第167話 リタの秘密
結局、レンはサーリアと組むことにした。
大会前日となった今日も、他の誰からも誘いは来なかったのだ。
レンが自分から売り込みに行けばよかったのかもしれないが、待っているうちに時間だけが過ぎてしまった。
後、昨日あたりからだろうか、なんだか城内ですれ違う人たちから、微妙な視線を向けられているような。敵意というほどではないか、決して好意的ではないような……。
一応、リタにも聞いてみたのだが、
「オーバンス様の気のせいではないでしょうか」
とさらりと言われてしまった。
気のせいではないと思うのだが……。
とにかく明日が大会という時点で他の話もなく、レンも決断するしかなかった。
他に誰か味方したい相手もいないし、サーリアの示してくれた条件も十分だし。目的はあくまでネリスを取り戻すことだから、これでよかったんだ――と自分を納得させておく。
サーリアの部屋を訪れたレンは、あらためて彼女に共闘を申し込んだ。
「ではレン殿。あらためてよろしく頼むぞ」
「ええ。こちらこそよろしくお願いします」
笑みと共に差し出された彼女の小さな手を、レンも握り返す。
これで契約は成立した。
条件をもう一度確認しておく。レンが剣を持ち帰ってくればネリスを引き渡す、という単純なものだったが、レンはそこにもう一つ付け加えた。
「これは条件というわけではなくて、お願いとして聞いてほしいんですが」
「なんじゃ?」
「僕は自分の領地で商売にも関わっていまして、もしサーリアさんが家督を継ぐか、あるいは誰かに家督を譲るなら、その商売に便宜をはかってほしいんです」
「どんな商売じゃ?」
「運送業です。街から街へ、安全確実に品物を運ぶような」
「ほう。それは中々面白そうじゃな」
「具体的な話は、この先またあらためてということで、覚えておいてもらえれば」
「うむ。心にとどめておこう」
レンの参加が決まったので、後は具体的な手順の確認となった。
「大会の勝者は、後継者の島からシーベルの剣を持ち帰った者じゃが、実際はちょっと違う。島まで続く洞窟の中での戦闘は禁止じゃ。島までは監視の兵士たちも同行する。彼らは洞窟の出口周辺で待機し、そこまで剣を持ち帰ってきた者が勝者じゃ」
洞窟での戦闘を禁止するのは、そこでの待ち伏せを防ぐためだ。そこを通るとわかっているのだから、狭い場所での待ち伏せが一番効率よくなってしまう。それを禁止したのだ。
魔獣を倒し剣を持ち帰った者が勝者。ただし島の中なら奪い合いも自由、ルール無用だった。
「島にいるのはファイグスと呼ばれる魔獣じゃ」
「どんな魔獣ですか?」
「わらわは実物を見たことはないが、このあたりではよく出る魔獣じゃ。大きさはちょっと大きめの狐で、姿もよく似ているそうじゃ。赤と黄色のまだら模様で、一番の特徴は火を吐くことじゃ」
「火を!?」
レンは驚いた。
そういう特殊能力を持つ魔獣がいるとは思っていたが、ついにここで現れたというわけだ。
「うむ。じゃがあらかじめわかっておれば、それほどの危険はない」
火を吐くなど、危険そのものに思えたのだが、
「火といってもそれほどの威力はない。直撃を受けても、軽いやけど程度ですむそうじゃ。ただし知らぬ者がいきなり戦えば、火に驚いたところをガブリとやられる、ということらしい」
初見殺しみたいなものかと思った。確かにいきなり火を吐かれたら、誰だって驚くだろう。
「じゃがわかっておれば、逆にそこがつけいるスキになるそうじゃ。一人が挑発してわざと火を吐かせ、それを盾で防ぐ。ファイグスは火を吐くときに動きを止めるため、他の者がそこを狙って一気に倒すという寸法じゃ」
「なるほど」
攻撃の時にスキができるというわけだ。あらかじめ聞いておけば、対処できそうな気がしてくる。
「最初に島に渡った調査隊は、何体かのファイグスと遭遇しておる。おそらく島にはファイグスの群れがいる。それを率いる超個体も」
「それはやっかいですね」
「ただ、この群れもそう大きなものではないと思われる。群れが大きければ、この街がナワバリの中に入っているはずじゃからな」
魔獣にはナワバリを持つタイプのものが多い。そういう魔獣は、基本的にナワバリの中から出てこないとされている。
ファイグスはこの地域でよく出没する魔獣で、経験則から、だいたいのナワバリの広さも知られていた。
そして魔獣が群れを形成すると、このナワバリも一気に拡大する。ナワバリの広さと群れの規模は比例しており、群れが大きくなればなるほどナワバリも広くなる。
後継者の島は、ハーベンの街の沖合数キロに浮かぶ島だ。
これまでの事例から考えて、ファイグスの群れが百体を超えるようなら、確実に街はそのナワバリ内に入るはずだ。そうなっていれば、ファイグスの群れはすぐに街を襲ってきたはずだが、今のところファイグスは島から出て来ていない。これは群れが小規模であることを示している。
