第176話 数の差
島の西海岸を北上し、北から来るであろう他の部隊と合流、サーペントについて説明してそのまま一緒に洞窟の入り口まで戻る――というのがレンのプランだった。
祠が破壊され、剣も行方不明では大会は中止するしかないだろう。
というわけで北に向かって進み始めたレンたちだったが、しばらくしてから十体ほどのファイグスの群れに襲われることとなった。
そういえば島にはこいつらもいたんだ、とレンは思い出す。
サーペントを見た衝撃が大きすぎて、島にいるファイグスのことをすっかり忘れていた。
ファイグスは聞いていた通りの魔獣だった。赤と黄色のまだら模様で、見た目は狐っぽく、大きさは中型犬ぐらいだ。
「カエデ」
「はーい!」
と答えたカエデが一人で飛び出していく。
さっきのサーペントを怖がっていたのは例外で、これが本来のカエデだ。
ファイグスについては、事前に戦い方を聞いていた。まずは相手に火を吐かせ、それを防いでから反撃に出るべきだ、と。
しかしレンはその方法をとらなかった。カエデならば、受け身にならずともファイグスを倒せると思ったからだ。
一人で突撃して好き勝手に暴れまわるというのが、カエデの実力が最も発揮される戦い方だ。受け身に回ってしまえば、彼女の強みが失われてしまう。
ガー太に乗ったレンは、弓を構えて援護に回る。
ファイグスは火を吐いた後にスキができると聞いていたが、その動きを観察したレンは、他にもスキがあることに気付いた。
ファイグスは火を吐いた後だけでなく、火を吐く前にも動きを止める。
動きを止めて狙いを定め、大きく息を吸うようにしてから火を吐くのだ。
火を吐いた後のスキと比べれば、とても短いスキだ。普通の人間なら、そんなスキを突くのは難しかっただろうが、今のレンはそれを狙うことができた。
一体のファイグスがカエデを狙い、火を吐こうと動きを止めたところを、レンは狙い撃つ。
ダークエルフ製の強弓から放たれた矢は、一直線に飛んでファイグスの体を射抜いた。
普通の弓なら、ファイグスは歯牙にもかけなかっただろう。矢が一本や二本当たったところで魔獣はひるみもしない。
だが矢を受けたファイグスは体勢を崩した。レンの弓の一撃は、それだけの威力を持っている。
それでも致命傷ではない。レンが使用したのは魔獣ハウンドの素材を練りこんだ魔矢だったが、ファイグスは特に苦しむ様子を見せなかった。
魔獣の体内に、違う魔獣から作った矢が突き刺さると、拒絶反応が起きるのか、超回復を阻害して魔獣が苦しみ出す。
だがこれには相性があって、魔獣の組み合わせで効果がまるで違う。
今回は互いの相性がいいというべきか悪いというべきか、ハウンドの魔矢ではファイグスに拒絶反応は起きないようだ。
だからレンの矢は相手の体勢を崩しただけで、しかし援護としてはそれで十分だった。
カエデが斬り込んだからだ。
矢を受けたファイグスを、カエデの剣が真っ二つにする。
そんなカエデを狙い、二体のファイグスがほぼ同時に火を吐こうとしたが、その片方、カエデから見て右側にいたファイグスを、レンの矢が射抜いた。
これを見たカエデは、無傷の左の方へ斬りかかる。
ファイグスが火を吐いた。
カエデは足を止めず、正面から向かってきた火の玉を、体をひねるようにして最小限の動きで回避。
火を吐いたファイグスはしばらく動きを止めるが、カエデはそこを狙い、これまた一撃で真っ二つにする。
このようにカエデが前に出て戦い、レンがそれを弓で援護するやり方は非常に上手くいった。
カエデに向かって火を吐こうとするファイグスがいれば、それをレンが弓で妨害し、カエデが斬りかかって倒していく。
たまに妨害が間に合わず火の玉を吐かれても、カエデはそれを危なげなく回避して反撃する。
火の玉を盾で受け止めてから反撃するのではなく、かわして反撃するのだ。
ファイグスは火という強力な武器を持っていたが、その武器を持ったことで動きが読みやすくなっていた。
単純に飛びかかってくるハウンドのような魔獣より、こちらの方が戦いやすいとレンは思った。
戦闘は、それほど時間もかからず終結した。
