第177話 意図せぬ挟撃(上)
また長くなってしまったので、上下に分けることにしました。
そろそろ限界か、とバッテナムは思った。
彼の率いるレーダン隊は、ファイグスの猛攻をよく耐えていた。傭兵で編成された部隊であることを考えれば、驚異的ともいえる。状況が不利なら、さっさと逃げ出すのが傭兵だからだ。
レーダン隊からも逃げようとした傭兵がいたが、バッテナムが問答無用で斬り捨てたため、他の傭兵たちがビビって逃げるのをやめたのだ。それでここまで持ったわけだが、それも限界が近い。
一方的にファイグスの火炎攻撃にさらされている状況では精神が持たない。次に逃げ出そうとする者が出れば、今度は止められないだろう。
他の部隊も指揮できれば、とバッテナムは思った。そうすれば逆転の可能性がある。
島の北で発生した戦闘は、規模を拡大しつつ続いていた。
最初はレーダン隊とファイグスの群れとの遭遇から始まった。簡単に蹴散らせるだろうと思っていたのに、ファイグスの数はどんどん増えて、レーダン隊はその場から動けなくなった。
そこへ後続の部隊が次々と到着した。
これで逆転できるかとバッテナムは期待したのだが、そうはいかなかった。
それぞれの部隊は、公爵家の兄弟が別々に雇った傭兵部隊だ。敵同士でもあり、横の連携など存在しない。結果、どの部隊も前に出るのを恐れ、ファイグスに攻撃されるがままになっている。
もしバッテナムが全部隊の指揮を執っていれば、どこか一つの部隊を突出させただろう。その部隊はファイグスの集中攻撃を受けて壊滅するだろうが、その間に他の部隊がファイグスの群れに肉薄するのだ。
ファイグスは単体ならそこまで手強い魔獣ではないし、数はこちらの方が多いのだ。距離を詰めることさえできれば、逆転の可能性は十分あった。
だが現状でそれは無理だ。烏合の衆では、いくら数がいても勝てない。
あの船も忌々しい、とバッテナムは海の方を見る。
島の沖合には、一隻の船が浮かんでいた。ロレンツ公国の軍船だ。
あの船が沖合に現れた時、援軍が来た! と傭兵たちは喜び、バッテナムも期待した。だがそんな期待はあっさり裏切られた。
船は沖合に停泊したまま、動く気配を見せない。
考えてみればわかることだった。火を吐くファイグスと船の相性は最悪だ。下手に近づけば燃やされて終わりだから、ああやって距離を取るしかない――というのは頭でわかっても、納得するのは難しい。
こちらが必死に戦っているのに、高みの見物を決め込まれては、恨むなというのが無理だろう。
もういいか、とバッテナムは思った。
このまま戦い続けても負けは見えている。だから手遅れになる前に逃げ出すのだ。
バッテナムにとって大事なのは、ともにバチニア公国から送り込まれてきた仲間だけだ。だから逃げ出すときは、全員そろって素早く逃げ出す。いざという時に備えて、退却の合図を決めておいてよかった。
バッテナムたちが逃げ出せば、一瞬でレーダン隊は崩壊するだろうが、他の傭兵たちがどうなろうと知ったことではない。
そしてレーダン隊が崩壊すれば、他の部隊もあっという間に崩壊するだろう。
先頭にいるレーダン隊が必死に踏みとどまっているから、他の部隊もどうにか踏みとどまっているのだ。それが崩れれば全体が崩壊する。だがそれも知ったことではない。
バッテナムが女帝ベリンダから受けた命令は、大会に勝ってレーダンを後継者にすることだ。そのためならば命もかける。だが勝ち目のない状況で戦って死ぬことまでは求められていない。
女帝のためならば命も惜しまぬバッテナムだったが、ここで死んでも無駄死にである。だったら生き延びること優先だった。
そうと決めれば行動に移すだけ、と思ったバッテナムだったが、そこで敵が妙な動きをしていることに気付いた。
群れの数が減っている?
気のせいかと思ったが、数十体のファイグスがどこか別のところへ向かうのが見えた。
単体の魔獣は、単純に目の前の獲物に襲いかかるだけだが、超個体に率いられた群れは集団として動くことがある。群れの一部を動かし、目の前の敵ではなく別の敵にぶつけるとか。
だが、その別の敵がどこにいる?
