第192話 交換条件
「英雄ですか?」
いきなり英雄になる気はないか? と聞かれても、レンには意味がよくわからなかった。何か困りごとがあって、街を救ってほしいならわかる。しかし街を救った英雄になってほしいというのは、どういうことか?
だが一緒に聞いていたサーリアはすぐに理解したようだ。
「父上はレン殿を英雄として祭り上げ、住民たちの不満をそらすつもりでしょうか?」
「まあ、そういうことだが、祭り上げるというのは人聞きが悪いな。オーバンス殿がサーペントと勇敢に戦ったのは事実だし、最後も彼が倒したようなものだ」
レンは自分がサーペントを倒したとは言っていない。ただサーペントを引きつけただけで、最後は向こうの自滅で焼け死んだ、と伝えている。
しかしそれだけでも大きな功績であり、ロレンツ公爵の言う通りサーペントを倒したといっても過言ではない。街を救った英雄の資格は十分ある。
「何より大空を舞うあの勇姿。私は少し離れた場所から見たのだが、最初は私も竜騎士かと思ったほどだ」
「それなのですが父上。本当にガー太が空を飛んだのですか? にわかには信じられないのですが」
「そうだろうな。この目で見た私でさえ、あれは幻だったかと疑うほどだ。しかし本当だ。本当に美しかった」
「わらわは見ていないのに……」
悔しそうにサーリアがつぶやく。
「レン殿。もう一度、飛んで見せてくれ」
「無理ですよ。あれはたまたま強風に乗れたからで」
もう一度あれをやれといわれても、やれる自信は全くなかった。
「南海の風まかせか。ならば同じような強風が吹くまで、ここに逗留すればよい」
「ええ……」
「オーバンス殿がもう一度飛べるかどうかはともかく、兵士や住民たちの間には別の話が広まっているな。竜騎士が飛んできてサーペントを倒してくれた、という話が」
「他人事のようにおっしゃいますが、その話を広めているのは父上では?」
「さてなあ」
ロレンツ公爵がニヤリと笑う。
竜騎士のうわさ話については、昨日、サーリアから教えてもらった。どうやらガー太に乗って飛んできたレンを竜騎士と誤認したようで、その話が広まっているらしい。
いや、あれを見間違うのはおかしいだろうと思ったが、ガーガーが空を飛ぶのもあり得ない話だ。突然の竜騎士登場と、突然の空飛ぶガーガー、どちらの話が信じられるかといえば、前者なのかもしれない。
レンはその話を聞いて、久しぶりに自分が異世界に来た理由を思い出した。最初は竜騎士になってほしいと言われて転生したのだ。
こちらの世界に来てから二年以上たつが、竜騎士になるどころか、まだ竜を見たこともない。最近では竜騎士のことも忘れがちになっていたのだが、まさか竜を見る前に竜騎士と呼ばれることになるとは。
ちょっと複雑な気持ちになったが、それよりわからないのはロレンツ公爵だ。今の話だと、竜騎士のうわさを公爵が広めているらしいが、どうしてそんなことをするのか?
わからないから訊いてみる。
「どうして竜騎士の話を広めているんですか?」
「私は広めているなど言っていないぞ」
だが否定もしない。つまりそういうことなのだろう。
「火事の原因の問題じゃ」
代わりにサーリアが答えてくれた。
「兵士たちの火攻めで火事になったのか、竜が火を吹いて火事になったのかでは、住民たちの受け取り方が変わってくるじゃろう?」
いくらサーペントを倒すためだったとはいえ、火事で家を失った住民や、商品を焼失した商人が、簡単に納得してくれるとは思えない。彼らの不満が高まれば、大きな騒動になる危険もある。
だが火事の原因が竜騎士だったとしたら?
