第169話 合流
後継者の島は、ハーベンの街の沖合に浮かぶ小島だった。
一日あれば、徒歩でもぐるりと一周できるぐらいの広さしかない。
岬からの洞窟の出口は、島の北東にあった。目的のシーベルの剣は、島の西、海の近くの祠に収められている。小島とはいえ、ほぼ反対側なので、そこまで行くにはそれなりの時間がかかる。
レンたちは最後のあたりに上陸したが、出口付近には、ほとんど人が残っていなかった。みんな、さっさと祠に向かって出発したのだろう。
レンたちもすぐに出発することにする。
祠までの道は、大きく分けて三つあった。まっすぐ島の中を突っ切る、海岸沿いを北回り、その逆の海岸沿いを南回り。
もう一つ、ここで剣を持って帰ってくる者を待ち伏せる、という手もあったが、それはやめておいた。目的のシーベルの剣がどんな剣なのか、レンは知らない。
サーリアにも訊いてみたのだが、
「わらわも知らん。あの剣を実際に見たのは代々の当主のみ。つまり、今知っているのは父上だけじゃ。そして父上は、持ち帰った剣を判定すると言うのみで、形も何も教えてはくれぬ」
一目でそれとわかる目立つ剣ならいいが、普通の剣と見分けがつかないような物なら、待ち伏せてそれを奪おうとしても、どれを奪ったらいいかわからない。戻って来た者を皆殺しにするとかなら話は別だが、それはさすがに無理だろう。
だからレンたちも動かねばならなかった。
三つのルートのうち、どのルートを進むかは事前の話し合いで決めていた。
中央をまっすぐ横切るルートは、最初に候補から外した。最短距離なのはいいが、島の中央は小高い山になっていて、木々も生い茂っている。土地勘もないし、道に迷ったりしたらどうしようもない。
だったら海岸沿いだが、北回りと南回りで、距離が短いのは北回りだ。多分、このルートを選ぶ者が多いと思うが、島内には魔獣の群れがいる。魔獣はより多くの人間に向かって襲いかかるだろうから、こっちのルートを行った方が、魔獣とぶつかる可能性が高い。
だったら、と考えて南回りを選んだ。
一番理想的なのは、他の連中が魔獣と戦っている間に祠にたどり着き、そのまま剣を持ち帰ることだ。
ダークエルフたちはみな健脚だし、先行する者たちを追い抜くのも十分可能だろう。
生身のレンでは彼らのペースに付いていけないが、レンにはガー太がいる。
そのガー太だが、すでに近くに気配を感じていた。無事、島まで泳いで渡ってきてくれたようだ。
ガー太は泳ぎも得意なので、大丈夫だとは思っていたが安心する。
カンのようなものだろうか。いつの頃からか、レンはガー太がどこにいるか、なんとなくわかるようになった。それはガー太の方も同じだ。
このカンがあるから、レンはガー太との合流について、何も心配していなかった。こちらが歩いて進んでいれば、向こうから来てくれるだろう。
「じゃあ行こう」
レンの号令で五人が歩き出す。
今のレンはかなりの健脚だが、それでもダークエルフたちにはかなわない。ガー太と合流するまでは、レンのペースに合わせて歩くことになる。
洞窟周辺の地形は平坦で、海岸線も砂浜になっていたので歩きやすかった。だがしばらくすると岩場にぶつかった。これを迂回しようと、ちょっと山の方へ入ろうとしたのだが、
「待ってください」
先頭を歩いていたシャドウズの一人が、右手を上げて制止する。
「前の林に誰か潜んでいるようです」
「誰かってことは、魔獣じゃなくて?」
「はい。人間、それも複数です」
ここからはちょっと上り坂になっていて、その先が林になっている。なるほど、あの林は隠れて待ち伏せするにはいい場所に思えるが……
「カエデ」
「うん。あいつらを殺せばいいんだよね」
どうやらカエデも気配に気づいていたようだ。気づいていなかったのはレンだけのようだが、問題はそこではなく、
「逆だよ逆。いいって言うまで、動いちゃダメだからね」
「えー」
すでに腰の二本の剣に手をかけていたカエデが、不満そうに言う。
