第188話 ハーベン防衛戦6
「何が起こった……?」
呆然とベルダースがつぶやく。
彼の心中は言葉通り、何がなんだかわからない、であった。
竜騎士が飛んできたのかと思ったら、人を乗せた巨大な鳥だった。
その鳥はサーペントをかすめるように飛び去り、すれ違う際に攻撃――したのだろう、ベルダースの位置からはよく見えなかったのだが、サーペントが悲鳴を上げて倒れた。
と思ったら、その鳥は人を乗せたままどこかに墜落した――ようだ。
これもベルダースからは直接見えなかったのだが、一部の兵士たちが、
「竜騎士が落ちたぞ!?」
「竜騎士がやられた!?」
などと騒いでいる。
一方で、落ちたところを目にしていない兵士たちは、
「竜騎士がサーペントを倒したぞ!」
と喜びの声を上げている。
ベルダース以下、全員が状況を把握できていなかった。
それにしても、とベルダースは思う。
あれはどう見ても竜ではなく鳥だったが、兵士たちのほとんどが、まだ竜騎士だといって騒いでいる。彼らの目にはあれが竜騎士に見えていたのだ。戦場に誤認はつきものとわかっているが、思い込みの力とは、恐ろしいものだとあらためて思った。
「ベルダース様、いかがいたしましょうか?」
「それは……」
部下の一人に訊かれて、呆然と言葉を返したベルダースだったが、そこでハッとして我に返る。
俺は何をやってるのだ、と思ったベルダースは、両手で自分の頬をバシンと思いっ切り叩いた。
「ベルダース様!?」
驚く部下にベルダースは笑いかける。少し自嘲気味に。
「すまんな。呆然としている場合ではないというのに」
気合いを入れ直したベルダースは、今、自分が何をすべきか考える。
気になることは色々あったが、まずやるべきことは――
「すぐに火攻めをかける!」
サーペントは地面に倒れ、もだえ苦しんでいる。今ならば火をかけることも容易い。これこそ待ち望んでいた好機だ。
「この機を逃すな。急げ!」
「はっ!」
ベルダースの命令を受け、兵士たちが慌てて動き出す。
すでに攻撃の準備は整っていた。
用意された油壺は百個以上。それを一個ずつ持った兵士たちが動き出す。
「囲んで投げつけろ。それも出来るだけまんべんなく」
ベルダースはまず兵士たちを二手に分け、倒れたサーペントの左右に展開させた。さらに兵士たちが一ヶ所に固まらないように、互いの距離を空けさせる。
「投げろ!」
命令に従い、兵士たちが次々と油壺を投げる。
壺の首にロープが巻かれているので、兵士たちはそれを持ってブンブンと振り回し、遠心力をつけてから投げる。
サーペントは巨体だ。普通に投げれば、まず外すことはないはずだが、緊張して体が硬くなっていたのか、壺をサーペントではなく地面に叩きつけてしまう者や、強く投げすぎてサーペントの上を越えてしまった者が何人かいた。
さらに、
「ひっ――」
不用意に近付きすぎて、サーペントの巨体に押しつぶされた者もいた。
このように失敗した者が何人かいたが、後のほとんどは成功し、サーペントの頭から尻尾まで、ほぼ全身に油をかけることに成功した。
「火矢を放て!」
数人の兵士たちが火矢を放つ。
それらはサーペントの体に突き刺さりはしなかったが、油に引火し、一気に炎が燃え上がった。
「ギョアアアアアアッ!」
先程と同じか、それ以上の悲鳴を上げたサーペントが、体を激しくくねらせ、転がり回る。
「ぎゃああああッ!」
何人かの兵士がはね飛ばされ、あるいは火が燃え移り悲鳴を上げる。
周囲の兵士たちがそれを助けようとするが、激しく動き回るサーペントのせいで、自分の身を守るのが精一杯だった。
さらに火は燃え広がる。
