第191話 人気の理由
翌朝の目覚めは、城の中庭にある倉庫の中だった。
体を起こすと全身に重い疲労感があった。硬い地面の上で寝たから、というわけではない。この世界に来てから野宿にもすっかり慣れて、今ならどこで寝てもそれなりに疲れがとれるようになった。
今の疲れは普通とはちょっと違う、なんだか体の中から力を吸い取られたような感じだった。
「ガー」
「おはようガー太」
昨日はガー太と一緒になって寝ていた。
レンは城に戻ってきたのだが、城内の部屋だとガー太が入れなかったので、中庭にある倉庫を借りたのだ。暖かい季節なので、そのまま寝ても問題なかった。
「ガー太、足はどう?」
「ガー」
大丈夫だぞ、といった感じで答えたガー太が立ち上がる。
昨日は足をケガしたせいで、立ち方からして不自然だったが、今朝は普通に見える。完治したかまではわからないが、だいぶよくなったのは間違いない。
その代わり、レンはかなり疲れていた。前に大怪我したときと同じで、レンの体力を吸い取ってガー太のケガが回復したのだろう。もちろんそれで問題ない。ガー太のケガが治ってうれしかった。
もう少し横になっていたかったが、窓から差し込む光は明るい。すっかり日も昇っているようだし、レンは起きることにした。
立ち上がり、体をほぐしながら倉庫の扉を開けると、
「おはようございます。オーバンス様」
「うわっ!? びっくりした」
扉を開けたところに、一人の少女が立っていた。
「失礼いたしました」
とうやうやしく頭を下げるメイド服の少女はリタ。ロレンツ公爵の末娘のサーリアに仕えるメイドだ。中学生ぐらいの女の子なのに、いつも落ち着いていて、表情もあまり変わらない。
「いつからそこにいたんですか?」
「つい先程です。サーリア様から、オーバンス様が目を覚ましたら、お連れするように言われましたので」
「それで外で待ってたんですか? ノックしてくれればよかったのに」
「まだ寝ているかもしれないので、ここでお待ちしようかと」
「今何時ぐらいですか?」
「朝の八時頃だと思います」
腕時計などないから、リタにも正確な時間はわからない。ただ城では決まった時間に鐘を鳴らすので、それでだいたいの時間がわかる。
もっと遅い時間かと思っていたが、案外、早い時間に目覚めたようだ。
「よろしければ、サーリア様と一緒にご朝食を取られますか?」
「あ、はい。お願いします。ガー太はここで待っててくれる?」
「ガー」
レンに続いて外に出てきたガー太が答える。
そんなガー太をリタが興味深そうに見ている。あまり表情が変わらない彼女にしては珍しく、興味津々な様子がはっきりと顔に出ている。そういう素直な顔の方が、年相応ともいえるが。
「やっぱり気になります?」
「あ、申し訳ありません」
「別にいいですよ。注目されるのにも、すっかり慣れちゃいましたから」
「ガー」
よくないぞ、慣れてないぞ、といった感じの抗議の鳴き声が来た。
「まあまあ」
とガー太をなだめるが、ガー太の気持ちもわかる。
ガー太はどこへ行っても大人気で注目の的だ。すぐに人やダークエルフに囲まれて、ベタベタさわられまくったりもする。
人付き合いが苦手な自分がそんな立場になったら、人前に出なくなって引きこもり一直線だろう。ガー太がレンと小さい子供以外に冷たいのも、それが原因に違いない。何度も囲まれるような目にあっていれば、警戒するのが当たり前だ。
昨日、城に戻ってきたときも、ちょっとした騒ぎになったのだ。
ガーガーいるという話が城内に広がり、一目見ようという野次馬が集まってきたのだ。
「何をやっているのじゃ! さっさと仕事に戻れ」
騒ぎを聞き付けたサーリアが出てきて、そう注意してくれたおかげで助かったが、そのサーリア自身が、
「ところでレン殿。ちょっとそのガーガーに、さわらせてもらってもよいじゃろうか?」
などと言い出し、レンがガー太と一緒に倉庫で寝ると言った際も、
「だったらわらわも一緒に寝よう」
と言い出す始末である。もちろんレンとリタに大反対され、最後はリタに連れられ名残惜しそうに自分の部屋に戻っていったが。
だがサーリアだけでなくリタも、ガー太に興味津々なのが見え見えだった。ただ彼女の場合、メイドという立場だから、わがままを言うことができない。
「ちょっとさわってみます?」
「えっ? いえ、そのような――」
と断りかけたリタだったが、やはり気持ちが抑えきれなかったのか、
「……よろしいのですか?」
と遠慮がちに聞いてきた。
「いいよねガー太?」
「ガー」
仕方ないなあ、といった感じでガー太が答える。
自分で頼んでおいてなんだが、ちょっと意外だった。てっきり嫌だと言われると思ったのだが。
