第165話 サーリアの提案
レンはサーリアの部屋に招かれ、そこで夕食を食べながら話をすることになった。
「あらためて挨拶しておこうか。わらわはサーリア・ロレンツ。ロレンツ公爵の末娘じゃ」
「レン・オーバンスです。どうぞよろしく」
「そしてこっちがわらわに仕えておるメイドのリタじゃ」
「よろしくお願い致します」
メイドのリタが深々と頭を下げる。
見たところ中学生ぐらいだったが、きっちり礼儀作法を学んでいるのか、お辞儀は優雅ささえ感じられた。
若いのにしっかりしてるなあ、と思いつつレンも挨拶する。
「よろしくお願いします」
軽く頭を下げて挨拶しただけだったが、なぜかリタはビックリしたように顔を上げ、レンの方を見てきた。
あれ、何かミスった? とレンはちょっとあせる。
ここは異国だ。なにか独特の礼儀があって、今の行為は失礼だったとか?
「あはは。これは失礼した」
サーリアが楽しそうに笑う。
「まさが普通に返されるとは予想外じゃった。気に入ったぞオーバンス殿。リタのあんな顔も久々に見たな」
「失礼致しました」
「はあ……」
リタにも謝られたが、レンにはよくわからない。とりあえず、自分が失礼をしたわけではないようだが……
これはサーリアがよくやるイタズラだった。
普通、貴族が初対面の相手と挨拶するときに、自分のメイドまで紹介したりはしない。だからサーリアが、さも当たり前のようにリタを紹介すると、相手はどういうことだ? と戸惑ってしまう。
リタは何度も、
「そういう無意味なことをしないで下さい」
と言っているのだが、サーリアは面白がってやめようとしない。
おかげでリタも自己紹介されることに慣れていたのだが、レンの反応には驚いてしまった。まさか普通に挨拶を返されるとは思ってもいなかったので、思わず固まってしまったのだ。
レンとしては、それこそ普通に対応しただけだ。挨拶されたから、挨拶を返す。日本人ならごく当たり前のことだった。
夕食は、昨夜と比べれば質素なものだった。給仕もリタ一人だけだったが、彼女は手際よく食事の準備を進めてくれた。
質素といっても、比べる相手が昨夜のロレンツ公爵との食事だからで、いつものレンの食事と比べれば十分豪華だった。
何より味の濃い料理を食べられるのがよかった。
昨日の夕食もそうだったが、ここでは香辛料をふんだんに使った料理が出される。
ここハーベンは海に面した港町で、海上貿易の拠点として栄えている。そしてこの貿易による利益こそが、ロレンツ公爵の権勢を支えていた。
ハーベンの街には様々な品物が入ってくるが、中でも香辛料は重要な交易品だった。
近隣諸国では栽培できず、遠く海を渡って入ってくる香辛料は、とんでもない高値で取引される。
それを贅沢に料理に使えるのだから、ロレンツ公爵家はかなり豊かなんだろうな、とレンは思った。
「食べながらではあるが、そろそろ本題に入りたいのじゃが。いかがかな?」
「ええ。いいですよ」
料理を食べるのが目的ではない。話をするのが目的だった。
「そちらもわかっていると思うが、話というのは大会についてじゃ」
やっぱりそれか、とレンは思った。このタイミングで話というからには、それしかないだろう。
「単刀直入に言う。オーバンス殿、わらわと組む気はないか?」
「サーリアさんと――あ、その前に一ついいですか?」
「なんじゃ?」
「今さらですが、サーリアさんのことは、サーリアさんと呼んでも?」
本当に今さらだが、呼び方が無礼にならないかと思ったのだ。例えば、公女殿下と呼ぶのが正しいとか。
「別にいいぞ。その代わり、わらわもお主のことをレン殿と呼ばせてもらってもいいか?」
「いいですよ」
「ではレン殿。わらわと組む気はあるか?」
「そうですね……」
誰でもいいといえば、誰でもいいのだが、それでもこんな幼い少女に付いていいかどうか。もしレンが勝てば、サーリアが後継者になるのだろうが、それでいいのだろうか。
「父上にはわらわを含め、四人の息子と六人の娘がいるが、わらわと組めば他にはない利点があるぞ」
