第178話 意図せぬ挟撃(下)
全話の前書きで、今日中とかウソついてすみませんでした。
超個体は、まるで人間たちを翻弄するかのように、好き勝手に暴れ回っていた。
「おのれ……」
バッテナムが憎しみのこもった目でにらみつけるが、それで止まるはずもない。
ここに来て、人間部隊に統一の指揮官がおらず、各部隊がバラバラという弱点が、またも露呈することになった。
超個体はあっちの部隊に攻撃したら、別の部隊に向かって火を吐き、そうかと思えばまた別の部隊へ――といったように動き回っている。
これに対抗しようと思うなら、各部隊が連携し、包囲して押さえ込むのが一番だったが、バラバラに動いているような状況ではとても無理だった。
さらに超個体は各部隊の弱いところを見抜き、そこを的確に攻撃していた。知恵というより、本能的な戦いのカンとでも呼ぶべきものを持っているのだろう。
各部隊がファイグスの群れに突入し、乱戦にもつれ込んでからは、人間側も多くのファイグスを倒していた。だがバッテナムの見たところ、倒した魔獣の数より、倒された人間の方が多い。そのほとんどがあの超個体によるものだ。
また魔獣に殺されただけでなく、怖じ気づいて逃げ出した傭兵もいるだろう。
我慢の利かないのが傭兵だ。不利と見ればすぐに逃げ出すのは、バッテナムも重々承知だったが、やはり腹立たしい。
レーダン隊は、最初は集中攻撃を受けて被害を出していたが、今は他の部隊と比べてもっとも被害が少なくなっている。動き出した超個体が、レーダン隊には攻撃してこないせいだ。
防御を固めるレーダン隊を手強いと見て、後回しにしているようだ。
弱いところから攻めるのは戦いの定石だが、あの超個体もそれをわかっているらしい。
「やはり動くべきか……?」
先ほどは、まだ動くべきではないと判断したが、戦況は悪化している。
他の部隊がやられてしまえば、状況は一番最初に戻る。レーダン隊も敗北は必至で、その前に動く必要がある。
問題はどちらに動くか、だ。
相討ち覚悟で超個体に攻撃するか――それともこの場から逃げ出すか。
一番いいのは、超個体を倒してシーベルの剣を持ち帰ることだ。それが当初の目的でもある。
逆に最悪なのは超個体と相討ちになって部隊は壊滅、他の部隊が剣を持ち帰ってしまうことだ。
攻撃は危険な賭けで、しかも負ける可能性が高いと思われた。
攻撃ではなく逃げ出すことを選べば、ここでの戦いは敗北に終わるだろう。
そしてこのバカげた大会も勝者なしで終了するはずだ。バッテナムたちが逃げれば、あの超個体を倒すことなど到底不可能だ。
それから先はどうなるかわからない。
酔狂で知られるロレンツ公爵のことだ。今度は、
「あの超個体を倒した者を後継者とする」
なんてことも言い出しかねないが、それは先の話だ。とにかくこの大会は終わる。
ここはやはり、最悪の事態を回避すべきか? とバッテナムは思った。
そうやって逃げる方へと傾きかけたバッテナムを、さらに後押しするような事態が生じる。
前方の林の中から、新たに数十体のファイグスが現れたのだ。
新手……ではないな。一時的に消えたファイグスが戻ってきたのか?
しばらく前に、群れの一部がどこかへ消えた。バッテナムは南から来る別働隊に向かったのだろうと判断したが、どうやらそれが戻ってきたらしい。
別働隊はやられたか、とバッテナムは思った。
どこの部隊も北回りのこちらが主力で、南回りの別働隊は少数だったはずだ。多数のファイグスに襲撃されて、勝てるとは思えなかった。
これで決まったな、とバッテナムは決断する。
戦況は五分五分か、ややこちらが不利。そこに敵の援軍が来たのだから、勝ち目はほぼなくなった。
退却するぞ――と号令を下しそうなったバッテナムだったが、怪訝な顔で言葉を飲み込む。
ファイグスの動きが妙なのだ。
新たに現れたファイグスは、すぐにこちらに襲いかかってくると思ったのだが、その場にとどまっている。まるで背後の林を警戒するかのように。
もしかして別働隊が勝ったのか?