すべての部隊がここにそろっているはず、と思ったバッテナムだったが、すぐにまだ別の部隊がいることを思い出した。
南回りの別動隊だ。
バッテナムはその必要性を認めなかったが、他の部隊はみな、北回りの主力部隊とは別に、南回りの別動隊を出していたはずだ。
その別動隊が本体を助けに来たのか、それとも何も知らずに北上してきてファイグスの群れに見つかったのか、
いずれにしろ敵はそれに反応したに違いない。群れの一部が移動したので、こちらに対する圧力が減った。
ここが好機だ! とバッテナムは思った。
人間の軍勢だろうが、魔獣の群れだろうが、大きく動けば陣形が崩れる。
ファイグスの群れはこちらを包囲するように陣取っていたが、一部が移動したことで、その包囲に穴が空いたのだ。
「どこでもいい、動け!」
バッテナムが念じるように叫んだ。
他力本願になるが仕方ない。超個体と向き合うレーダン隊は動けないのだ。
すると彼の声が届いたわけではないだろうが、一つの部隊が動いた。
「よしっ!」
どこの部隊かわからないが、これで勝ち目が出てきたとバッテナムは思った。
動いたのは長女のシンシアに雇われた傭兵部隊――シンシア隊とする――だった。
シンシアが雇ったといっても、金を出したのは夫のパーミル伯爵だったが。
部隊を指揮するのはダルデンという傭兵だった。年は四十後半。ひげ面の大男で、どう見ても山賊にしか見えない。
このダルデンとパーミル伯爵は昔からの付き合いだった。
魔獣退治や盗賊退治などで、伯爵は何度も彼を雇っている。
ダルデンはよくいえば豪放磊落、悪くいえば下品な礼儀知らずだった。こういうタイプの傭兵は貴族から嫌われるのが常だが、武人気質のパーミル伯爵とは通じるところがあったのか、なぜか気が合った。
ちなみに長女のシンシアは武術とか戦いとか、そういうものを野蛮と嫌っていた。だからパーミル伯爵との結婚は上手くいかないのではないかと思われていたのだが、いざ結婚してみると、二人は仲むつまじいおしどり夫婦となった。こちらは全然違う者同士だから上手くいったのだろうか。
それはともかく、今回もダルデンはパーミル伯爵に雇われて大会に参加した。彼が率いるシンシア隊も傭兵部隊だが、メンバーは顔見知りがほとんどだ。彼らが金のために戦うのは変わりないが、金だけの付き合いというわけでもなかった。
ダルデンの目的は島からシーベルの剣を持ち帰ることだったが、もう一つ別の依頼も受けていた。
「参加者の一人であるレン・オーバンスを殺してくれ」
というものだった。
どうやらシンシアが大恥をかかされたとかで、許しておけないらしい。
ダルデンはその話に乗り気ではなかった。
二兎を追う者は一兎をも得ず――というのは彼の経験からいっても正しい言葉だった。どちらが優先かはっきりしてくれればいいのだが、
「どっちも優先で頼む」
とパーミル伯爵に言われてしまった。
伯爵自身はレンのことなどどうでもいいと思っているようだったが、妻のシンシアに押し切られてしまったのだろう。
ここは助けてやるか、とダルデンが思ったのは、これまでの付き合いがあったからだ。また同じ男同士、妻に詰め寄られ困っているであろうパーミル伯爵を助けてやろう、という思いもあった。もちろん特別報酬ははずんでもらったが。
標的は見知らぬ男だったが、それを殺すことにためらいはなかった。それが小さな子供とかならさすがにためらうが、それ以外なら殺し、殺されるのが日常の傭兵たちは気にしない。
標的が別の国の貴族というのは気になった、そこはパーミル伯爵が大丈夫だと保証してくれた。元より危険を承知で大会に参加するのだから、他の参加者に殺されても文句は言えない。
さて、あっちは上手くいっただろうかとダルデンは思った。
相手は少人数だし、待ち伏せして確実に殺せと命じたから大丈夫とは思うが……それよりこっちの方が大丈夫ではなかった。
ファイグスの数が異常に多いのだ。その猛攻を受け、彼が率いるシンシア隊も完全に足を止められてしまった。
さてどうすべきか、と考えていたところに敵が動いた。群れの一部がどこかへ移動し始めたのだ。それにともなって敵の攻撃が明らかに弱くなる。
