ公爵の腹心の一人と認める彼のところには、
「お前からも公爵様に言ってくれ」
と頼みに来る者もいたし、彼自身、この大会には大反対だった。
ロレンツ公爵には、おもしろければ何でもいい、という部分があって、これまでも色々な騒動を引き起こしてきたのだが、今回のこれは度を超している。何としてもお止めせねば、と思って強硬に反対したのだ。
公爵に抜擢され、今の地位に就いたベルダースだが、だからこそ公爵の不興を買うことを恐れず、言うべきことは言わねばならないと思っていた。
「お前もしつこい奴だな」
何度も反対を繰り返すベルダースに、辟易した顔で公爵が言ったのは、開催が決まる少し前のことだった。
「もしかして公爵様が大会を開こうとするのは、レーダン様のことが影響しているのですか?」
公爵の長男のレーダンには、隣国バチニアが色々と手を伸ばしているらしい。ロレンツ公爵はそれを知っていて無視しているようなのだが、もしかしてそれに絡んでのことだろうか? 後継者にふさわしくないと考えているとか。
「あいつは関係ない。そもそもレーダンのことは心配していないしな。あいつは、あれでなかなか抜け目がない。女帝相手でも、簡単には取り込まれないだろう。むしろサーリアのことが気になっている」
「サーリア様ですか?」
ベルダースにとっては予想外の名前だった。
ロレンツ公爵の末娘。まだ幼い彼女の、いったい何が気になるというのか?
「わからん。わからんが、あいつはこの大会で何かやってくれそうな気がするのだ。だから楽しみにしている」
やはりベルダースにはまったく理解できない話だった。
「お前は、歴史に名を残すような名君や英雄に、何が一番必要だと思う?」
いきなり話が飛んだことに戸惑いつつ、ベルダースは考えて答える。
「それはやはり強さでしょうか。強くなければ、英雄にはなれません」
「圧倒的な強さで名を残した者もいるが、必ずしも必要ではないな。シーベル様は偉大な名君だったが、武芸はそこそこだったと聞く」
「では何が必要なのでしょうか?」
「運だよ。幸運、巡り合わせだ。シーベル様は家中の反乱に巻き込まれ、それをくぐり抜けて当主となった。もちろんご本人の実力もあっただろうが、絶体絶命の危機を何度も乗り越えられたのは、幸運だったからだ」
ロレンツ公爵の先祖のシーベルの話は、もちろんベルダースも知っている。彼の様々な逸話を聞けば、なるほど並外れた幸運の持ち主だったと思うが……
「一度だけの幸運なら偶然かもしれないが、何度も続けば必然だ。強さも、賢さも、しょせんは人間一人の力。しかし並外れた幸運は神が与えてくれた奇跡なのだ。幸運という神の恩寵に、人間の力で対抗できるわけがない」
その主張は、ベルダースにとって納得しがたいものだった。自分の努力なんて無意味だ、と否定された気がしたのだ。
「では個人の努力は必要ないということでしょうか?」
「そうは言っていない。普通に生きていくには努力は大事だ。しかしその上、歴史に名を残すような人間には、幸運が必要なのだ。たまたま大事件に巻き込まれ、運良くそれをくぐり抜けて頭角を現す、なんていう幸運に恵まれなければ、人の記憶には残らない。大事件に巡り会わず、平凡だが幸せな人生を送りました、なんて話に人は興味を示さない」
「それはそうかもしれませんが……」
「今度の大会は大事件だ。そこでサーリアが何かしてくれないか、私は楽しみにしているのだ」
「サーリア様が、何をするというんですか?」
「わからんよ。普通に考えて、あいつに何ができるとも思えない。まだ小さい子供だし、何の力を持っていない。だがもし、そんなあいつが何か大きいことをやったとしたら、それこそ神に選ばれた証拠だと思わないか? 何の根拠もないが、私はそれを期待している」
大会前に、そんな言葉を聞いたベルダースだったが、当然納得できなかった。これも一種の親バカだろうか、なんて不敬なことも思っていたのだが。
しかし実際に大会が終わってみれば、ロレンツ公爵の言っていた通りになってしまった。
サーリアはあのレン・オーバンスを引き込み、とんでもないことをやってのけた。
今や街の住人で、彼女の名を知らぬ者はいないだろう。今回の事件の顛末は歴史に残り、もしかしたら本当に彼女の名は、後世まで語り継がれていくかもしれない。
公爵様の予想通りになったとベルダースが感心したのも、そういうことだった。
「私の予想通りではないな。あいつは私の予想のはるか上をいってしまった。だが歴史に名を残す人間とは、そういうものではないか? おもしろい、実におもしろい」
笑う公爵の言葉を、ベルダースは否定できなかった。大会前なら、簡単に否定できただろう。しかし今は、もしかしたら本当に……と思うようになっていた。
さらに同じ頃、自分の気持ちがわからず、悩んでいる男がいた。
昨日のことが頭から離れず、バルドは困っていた。
昨日、彼は島に渡り、そこで魔獣と戦った。ファイグスの超個体相手に魔人の力を解放し、暴走寸前まで力を振り絞って戦った。
同じようなことは今まで何度かあったが、戦いが終わってしまえば、それらのことはすっぱり忘れて気持ちを切り替えることができた。
バルドにとって、戦いは生きるための仕事だ。一仕事終えたらそのことは忘れ、新しい仕事に備える。今まではそれができていた。
ところが今回はずっと引きずっている。
今もそうだ。目を閉じれば、昨日の戦いの様子が浮かんでくる。
巨大なファイグスの超個体に挑んだのは彼だけではなかった。
ガーガーに乗った騎士――バッテナムから他国の貴族だと教えてもらった――がいて、ダークエルフの小娘がいた。
恐ろしく強い連中だった。彼らとともに戦ったことが楽しかった。
今までない経験だったから、それを引きずっているのだろう。
あのダークエルフの小娘の動きを思い返し、考えてしまう。自分だったらあの小娘とどう戦うのか――
「そういうことか」
バルドがつぶやいた。
「そういうことなのか」
もう一度、笑いながら同じようなことを言う。
唐突にわかった。自分の気持ちが。自分が本当は何を望んでいるのか。
思い返してみれば、あの超個体と戦っているときから、そうだったのだ。
あのダークエルフの小娘の戦いを見ながら、バルドはずっと考えていた。
自分だったらどう動く? 自分だったどう戦う? 自分は勝てるのか?
あのダークエルフの小娘に。
それを知りたい。あのダークエルフの小娘と戦ってみたい。
他の連中も、こんな気持ちだったのかと思った。
バルドは今まで、多くの者たちから戦いを申し込まれてきた。
彼にはそれが不思議だった。
利害が衝突して戦うのはわかる。相手が嫌いだから戦うのもわかる。
しかし彼らは利害でもなく、好き嫌いでもなく、バルドに戦いを挑んできた。なぜ意味もなく戦いたがるのか、彼にはそれが理解できなかったのだが、今ならわかる気がする。
戦いたいから戦いたい、それだけなのだ。
「さて、そうとわかればやるしかないな」
つぶやいたバルドが立ち上がる。
今からやろうとしているのは任務と関係ない私闘だ。今の彼は、勝手を許される立場にないが、それでもやるつもりだった。
ここでやらねば一生後悔する、との確信を持ってバルドは部屋を出た。