周囲にある倉庫は石造りだったが、中には可燃物があった。暴れ回ったサーペントのせいで多数の倉庫が倒壊しており、火は中にあった品物に燃え移った。
強い南風に煽られ、火はすさまじい勢いで燃え広がり、あたりはまさに火の海となる。
「下がれ、一旦距離をとれ!」
たまらずベルダースが兵を下げる。すでにヤケドしたり、煙を吸い込んで倒れたり、兵士たちにも多数の死傷者が出ていた。
この火の勢いだ。いくらサーペントといえども焼け死ぬだろう。後はそれを待つだけと思ったのだが、
「サーペントが海に逃げようとしています!」
「なにっ!?」
兵士の報告を受けたベルダースはしばし考え、
「全員、海側に回れ。サーペントを逃がすな!」
兵士たちに命じ、自らも動く。
普通の生き物であれば、今さら火を消したところで大やけどで死ぬだろう。だが魔獣には超回復がある。海に入って火を消せば、すぐに復活する恐れがあった。
ならば逃がすわけにはいかない。
火を消してサーペントが回復すれば、もはや倒す手段はない。
これがサーペントを倒す最初で最後の好機なのだ。ここで決着をつけねばならない。
幸い、サーペントも大きなダメージを追っているようで動きがにぶい。
ずるずると這いずりながら動くサーペントより先に、防衛軍は港の岸壁に回り込めた。
目の前では火が燃えさかっているが、こちらは風上になるので、熱はそこまで熱くないし、煙も流れてこない。
これならば戦える、と判断したベルダースが叫ぶ。
「奴は火に焼かれて死にかけているぞ。ここで逃がさず必ず殺せ!」
背後はもう海だ。突破されれば終わりである。
例え相打ちになったとしても、ここで奴を止める、とベルダースは決意を固めたのだが、
「サーペントが向きを変えました!」
火と煙でよく見えなかったが、まっすぐ海の方へ向かっていたサーペントが向きを変えたようだ。
「右か左、どっちだ!?」
待ち構える自分たちを避けるため、サーペントが左右どちらかに動いたと思ったのだが、それは違っていた。
「逆方向です! 街の方へ向かっています」
部下の報告に意表を突かれる。
なぜ海ではなく、逆の方へ向かうのか、理由がわからない。
何か見落としていることがあるのか? と自問するが、やはり答えは出なかった。
「全員このままだ。油断するなよ」
サーペントがどこへ向かっているのか気になったが、海に逃げ込まなければ、いずれ焼け死ぬはずだ。ならば、やはりここから動かないのが得策とベルダースは判断した。
「この家の二階だ」
そう言って兵士が指差す先、とある民家の二階には大穴が空いていた。
先程、空を飛んできた竜騎士が、この家の二階に突っ込んだのだ。
兵士はそれを確認してこいと命じられ、ここまで急行してきたのだ。
「急いで竜騎士様を助け出すぞ」
兵士は引き連れてきた五人の部下に命じる。
竜騎士が突っ込んだ民家は大きな通りに面していたが、その通りの反対側は、すでに火事で燃え上がっていた。通りのこちら側にはまだ燃え移っていないが、いつ飛び火してもおかしくない。
その前に竜騎士を助け出さねば、と思った兵士は、部下と共に民家に入ろうとしたのだが、その前に何かが落ちてきた。
二階の穴から飛び出し、兵士たちの前に落ちてきたのは竜騎士――ではなく、大きな鳥と、それに乗った男だった。
「ガーガー……?」
突然現れたガーガーらしい鳥と、それに乗る男に驚いた兵士たちがだったが、飛び出してきた男――レンの方も驚いていた。
「火事? なんで?」
飛んできたときは火事など起こっていなかった。それなのに目の前で火事が、しかも何軒もの家が激しく燃えている大火事が起こっている。
そんなに時間たってないよね?
