第179話 魔人(上)
咆哮を上げた超個体が、こちらに向かって突進してくるのを見て、レンは、
「よしッ!」
と心の中でガッツポーズした。
魔獣の群れを倒すには、それを率いる超個体を倒すのが必要不可欠だ。そしてこれまでの経験から、超個体と戦うには量より質、つまり少数精鋭が一番いいとレンは思っていた。
数を頼みに袋だたき、という戦法もあるだろうが、それだと被害が大きくなる。
だから向こうから来てくれたのは好都合だ。少数精鋭――ガー太とカエデで超個体を迎え撃つ。
自分とカエデで、と言いたいところなのだが、ガー太から降りたレンはちょっと強いだけの人間なので、とても超個体の相手はできない。もし戦ってもカエデの足を引っ張ってしまうだろう。
ただガー太も一羽だけで戦うより、レンを乗せた方が強い。ガー太に乗ったレンが、身体能力や感覚が強化されるように、ガー太のそれもパワーアップされている。だから一人と一羽、二つの力を合わせて戦うのだ。
レンは他のファイグスの様子を確認する。
自分たちの前に立ちふさがったファイグスの集団は、ほぼ倒しきった。何体か残っているのも、シャドウズの三人にまかせればいいだろう。
だが他にもまだファイグスがいる。
超個体と戦っている際に、それらが横から攻撃してくるとやっかいだった。
そんなレンの目に、ファイグスに向かって突撃し始めた人間部隊が見えた。
どこの部隊かはわからないが、その部隊は前面のファイグスを蹴散らすと、こちらに向かってくる超個体の後ろまで進出する。まるで超個体の背後を断って孤立させようとするかのように。
あの部隊ががんばっている限り、他のファイグスはこちらに来られないだろう。
ありがたい、とレンは思った。これで超個体相手に集中できる。
すると、その部隊から一人の兵士が飛び出し、超個体の後を追いかけてこちらに走ってくるのが見えた。
手柄をあせって暴走したのだろうか? 他の兵士はその場にとどまっていて、動いたのはその一人だけ。個人の暴走としか思えなかった。
一人で超個体と戦うなんて無茶だ、とレンは自分たちのことを棚に上げて思った。
悪いがあの兵士のことは無視することにした。自分から来たのだから、自己責任で何とかしてもらうしかない。
「カエデ、行くよ」
「うん!」
レンを乗せたガー太とカエデが、そろって超個体に向けて走り出す。カエデは両手に剣を持ち、レンは弓に矢をつがえながら。
最初に攻撃してきたのは超個体の方だった。
互いの距離が接近し、五十メートルぐらいになったところで、超個体は大きく息を吸い込み――炎を吐いた。
「うわっ!?」
驚いたレンとガー太は左に、カエデは反対の右に飛んで炎を避ける。
普通のファイグスは火の玉を吐いたが、超個体の吐く火は、火の玉ではなく火炎放射器のような帯状の炎だった。
しかも超個体は炎を吐きながら首を振り、逃げたレンを追ってきた。
「わわわわっ!?」
「ガーッ!?」
ガー太が全力疾走して、迫る炎からどうにか逃れる。それは逃げ切ったというより、超個体の炎が止まって助かった、という状況だった。
おそらく炎を吐き続けるのにも限度があるのだろう。数秒から数十秒といったところか。それ以上長かったら、逃げ切れず炎に巻き込まれていたかもしれない。
炎を避けることに専念したため、ガー太と超個体の距離は離れてしまったが、その間にカエデが距離を詰めていた。
超個体は左前足を振り上げて、迫ってきたカエデに向けてブンッと振り下ろした。
向こうにしてみれば、うっとうしい虫を振り払う、ぐらいのつもりだったのかもしれない。だがカエデは虫ではなかった。あるいは虫だったとしても、スズメバチのような凶悪な虫だった。
カエデは左前足の一撃をギリギリの間合いで回避。巻き起こった風が彼女の髪を揺らす。
「えいっ!」
そして回避しつつ、右手の剣で斬りつけ、相手の足首のあたりを深々とえぐった。
「ギョアーッ!」
超個体が鳴き声を上げる。それは悲鳴というより、驚きの声のようだった。
虫けらと思っていた相手が、強力な毒針を隠し持っていたことに気付いたような。
超個体はカエデを振り払おうと動くが、彼女はそれを許さない。相手のふところに入り込み、次々と斬りつける。
「いいぞカエデ!」
レンは声を出してカエデを応援する。