普通に考えればあり得ないが、ファイグスが南側の林を警戒する理由は、それぐらいしか考えられなかった。
だとすれば敵ではなく味方の援軍が現れるはずだ――バッテナムはもう少しだけ様子を見ることにした。
「どうにか間に合った、かな?」
林を抜けたレンが、目の前に広がる状況を見て言う。
そこでは人間の軍勢と、ファイグスの群れが激戦を繰り広げていた。
島の西の海岸近くにいたレンたちは、林の中へと逃げたファイグスを追ってここまで来た。
おそらく北西に進んで林を抜けたので、ここは島の北側の海岸だろう。
予想通り、そこで人間とファイグスの本隊同士が戦っていたというわけだ。
戦いは乱戦模様で、パッと見ではどちらが有利かわからなかったが、負けていなければ十分だ、と思った。
ここに自分たちが参戦すれば、多少不利でも逆転できるはずだ。
何より位置関係がいい。
レンたちが出てきた場所は、ファイグスと戦う人間たちの反対側、つまりファイグスの群れを挟み撃ちにできる。
「超個体は……」
と探すとすぐに見つかった。
明らかにサイズの違うファイグスが、人間たちの集団を切り裂くように暴れ回っている。
「カエデ、あいつを倒すよ」
「まかせて」
「でもその前に、目の前の敵を倒さないとね」
林を抜けたレンたちの前には、数十体のファイグスが横並びになって待ち構えていた。
目算で距離は百メートルを切っている。
さっきの戦いでは、これぐらいの距離でファイグスは火の玉を吐いてきたはずだが――おそらく最大射程距離が百メートル前後なのだろう――今度は一発も撃ってこない。
引きつけてから一斉攻撃してくるつもりだろうか?
だとしたら、まるで人間の鉄砲隊みたいだと思った。
魔獣単体なら、じっと待ち構えるなどあり得ない。人間を見付ければすぐに襲いかかってくるはずだが、超個体に統率された群れは、こういう動きもできるんだと感心した。
「けど対処法はもうわかってるよ。ガー太!」
「ガー!」
レンの言葉に応え、ガー太がファイグスの群れに向かって走り出す。
どんどん距離が近づくが、ファイグスはまだ動かない。五十メートルを切り、三十メートルを切り、いよいよ十メートルというところまで来て、ついにファイグスが動いた。
さっきの戦いでわかったが、ファイグスが火を吐く前には、わずかな予備動作がある。
動きを止め、息を吸い込むように大きく口を開けるのだ。
相手の動きに注目していたレンは、その動作を見逃さなかった。
「今だ!」
「クエーッ!」
ファイグスが火を吐く寸前、鳴き声を上げたガー太が地面を蹴ってジャンプした。
ファイグスはその動きに追随できなかった。
ガー太は二メートルほどの高さまで飛び上がったが、ファイグスの吐いた火の玉は全てその下を通過したり、地面に当たって爆発したりする。
しっかり狙いを付けるのも考え物だな、とレンは思った。
もしこれがバラバラの攻撃なら、ここまできれいによけることはできなかっただろう。きちんと統制がとれていたからこそ、全部まとめてよけられたのだ。
着地したガー太は、そのままファイグスの群れに突撃――はせずに、左にカーブする。
元々、まっすぐ突っ込むのではなく、敵に向かって少し左斜め方向に走っていたので、そのまま左に曲がったのだ。
「こっちこっち!」
声を上げて挑発すると、ファイグスがつられてそちらを向いた。
レンの役目はオトリだった。本命はその後ろ――ガー太の後にはカエデが続いていた。走り出したときに、レンはちゃんとそれを確認していた。
少し左斜めに走ったのもそのためだ。まっすぐ走れば、回避した火の玉が後ろのカエデに飛んでいく。それをずらしたのだ。
レンとガー太がファイグスを引きつけ、そこへカエデが斬り込む。
基本的には先ほどと同じ戦法だ。そして今回も効果的だった。
一度近づいてしまえば、ファイグスはカエデの敵ではない。
彼女の双剣がうなりを上げ、次々とファイグスを斬り伏せていく。
ここでも統率が取れていたことが、ファイグスのあだとなった。きれいに横並びになっていたので、カエデはそれを順番に倒していくだけでよかった。
ファイグスも慌てたように動き、どうにかカエデを包囲しようとしたようだが、それよりもカエデの方が速い。
さらに一度は左に走り去ったガー太も、急旋回して戻ってきた。
何発か火の玉が飛んでくるが、ガー太はあっさりそれをよけてファイグスに迫り、
「クエーッ!」
正面にいた一体を蹴り飛ばし、そのまま駆け抜ける。
レンを乗せて走り回るガー太に、斬りまくるカエデ。
数十体のファイグスは、一羽と二人になすすべもなく蹂躙された。