彼女に一人で突撃してもらって引っ掻き回してもらう、というのは有効な手に思えたが、相手の正体もわからぬまま、いきなり戦闘開始というのもまずいだろうと思った。
というわけで、まずはこちらから呼びかけてみる。
「すみませーん! そこにいる人たち、僕たちに何か用ですか!?」
呼びかけてみたが返事はない。ならばと思ってもう一度呼びかけてみるが同じ。
うーん、こりゃ本当にカエデに出てもらった方がいいかな――なんてレンが思い始めたところに動きがあった。
「カンのいいガキだな」
そんなことを言いながら、林の中から、一人の男が現れた。
「魔獣の群れを倒したっていうのも、ホラ話ってわけじゃなさそうだな」
男は鎧を身にまとい、手には剣を持っていた。大会参加者の傭兵だろう。
「カエデ、あいつの後ろに何人ぐらい隠れてるかわかる?」
「えっと、十人ぐらい? もっとかも」
最低でもこちらの倍以上はいるようだ。だからだろうか、男の声には余裕が感じられた。
「残念ながら、ここから先にお前らを通すわけにはいかない」
「僕らの邪魔だけしても、無意味だと思うけど?」
参加者はレンたちだけではない。他にもたくさんいるのだから。
「こっちにも事情があってな。お前らをここから通すわけにはいかん。おとなしく帰るっていうなら見逃してやってもいいが」
ここまで来て、はいそうですかと帰るわけがない。向こうもそれを承知の上で言っているのだろう。
「その事情っていうのを教えてもらえませんか? もしかしたら話し合いで――」
「話すつもりはない。さあ、どうするか決めてもらおうか」
どうやら話し合いは無駄のようだ。
向こうは高所に陣取っていて、弓使いも隠れていると考えて間違いないだろう。正面から行こうとすれば、レンはもちろんシャドウズだって危ない。
これはいよいよカエデに行ってもらうしかないのか? とレンが考え始めた時だった。
男の左後ろ、少し離れたところにあった茂みが、ガサガサと激しく揺れた。
男は素早く反応した。きっと隠れていた男の仲間も同じだっただろう。
この島には魔獣の群れがいる。それに備えておくのは当然だ。
だが茂みから飛び出してきたのは、男たちの予想を超えたものだった。
「ガーガー!?」
男が驚愕の声を上げる。
現れたのが魔獣や人間だったとしたら、男たちは素早く対応できていただろう。だがガーガーというのは、男たちの予想を越えていた。
なぜここにガーガーが? しかも臆病なガーガーが、なんでこっちに向かってくる?
疑問だらけで思わず動きを止めてしまった男に、そのガーガーはまっすぐ突っ込んでいき、
「クエーッ!」
飛び蹴りをぶちかまして、男を吹っ飛ばした。
「ガー太!」
とレンがうれしそうに叫べば、横にいたシャドウズたちも、おおッ! と歓声を上げる。カエデだけはムッとした顔をしていたが。
人間を恐れず、あまつさえ飛び蹴りをくらわすようなガーガーは、ガー太しかいないだろう。
最初の男を倒したガー太は、そのまま後ろの林の中へ飛び込んでいった。
しばらくの間、林の中からは「ガー」とか「クエー」とかいうガー太の鳴き声と、
「なんだこいつ!?」
「ぎゃああああ!」
といった男たちの叫びや悲鳴が聞こえてきたが、やがてそれも消えて静かになると、林の中から、何事もなかったかのようにガー太が出てきた。
「ガー太!」
とレンが呼びかけると、ガー太はトコトコと駆け寄ってきた。
「さすがガー太――うわっ、冷た!?」
ガー太を抱きとめたレンだったが、ガー太はビショビショに濡れていた。
「ガー!」
誰のせいだ、と不満そうにガー太が鳴く。
ガー太が濡れていたのは、海を泳いできたせいだ。
「ごめんごめん。ちゃんと泳いできてくれたんだよな。ありがとう、さすがガー太だ」
「ガー」
どうやら機嫌を直してくれたようだ。
レンの横ではシャドウズたちも、さすがはガー太様! とガー太のことをほめたたえていたが、