どこからか竜騎士が飛んできて、竜が火を吹いてサーペントを攻撃。竜騎士は一撃加えるとそのままいずこかへ飛び去った――なんて話が兵士たちや住民の間で広がっているのだが、これだと火事の原因は竜騎士ということになる。
だがどこかへ飛んでいった竜騎士相手では、火事の被害者たちもどうすることもできない。相手がどこにいるかすらわからないのだから。
あくどいなあと思いつつ、これからの街の復興や住民たちへの補償は、彼ら自身の問題である。部外者のレンはこれ以上は言わないことにして、話を元に戻した。
「僕を英雄に祭り上げようというのも、つまり同じことですよね?」
サーペントは倒したが、街には大きな被害が出た。死傷者の数こそ少なかったが――戦死者は百人を超えているが、それでもサーペントを倒したことを考えれば十分少ないといえる――火災で家を失った住民も多い。
それでなくても後継者決定大会のせいで、多くのよそ者がやってきて街の治安が悪化、住民たちの不満は高まっていた。
それに加えてサーペント襲撃の被害。
いい加減、住民たちの不満が爆発してもおかしくないのだ。
そういう人々の不満をそらす方法として、ことさら勝利を大きく宣伝するのはよくあることだ。わかりやすい英雄がいれば、なおよい。
ロレンツ公爵はレンとガー太にそんな英雄――ぶっちゃけてしまえば、人気取りの広告塔になってほしいのだ。
うぬぼれでもなんでもなく、レンとガー太は広告としては非常に優秀だろう。いや、レンはどうでもいいかもしれない。ガー太が優秀なのだ。
ガーガーが自分たちの街を救ったとなれば、住人たちの興味はそこに集中し、しばらくは不満だって忘れるかもしれない。
「だから祭り上げるのではないと言っているだろう。君は英雄と呼ばれるにふさわしいことをやったのだから」
「僕は英雄なんかじゃありませんよ。それにそういうのは苦手なので……」
レンも街の復興に協力する気はある。だが人気取りに使われるのは嫌だった。目立ちたがり屋なら喜んで受けるだろうが、レンには苦役としか思えない。
「そうか。やはり君は変わり者だな」
ロレンツ公爵はレンの返答を予想していたようだが、サーリアには意外だったようだ。
「なぜ断るのじゃ? レン殿にとってもいい話じゃと思うが」
「まあ喜ぶ人も多いとは思いますけど……」
サーペントを倒したという名誉と名声が手に入るのだ。普通の貴族なら喜んでその話を受ける、少なくとも前向きに検討するだろうとレンも思う。
この世界に来てから二年以上、一応貴族として暮らしてきたので、レンも普通の貴族がやたらと名誉を大事にすることは理解していた。
多分、二つの大きな理由からだ。
一つは死生観の違い。この世界では死が身近だ。今回のサーペント襲来のように、明日いきなり魔獣に襲われて死ぬかもしれない。それが普通の世界なのだ。
そういう世界に生きていると、否応なく死に方について考える。
いつ死ぬかわからない、長生きできる保証もない、ということになれば、どうせ死ぬなら何か一つ大きなことをやって死にたい、と考えてもおかしくない。
自分が生きた証として名前を残したい――多くの貴族はそう考えているのだろう。
平和な日本で平凡に生きてきたレンに、そういう考えはない。平凡でものんびり長生きするのが一番だ。自分の名前を残したいとか、思ったこともなかった。
そんな死生観に加えて、もう一つの大きな理由が統治への効果だ。
貴族は自分の領地を治めているが――領地を持たない名前だけの貴族も多いが――領民達が第一に求めるのは、自分たちの身の安全、外敵から命を守ってもらうことだ。盗賊とか、外国の軍隊とか、外敵にも色々あるが、最大の脅威はやはり魔獣である。
魔獣を倒せる強さこそが、領主の第一条件なのだ。
いざという時に魔獣を倒してくれるなら、領民達も多少の無理は我慢する。逆に頼りない軟弱者と思われたら、最悪、反乱が起こったりする。
だから貴族は自分の強さを宣伝する。
どこの貴族の家にも、当主やそのご先祖が魔獣の群れを倒したとか、強力な超個体を討伐したとか、そういう武勇伝が一つや二つはある。
今回、サーペントを倒したことも、偉大な武勇伝としてロレンツ公爵家に子々孫々まで語り継がれていくことだろう。
レンにとってもそれは同じはず。誇るべき武勇伝であり、それを断る理由がわからない――と普通の貴族は考えるだろうし、サーリアもそう思っていた。
だがレンの事情は違う。
彼も一応領主で、黒の大森林周辺の村を治める立場なのだが、はっきりいって領民との関係は最悪である。
元々、転生前のレンのせいで関係が悪化していたが、ダークエルフに関する問題で今のレンとも関係が破綻。以来、村のあれこれは全て執事のマーカスに任せ、レンは一切関与していない。領主の務めを放棄しているのだ。
その代わりというか、ダークエルフに対しては領主のような立場で行動しているが、こちらは十分な信頼関係がある――少なくともレンはそう思っている――ので、今さら名声を積み上げて立場を強化しようとか思っていない。
むしろ密輸をやったり、他にも実家に隠れて色々コソコソやっているので、目立つのはマイナスなのだ。
ついでにいうと、ここでも日本人的な意識が影響している。