「兄弟全員合わせて、雇った者たちは合計千名近い。これだけの数がいれば、百体の魔獣の群れでも殲滅できるじゃろう。問題はその後じゃな」
魔獣を倒せば、剣を巡って人間同士の戦いが始まるはずだ。
人間相手には、あまり戦いたくないなとレンは思った。
これが魔獣なら問答無用だし、人間でも盗賊とか、向こうから襲ってくるなら躊躇なく戦える。異世界に来て修羅場もくぐったし、そういう心構えはできているつもりだ。
だが今回の相手には恨みがあるわけではない。互いの利益のための殺し合いだ。
平和な日本人としての意識が残るレンは、まだそこまで割り切ることはできなかった。幸い、最後の一人まで殺し合うようなサバイバルゲームではない。甘い考えかもしれないが、可能な限り戦いは避けようと思った。
「配下の者は何人連れて行くのじゃ?」
「四人です」
カエデとシャドウズ三人を合わせて四人だ。ここにガー太を加えればプラス一羽になるが、そこまでは言わなかった。
「ほう。レン殿以外は全員ダークエルフを連れて行くのか。珍しいな」
「ダークエルフだと問題ありますか?」
「いや。わらわは人間でもダークエルフでも、それが信頼できる相手なら気にせん。レン殿が連れて行くからには、全員信頼できるのじゃろう?」
「もちろんです」
「ならばいい。わらわはレン殿に賭けたのじゃ。後は全てまかせる」
サーリアはメンバーがダークエルフだけでも気にしなかったので、特に問題なくそれで決まった。
ロゼ、ディアナ、リゲルの三人が含まれていないのは、レンがそれを嫌がったからだった。人間相手に殺し合いをするような場所に、まだ子供の三人を連れて行きたくなかったのだ。
それを言い出すとカエデはどうなのだ、という話になってしまうが、彼女は特別だ。
三人とも付いていくと言ったが、そこはレンが押し切った。同行を一番強く主張したのはロゼだったが、
「リリムやミミに何かあったら大変だ。二人をしっかり見ていてくれ」
と言って残ってもらった。
「ダークエルフを信頼すると言い切るあたり、レン殿は生まれや血筋にはあまりこだわらんのか?」
「まあそうですね」
「レン殿の家も由緒正しき貴族じゃろうに、珍しいな」
生まれながらの貴族は、自分の家や血筋に誇りを持つ者が多い。そうやって育てられるからだ。同時に、他人をその生まれで判断しがちになる。
一方、平民の方も逆方向からそれを信じている者が多かったりする。こちらも小さい頃から、王様や貴族は偉い、決して逆らってはいけないと教えられて育つからだ。
身分制度のあるこの世界では、それが常識だった。
だが普通の日本人として生きてきたレンに、そういう常識はない。日本の常識では、生まれで人を判断するのはよくないとされている。少なくとも建て前はそうなっていて、レンもそうすべきだと思っている。
だが実のところ、レンも生まれた家庭環境で人を判断してしまう部分はある。
彼自身、幼い頃に両親が離婚し、父親の顔を知らず、母親も失踪同然という、あまりよくない家庭環境で育ってきた。だから生まれ育った家庭環境が、人にどれだけの影響を与えるか、よくわかっているつもりだ。
もちろん人は努力によって変われることも知っている。だから、そういう目で人を見ないように心がけてはいるのだが。
何よりここは異世界だ。
レンにとって、この世界の人々は貴族だ、ダークエルフだという前に、全員が同じ異世界人だった。全員が自分とは違う人々だという認識があるので、全員と平等に接しているという部分もあった。
「当人の性格や実力を優先して、家柄などにはあまりこだわらない、ということでよいのか?」
「そうですね。ダークエルフにも有能な者はたくさんいますし、貴族だから有能というわけでもないですから。僕自身、家から見放されているような落ちこぼれなので」
言葉を選びながらレンは答える。
家柄を信奉しているであろう貴族に、家柄なんてあんまり意味ないと思います、と正直に本音を言ってしまうのはまずいだろう。
自分の意見の方が正しいとは思うが、ここでの常識は向こう側だ。だからそれに合わせたのだ。
「ではリタのことはどう思う? 昨日今日とレン殿の側に付けたわけじゃが」
「若いのにしっかりしてるなあと感心します。唯一の失敗は、昨日のお風呂ぐらいで」
お世辞ではなく本音だった。よく気が回るし、テキパキと動くし、まだ若い女の子なのに偉いなあと思っていた。
「昨日のあれは横に置いておくとして、他に問題はなかったのじゃな?」
「ええ」
「じゃがリタに秘密があったとすればどうじゃ? 実はリタというのは偽名での」
「サーリア様!? それは――」
リタが慌てた様子で止めようとしたが、サーリアは構わず話を続ける。
「リタの本名はシャイア・バルケス。バルケス男爵の娘なのじゃが、このバルケス男爵が二年ほど前、父上への反乱に加担したとして捕らえられての。本人は無論、他の家族も全員死罪となったが、幼かったリタだけが助命され、奴隷として売られることになった」
