第170話 焼け野原
最初に予期せぬ待ち伏せにあったものの、そこからの歩みは順調だった。
レンがガー太に乗ったため、一行のペースは一気に上がり、島の東の海岸沿いを快調に進む。
途中、三回ほど人間の集団を追い抜いた。
どの陣営の傭兵たちかはわからないが、いずれにしろ優勝を争う競争相手だ。三回とも、少し山側に入って迂回しつつ、気付かれないように追い抜いた。
他の陣営は北回りを選び、南回りは選ばないのでないか、とレンは予想していたのだが、ちょっと考えが甘かったようだ。
どうやらどの陣営も、部隊を二つにわけ、北と南の両方向から祠を目指しているようだ。考えてみれば当然か。人数が多いなら、どちらか一方に縛る必要はない。レンたちは人数が少ないので無理というだけだ。
ただ予想は完全に外れてもいない。
これまで追い抜いた集団は、どれも十人から二十人ぐらいだった。おそらく本隊は距離の短い北回りを進み、南回りを進んでいるのは別働隊、ということだろう。
今のところ、魔獣は現れないし、人間同士の戦いも目撃していない。
各集団とも、適度な距離を保って進んでいるようで、これは近付きすぎて戦闘になったりするのを避けるためと思われた。
最初に戦ってつぶし合ってしまえば、他の陣営を利するだけになってしまうから、どの陣営も様子見なのだろう。
最初にレンたちが攻撃されたのは例外で、やはり本番はどこかの陣営が剣を手に入れてから、ということになりそうだ。
ずっと海岸沿いを南に下っていたレンたちだったが、やっと島の南の端まで到達する。頭の中に島の地図を描けば、半分以上進んだことになる。
だがそこでレンたちはしばらく足を止めることになった。
島の南端は海岸近くまで林が広がっていたのだが、今はそこがひらけた場所になっていた。
「これは……」
レンの前に広がっていたのは焼け野原だった。
林だった場所が無残に焼け落ちている。まるで山火事でもあったように。
「領主様、あれを」
シャドウズの一人が指差す先には、動物の死体が一つ転がっていた。
死体はズタズタに切り裂かれた状態だったが、体の毛が赤と黄色のまだら模様なのはわかった。大きさは大型犬ぐらいだろうか。形状からして、島にいると聞いていた魔獣、ファイグスに違いないだろう。
ファイグスは火を吐くと聞いていた。すると、この焼け野原もファイグスがやったのだろうか?
「あっちにもありますね」
ファイグスの死体は一体だけではなかった。少し探しただけで、数体の死体が見つかる。
「誰かが、ここでファイグスと戦ったのかな?」
「状況から見て、おそらくそうだと思います」
レンの問いにジョルスが答える。
「ただ何と戦ったのか……」
他の大会参加者たちと戦った、というのが一番わかりやすい答えだったが、
「さっきまで燃えてたって感じじゃないよね?」
火は完全に鎮火していた。少なくともここが燃えたのは今日ではないだろう。だがそんなに前にも見えない。ここ数日ぐらいだろうか。レンは火事の専門家ではないので断定はできないが。
今日ではないとすると、誰かがズルして大会前に兵士を送り込んだとか?
大会が決まってから、島の周囲に船が近寄ることも禁止されていたようだが、こっそり隠れて上陸させるのは不可能ではないだろう。
だがそんなズルをする必要があるのだろうか? ばれたときのリスクが大きすぎる気がした。
他にも気になることがある。
死体だ。ファイグスの死体はあっても、他の死体がない。これは証拠を残さないために、回収したのかもしれないが。
そして現場の破壊状況。木々が燃えたのはファイグスの仕業としても、破壊の跡はそれだけではない。大きく地面がえぐれていたり、根本からへし折れた木があったり。
「これ、全部ファイグスがやったんでしょうか?」
「わかりません。しかし事前の情報では、ファイグスという魔獣には、ここまでの力はないと思うのですが……」
少し自信なさげにジョルスが答える。
「もしかしたら群れを率いる超個体の力かもしれません。だとしたら恐るべき力です」
もしこの破壊の跡がファイグスによるものなら、ジョルスの言うように恐るべき相手といえる。
「対処しやすい魔獣って聞いてたんだけどなあ……」
とにかくここで激しい戦いがあったのは間違いない。何か想定外のことが起こっているようだった。
レンの考えた通り、大会に参加したほとんどの陣営が、島に上陸してから部隊を二つに分けていた。
本隊は距離が近い北回りの海岸沿いを進み、念のため、南回りで別働隊を送っておく。いくつかの陣営は、島の中央を突っ切るルートにも別働隊を送り込んでいた。
そんな中、あえて部隊を分けずに一かたまりで進む集団がいた。
一つはレンたちだ。こちらは単純に分割するだけの人数がいなかった。
もう一つは、長男のレーダンが雇った集団だった。
彼ら――レーダン隊を率いているのは、バッテナムという男だった。年は三十八才。迫力ある顔付きに、ガッシリした体付き、いかにも歴戦の傭兵という風情だったが、カンのいい者なら気付いただろう。
どこか傭兵とは違うな、と。
この時代の傭兵は、盗賊まがいのことも平気で行うような連中だ。長く傭兵をやっていれば、自然とそういうすさんだ空気を身にまとうようになるのだが、バッテナムは少し違っていた。
力強いが、荒れていないというか、行動の端々に、ビシッとした規律を感じさせるのだ。