襲ってきた十体ほどのファイグスは全て倒し、カエデは傷一つ負わなかった。
「これならまた出てきても問題なさそうだね。先を急ごう」
北からは、まだ他の部隊は現れない。
おそらくどこかでファイグスの群れと戦い、足止めを食らったのだと思った。このまま北へ進めば、再びファイグスの群れとぶつかるかもしれないが、今の戦いから考えて、問題なく対処できるだろう。
安全策を取るなら、来た道を引き返した方がいいかもしれないが、それより今はサーペントのことを優先すべきだと判断した。
一刻も早く味方と合流し、サーペントのことを伝えなければと思ったレンは、このまま北へ進むことにする。
カエデや、他のダークエルフたちからも異論は出なかった。
今はもう一人、サーペントに襲われた部隊の唯一の生存者である、ニーデルという男が一緒にいたが、彼は全てお任せといった感じで、何も言ってこなかった。
こうして再び出発したレンたちだったが、すぐにまたファイグスの群れに襲われることになった。
「また魔獣が来ます。気を付けて」
姿は見えないが、気配を感じたレンが警告する。カエデもすでに気付いているようで、腰の双剣を抜いた。
レンたちが今いる場所は、海岸から少し内陸に入ったところだった。
またあのサーペントが現れる危険もあったので、海のすぐそばを進むのはやめたのだ。
進行方向の左側が海で、右側は林になっていたが、その林の方から魔獣が近づいてくる。数はさっきと同じ十体ほどか。
「カエデ、また頼むよ」
戦い方もさっきと同じでいけるだろう、とレンは思った。
カエデに前に出てもらって、レンが弓で援護する。
林から出てきたのはやはりファイグスで、カエデがそちらに向かって駆け出す。レンは弓に矢をつがえ――とここまでは同じだったが、そこからの展開が違った。
「新手か……」
レンが思わずつぶやく。最初のファイグスの群れに続いて、別の魔獣の気配を感知したのだ。しかも最初よりも数が多いような気がする。二十体か、三十体ぐらいいそうだ。
「まだ来ます! 気を付けて」
後ろのシャドウズたちに警告しつつ、これはさっきみたいに楽勝とはいかないかも、と思った。
単純に考えて、数が増えればそれだけ苦戦するだろう。とはいえ、そこまで深刻に考えてもいない。数が増えても相手はファイグス、対処は可能だろう、と。
とにかく数を減らすことだ、とレンは思った。新手が来る前に、最初の十体ほどを全滅させてしまえば後が楽になる、と思いながら矢を放つ。
だがそう上手くはいかなかった。
カエデが何体か倒したところで、新手のファイグスが現れ始めた。
数が増えてもやることは変わらない。カエデが前に出て戦い、レンが後ろから援護する。そうやって一体ずつ倒していけば、勝てるはずだ。
火を吐こうとしていたファイグスをレンの矢が射抜き、それをカエデが切り伏せる。
これでまた一体!
この調子でいけば――と思ったレンだったが、ファイグスの数が増えるにつれ、戦いの様相が変わり始めた。
簡単にいえば、手が足りなくなってきたのだ。
これまでは敵のスキを見逃さす、的確に矢を射てきたレンだったが、一度に狙えるのは一体だけだ。二体も三体もが、ほぼ同時に火を吐こうとすれば、邪魔できるのはその中の一体だけで、後はどうすることもできない。
カエデの方も、徐々に敵に押され始めていた。
飛んでくる火の玉が一発だけなら、カエデは余裕で回避できる。ファイグスの火の玉は矢を越える速度で飛んでくるが、彼女の動体視力はそれを見切っていた。
だが同時に二発三発となると簡単にはいかない。しかも火の玉は前からだけでなく、前後左右、あらゆる方向から飛んでくる。ファイグスは同士討ちなどお構いなしに火を吐くからだ。仲間の火の玉が当たったファイグスもいるが、全くダメージを受けた様子がない。
こうなってはいくらカエデでも回避を優先せざるを得ない。
レンもそんなカエデをどうにか援護しようとするのだが、
「まだ増えるの!?」
ファイグスの数がどんどん増えている。
もう何十体いるのかもよくわからない。もしかしたら百体を超えているかもしれない。
どこからこれだけの数が!?