民家の二階に突っ込んたレンは、しばらく気を失っていたのだが、それは少しの間だった、はずだ。
これまでガー太から落ちたことのなかったレンだが、さすがに今回はそうはいかなかった。
風に乗って空を飛んできたレンだったが、最後のあたりは、サーペントの方だけ見ていて前を見ていなかった。多分、ガー太も同じだったのだろう、警告されたときには、もう壁が目の前だった。
それでもぶつかる直前、ガー太が体を起こしたので、真っ正面から壁にぶつかるのではなく、ガー太の足の方から突っ込む形になった。
おかげでレンも直撃を避けられたのだが、ぶつかった衝撃でガー太から投げ出され、家の中の壁に激突、それでしばらく気を失っていた。
目が覚めたレンは、
「ガー太!?」
と叫んで飛び起きた。体中に痛みが走り顔をしかめたが、手足はちゃんと動いた。幸いなことに、打ち身だけで骨折はしていなかった。
ガー太はどこだと探してみると、部屋の奥のタンスに突き刺さっていた。頭からタンスに突っ込み、お尻と足が飛び出していたのだ。
「ガー太、大丈夫か!?」
慌ててガー太に駆け寄り、タンスから引っこ抜こうと手をかけたところで、ガー太も目を覚ましたらしい。
「クエーッ!」
と鳴くと、足をかけて自力でタンスから体を引き抜いた。
「大丈夫?」
「ガー」
どうにかな、といった感じで応えたガー太は、体をぶるぶると震わせ、体にくっついていた木の破片などを振り落とす。
「ごめん。前方不注意だった」
「ガー」
こっちもだ、といった感じのガー太。
「でもすごかったよね。僕たち、空を飛んでたよ」
「ガー」
同感だ、といった感じのガー太。
「サーペントには一撃入れたはずだけど、あれだけで倒したとは思えないし。ガー太は動ける?」
「ガー」
「じゃあどうなったか見に行こう」
レンは再びガー太にまたがり、自分たちが空けた穴から外へ出たのだが、そうしたら目の前は大火事だった、というわけだ。
「すみません。今はどうなって――」
ちょうど目の前に兵士たちが立っていたので、彼らに事情を聞こうとしたのだが、その言葉が途切れた。
燃えさかる炎の向こうから、こちらに向かってくる気配を感じたのだ。
「ここから早く逃げて下さい!」
慌てて兵士たちに注意したのだが、反応は鈍かった。
「あんた一体何者だ?」
兵士たちは数人いたが、その内の一人、多分リーダーと思われる男が、レンの方に歩み寄ってきた。
「今はそんなことを言ってる場合じゃ――」
間に合わないと思ったレンは、言葉の途中で走り出す。とはいっても自分の足ではなく、レンを乗せていたガー太が走り出したのだが。言葉はなくてもレンの意志は伝わり、ガー太が走り出したのだ。
驚いている兵士の横を駆け抜けながら、レンは右手で彼の服をつかんで引っ張る。
兵士が悲鳴を上げたようだが、気にせず引きずるように走る。
その直後、通りの向こう側、火事で燃えさかる家を突き破り、サーペントが飛び出してきた。
左に急カーブしたレンとガー太をかすめるように、サーペントの巨大な口が通り過ぎた。
さっきの場所に立ったままだったら、レンとガー太、それに兵士も、全員がサーペントの巨大な口に飲み込まれていただろう。
サーペントはそのまま突き進み、レンとガー太が突っ込んだ民家の一階に激突、それを突き破って向こう側へと抜けた。
長い胴体がそれに続いていくが、レンはその体を見てびっくりした。
サーペントは体中が燃えていた。もしかしてこれもサーペントの特殊能力かと思ったが、どうやらそうではなさそうだ。
サーペントの体は火で焼け焦げていた。超回復でヤケドが回復しているようだが、それがまた火で焼かれ、というのを繰り返しているようだ。
海魔のサーペントが、火を操れるというのもおかしな話だ。
とするとこの火事が燃え移ったのか。もしかするとこの火事も、防衛軍がサーペントを倒すためにおこしたのかもしれない。
いずれにしろ、火は確実にサーペントにダメージを与えているようだ。
「大丈夫ですか?」
レンは右手で引きずってきた兵士に訊ねる。
「ああ、なんとか……」
と答えたので、つかんでいた手を離し、
「じゃあ早くここから逃げ下さい」
「いや、しかし――」
「早く! サーペントがまた来ます」
レンがするどく言うと、男はわかったと頷いたが、
「けど、あんたはどうするんだ?」
「サーペントを引きつけます。狙いは僕みたいなんで。だから早く行って下さい」
兵士はもう一度わかったと言うと、慌てて走り去った。
他にも兵士たちがいたが、彼らはすでに逃げ出していた。幸い、サーペントに飲み込まれた者はいなかった。
サーペントがレンの方を狙ってきたおかげで、少し離れた所にいた彼らは無事だったのだ。
兵士に言った言葉はウソではない。
炎の中から飛び出してきたサーペント。その片目にはレンの矢が突き刺さっていたが、もう片方の目は、まっすぐレンとガー太をにらみつけていた。そこに浮かんでいたのは激しい憎悪。
間違いない。あのサーペントは僕とガー太を狙っている。体が燃えていようが、お構いなしだ。
レンは顔を上げた。視線の先には奴がいた。
炎に体を包まれながらも、蛇のように鎌首をもたげ、サーペントがこちらを見下ろしていた。