第182話 家名に誓う
海岸へ向かって走ったレンだったが、すぐに急ブレーキをかけて方向転換、魔獣と戦っている人間部隊の方へと向かった。
「一言、言っておいた方がいいよな」
レンのいう一言とは、シーベルの剣についてだ。
サーペントに祠が破壊され、剣は行方不明となっている。それを伝えておかないと、魔獣との戦いが終わった後で、今度は人間同士の戦いが始まってしまうかもしれない。
無益な戦いは避けるべきだった。
「えーと……」
戦う様子を見ていると、それらしい人物が見つかった。
周囲に目を配りながら、指示を出している男がいた。彼が隊長だと当たりを付けて、そちらへ向かった。
レンとバルドがお互いの戦いを見て、お互いに驚いていたように、バッテナムもまたレンとカエデの戦いを見て驚いていた。
ロレンツ公爵の配下にも魔人がいたのか、とバッテナムは思った。
ここからだと小柄な人間としかわからないが、その動きは人間離れしていて、バルドと互角に見えた。それが普通の人間であるはずがない。
ベリンダが何人か魔人の部下を持っていることは、周辺諸国にまで知られているが、ロレンツ公爵の下に魔人がいるとは、バッテナムは聞いたことがなかった。
あの騎士と魔人こそ、ロレンツ公爵の切り札なのだろう。もしかしたらバチニア公国の魔人に対抗するため、ロレンツ公爵が秘密裏に雇ったのかもしれない。
バッテナムにとってロレンツ公国は潜在的な敵国だ。そこにあの騎士や魔人がいるのは脅威だったが、今は味方として戦っているから心強かった。
バルドともう一人の魔人は、二人だけで超個体を圧倒している。このままなら勝てそうだが、まだ油断はできない。魔人には限界時間があるからだ。それまでに倒しきれなければ、一気に不利になる。
二人が倒してくれれば一番いいが、できなかったときのことも考えておかねば。
「囲め! 囲んで一体ずつ、確実に殺せ!」
声を上げて部下の傭兵たちに指示を出す。
わかりきったことだが、戦場では視野狭窄になりやすい。興奮して周りが見えなくなって、無茶な行動を取ったりする。だから何度も何度も、声に出して命令しなければならない。
バッテナムたちが勝てなかったときは、我々全員であの超個体を倒さねばならない。それまでに他のファイグスどもを全滅させておく必要があった。
「うん?」
突然、超個体と戦っていた騎士が、海の方へ向かって走り始めた。
何かあったのか、と思って見ていたら方向転換し、今度はこちらに向かって走ってくる。
どうやらこちらに用があるようだ、と思ったバッテナムは、騎士を待ち構えることにしたのだが、その姿がはっきりと見えるようになってきて驚愕する。
「ガーガー……?」
最初は見間違いかと思った。
だが騎士が近付いてくると、見間違いでないことがわかる。
騎士は馬ではなくガーガーに乗っていた。
「いやいや、おかしいだろう」
思わずつっこみを声に出してしまう。
魔人がいたのは、まだ理解できた。だがガーガーの騎士は理解不能だった。そんなもの聞いたこともない。
周囲の傭兵たちも、騎士に気付いてざわついている。
そんな傭兵たちの間を縫うように走り、騎士はバッテナムの前までやって来た。
「あなたがこの部隊の隊長ですか?」
「そうだが……」
答えながらバッテナムは騎士というか、騎士が乗っているガーガーを観察した。
ガーガーだと思う。だが普通のガーガーとはどこか違う気もする。ガーガーはもっと丸みを帯びていたと思うのだが、このガーガーはやけにガッシリしているというか。