さすがにレンもあせり始めていた。事前の話では、ファイグスの群れは多くても百体を超えないと聞いていたのに、数が多すぎる。
しかもまだ姿を見ていないが、この群れを率いる超個体もいるはずなのだ。
もしかして北回りの部隊も、このファイグスの予想外の大群とぶつかったのか。
島の北を回ってくるのは、公爵家の兄弟姉妹が雇った主力部隊だ。全員あわせれば千人近いので、例えファイグスが百体の群れでも鎧袖一触、のはずだったのに、敵はなぜだかわからないが予想以上の大群だった。
どれだけいるかわからないが、少なくとも簡単に倒せる数ではなかったのだろう。しかも超個体だっている。群れの数が増えれば増えるほど、超個体も強力だ。
苦戦しているのか、最悪、すでに壊滅している可能性もあった。
敵の規模がわからないし、一度後ろに下がりたいけど……
しかしそれが容易ではない。なにしろ、
「うわっと」
レンが身をかがめた上を、火の玉が通り過ぎていく。
最初、ファイグスの群れはカエデを集中攻撃していたが、数が増えるにつれて、後ろにいたレンにも攻撃してくるようになった。
数が増えて、それだけ敵の手数が増したのだ。
飛んでくる火の玉は、ガー太がひょいっと動いてよけたり、上に乗っているレンが動いてよけたり。そうやって体勢を崩しつつも、矢を放って反撃する。もはや騎射というより曲芸のようだが、狙いはしっかりしていて、ほとんど外すことはない。
ガー太に乗ったレンは驚異的なバランス感覚を発揮して、どんな体勢でも、安定して矢を射ることができた。
こんな状況で後ろに下がろうとすれば、そこを狙い撃ちされるのは明らかだ。あまりにリスクが大きすぎる。
それでもレンとカエデだけならおそらく逃げられる。シャドウズの三人とニーデルを見捨てさえすれば。
もちろんレンにそんなつもりはなかった。だが、まるで彼の思考を読んだかのようにジョルスが提案してきた。
「領主様! 我々も前に出ます」
「出るっていっても……」
戦闘開始以来、シャドウズの三人とニーデルは、レンよりもさらに後ろにいて、まったく戦いに参加していない。
この状況ではできることがないからだ。
三人が並みの兵士よりはるかに腕がたつのは確かだが、カエデと同じマネはできないだろう。前に出たところで、すぐに集中砲火を受けて倒されるのは目に見えている。
「それでもオトリぐらいにはなれます。我々が時間を稼ぎますから、その間に領主様は態勢を立て直して――」
「ダメだって!」
即座に却下する。
確かにそれをやれば勝てるかもしれないが、彼らを犠牲にするのはごめんだった。
「しかしこのままでは押し切られてしまうのでは?」
「まだ負けたわけじゃ、ないよ!」
火の玉を回避しつつ、弓で反撃しつつ、言葉を返す。非常に忙しい。
それでもレンも傷一つ負っていないし、カエデは戦い続けている。状況は互角なのだ。
とはいえ、このまま戦い続けて勝てるかと言われると厳しい。ファイグスの増援は止まったようだが、これで打ち止めかどうかわからない。カエデの体力だって無尽蔵ではない。疲れてくれば動きが鈍るだろう。
その前に、何とか打開策を考えねば、とレンは思った。