ガー太は小さい子供には甘い。そしてリタは子供だったが、小さい子供とはいえないだろう。はっきりとはわからないが、ガー太が甘いのは、小学校低学年ぐらいまでだと思う。
後、考えられるとすれば、これまでのリタの態度だろうか。メイドということもあり、リタはガー太に対してずっと節度ある態度を守っている。今もそうだが、自分からさわりにいこうともしない。それを見ていたから、あっさり許してくれたのかもしれない。
ちなみにレンにとっても、リタは微妙な年齢である。
レンは女性が苦手だが、子供なら別に平気だ。ではその女性と子供の境目がどこにあるかだが、経験では高校生ぐらいだった。一番苦手なタイプが、色気のある美人なのだが、高校生ぐらいでも大人びた美人には苦手意識がある。
リタは顔立ちもいいし、背も高い方だ。今はまだ平気だが、後数年もすれば、レンの苦手範囲に入りそうな気がする。
「ガー太もいいみたいなんで、どうぞ」
まだ迷っていたようだが、こんな機会はもうないと思ったのか、リタはガー太に近寄って手を伸ばした。
「うわあ……」
ガー太の羽をなでたリタが感嘆の声を上げる。
「ふわふわでさらさら……」
うっとりとした笑顔を浮かべ、ゆっくりと手を動かす。
ガー太の方も嫌がってはいないようだ。ちょっと気持ちよさそうにしている。
かわいい動物にふれて喜ぶのは、こちらの世界でも、元の世界でも変わらないだろう。ただ、この世界の人間のガー太に対する、というかガーガーに対する思いには、単にかわいいとか珍しいとか以上のものがある。
それは宗教的な理由だ。
大陸西方で広く信仰されているドルカ教は、ここバドス王国でも国教だ。国民のほとんどが信徒で、リタもその信徒だろう。
そしてドルカ教において、ガーガーは聖なる神の使いとされ、
「ガーガーに害を与えるなかれ」
という教えもある。
そしてガーガーは臆病な鳥だ。害を与えるなという教え以前に、ガーガーの方が逃げてしまうので近寄るのも難しい。
多くの人々にとって、ガーガーは遠くから眺めるだけの存在で、決して近寄ることができない鳥だった。
そんなガーガーが目の前にいる。リタがガーガーにさわるのはこれが生まれて初めてのことだろうし、この機会を逃せば、もう一生ガーガーに触れるチャンスはないだろう。
レンはドルカ教の信者ではないから、リタの信徒たちの本当の気持ちは理解できない。それでも彼女にとって、ガー太にさわることが特別な出来事なのはわかった。
「戻ってこないと思って見に来てみれば、何をやっておるのじゃ」
声のした方を振り向くと、サーリアが立っていた。
「申し訳ございません」
リタが頭を下げる。いつもは冷静な彼女だが、この時はちょっと慌てていた。
「あ、サーリアさん、これは――」
リタを弁護しようと、レンが口を開きかけたが、その前にサーリアは動いていた。
「わらわ一人をのけ者にしてずるいぞ」
と言ってガー太に抱きついたのだ。
「おおっ! やはりこのさわり心地、たまらん」
ガー太の羽に顔をうずめて、感嘆の声を上げるサーリア。彼女は昨日もガー太にさわって、同じようなことを言っていた。
「サーリア様、ガーガーに対してそのようなことをなさっては」
「わらわは害を与えてはおらんぞ。ガー太じゃったか? このガーガーもいやがっておらんではないか」
確かにガー太は動かずじっとしているが、顔を見ると明らかに嫌そうである。サーリアが子供だから我慢しているのか。
ここはもうちょっと我慢してあげて、とレンは視線で訴えた。
「本当によろしいのでしょうか?」
「いいんじゃないですか」
レンの許可をもらうと、リタもおずおずとガー太の羽に顔を寄せた。
「本当に、すばらしい肌触りです」
うっとりしたようにリタがつぶやく。
それからしばらく、ガー太は二人の少女に挟まれていたのだが、そこへさらに新たな声がした。
「これが噂のガーガーか」
今度の声の主はロレンツ公爵だった。
「おはようございます」
「父上、おはようございます」
レンとサーリアが頭を下げて挨拶し、リタはその場に平伏する。
「なるほど。話に聞いてはいたが、本当に人を恐がらないのだな。しかもこのふてぶてしい面構え。これは本当にガーガーなのか?」
「一応。ちょっと変わってますけど」
ロレンツ公爵はガー太の側まで行ってじっと顔を眺める。ガー太の方も、なんだこいつは? といった顔でロレンツ公爵を見る。並んで立つとガー太の方がちょっと高いので、ロレンツ公爵が見上げる格好になっている。
「本当にガーガーなのか?」
振り返ってもう一度聞いてきた。レンももう一度、そうですと答える。
「おもしろい。非常に面白いな」
「父上もガー太と遊びに来たのですか?」
「それもあるが、君に頼みたいことがあってきたのだ」
「僕にですか?」
「そうだ。このガーガーと一緒に、街を救った英雄になる気はないか?」