第181話 ファイグスとサーペント
バルドがレンたちを見て驚いていたように、レンもバルドの戦いを見て驚いていた。
レンは魔人についてうわさしか知らない。
大半の魔人が、自分が魔人であることを隠しているため、知名度に反して本物の魔人を知っている者は少なかった。
レンも実際に魔人を知っているという人間に会ったことがなかったので、今まで半信半疑だった。
魔獣がいる世界だから、そういう人間がいてもおかしくないと思いつつ、魔獣がいるからそういう伝説が生まれたとも考えられた。あるいはダークエルフと人間を見間違えて、魔人の話が生まれた可能性もあるな、と思っていた。
しかし、どうやら魔人は実在したようだ。
今、目の前でカエデと一緒に戦っている男は、カエデと同等の動きを見せている。カエデは赤い目と呼ばれる特殊なダークエルフだ。そんな彼女に匹敵するなど、普通の人間には不可能だ。
魔人に関するうわさがどこまで正しいかはわからないが、少なくとも人間を超える人間というのは間違いなかった。
「このまま勝てそうだな」
レンがつぶやく。
超個体と直接戦っているのはカエデと魔人の男で、レンは後ろから援護しているが、それも必要なさそうなぐらい、二人は超個体を圧倒している。
元々、カエデとレンとガー太で超個体の相手をするつもりだったが、あの男が加わったことで、戦いは一気に有利になった。
さすがは超個体というべきか、二人に受けた傷はすさまじい速度で回復していくが、少しずつそれが追い付かなくなってきている。倒すのも時間の問題だろう。
他は? と思って戦場を見渡せば、総じて人間側が有利に戦いを進めていた。
人間の方が数が多いので、数人でファイグスを囲み、一体ずつ確実に殺している。一度近づいてしまえば、ファイグスはそこまで強い魔獣ではない。人間側が接近戦に持ち込んだ時点で、勝負あったというべきか。
これなら大丈夫そうだ。後は油断せず超個体を倒せばいい。
「キシャアアアアッ!」
いきなり超個体が巨大な咆哮を上げた。カエデたちに対する威嚇かと思ったが、超個体は別の方向――海の方を向いて吠えた。
あっちに何かあるのかと思って見れば、島の沖に船が一隻停泊していた。
あの船に向かって? どもどうして?
合点がいかないまま、もう少し沖合の方に目をやったレンは、あっと声を上げた。
船のさらに沖合を何かが泳いでいた。
間違いない。先ほど見た巨大海魔サーペントだ。そのサーペントが顔だけ出して泳いでいる。
こちらに来るのかと緊張したレンだが、幸い、サーペントはこちらに興味がないようで、北へ向かって泳ぎ、島から遠ざかっていく。
「キシャアアアアッ!」
再び超個体が吠えた。
もしかしてサーペントに助けを求めているのかと思ったが、どうも違う気がした。
超個体の叫びには、強い憎しみがこめられいるような気がする。
もちろん確証はないが、助けを求めるどころか、むしろ逆、逃げるな、かかってこいと叫んでいるような――そこまで考えたレンの中に、唐突にある考えが浮かび上がった。
これまで謎だったがいくつかのパーツが組み合わされて、一つの答えになったような。
「ガー?」
「あ、ごめん。ちょっと後ろに下がろう」
急に動きを止めたレンに、ガー太がどうした? といった感じで鳴いてきた。
カエデたちの様子を見て、大丈夫そうだと判断したレンは、考えをまとめるために少し後ろへ下がる。
頭の中で仮説を検証してみるが、矛盾はない……と思う。
すなわち、あの超個体が率いるファイグスの群れと、あのサーペントは戦ったのではないか?
島の南の海岸が焼け野原のようになっていて、ファイグスの死体が何体も転がっていたのを思い出す。
誰がやったのかわからなかったが、あれをやったのはサーペントだったのでは?
南から海を泳いでやって来たサーペントが、島にいたファイグスの群れと激突した結果があの惨状だ。
ファイグスの群れに被害は出たが、サーペントにもダメージを与えて海へ追い返した。
人間を見れば襲いかかってくる魔獣だが、あまり魔獣同士では争わないらしい。ただ相性みたいなものがあって、激しく争う魔獣の組み合わせもあるとか。
黒の大森林にある湖には、ガングと呼ばれる巨大魔魚がいるが、ダークエルフたちの話によると、ガングは湖に近付いた魔獣を無差別で襲うそうだ。魚魔のガングは陸上の魔獣と相性が悪いのだろう。
ファイグスとサーペントも、陸の魔獣と海魔で、しかも火と水。相性は悪そうな気がする。
もし両者が争ったのだとしたら、もう一つ、別の問題にも答えが出る。
ファイグスの群れが、どうしてこの島を出て街を襲わなかったのか? だ。
群れの行動範囲――ナワバリは群れの規模に比例する。数百体のファイグスの群れなら、余裕で対岸の街がナワバリ内に入る。ファイグスは水が苦手だが、泳げないわけではない。ナワバリに街があれば、必ずそこを襲うはずだ。
それなのに襲わなかった。だから群れの規模を過小評価することになった。
ファイグスは人間を襲うよりも、あのサーペントと戦うことを優先したのではないか?