おおっ! という歓声がレーダン隊から上がる。
彼らからも、ガー太とカエデがファイグスの群れと戦っているのが見えたのだ。
「あれはどこの部隊だ!?」
バッテナムも興奮したように訊ねるが、答えられる者はいなかった。
彼の目には、林の中から飛び出してきた騎兵が、単騎でファイグスの群れに突撃したように見えた。
島に渡った部隊の中に、馬に乗った者はいなかったはずだ。
だとすれば、あれは島外からの援軍に違いない。おそらく島の異常事態を聞いたロレンツ公爵が、急遽、船に乗せて援軍を送り出したのだ。それがどこかの海岸に上陸し、ファイグスの群れの背後を突いた。
通常、騎兵が魔獣との戦いに投入されることはない。馬が魔獣を恐がって戦いにならないからだ。
だが馬の中にも肝がすわった奴がいて、魔獣を恐れないのもいるらしい。そういう馬は何百頭とか何千頭に一頭いるかいないかで、もちろん普通の騎兵がまたがることはなく、選ばれた精鋭中の精鋭が乗ることになるだろう。
だろう、というのはバッテナムもそういう馬がいるという話を聞いただけで、実物を見たことがないからだ。
彼の主である女帝ベリンダも持っていない……はずだ。知らないだけという可能性もあるが、もし女帝がそういう馬を所有しているなら、噂ぐらいは聞いたことがあるはずだ。
ロレンツ公爵はそれを持っていて、今戦っている騎士に与えたのだろう。
何人かの名前がバッテナムの頭の中に浮かぶ。
いずれもロレンツ公爵に仕える騎士で、隣のバチニア公国までその名の知られた強者だ。あれは、その中の誰かに違いない。
騎士の他にも戦っている者がいるようだが、ここからではよく見えない。
少人数なのは間違いないので、ロレンツ公爵が少数精鋭の部隊を送り込んできたのか、それとも後ろに本隊がいて、まだ到着していないだけか。
しかし少人数でありながら、騎士たちは多数のファイグス相手に奮戦していた。
「ギョアーーッ!」
超個体が巨大な鳴き声を上げた。
そんな小勢相手に何をやっている――バッテナムには、超個体の鳴き声が、そんな苛立ちの声のように聞こえた。
そして超個体が、奮戦する騎士の方へと走り出す。
まるで、この俺が直々に始末してやる、と言わんばかりに。
ここだ! とバッテナムは思った。
これこそ待ちわびていた好機、あの超個体を討ち取るならここで動くべきだ――そんな思いに突き動かされ、バッテナムは叫んでいた。
「全軍突撃!」
「ウオーッ!」
傭兵たちが叫び声を上げ、レーダン隊が一気に前に出る。
バッテナムは女帝の忠実な騎士である。
与えられた任務こそが最優先であり、これまではずっとそれを考えながら、打算で行動してきた。
しかしこのとき彼を突き動かしたのは打算ではなかった。
バッテナムは女帝の忠実な騎士であるが、一人の男であり戦士でもあったのだ。
こちらの危機を救おうと、単騎で魔獣の群れに突撃した騎士を見て、奮い立たない戦士はいない。
それは傭兵たちも同じだった。
それでなくても彼らは鬱憤がたまっていた。
これまで一方的にファイグスの攻撃にさらされながら、耐えるだけだったのだ。
この状況がもう少し続いていれば、我慢も限界を迎え、逃げ出す者が出ただろう。
だが、その前にあの騎士が火を点けた。
たまりにたまっていた鬱憤は、逃走ではなく、反撃となって爆発したのだ。
打算で動くはずの傭兵たちが、戦場の熱、あるいは狂気とも呼べるものにうかされ突き進んだ。
レーダン隊の正面には、依然、数十体のファイグスがいた。
迫るレーダン隊に向けて、そのファイグスたちが火を吐く。
これまでレーダン隊の前面には大盾を持つ傭兵たちが展開し、その火の玉を防いできた。
しかし反撃に転じた傭兵たちは、走るのに邪魔な大盾を捨てて突進していた。
無防備な傭兵たちに火の玉が命中し、たちまち十人以上の傭兵が悲鳴を上げて倒れるが、レーダン隊は止まらない。
傭兵たちは犠牲者を気にすることなく突き進み、ファイグスに斬りかかった。
「斬れ!」
「殺せ!」
叫び声とともに、傭兵たちの剣が振り下ろされる。
立ちはだかったファイグスは数十体。対するレーダン隊は数を減らしたとはいえ、まだ二百人以上いた。
最初の犠牲に怯まず肉薄すれば、数の差で押し切り、数人がかりで次々とファイグスを倒していく。
ここまではいい、とバッテナムは思った。
問題はこの先――彼の視線の先には超個体がいた。
勝敗はあれを倒せるかどうかで決まる。
「バルド!」
「おう!」
「いよいよお前の出番だ。やれるな?」
「任せろ!」
答えたバルドが、一人レーダン隊の中から飛び出し、超個体へと突進した。