あの炎にはちょっと驚いたが、相手は大きくなってもやはりファイグス。接近戦は苦手のようだ。
超回復があるので、カエデの付けた傷も塞がっていくが、それでもダメージは積み重なっているはずだ。このまま押し切れば勝てると思った。
もちろん応援するだけでなく、ガー太も超個体へと走っている。
カエデを援護しようと弓を構えたレンは、超個体へと向かう別の人影に気付いた。先程、どこからの部隊から一人で飛び出してきた兵士だった。
向こうはこちらを助けようと思っているのかもしれないが、レンはありがたいと思うより、カエデの邪魔をしないでくれよ、と思った。普通の人間の兵士が一人加わっても、戦力になるとは思えなかった。
だがその兵士が急加速した。
それまでも超個体に向かって走っていたのだが、それがロケットブースターでも点火したみたいに、いきなり速度を上げたのだ。それこそカエデ並みの速さだった。
びっくりするレンの前で、兵士はカエデの反対側から超個体へと斬りかかる。
二人に増えた敵を追い払おうと、超個体はさらに暴れ回るが、カエデはもちろん、その兵士にも攻撃は当たらない。
走るスピードだけでなく、身のこなしもカエデとほぼ互角に見えた。素早い動きで、超個体を翻弄している。
「ウソでしょ……」
カエデの身体能力は人間の限界を超えている。それと互角ということは、あの兵士も人間を超えているということだ。
ダークエルフかとも思ったが、兵士はどう見ても人間の男である。
「あれってまさか……」
レンはこちらの世界に来てから、何度か聞いたうわさ話を思い出した。
この世界には、常人をはるかに超えた力を持つ人間がいる――そんなうわさを聞いたことがあった。
超人、あるいは魔人と呼ばれる者のうわさを。
兵士――バルドは魔人と呼ばれる人間だった。
超人と呼ばれることもあるが、魔人の呼び名の方が一般的だ。それは彼らが魔獣の力を取り込んだ人間だと思われているからだ。
バルドも自分は魔人だと思っていた。
限界までは十分ほどだ、とバルドはもう一度確認する。
魔人も普段は普通の人間と変わらない。だが自分の中に眠る力を解放することで、超人的な身体能力を発揮する。
力を解放した魔人は、筋力、持久力、回復力など、あらゆる能力が常人をはるかに超える。だがそれにも限界があった。
バルドの場合、その限界が十分ほどで訪れる。
バッテナムが彼にまだ動くなと命じていたのも、バッテナムが勝てる自信がないと言っていたのも、この限界のせいだった。
十分間なら超個体とも互角に戦える自信はあった。だが十分で超個体を殺せる自信がなかった。十分たって相手を殺せなければバルドの負けである。
だがここに来て準備は整った。
他の兵士たちが、超個体以外のファイグスを押さえ込み、バルドが一対一で戦える態勢ができた。そこへあの騎士たちの助力があれば、超個体を殺せる見込みは十分ある。
それでも確実とは言い難い。せいぜい五分五分だろう。
だがバッテナムたちが、あの騎士――自分たちの危機を救うべく、助けに現れたあの騎士の活躍を見て奮い立ったように、バルドも闘志をたぎらせていた。
あの騎士を見捨てることなどできない。もっと言えば、あれほどの騎士と共に戦って死ねるなら悔いはない、とすら思っていた。
思っていたのだが……バルドは自分が大きな勘違いをしていたことに気付いた。
近付いてわかったのだが、騎士は騎士でなかった。いや、あれも騎士と呼べるのかもしれないが、少なくとも普通の騎士ではない。
何しろその騎士は馬ではなくガーガーに乗っていたのだから。
「ガーガー……? いや、やはりガーガーか?」
見間違いかと思ったが、何度見てもやはりガーガーである。
さっきまでとは違った意味で、一体あれは何者だ? と思いながら魔人としての力を解放した。
あれが何者かはわからないが、ここまで来れば関係ない。力を合わせ超個体を倒すのみだった。
力の解放を、バルドは扉の開け閉めのように感じていた。自分の体の中に扉があって、そこを開けると中から力が、強大で凶悪な力がわき出てくるのだ。
肉体に力がみなぎると同時に、精神も変化する。破壊衝動が増し、死への恐怖が薄らぐのを感じた。この衝動に流されるのは危険だった。必死に冷静さを保ちつつ、超個体へと斬りかかる。
その超個体とは、すでに別の誰かが戦っていた。
子供!?