「利点ですか?」
「兄上や姉上は、すでに多くの傭兵などを雇っておるが、わらわはまだ誰も雇っておらぬ。大会に出るとすれば、わらわが組むのはレン殿だけじゃ」
それのどこが利点なのだろうと思った。味方は多い方がいいと思うのだが。
「勝つだけなら味方が多い方がいいじゃろう。だが勝った後はどうかな?」
「どういうことです?」
「先ほどお主が会ったのは、長女のシンシア姉上じゃが、すでに姉上は百人近く傭兵を雇っておるらしい。で、そこにレン殿が加わって、見事姉上が勝ったとしよう。後継者は姉上となるが、実際は夫のパーミル伯爵ということになるか。まあそれはいいとして、勝てば傭兵たちに褒美が支払われる。百人いても全員平等とはならず、働いた内容で差はつくじゃろうが、それでも独り占めとはいかんじゃろうな」
レンにも彼女が何を言いたいのかわかってきた。
「味方が増えれば増えるだけ、分け前は減るのが道理。じゃが、わらわが組むのはレン殿一人」
「つまり勝てれば独り占め、ということですか?」
「褒美についても思いのままじゃ。レン殿も、何か欲しいものがあって大会に参加するのじゃろう?」
レンが欲しいのは、商品にされてしまったネリスだったが、サーリアもそこまでは知らないようだ。
「兄上や姉上についても、レン殿が望む物が手に入るとは限らん。じゃがわらわなら、レン殿の要求に可能な限り応えよう」
なるほど、そこは盲点だったとレンは思った。
ネリスは大会の優勝賞品だから、出場して勝てば手に入ると思っていたが、よく考えれば大会の優勝者は雇い主、公爵の子供たちの誰かということになる。ネリスはその誰かのものになるのだ。
事前に交渉して、レンが島から剣を持って帰ってくればネリスをもらう、と約束しておく必要があるだろう。だがその要求が通るかどうかは交渉次第だ。相手がエルフに似ているネリスに執着していれば、かなり難しくなるだろう。
味方がいるというのも考え物だ。先に剣を手に入れた者がいたとして、敵なら腕づくで奪えばいいが、それが味方だとややこしくなる。常識的に考えて、仲間同士の争いは禁止するはずだ。
それらを考え合わせると、サーリアの言う通り、他に味方がいないというのが利点に思えてくる。
「ああそうじゃ。可能な限りと言ったが、わらわと結婚して公爵家の跡取りになるというのは無理じゃ」
もとよりレンにそんな気はなかったが、興味があったの聞いてみる。
「もう結婚相手が決まってるんですか?」
「そうではない。正しく言えば、わらわと結婚したいだけなら、それでもいいぞ。じゃがわらわは公爵家を継ぐつもりはない」
「跡を継ぐ気がないのに大会に出るんですか?」
「うむ。それにはちょっと理由があるのじゃ。そもそもレン殿は、なぜ父上がこんな大会を開いたと思う?」
「面白そうだから、と言ってましたけど……」
「うむ。それも本音じゃろう。父上は有能な為政者じゃが、そういうところがあるのだ。面白ければ何でもいい、みたいな」
周りは大変だろうなあ、とレンは思った。
「じゃが今回の大会はそれだけでない、とわらわは思っている。もし大会が開かれなければ、跡を継ぐのは長男のレーダン兄上だったはずじゃ。レーダン兄上はちょっと粗暴なところはあるが、勇敢だし、そこまで悪い跡継ぎではない」
レンはそのレーダンという男を知らないので、評価のしようがない。だから黙ってサーリアの話を聞いている。
「ところがこのレーダン兄上の妻が問題じゃ。兄上の妻は、隣国バチニア公爵の娘なのじゃが――」
バチニア公国は、ロレンツ公国と同じく、バドス王国を構成する四公国の一つだ。四大公爵家同士の結婚は珍しいものではなく、それだけなら問題ないとサーリアは言うのだが、
「問題なのは、兄上がバチニア公国にすっかり取り込まれてしまったことじゃ」
レーダンは妻を通じて、裏でバチニア公国と色々なやりとりをしているらしい。
「兄上は上手くバチニア公国を利用しているつもりのようじゃが、実際は逆じゃ。残念ながら兄上では、あの女帝の相手は務まらん」
