第186話 ハーベン防衛戦4
ハーベンの街が見えてきたところで、レンは再びガー太にまたがった。
五感が研ぎ澄まされ、視界もクリアになる。
街の様子もどうにか見えた。すでにサーペントは港に上陸し、戦いが起こっているようだ。
サーペントと防衛軍、どちらが優勢なのかまではわからないが、サーペントは活発に動き回っているようだ。
防衛軍はそれを必死に押しとどめている、といったところかな?
すでに街が壊滅状態とか、そういう最悪の状況ではなさそうなので、ひとまず安心する。
だがサーペントは健在だから、あれをどうにかしないといけないのは変わらない。
防衛軍に協力してサーペントと戦う。もし勝てそうにないなら……その時はもう逃げるしかないな、と方針を決めた。
あの巨大な化け物相手にどこまでやれるかわからないが、やってみるしかない。
「オーバンス様、どうやらサーペントは、すでにハーベンの街に上陸しているようです」
船長が報告しに来てくれた。レンが見えているとは思ってもいないようだ。
この世界では望遠鏡などはまだ発明されておらず、遠くを見るのは個人の視力に頼るしかない。目のいい見張りでもかろうじて見える距離なので、レンに見えていないと思っても仕方ない。
レンも一々説明するが面倒なので、見えていますよとは言わず、お礼を言ってから別のことを訊ねた。
「この船はどうするんですか?」
「どこかに着岸して上陸、防衛軍の援護に回ります」
「船から攻撃するんじゃないんですか?」
「あんなでかい魔獣相手に弓を射ても、効果はありません。それに海上にいたら、船ごと奴に沈められる危険があります」
「なるほど」
サーペントがその実力を発揮するのは、やはり海にいるときだろう。だったら船から下りて陸で戦うのは、その通りだと思った。
レンも彼らと一緒に上陸してもよかったのだが、もっと手っ取り早い方法を思い付いた。
顔を上げて、上空の様子を見る。
相変わらず強い南風が吹いていた。風はさらに勢いを増しているようだ。風をはらんだ帆はパンパンに張っており、マストはきしみを上げている。これ以上風が強くなれば、マストが折れるかもしれない。
この強い南風なら、できるかもしれない。
「ガー太?」
「ガー」
以心伝心、レンの言いたいことは伝わったようで、任せろとばかりにガー太が返事をした。これでレンの心も決まった。
「船長さん、船を着けるのはサーペントから少し離れた場所ですよね?」
「そうですな。近付きすぎると危険なので」
「だったらその前に、一度ギリギリまでサーペントに近付いてもらえませんか?」
「何をする気ですか?」
「僕らは一足先に上陸しようと思います」
レンが思い付いたことを説明すると、
「いや、そんな無茶な……」
と船長は渋ったが、そこは頼み込んで押し切った。レンが貴族ということもあり、船長も承諾するしかなかったのだろう、
「わかりました。ただし、どこまで近付くかは私が判断します」
と嫌々ながら承諾してくれた。
そんなやり取りをしている間にも船は進み、街が近付いてきた。
「帆を畳め!」
船長の命令で、またも船員がマストをよじのぼる。
このままの勢いで進むと、船は止まることができずに港に突っ込んでしまう。だから帆を畳み、櫂で進むのだ。
風の推進力がなくなると、船のスピードはがくんと落ちたが、港はもう目前だ。
陸に上がったサーペントが、暴れ回っているのもよく見える。ここから見る限り、防衛軍は有効な手を打てていないようだ。
「このあたりが限界です。もう少し行ったら舵を切ります」
船長の言葉に、レンは「わかりました」と答える。
自分が行ってどこまで助けになれるかわからないが、とにかく行くしかない。
「すみませーん! ちょっとどいて下さい」
ガー太に乗って船の後部に立ったレンが、声を上げて頼み込む。
「お前ら、そこを空けろ!」
船長も命じ、船員たちが横へどいた。それで今立っている後部から、船首まで一本の道ができた。
「よし、行こうガー太!」
「ガー!」
と元気よく鳴いたガー太が走り出す。
船が着岸してから下船するのではなく、直接、船から飛び出す――文字通りガー太に乗って飛び出すというのが、レンの思い付いたやり方だった。
ガー太は飛べないが立派な翼を持っている。これで強風に乗れば、ある程度は飛べるのではないかと思ったのだ。
もっとも近付いたといっても岸までまだ百メートル以上あるので、これを一気に飛べるとは思っていない。ある程度の距離を稼げれば十分だ。途中で着水して、後は泳いでいけばいい。