「今だ! 反撃に出るぞ」
どこの部隊も、他の部隊の様子を見ているような状況で、ダルデンが真っ先に動いたのは彼の心情が影響していた。
生き残ることが第一なのはダルデンも同じだったが、彼にはどうにかパーミル伯爵を勝たしてやりたいという気持ちがあったのだ。
普通に考えてパーミル伯爵がロレンツ公爵家を継ぐ可能性はない。だがこの大会に勝てれば、それが実現する。これまでの付き合いがあるし、彼が実質的な公爵となれば――立場上は妻のシンシアが公爵となりパーミル伯爵はあくまでその夫だ――もっと大きな仕事も回ってくるだろう。
心情と利益の両面で、勝ちたいという思いがダルデンの背中を押したのだ。
「攻撃が弱まったぞ。一気に進め!」
ダルデンの号令一下、シンシア隊が動き出す。
部隊にはダルデンとの付き合いが長い傭兵たちがいて、彼らは個人的にダルデンを信頼していた。
この人について行ったら勝ち馬に乗れる、という思いが彼らを動かし、そんな思いは他の傭兵たちにも伝播していた。寄せ集めの傭兵部隊と比べると、シンシア隊にはそれなりのまとまりがあったのだ。
盾を構えた傭兵を前面にして、シンシア隊は正面のファイグスの群れへと突撃した。
ファイグスの反応は鈍い。群れの一部を動かしたため、動きが乱れていた。
さっきまでなら突出した部隊は集中攻撃を受けただろうが、飛んでくる火の玉は散発的で、シンシア隊の動きは止まらない。
何人かの負傷者は出たが、シンシア隊はファイグスの群れに斬り込んだ。
ファイグスは接近戦に弱い。もちろん普通の獣と比べれば危険度は段違いだ。超回復はあるし、丸腰の人間が一対一で勝てる相手ではない。
だがハウンドなどと比べれば動きは遅いし力も弱い。ハウンドは武装した兵士三人と互角とも言われるが、ファイグスなら三人いればまず勝てる。
「ぶち殺せ!」
これまで一方的に攻撃されていた鬱憤を晴らすように、雄叫びを上げた傭兵たちがファイグスに斬りかかる。
不用意に近付いて反撃される者もいる。
のど笛にかみつかれ血しぶきを上げる者や、手を食いちぎられて悲鳴を上げる者もいるが、全体で見ればシンシア隊が優勢だった。
二、三人でファイグスに斬りかかり、何度も剣を振り下ろす。
超回復を持つ魔獣は、徹底的に殺しておかねばならない。
だから剣で斬って、斬って、斬って、原形をとどめない状態まで斬りまくる。これまで一方的に痛めつけられた恨みもこもっていた。
シンシア隊の動きに他の部隊も反応する。
後に続けとばかりに、他の部隊もファイグスの群れへの攻撃を開始した。
火の玉を受けて多少の負傷者が出ても、構わず前へ進んで肉弾戦へなだれ込んだ。
「いいぞ!」
戦況を見ていたバッテナムがうれしそうに叫ぶ。
追い詰められていた部隊が、全面的な反撃に転じたのだ。こういう場合は強い。
不利な状況に追い詰められて恐怖した人間は、普通はそこから逃げ出す。
だがまれに反撃に出る場合がある。逃げ場がなくなった場合などがわかりやすいが、そういう人間のやけくそな勢いというのは侮れない。
今の傭兵たちがそれで、彼らは恐怖によって攻撃的になっているのだ。
これで勢いは完全に逆転した。このまま一気にファイグスの群れを倒してしまえと思うバッテナムだったが、敵にはまだ切り札と呼べる存在がいた。
巨大な炎が戦場を横切り、十数人の傭兵がそれに巻き込まれ悲鳴を上げる。
衣服に火がついた傭兵たちは、地面を転げ回って火を消そうとするが、火は中々消えてくれない。
炎に襲われたのは、次男のシャリオスが雇った傭兵部隊――シャリオス隊とする――だった。彼らもまた、他の部隊に呼応するように前に出たのだが、そこをカウンター気味に攻撃されたのだ。防御できる態勢になかったため、被害が拡大した。
「やっぱり最後はこいつか」
バッテナムの言うこいつとは、ファイグスの群れを率いる超個体だった。
シャリオス隊を襲った火炎攻撃は、超個体によるものだった。
これまで何度かレーダン隊に向かって火を吐いただけで、後は悠然と構えているように見えた超個体が動き出した。