実際、彼は傭兵ではなかった。隣国バチニア公国に仕える立派な騎士である。
今回はそんな身分を偽り、傭兵としてレーダンに雇われていた。バッテナムという名前も偽名である。
全てはバチニア公国の女帝、ベリンダの命令だった。実質的にバチニアを統治する彼女は、今までレーダンを取り込もうと、影で様々な活動を行ってきた。無論、ただの好意からではない。レーダンがロレンツ公国の当主となったときに影響力を行使するためだった。
だから今回も、当然のごとく援助を行った。大会でレーダンが負けたりしたら、これまでやってきたことが全て無駄になってしまう。
レーダンを大会で優勝させるために、送り込まれてきたのバッテナムだった。彼はバチニア公国でも名の知られた騎士でありながら、これまでロレンツ公国には一度も来たことがないし、この国に知人もいない。まさにうってつけの人材だった。
騎士というのは、己の名前を上げるために戦うものだ。
だが今回の任務は偽名での参加であり、それが上手くいったところでバッテナムの正体が知られることはない。
こういう裏方の任務を騎士は嫌がる。自分の名誉にならないからだ。
だがバッテナムに不満はなかった。彼は女帝に心酔していたからだ。
美貌と知謀を兼ね備え、見事な手腕でバチニアを統治する女帝は、多くの者たちに慕われていた。バッテナムもその一人だったのだ。
彼女の命令とあれば、バッテナムは裏方の仕事であっても、全力で取り組むつもりだった。
今回、バチニアからは彼の他に十四名の騎士が送り込まれていた。いずれもバッテナムが選んだ有能な騎士ばかり。しかも彼と同じく、全員が女帝に忠誠を誓っており士気も高い。
レーダン隊は全部で三百人近くになる。バッテナムたち以外は全員が傭兵で、そこに彼ら十五名が加わっても、割合としては低い。
だがバッテナムがレーダン隊の隊長となり、隊の要となる小隊長に彼の部下を配置したことで、レーダン隊は大きく変わった。
傭兵が三百人集まっただけでは、それは単なる集団、烏合の衆だ。
だがそこにリーダーがいて、要所要所に信頼できる小隊長がいるなら、烏合の衆は一つの指揮系統で動く軍団となる。
集団戦となったとき、それが単なる三百人の集まりと、統率された三百人の軍団では、戦闘力に圧倒的な差が生じる。
だからバッテナムは自信を持っていた。
他の陣営もそれなりの人数は揃えていたが、まとまりのない傭兵など、いくら集まったところで敵ではない。
行動にもその考えが反映された。
バッテナムの計画はいたってシンプルだった。
全員そろって海岸を北回りに進み、まずは魔獣の群れを撃破。その後、祠に到着して剣を入手。邪魔してくるであろう他の集団を撃破して帰還する、というものだ。
別働隊など必要ない。まっすぐ行ってまっすぐ帰る。それだけだ。
「作戦は単純なほどいい。単純な作戦で勝ち目がないなら、戦わない方がいい」
というのが、これまでの実戦でバッテナムが学んできたことだった
勝敗は戦いが始まる前に決まっている、といわれる。事前の準備こそが大事というわけだが、彼はそれを経験として知っていたのだ。
戦場での活躍こそが一番大事、と考える騎士が多い中、バッテナムの考え方は異端だった。だがそんな彼を女帝は重用し、彼もその期待に応えるべく努力していた。
「隊長! ファイグスが出ました!」
先頭を進む兵士からの報告が届く。
「来たか」
とつぶやいたバッテナムは、すぐに戦闘準備を命じる。
各陣営とも、北回りで本隊を進めていたが、その中でも先頭を進んでいたのがレーダン隊だ。だから最初に魔獣と遭遇するのは、彼らということになる。
すでに島の北端を越えていたので、そろそろだろうと思っていたところだ。
ここまでは予定通り――バッテナムに不安はなかった。
「盾を前に出せ!」
大型の盾を持った傭兵たちが、部隊の前に出る。
ファイグスはバチニア公国でもよく出没する魔獣だ。おかげでその対処方法も知れ渡っている。バッテナムも何度か戦った経験がある。
ファイグスの最大の武器は、口から吐く火だ。戦う場合は、それを盾で防ぎつつ前進、ある程度まで近付いたところで攻撃に移る。火を吐いた後、ファイグスはしばらく動きを止める。そこを狙うのだ。
魔獣相手に油断は禁物だが、勝てない相手ではない。
部隊の左前方、山側の林の中から狐のような魔獣が姿を見せる。ただし普通の狐よりかなり大きい。そして特徴的な赤と黄色のまだら模様。間違いなくファイグスだ。
「二十体ほどか……」
予想されていた魔獣の数は全部で数十体。百体はいないだろうが、目の前の二十体の他にまだいるかもしれない。群れを率いる超個体もいるはずだ。それが出てくる前に、可能な限り数を減らしておくべきだろう。
「前へ進め!」
バッテナムの号令に従い、レーダン隊が動き出すが、その動きは遅い。部隊の先頭の傭兵たちは、大型の盾を構えているからだ。これではスピードは出ない。
「ギョアーー!」
ファイグスが耳障りな鳴き声上げたかと思うと、口を大きく開けて息を吸い込み、それを吐き出す。息ではなく燃える火の玉として。
その火の玉は人の頭ほどあった。それが矢を越えるような速度で飛んでくる。
ほぼまっすぐな軌道で飛来した火の玉は、傭兵たちが構えた盾に当たり、次々とはじけて爆発した。