第15話 ダークエルフ4
ダールゼンの言っていた迎えの者が来たのは、彼と会った三日後のことだった。
その日、レンはマーカスから弓の指導を受けていた。
「弓ですか? 訓練を受けたことはありますが……」
最初、弓の使い方を教えてほしいと頼んだとき、マーカスは自信なさげに答えた。
「一通りの使い方を習っただけで、とても人に教えられるような技量はありません」
「それで大丈夫です。まずは基本的な使い方を教えていただければ」
「わかりました。しかし先日は槍を習うとおっしゃっていましたが、そちらは?」
「槍はもういいです……」
ガー太に乗って戦うことを想定し、レンはマーカスに槍を習い始めたばかりだった。
だが先日、実際にガー太に乗って魔獣と戦ってわかったのだが、槍は役に立たない。というかガー太に乗っている状態では、剣も槍も役に立たない。下手に動いてもガー太の邪魔になるだけで、何もせず全てガー太に任せるのが一番強い。
そこでレンは発想を変えることにした。
魔獣と直接戦う場合は全てガー太に任せる。代わりに魔獣との距離がある場合のみレンが攻撃する。そのための弓だ。
レンがイメージしたのはモンゴル帝国の弓騎兵だ。
モンゴルの騎兵は馬を操るのが巧みで、馬に乗りながら両手を離して弓を射ることができた。そして敵が近付いてくれば逃げながら、敵が逃げれば追いかけながら騎射して、一方的に敵を攻撃した――ネットで仕入れた情報なのでどこまで本当なのかはわからないが、レンもこれをやろうと思ったのだ。
ガー太に乗って逃げながら、追いかけてくる魔獣に弓を射るというわけだ。
レンがガー太に乗ったときの安定感は、モンゴルの騎兵にも引けを取らないはずだ。少なくとも両手を離して弓を射るぐらいは楽々こなせる。
後は弓の練習だ、ということでマーカスに頼んだのだ。
屋敷にはいざという時に備えて多数の弓も置かれていたので、レンはその中の一本をもらって練習することにした。
弦の張り方、弓の構え方、引き方などをマーカスに一通り教えてもらい、今は的に向かって実際に弓を射ていたのだが、的を外してばかりだ。
やっぱり簡単にはいかないなあ、と思いつつ練習を繰り返しているところに、彼女たちはやって来た。
「失礼いたします」
声のした方を見ると、門のところに三人の女性が立っていた。
三人ともダークエルフで、二十代前半ぐらいの若い女性だった。
弓の練習を止め、レンは門のところへ向かう。
「なんのご用でしょうか……」
出迎えるレンの声が尻すぼみで小さくなった。
いや、だって三人ともすごい美人だし、と心の中で言い訳する。誰に対して言い訳しているのか、自分でもよくわからないまま。
さすがダークエルフというべきなのか、三人とも人目を引く美女だった。
一人は長い黒髪を後ろでまとめ、ポニーテールのような髪型にしていた。スラリと引き締まった体つきながら、出るべきところはちゃんと出ている。つり目で少しきつそうな顔付の、腰に剣を帯びた剣がよく似合う、凛々しい雰囲気の美女だ。
もう一人も長髪だが、こちらは緩やかにウェーブしている。まさかパーマはかけていないだろうから天然だろう。ふんわりとした優しい雰囲気の美女だ。こちらも出るところは出て、引っ込むところは引っ込む、メリハリのきいた体型をしている。
最後の一人は髪を短く切りそろえていた。他の二人より少し背が低く――二人は百六十センチぐらいだろうか――体型も平坦で控えめだ。だが、これはこれで別の魅力がある。ボーイッシュな美女、といったところか。
一人でも十分すぎる美女が三人並んでいるわけで、普通の男性どころか、女性でも見とれてしまいそうな華やかさだ。
しかしレンの場合、美女三人を見て喜ぶ前に気後れしていた。
人付き合いの苦手なレンだが、特に女性の相手をするのが苦手だ。そして女性の中で最も苦手なのが若くて美人な女性なのだ。そういう魅力的な女性を前にすると、緊張でガチガチになってしまう。もはや恐怖症といってもいいほどだ。
「もしかして領主様でしょうか?」
ポニーテールの女性が聞いてくる。
「ええと、はい」
小声で返事をすると、三人はさっとひざまずいた。
「初めてお目にかかります。私はリゼットと申します。こちらはルビアとレジーナです。ダールゼンに命じられ、領主様をお迎えに上がりました」
ポニーテールの女性がリゼット。ウェーブのかかった髪の女性がルビア、短く切りそろえている女性がレジーナだ。
黒の大森林にあるダークエルフの集落まで、彼女たち三人が案内してくれるというわけだ。
三人とも鎧は身につけておらず、動きやすそうな軽装だが、リゼットは腰に剣を帯び、残りの二人は弓を装備している。魔獣の森を抜けてここまで来たのだから、三人ともそれなりの技量を持っているはずだ。
きっとダールゼンは気を利かせて女性三人を寄越してくれたのだろう。
確かに普通の男性なら大喜びするところだ。美女三人に囲まれての案内を、嫌がる男は中々いない。だが、レンはその中々いないうちの一人だった。
まいったな、と思ったが、まさか帰ってもらうわけにもいかない。三人には庭で待ってもらい、レンは出発の準備を始める。
もっとも準備といってもやることは少ない。着替えと食料を袋に入れれば準備完了だ。万が一に備え、食料は数日分を用意した。
袋の口をひもで縛り、肩にかけて屋敷を出ようとしたところで、
「レン様。本当に行かれるおつもりですか?」
マーカスが心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫ですよマーカスさん」
すでにマーカスには近々ダークエルフの集落へ行くことを告げていた。もちろん彼は反対したのだが、レンは大丈夫だと押し切った。もし一人で行くなら、レンも不安に思ったかもしれない。だが今のレンは一人ではない。