「ガー太だけずるい!」
とカエデが不満を口にした。
何がずるいのかと思ったレンだったが、すぐにカエデには勝手に動かないように言っていたのを思い出す。それなのに勝手に暴れまわったガー太をほめるというのは、なるほど、ちょっとずるいかもしれない。
「ごめん、ごめん」
とレンは謝ろうとしたのだが、
「ガー」
お前と一緒にしないでもらおうか、といった感じで、なんだか小馬鹿にするようにガー太が鳴いた。
これはカエデにも伝わったようで、
「むっ」
とカエデがガー太をにらみつけ、たちまち一人と一羽の間が険悪になる
「まあまあ、押さえて押さえて」
レンが両者の間に入って仲裁する。
「次はカエデに頑張ってもらうから。ね?」
それでどうにかカエデの機嫌を直してもらう。
ひとまずカエデが落ち着いてくれたので、レンたちは次の作業に取りかかった。
男たちの尋問である。
ガー太は待ち伏せしていた男たちを全員倒したが――全部で十五人いた――一人も殺していなかった。手や足の骨が折れていた者もいたが、それでもガー太は十分手加減していた。
何しろ巨大な魔獣を軽々と蹴り飛ばすような脚力である。
ガー太が本気で蹴れば、鎧の上からでも、人間なら余裕で即死だろう。
本当なら男たち全員の武器を取り上げ、動けないように拘束しておきたかったが、時間に余裕もない。全員、気絶しているか、痛みにうめいているか、とにかく、すぐに動けそうな者もいなかったので、このまま放置して進むことにする。
ただ何もわからないまま、というのも気持ちが悪いので、男たちの一人から情報を聞き出すことにした。
その男の名はガルツと言った。貧しい家に生まれ、食うために傭兵となった、そんなどこにでもいそうな傭兵だった。
ガルツはまだ混乱状態にあった。彼はそれなりの戦いを経験していたし、魔獣と戦った経験もあった。だが、さすがにガーガーと戦った経験はない。
しかも彼はドルカ教の信者だった。
ドルカ教には、
「ガーガーに害を与えるなかれ」
という教えがある。
それがガーガーに害を与えるどころか、ガーガーに蹴散らされてしまった。これをどう捉えればいいのか、彼の理解は追いついていなかった。
ショックを受けていたガルツは、レンの問いかけに素直に答えた。逆らう気力など残っていなかった。
「お、俺たちはシンシアに雇われてたんだ」
シンシア、あの長女の人かとレンは思い出す。
「それであんたたちを倒せば、特別報酬を出すからって言われて……」
洞窟に入る前、壇上から彼女がこっちをにらんでいた気がしたが、やっぱりあれは気のせいじゃなかったんだ。
それにしても、先にサーリアと話をしたというだけで、ここまで恨まれるものなのか……
レンは彼女が自分を敵視する理由を知らない。
貴族の醜聞などは、あっという間にうわさとなって広がるが、今回はまだ日数がたっておらず、サーリアが流したうわさは、まだ城外まで伝わっていなかった。そのためダークエルフたちの情報網にも引っかからず、シンシアがなぜレンを憎んでいるのか、その正確な理由を知る者はここにいなかった。
男から聞き出した情報によると、シンシアが雇った傭兵は百人以上いるそうだ。その内、十五人をここに配置して、レンたちを待ち伏せた。反対の北側の海岸沿いでも、同じように十五人が待ち伏せしているようだ。
どちらから行っても、戦いは不可避だったことになる。
魔獣を倒せば、次は人間同士の戦いを覚悟していたが、まさかいきなり人間たちに襲われるとは、レンも予想外だった。
だが待ち伏せはここだけで、この先にはいないようだ。
ガー太とも合流できたし、ここからペースを上げて、一気に巻き返そうと思った。
この話、本当は日曜の夜に上げる予定だったんですが、寝落ちというか、そのまま寝てしまって。
それを月曜、火曜の夜も繰り返してしまったという。
まあ睡眠は大事だよね、ということで……
遅れないようにがんばります。