レンは何と言っていいかわからず、黙って話を聞いていた。
「じゃが、わらわはリタと面識があり、彼女が優秀じゃと知っておったからの。父上に頼んで、わらわのメイドにしてもらったのじゃ」
「事情はよくわからないんですけど、そういうのってありなんですか?」
「普通はない。じゃがあの父上じゃ。おもしろがって許してくれた。ただそのままではさすがにマズいので、素性と名前を変え、リタとして雇うことになったのじゃ」
「なるほど。いろんな苦労があったんですね」
「……それだけか?」
どこか拍子抜けしたような顔でサーリアが聞いてくる。
「それだけというか、詳しい事情もわからない僕が、軽々しく言える問題でもないですから」
というか家族全員が処刑されたとか重すぎだろう。何をどう言えばいいのかとレンは思った。
「なるほどのう。レン殿もかなりの変わり者のようじゃ」
楽しそうにサーリアが言ったのだが、どうして自分が変わり者扱いされるのか、レンにはよくわからなかった。
それでサーリアとの話を終えたレンは一度自室に戻った。
リタも一緒についてくる。サーリアからは、明日まで彼女を側に付けておくと言われていた。
これから森へ向かい、明日の大会に備えて最後の打ち合わせをするつもりだった。リタにそのことを告げ、すぐに部屋を出て行こうとしたのだが、
「オーバンス様、申し訳ございませんでした」
いきなりリタに頭を下げられてしまった。
「何かありましたっけ?」
謝られる覚えがないので聞き返す。
「私の出自のことです。オーバンス様をだますことになってしまい、申し訳ありません」
「だますというか、他人に軽々しく言うようなことじゃないと思いますし。ちょっと驚きましたけど、別に謝ってもらうようなことじゃないですよ」
「……本当にお怒りではないのですか?」
こちらの様子をうかがうように聞いてくる。
「だってそれはリタさんのご両親の問題ですよね? 今のリタさんには関係ありませんよ」
リタはレンの言葉に驚いたようだった。
さっきのサーリアもそうだったが、そんなに驚くようなことだろうかとレンは思った。
親が犯罪者でも、子供には関係ないだろうとレンは思う。これが例えば自分の親を殺した犯人とか、そういう自身に関係している犯罪だったら別だろうが、そうでなければあまり気にしない。レンだけでなく、普通の日本人ならそう考えるはずだ。
だがこの世界での考え方は違う。特にリタの父親は反乱の罪で処刑されたのだ。
平和な日本に生きてきたレンは、反乱と言われてもピンとこないが、これは異世界でも元の世界でも、どこの国でも重罪である。この世界なら、首謀者やその仲間はもちろん、仲間の家族まで全員皆殺しというのが当たり前だった。
リタは死罪を免れたが、これが例外なのだ。
それでも反乱者の娘というレッテルはどこまでもついて回る。そんな者と仲良くしているだけで、
「あいつも謀反を起こす気ではないのか?」
とあらぬ疑いをかけられかねないのだ。
だからそんなリタを側に付けられたとなったら、普通は激怒する。リタにも怒るだろうし、それをやったサーリアにも、
「何を考えているんだ!」
と怒って当たり前なのだ。
だがレンは怒るどころか、全く問題にもしなかった。考え方の違いといってしまえばそれまでだが、大きな認識のズレがあったのだ。
「昔、サーリア様からも同じことを言われました。私は本来なら、奴隷として色街かどこかに売られていたでしょう。それを救って下さったサーリア様に、どうしてですかとお訊ねしたんです。そうしたらサーリア様は、お主はお主、親とは関係ないじゃろう、と」
「それって今から……」
「二年ほど前のことです」
サーリアは十一才だと聞いた。二年前なら九才だ。とても九才の子供のセリフとは思えないが、あのサーリアなら言いそうな気もした。
「サーリアさんのその言葉、僕も正しいと思いますよ」
「ありがとうございます」
リタはうれしそうな、それでいてちょっと泣きそうな笑顔を浮かべ、深々と頭を下げた。
この少し後で、リタはサーリアに訊ねている。
「サーリア様。どうしてオーバンス様にあのようなことを言ったのですか?」
城内にリタの正体を知る者はほとんどいない。
サーリア、ロレンツ公爵、後は公爵の側近が数人ぐらいだろうか。全員の口は堅いようで、今までリタの正体がうわさになったこともない。
それをどうしてレンに言ったのか、リタには全くわからなかった。
「いや、ちょっと興味が出てきてな。ここで言ったらどんな反応をするじゃろうかと」
「それだけですか? 全部、ご破算になる危険もあったのに……」
「この状況まで来てそれはないじゃろう。レン殿なら、あまり怒らないのでは? という気もしておった。まさか全く気にもしないというのは予想外じゃったが……。まあそれで話が潰れていたら、それはそれで仕方ないじゃろう」
なんでもないことのように笑うサーリアを見て、やっぱりこの方は公爵様の娘なのだ、とリタは思った。