ガーガーに乗った騎士? にも驚いたが、これもまた驚きだった。
小さなダークエルフの少女が、超個体と戦っていたのだ。
その戦いも驚くべきものだった。
素早い動きで敵の攻撃を回避しつつ、両手に一本ずつ持った剣で、超個体に攻撃している。
バルドには、その少女が優勢に見えた。他に戦っている者はいない。小さな少女が一対一で超個体を押しているだ。
一体何者なのだ、と思いつつ、バルドは笑みを浮かべた。
誰かはわからないが、あれが並々ならぬ強者であることはわかった。あれと一緒ならば超個体に勝てると思った。
「うおおおおおッ!」
雄叫びを上げて、バルドが超個体に斬りかかる。
その一撃は胴体を深々と斬り裂き、そこから血が噴き出す。
普通の獣ならこれで致命傷のはずだが、さすがは超個体。深い傷もあっという間に塞がっていく。
だがバルドも一撃で終わるとは思っていない。攻撃を繰り返し、相手の回復力を越えて殺せるかどうかの勝負なのだ。
「おっと!」
言いながらバルドは後ろへ飛ぶ。
ガチン、と音がした。超個体の歯がかみ合う音だった。
彼に気付いた超個体が、巨大な牙でかみついてきたのだ。もう少し反応が遅ければ、バルドの体はかみ砕かれていただろう。
続いての攻撃に備えて身構えるバルドだったが、超個体は反対側を向いた。
向こうで戦う少女の方に反応したのか。
ならば、とバルドは再び斬りつける。
攻撃を繰り返すが、超個体の反応は鈍い、というか素早く動き回る二人に対処しきれず、反撃が散発的になっているのだ。
相手がどちらか一方を集中的に攻撃しようとしても、バルドと少女がそれを許さない。
片方が受け身に回れば、もう片方が激しく攻撃に出て、強引に相手を引きつけた。会話を交わさずとも、自然とそういう動きになっていた。
戦いやすい、とバルドは思った。
何度も戦いを経験してきたが、こんな感じは初めてだった。理由はわかっている。あの少女だ。
これまでの戦いでは、共に戦う仲間は全員普通の人間だった。女帝ベリンダには、彼の他にも魔人の部下がいるのだが、そいつらと一緒に戦ったことはない。
力を解放すれば、バルドと仲間の差は歴然だった。だからバルドは常に気を配りながら戦う必要があった。
集団戦で一人が突出して動くと、全体の和を乱す危険性があった。だから仲間に合わせて力を加減する必要があったのだ。
これなら一人の方が動きやすい、と思うことは何度もあったし、実際に一人で暴れ回るのが一番気楽だった。
だが今は違う。
共に戦うダークエルフの少女は強かった。
こちらが気を配る必要はない。全力で動いても、向こうはついてきてくれる。それどころか、少しでも気を抜けばこちらが遅れそうになる。
自分の実力に釣り合う仲間と共に戦う――それはバルドにとって生まれて初めての経験だった。
戦う彼の顔には、自然と笑みが浮かんでいた。