全然飛べず、いきなり海にボチャンという可能性もあるが、その時も泳ぐ距離が長くなるだけだ。
全力疾走に移ったガー太の下で、船の甲板がきしみを上げた。
踏み抜かないか心配になったが、どうにか甲板は耐えてくれた。
船長以下、目を丸くしている船員たちに見つめられて、船首まで一気に駆け上がったガー太は、
「クエーッ!」
と鳴き声を上げ、翼を広げて船から飛び出した。
その時だった。これまでと比べても、ひときわ強い風が吹いたのは。
うなりを上げて吹いてきた強風に押され、船長たちも倒れそうになったほどだ。
その風を受けて、ガー太の体がふわりと浮き上がった。
「おおっ!?」
「ガー!?」
レンもガー太もこれには驚いた。
翼を広げたガー太が、風に乗って一気に十メートル以上も上昇する。
「すごいぞガー太、空飛んでるよ!?」
「ガー!」
興奮してレンが叫ぶと、ガー太も興奮したように鳴いた。
ガー太に乗って、風を切って走るのはとても気持ちよかったが、こうしてガー太に乗って空を飛ぶというのは別格だった。
空へと舞い上がったガー太は、そのまま飛翔する。
とても届かないと思っていた陸地が、もう目の前に迫っていた。
最初にサーペントの接近に気付いた見張り員のサムランは、見張り台の上からずっと戦いの様子を眺めていた。
サーペントの接近を警告するため、鐘を叩いていたサムランだったが、気が付けばサーペントは目前まで迫っており、見張り台から逃げ遅れてしまった。
ここまで来たら逃げた方が危ないと思い、見張り台に身を潜めたのだが、それは正解だった。
サーペントは見張り台に興味を示すこともなく上陸し、駆けつけてきた防衛軍と戦い始めた。
あの巨大な海魔相手だ。お城の兵士たちでも簡単には勝てないだろうと思っていたが、現状、勝てないどころか手も足も出ない状況だ。
見張り台の上から見ていると、戦いの様子がよくわかった。防衛軍は一方的にやられている。
このままだと本当にハーベンの街が壊滅するかもしれない、と心配し始めたサムランだったが、ふと、海の方から耳慣れぬ鳴き声が聞こえた気がした。
何だろうと思って海の方を向いたサムランは、それを発見した。
沖からは一隻の軍船がこちらに向かって来ていたが、サムランの目には入らなかった。もっと異常なものを目撃したからだ。
大きな鳥のようなものが空を飛んでいた。それが単なる鳥なら、サムランは警戒しただろう。
この世界には大きな鳥もいるが、巨大な鳥の魔獣も存在するのだ。サーペントだけで手一杯なのに、そこへ鳥の魔獣まで襲来したらとんでもないことになる。
だがそれは鳥の魔獣でなかった。しかし普通の鳥でもなかった。なぜなら人が乗っていたからだ。
見間違いではない。確かに人が乗っている。
この世界の人間は、いまだ空に手が届いていない。伝説やおとぎ話ならともかく、実際に人が鳥に乗って空を飛ぶなど不可能だ。
しかしたった一つだけ例外があった。自由に空を駆ける唯一無二の存在――竜騎士。
サーペントから街を救うため、竜騎士が助けに来てくれた!?
もしサムランが冷静だったなら、ちょっと待てと考えたかもしれない。いやいや、こんな所にいきなり竜騎士が現れるわけないだろう、と。
だがこの時の彼は冷静ではなかった。巨大なサーペントに街が襲われているのだ。冷静でいられるわけがない。
さらにサムランは本物の竜騎士を見たこともなかった。だから一度あれが竜騎士だと思ってしまうと、もう竜騎士にしか見えなくなってしまった。
サムランは見張り台の鐘を連打した。先程、サーペントの襲来を警告したときと同じか、それ以上の強さで。
そして大声で叫ぶ。
「竜騎士だ! 竜騎士が助けに来てくれたぞーッ!」
突然鳴り響いた鐘の音に、多くの兵士たちは何事かとそちらを向いた。サーペントでさえ音が気になったのか、動きを止めて見張り台の方を向いた。
そんな中、サムランの叫びを聞いた兵士はわずかだったが、彼らは空を見上げ、そしてサムランと同じようにそれを見つけた。
何者かが、空を飛んでこちらに向かってくる。
サムランの言葉を聞いていた彼らにも、それは竜騎士としか見えなかった。空を飛ぶ者など、竜騎士以外には考えられないのだから。
「竜騎士だ!」
誰かが空を指差し叫ぶと、それは瞬く間に軍勢全体に伝播した。
「竜騎士だ!」
「竜騎士が来てくれたぞ!」
「これでハーベンは救われた!」
兵士たちが口々に喜びの声を上げ、中には感極まって泣き出す者すらいた。