日本社会では、ちゃんと行動していれば、一々口に出さなくてもわかってもらえる、といった文化がある。黙して語らず、というわけでレンもこれがよいことで、逆に自分の功績を触れ回るのは、あまりよくないことだという思いがある。
よくも悪くも控え目で、これがまた自己主張の激しい貴族たちとは正反対なのだ。
レンもここでは自分の方が異端だとわかっているのだが、小さい頃から養われた性格というのは、わかっていてもなかなか変えられるものではない。
とはいえ、それらの理由は説明しづらい。密輸をやってるから目立ちたくないとか言えないし、自分は元日本人なので、とかはもっと言えない。
だからサーリアに、
「レン殿は名誉がほしくないのか?」
と訊かれても正直に答えるごとができず、適当にごまかすしかなかった。
「こちらにも色々事情があって、あまり目立ちたくないというか……」
「それは困ったな。君には大いに目立ってほしいのだが」
ロレンツ公爵が言う。レンが提案を断ったことに気分を害した様子はなかったが、あきらめるつもりもないようだ。
「普通なら喜んで引き受けてもらえると思うのだが、君が嫌だというなら交換条件を出そう。協力してくれれば、あのイールの女を返すというのはどうかな?」
「ネリスさんをですか?」
ここまでやって来た目的は、ネリスを取り戻すことだった。サーペントのせいで後継者決定大会はうやむやになってしまい、そのまま終了となった。
後継者を決めるシーベルの剣も、サーペントに襲われて行方不明。レンは実際にその場面を目撃していたが、あれで剣は海に流されてしまったのだろう。
島では戦闘終了後から剣の捜索が始まったらしいが、見付かったという話は聞いていない。ちょっと深いところまで沈んでしまったのなら、見つけるのは困難だ。このままずっと見付からないかもしれない。
剣の行方に興味はなかったが、大会の勝敗がうやむやになってしまったのには困った。大会で勝てば、優勝賞品としてネリスをもらうつもりだったのに、その話もなくなってしまったからだ。
そこにロレンツ公爵の提案だ。協力してネリスを返してもらえるなら、こちらにもメリットがある。平和的手段で解決できるなら、それにこしたことはない。
「協力って、具体的に何をすればいいんでしょうか?」
「明日、サーペントを倒した戦勝式典を開くつもりだが、そこに出て領民に向かって愛想よく手でも振ってくれればいい」
「それだけでいいんですか?」
「正直に言えば、式典に出てほしいのは君ではなく、そちらのガーガーなのだ。このガーガーをおとなしく式典に参加させてもらえるなら、それだけで宣伝は十分だ。領民達は大いに盛り上がるだろう」
「やっぱり主役はガー太ですか」
「気に障ったかい?」
「いえ。納得しました」
お前はついでだ、と言われたに等しいが、別に腹は立たなかった。正直に言ってもらえて、むしろ気が楽になった。
ガー太がメインなら協力してもいいかもしれない、と思いながら、そのガー太の方を見てみると……不信感にあふれた目で見返されてしまった。
ジト目で、まさかオレを売ったりしないよな? と言わんばかりの目をしている。
「ガー太、ちょ~っと相談があるんだけど」
笑顔でレンが話しかけると、
「ガー」
そっぽを向かれてしまった。
「まあまあ、そういわずに。公爵様、その式典ってどんな感じで行うんですか?」
「城の中庭に領民達を集めるつもりだ。君とそのガーガーには、バルコニーから手でも振ってもらいたい。ガーガーなら手ではなく羽か」
「挨拶とかはしなくていいんですね?」
「やりたいなら大歓迎だが?」
「いえ、いいです」
即座に却下したレンを見て、ロレンツ公爵は苦笑し、サーリアは不思議そうな顔で聞いてくる。
「せっかくの見せ場じゃろうに、何がそんなに嫌なのじゃ?」
「そういうのがあんまり好きじゃなくて」
好きじゃないどころか絶対に嫌だった。大勢を相手に挨拶とか、考えただけで緊張してくる。
多くの貴族にとっては、式典での挨拶とかは名前を売るチャンスなのだろうが、レンはそういう堅苦しそうな式典に参加するのも嫌だった。
これが現代社会なら、式典に参加しただけで、情報はテレビやネットであっという間に世界中に広がる。だがこの世界では、情報は人の移動によって広がるだけだ。遠い異国の情報は、なかなか手に入らない。
レンは去年、北の隣国ターベラス王国まで行って、魔獣から街を守る戦いに参加した。その際に情報が広まるのを恐れ、仮面をかぶったりもしたのだが、結果的には杞憂に終わっている。
ターベラス王国で大きな戦いがあったという話は、グラウデン王国まで伝わってきたが、情報は断片的で詳細不明。仮面の騎士がいたという話もほとんど入ってこない。
それならここで式典に出て名前を名乗っても、グラウデン王国まで名前は伝わらないのでは? 楽観的かもしれないが、そう判断した。
「僕とガー太は、式典で立っているだけでいいんですね?」
「それでいい。本当はもっと色々やってほしいが」
「ほらガー太。バルコニーに出て立ってるだけでいいんだって。もみくちゃにされることもないし、適当に羽でも振ってあげればいいからさ」
「ガー」
仕方ないなあ、といった感じでガー太が答える。何だかため息混じりの鳴き声に聞こえた。
これで話はまとまった。
レンとガー太は明日予定されている戦勝式典に参加する。その交換条件としてネリスを返してもらう。
やっとここまで来た目的が果たせそうだと思った。