「僕はレン・オーバンスといいます」
「お前が!?」
と言ってしまったバッテナムは、
「いえ、失礼しました。あなた様が?」
と慌てて言い直す。
「はい。僕のことを知っているんですか?」
レン・オーバンス。その名は当然知っていた。
他の参加者の情報は可能な限り集めていたが、彼は大会直前になって急に現れた。
ロレンツ公爵の末娘、サーリア・ロレンツに一目惚れして大会に参加した男。どうやらダーンクラック山脈を越えた隣国、グラウデン王国のオーバンス伯爵の息子らしい。
バッテナムが知っていたのはそれぐらいだったが、それで十分だと判断した。
有り体にいってしまえば、どこかの貴族のバカ息子だろうと思ったのだ。
いるのだ。貴族の家に生まれて過保護で育ったため、自分の実力を過大評価し、周囲の現実を見ることができない、そういうバカ息子が。
サーリアには何の後ろ盾もなく、大会への参加も予定していなかった。レンが軍勢を率いて参加するというなら話は別だが、少人数のお供がいるだけらしい。そんな少数が今さら参加しても大勢に影響はない。
それでも勝てると考えるのは、自分の実力を勘違いしたバカか、本物の天才のどちらかだが、天才なんていうのは滅多にいない。
そもそもサーリアはまだ十一歳だという。他人の趣味に口を出すつもりはなかったが、そんな子供に一目惚れなど、はっきりいって変態ではないか。
バカ息子と変態、一つだけでも問題なのに、二つそろえば救いようがない。だからバッテナムはレンのことなど全く気にしていなかったのだが……
そんな男がどうしてここに? しかもガーガーに乗って? さっきのあの見事な戦いぶりは?
バッテナムの頭の中は疑問だらけだった。
「あの、どうかしましたか?」
考え込むあまり、黙ってしまったバッテナムにレンが訊ねてくる。
「いえ、その、まさかガーガーに乗っておられるとは思わず……」
「ああ。色々ありまして」
それだけか!? と心の中でつっこむ。相手が貴族でなければ、詰め寄っているところだ。何をどうやってそうなったのか詳しく説明しろ、と。
そもそも島へ行くときにはガーガーに乗っていなかったはずだ。いくらなんでも乗っていれば気付く。このガーガーはどこからやって来たのだ?
「詳しいことを話している時間がないので、手短に説明しますね。僕らの目的のシーベルの剣なんですけど、それが行方不明になりました。海から突然現れたサーペントに、剣が収められていた祠が破壊されてしまって、どこへ行ったかわからなくなったんです。ですからここでの戦いは一旦中断ということで――」
「ちょっと待って下さい」
またも予想外の言葉が飛び出してきて、理解が追いつかない。
「シーベルの剣が、どこへ行ったかわからない?」
「はい。えーとですね――」
レンから説明を受けた。途中、何度か質問しながら話を聞いて、それでやっと向こうの言っていることが理解できた。
「つまり海から巨大な海魔が現れ、祠が破壊され、剣も行方不明というわけですか」
「そういうことです」
バッテナムはサーペントと言われてもよくわからなかった。彼のいるバチニア公国は、ほとんど海に面しておらず海魔について詳しくなかったのだ。
とにかく巨大な海魔のせいで、剣が行方不明になったと言いたいらしい。だが、それをそのまま信じることはできなかった。
レンの言葉が本当だという証拠がない。ウソをついて、ちゃっかり剣を手に入れている可能性だってある。
「失礼ですが、お話をそのまま信じることはできません」
きっと「オレの言うことが信じられないのか!」と激怒するだろうと思ったのだが、