「ガー太。準備がいいね」
レンが屋敷の玄関を出ると、すでにガー太が待っていた。
「これが領主様のガーガーですか?」
リゼットたち三人が、興味津々といった様子でガー太を見ている。
「ええ、まあ……」
短く答えたレンは、少し迷ってから訊ねてみる。
「あの、よければさわってみます?」
「よろしいんですか?」
「ええ。いいよねガー太?」
「ガー」
まあいいだろう、といった感じでガー太が鳴く。
「いいみたいです」
「それでは失礼します」
三人とも最初は恐る恐るといった様子でガー太へ手をのばした。ガー太が逃げ出さないか心配しているようだったが、手で触れられてもガー太が平然としているのを見て、次第に大胆になっていく。
「こうやってガーガーにさわれるなんて感激です」
「ガー太様は普通のガーガーとはどこか違いますね」
「とても堂々としてらっしゃいます」
いつの間にか様付けで呼ばれるようになり、三人からほめられていることがわかったのだろうか、ガー太はどことなく自慢げな顔をしていた。
「それでは出発いたします」
まだ少し名残惜しそうだったが、いつまでもガー太と遊んではいられないということで、四人はダークエルフの集落に向かって出発する。
「どうかお気を付けて」
本当に心配そうなマーカスに見送られ、レンは屋敷を出た。
レンはガー太に乗り、ダークエルフの三人は徒歩だ。
自分だけがガー太に乗って、女性三人を歩かせることには抵抗があったが、彼女たちは女性であってもダークエルフである。そしてダークエルフにおける男女の身体能力の差はほとんどないらしい。
もちろん個々のダークエルフの身体能力には差があるが、男女別の平均にはほとんど差がないらしいのだ。これは人間とは大きく違うところだ。
そしてダークエルフの平均的な身体能力は、人間のそれを大きく上回っている。
後世の大ベストセラー歴史小説「ダークエルフ戦記」の著者バンバ・バーンは、そのダークエルフ戦記の中で、男でも女でもダークエルフの強さは変わらない。そしてダークエルフと人間が戦う場合、ダークエルフ一人に対し、人間の男三人で互角である、と書いている。
彼女たち三人も、並みの人間の男よりはるかに強靱だった。
ダールゼンの時と同じように、レンは軽い駆け足でガー太を走らせたが、彼女たちはそれに遅れることもなく余裕でついてきた。
「我々の集落へは、細い獣道のような道を通っていきます。その入り口は南の村と西一の村の間です」
というリゼットの言葉に従って、まずはその道の入り口を目指すことにした。
道中は特に問題も起こらず順調だった。ガー太は軽やかに走り、三人がそれについて走る。天気もよかったし、本当になんの問題もない。
だが、レンの心は穏やかではなかった。
沈黙がつらいなあ、とレンは思った。
屋敷を出てからここまで、レンと三人は必要最低限の会話しか交わしていない。
三人の方は終始レンに対して丁寧な態度をとっていたが、それは少し距離を置くということでもある。三人の方から馴れ馴れしく話しかけたりするようなことはなかった。
だったらレンの方から話しかければよかったのだが、これができない。何度もきっかけを見つけて話しかけようとはしたのだが、ことごとく失敗した。
別に難しいことではない。こちらから声をかければ、ちゃんと受け答えしてくれるはずだ――というのは頭ではわかっているのだが、わかっていれば実行できるのなら苦労はない。
結局、屋敷を出てからずっと会話もなく、一行は黒の大森林に到着した。
「ここが黒の大森林か」
遠くからは何度も見ていたが、ここまで近くに来るのは初めてだった。
広大な森なのはわかる。右を見ても、左を見ても、ずっと木々の並びが続いているのだ。だが見た目は普通の森である。無数の魔獣が生息する森だが、特に禍々しい雰囲気などは感じなかった。
「こちらです」
リゼットが案内した場所には、なるほど確かに道があった。言われてやっと気付くような細い道だが、森の奥へと続いている。
「ここからは私が先頭に立ちます。続いて領主様が。その後ろをルビアとレジーナが守りますので」
「わかりました」
「森の中では魔獣に遭遇する危険があります。一体ぐらいなら我々で対処できますが、もし対処できないような場合は、領主様は我々を見捨てて逃げて下さい」
「いえ、それはさすがに……」
女性三人を見捨てて逃げるというのは、いくらなんでも抵抗があった。
「もし領主様に万が一のことがあれば大変なことになります。我々三人は、命に代えても領主様をお守りするよう命じられております。どうか」
三人は真剣な表情で頭を下げた。それに気圧されてしまったレンは、
「わ、わかりました……」
と言ってしまった。
本当はもっと反論したかったのだが、それができない自分をもどかしく思いつつ、心の中では、そうは言っても見捨てて逃げるなんてできないだろうと思っている。
彼女たちの言っていることもわかるが、そんなことをすれば必ず後で後悔するはずだ。
この世界においても、誰かを見捨てて生き延びることは、ほめられることではない。だがそこまで非難されるようなことでもないのだ。特に魔獣という巨大な脅威に直面した場合、みんな無事に生き残るということがいかに難しいか、誰もがそれを理解している。だからこの世界の人々は、見捨てることも、見捨てられることも仕方がないとあきらめ、覚悟しながら生きている。
だがレンの中身は平和な日本で生まれ育ってきた人間だ。そんな彼にいきなり非情な決断を下せといっても無理だった。
「では行きましょう」
こうして四人と一羽は黒の大森林へと入っていった。