だから一度引き分けた後も島にとどまり、サーペントが戻って来るのを待ち続けた。サーペントの方も決着をつけるため島に戻って来た。
ところがその前に人間の軍勢が島に上陸した。
ファイグスもさすがにこれは無視できず、島の北部へ移動して軍勢に襲いかかる。一方のサーペントは島に戻ってきてもファイグスがいなかったため、島を素通りしてさらに北へ進む。それに気付いた超個体が戻って来いと吠えたものの、その声は届かず、というわけだ。
全て仮説だ。どこまで合っているかわからないが、そんなに的外れでもないと思う。
もうちょっとタイミングがずれていれば、ファイグスの群れとサーペントはつぶし合ってくれていたかもしれない。あるいはファイグス、サーペント、人間の三つどもえになっていた可能性もあるが。
だがファイグスが島の南にいなかったので、サーペントはそのまま島を通り過ぎた。とにかくこっちに来なくてよかった――とホッとしたレンだったが、そこで重要なことに気付く。
「まさか!?」
もう一度サーペントを見る。
沖合を泳ぐサーペントの姿は、どんどん小さくなっていく。島を離れて北へ向かっているのだ。だがこのままサーペントが北へ向かえば、その先にあるのはハーベンの街だ。
「あいつ、街を襲うつもりだ……」
ファイグスとは逆に、人間の街を襲うことを優先したのかもしれない。
どうする!?
ハーベンの街は常に海魔の襲撃を警戒しているはずで、守備隊だっている。
だがあれほど巨大な海魔と戦った経験はあるのだろうか?
先ほど見たサーペントの暴れっぷりがレンの脳裏をよぎる。
ハーベンの街も同じようになるのでは?
蹴散らされる守備隊、倒壊する建物、逃げ惑う住人。それこそ怪獣映画のような光景が繰り広げられるかも……
それでも街に知り合いがいないのなら、もっと割り切れたかもしれない。
あっちのことは、あっちでがんばってもらおう、と。
だがハーベンにはレンの仲間や知り合いがいる。
ロゼに、リリム、ミミ、ネリスのイール三人。
サーリアとそのメイドのリタとも深く関わってしまった。今さら知らぬ顔で見捨てることはできない。なんだかんだで、領主のロレンツ公爵にも好感を持っている。
彼女たちはおそらく城にいるから、大丈夫だろうとは思う。ロレンツ公爵だけは、守備隊を指揮するため最前線に出てくるかもしれないが、それが領主の務めだから仕方がない。
城は海から離れているので、そこにいれば安心だと思うのだが、サーペントがどういう魔獣かわからないのが不安だ。
少なくとも陸に上がれるのはわかっている。後はどこまで行動できるかだ。
最悪なのは、陸でも平気で動ける水陸両用みたいな魔獣だった場合だ。街も城も、全て破壊するまで止まらなかったとしたら……
やはり放っておくことはできない。幸い、ここはもう自分とガー太がいなくてもどうにかなる。
「カエデ、ここをまかせて大丈夫!?」
「うん!」
戦いながら返事が返ってくる。もう一人、魔人と思われる男もいるし、超個体は二人に任せることにした。
「ジョルスさん!」
「何でしょうか?」
シャドウズの三人が駆け寄ってくる。
すでに近くにいた普通のファイグスは倒し終えていたので、三人は周囲を警戒していた。超個体のとの戦いには加わらず、カエデたちの戦いを邪魔しようとするファイグスがいれば排除するつもりだった。
だが人間の部隊が奮闘しているおかげで、今のところこっちまでやって来るファイグスはいない。
「ここを任せて大丈夫?」
「問題ありません」
ジョルスが即答する。
「わかった。じゃあ僕はサーペントを追うよ」
「さっきの海魔ですか?」
ジョルスが、いきなり何を言い出すんだ、といった顔になる。
「うん。あそこを泳いでる」
レンは海の方を指差したが、サーペントの姿はだいぶ小さくなっていた。
ガー太に乗って強化されているレンの目で、どうにか見えるぐらいの大きさなので、ジョルスたちには見つけられなかったようだ。
「申し訳ありません。どこにサーペントがいるか、わからないのですが……」
「島の沖合を北へ泳いでた。多分、街を襲う気だ」
「それを倒すおつもりですか?」
「倒すというか、街に残っているロゼたちが心配だから戻ろうと思う。万が一の時に、みんなを助け出すために」
「わかりました。ですがどうやって追うのですか?」
「……泳いで追いつける?」
これはガー太に聞いたのだが、
「ガー」
無理だろ、といった感じの答えが返ってきた。
レンを乗せたままでも泳げるとは思うが、スピードが違いすぎる。泳いでいたら、どれだけ時間がかかるかわからない。
だったら来るときに通った洞窟を戻るしかない。多分、ガー太に乗ったままでも通れるとは思う。途中、狭い場所はあったが、そこだけおりて通り抜ければいい。
だがこちらも時間がかかるだろう、と思ったところで、沖合に浮かぶ船が目にとまった。
どこの船かわからないが、あれに乗せてもらえないだろうか?
「あの船までなら余裕だよね?」
「ガー」
「よし、じゃああの船まで行ってみよう」
船がサーペントを追ってくれるかどうかわからないが、まずは話をしに行く。ダメだったらその時考えればいい。
ジョルスたちに後は任せますと言い残し、レンは海岸へと走った。
また遅れてすみません。土曜から出て行ってて、日曜帰ってきてから残りを書くつもりだったんですけど、力尽きてそのまま寝てしまいました。
ちょっと考えが甘いかなあ、と思ってたらやっぱり甘かったです。