「ですよね。ちゃんとした証拠があればいいんですけど、そんなのないですし」
意外なことにレンはその通りだといった調子で答え、
「ですが生き残りの方も一緒にいます。僕はサーリアさんに雇われたんですが、その人は長女のシンシアさんに雇われた傭兵です。彼の話も聞いてもらえれば」
「残念ですがいくら話を聞いても、ちゃんとした証拠がなければ納得できません」
別の隊の人間だからといって信用はできない。金で買収された可能性もあるし、極端な話、別の部隊の全員が結託して、こちらをだまそうとしてる可能性もあるのだから。
「オーバンス様が、ご自身の家名に誓うというなら話は別ですが」
「家名ってオーバンス家に誓うってことですか? 別にいいですけど」
「よろしいのですか?」
「はい。オーバンス家の名に誓って本当です。これでいいですか?」
言い出したのはバッテナムだったが、本当に誓うとは思っていなかったので驚いた。
家名に誓うというのは、重い意味を持つ。
もしウソだったら、その家は嘘つきの家ですと宣言するようなものだから、家の名誉を重んじる貴族にとっては耐え難いことになる。そのため貴族は軽々しく家名に誓ったりしない。
さらに今のバッテナムは単なる傭兵だ。そんな傭兵相手に家名を持ち出せば、傭兵ごときと自分の家を同列扱いしたことになり、家名の価値を下げてしまう。
普通なら話を出した時点で、傭兵ごときがふざけるな、と激怒して当然なのだが、怒るどころかあっさり承諾されてしまった。
これらの話は貴族社会では常識だ。バッテナムは貴族ではなく平民身分の騎士だが、それでも当たり前のように知っていた。それをレンが知らないとは思えないが……
そんなことも知らない大バカ息子なのか、それとも家名にすらこだわらないような、とんでもなく度量の大きい男なのか?
バッテナムには、レンがどういう人間なのかわからなくなってしまったが、
「……お話はわかりました。それで我らにどうしろと?」
レンがそこまで言った以上、バッテナムはその言葉を信じるしかなくなってしまった。
家名に誓うという言葉まで疑えば、それこそ相手の名誉を傷つけることになる。
それにそこまでいうのだから、ウソではないとも思えた。
自分とレンだけしかいなかったのなら、後で「そんなことは言っていない」とごまかすこともできる。
だがここには自分以外にも多くの者がいて、今の言葉を聞いていた。
これで真っ赤なウソだったら、オーバンス家の名誉は地に落ちる。だからレンは本当のことを言っていると考えるしかない。
海魔に襲撃されて剣が行方不明になった――信じがたい話ではあるが、信じるしかなかった。
「剣がなくなったんですから、戦う理由もなくなりました。だからこの魔獣の群れを倒した後は、そこで休戦にしてもらえませんか」
「確かに剣がないなら戦う必要もありませんが」
剣を持ち帰るのが勝利条件なのだから、それを満たせなくなった時点で大会も終了だろう。
今後、もう一回別の条件で大会をやるのか、それとも後継者選びの大会など、やはり馬鹿馬鹿しいとしてやめるのか、そのあたりはわからないが今回は終了だ。
「では他の部隊の人たちにも、このことを伝えて一時休戦でお願いします」
「私の口から伝えるよりも、オーバンス様が直接伝えた方が、話が早いと思いますが?」
「そうしたいんですけど、僕には行くところがあるんで」
「どこへですか?」
戦いはまだ続いているし、目的の剣もなくなった。この状況でどこへ行くというのか?
「サーペントはこの島を通り過ぎて北へ向かいました。多分、ハーベンの街を襲うつもりです。僕はそれを追います」
「追うといっても、どうやって?」
「あれに乗せてもらえないか頼んでみます」
レンが指さしたのは沖合に浮かぶ船だった。
その沖合に浮かぶ船――ラグナ号では、船長が苦悩していた。
先ほど、見張りの兵士が、
「大型魔獣を発見! サーペントです!」
と叫びを上げたときは背筋が凍った。
だがそのサーペントがこちらに向かってこず、別の方へ向かって泳いでいるのを見て胸をなで下ろし――その先にハーベンの街があるのに気付いて、また背筋が凍った。
あのサーペントはハーベンを襲うつもりだ。
それがわかっても、船長はすぐに命令を下せなかった。
街へ向かうサーペントを放置はできないが、一隻だけで何ができるというのか。
後を追ったとして、向こうがこちらに気付いて向かってきたら勝ち目はない。巨大なサーペントの一撃で、ラグナ号は木っ端みじんになってしまうだろう。
そうやって迷っているうちに、サーペントは北へ向かって泳いでいき、ついにその姿は波間に消えて見えなくなった。
「出航準備だ。あのサーペントを追うぞ」
船長が命令を下したのは、その後だった。
「今から追っても、追いつけるとは思えませんが?」
そう聞いてきた副長に船長が答える。
「それでいいんだ。いや、そうするしかない」
副長に、というより自分に言い聞かせるように船長が言う。
「サーペントにこの船一隻で挑んでも勝ち目はない。だから離れて後を追う。おそらく奴はハーベンの街を襲うはずだ。そうやって街の守備隊と戦闘になったところで、本船が後ろから挟撃する」
それが船長が悩んだ末に出した答えだった。
一隻だけで無理なら、街の守備隊と協力する。そうすれば勝てるかもしれない。
この島の周囲にはもう一隻、仲間のバリオン号がいる。まずはそちらを探し、二隻で向かうことも考えたが、それだと時間がかかりすぎる。
最悪の展開――すでにバリオン号がサーペントに遭遇し、沈められた可能性については考えないことにした。考えても仕方がないからだ。無事なのを祈るしかない。
ラグナ号にはマストが一本あり、帆で風を受けて走ることもできたが、あいにく今日はほぼ無風だ。櫂をこいで追うしかなかった。
いよいよ出発の準備が整ったところで、見張りが声を上げた。
「誰かがこっちに向かって泳いできます!」
海岸までレンを乗せて走ってきたガー太は、そのまま海へ飛び込んだ。
レンも驚かない。ガー太が泳ぎも得意なのを知っていたからだ。
ガー太はレンを乗せたまますいすいと泳いでいくが、やはり走るよりだいぶ遅い。
ちなみにガーガーの泳ぎ方はアヒルに近い。水面ではすいすい泳いでいるが、水面下では足をバタバタさせているのだ。
ガーガーは水に浮くが、足に水かきもなく泳ぐスピードは遅い。レンはよく温泉で泳いでいるガーガーを見るが、あれも泳いでいるというより、ぷかぷか浮いているといった方がいいかもしれない。
目指す船までは……二百メートルぐらいだろうか。
左右からたくさんの櫂が突き出ていている、ガレー船みたいな船だった。ガレー船の実物を見たことはなかったが、歴史物の映画やゲームなどで、同じような船を何度も見た覚えがある。
向こうもこちらに気付いたようで、船の上で、船員が何人かこちらを指さしたりしている。
手でも振ってみようかとも思ったが、気恥ずかしくてできなかった。
さて、このまま船までは行けそうだが、行ったとして乗せてくれるだろうか?
確か大会中は島に船が近づくのを禁止すると言っていたから、あの船は民間の船ではないはずだ。おそらく公爵家の軍船だろう。
そんな船が部外者のレンを簡単に乗せてくれるかどうか。
もし乗せてもらえたなら、後のことはあまり心配していなかった。
サーペントがハーベンの街へ向かったと知れば、あの船はきっと後を追うはずだ。商船なら逃げるだろうが、軍船が逃げるわけにはいかない。
まだ動いていないということは、多分、あの船はまだサーペントに気付いていない。
サーペントのことを伝えれば、レンと一緒にハーベンへ向かってくれるはずだ。
問題は乗船を拒否された場合だが、その時は貴族の権力を使って、無理矢理でも乗り込もうと思っていた。
そういうことに慣れていないし、あまりやりたくもなかったが、緊急事態なので仕方ない。
使えるものは何でも使うつもりだった。
まーた週末更新できずにすみません。今度は私用じゃなくて仕事で週末が潰れてしまいまして。なんとか週一回の更新を守れるようにがんばります。