今のバチニア公爵は男だが、彼は婿養子であり、公爵家の実権はその妻、ベリンダ・バチニアが握っているのは周知の事実――とのことだった。そして辣腕を振るうベリンダは、バチニアの女帝と呼ばれている。
「家中の者のほとんどは、この問題を軽く見ておる。だがわらわの見たところ問題は深刻じゃ。父上もそれを危惧しておる。我が家が多少乱れるぐらいならまだいい。しかし特定の公国同士の結びつきが強くなりすぎると、四公国のバランスが崩れ、王国そのものが揺らぎかねん」
だからこその大会だ、とサーリアは言う。
「兄上を跡継ぎから外すなら理由がいる。父上は大会を開くことで、その理由をうやむやにしたのじゃ」
バチニア公国が問題だと明言すれば、当然両国の関係は悪化する。レーダンもそんな理由では納得しないだろう。
だから大会を開き、レーダンを後継者から外そうとした、というのがサーリアの見立てだった。
幸か不幸か、ロレンツ公爵はそういうことを言い出してもおかしくないと思われていたので、今のところ大会とレーダンの問題を結び付けて考える者は、ほとんどいないそうだ。
「もしかしたら父上は、兄上が気付くことに期待していたのかもしれん。自分の行いを振り返り、バチニアとの関係を見直すことを。じゃが残念ながら兄上は全然気付いておらんようじゃ。きっとバチニアの女帝は気付いておるじゃろうな」
以上のことは、すべてサーリアの推測で、何の証拠もなかった。
小さな女の子の言うことだ、と一笑に付してもよかったのだが、レンは彼女の言葉を信じかけていた。
サーリアの話は理路整然としていたし、話の途中で何度か疑問に思ったことを訊いてみたが、全て納得のいく答えが返ってきた。
聞いてみるとサーリアは十一歳だという。年の割にはかしこいというか、ちょっと異常なぐらいだ。全然子供らしくない。
だからレンは疑問に思った。彼女が今言った問題を解決するには、彼女が後継者になるのが一番手っ取り早いはずだ。それなのに彼女はそのつもりがないという。なぜなのか?
「わらわがもう十才年を取っていれば、それも考えた。じゃが今のわらわは幼すぎる。跡を継いでも、とても家中をまとめきれん。それこそレーダン兄上が反乱を起こすやもしれんな」
少し自虐的な笑みでサーリアは言った。
「父上は大会の後で優勝者に家督を譲り、自分は隠居すると言っているが――」
これが言葉だけで、引き続き裏から実権を握るつもりなら、自分が跡継ぎになってもよかったとサーリアは言う。
「じゃが父上の性格からしてそれはない。隠居するというなら本当に隠居して、後は南海の風まかせ、というのが父上なのじゃ」
どうやらロレンツ公爵は問題を認識し、それに対処しつつも、ダメならダメでしょうがないという立場らしい。
「それはそれで面白いではないか」
と笑うロレンツ公爵の顔が、レンにも容易に想像できた。
「じゃあ自分が跡取りにならないなら、どうするつもりなんです?」
「わらわが優勝すれば、一度家を継いでから、すぐにそれを三男のジェスト兄上に譲る」
三男のジェストは正妻の息子ではないため、長男や次男と比べて家中での立場は弱い。だが四人の息子の中で、一番公爵にふさわしいのは彼だ、というのがサーリアの評価だった。
「ジェスト兄上なら、レーダン兄上たちを押さえて、上手く家中をまとめてくれるはずじゃ。おそらく父上も、それが一番いいと思っている」
もちろんジェストも大会に参加し、後継者を狙って動いている。だが他の兄弟と比べて権力や財力で劣る彼は、かなり出遅れているらしい。
「優勝候補はダントツでレーダン兄上じゃ。金に糸目を付けず、多くの傭兵を雇っただけなく、バチニアの女帝も何人か腕利きを送り込んできておるようじゃ。わらわもこのまま兄上の優勝かと思っておったが、そこへレン殿が現れた」
少し身を乗り出すようにしてサーリアが言う。
「レン殿のオーバンス家は、グラウデン王国の黒の森辺境伯を兼ねていると聞いた。そしてレン殿は家中の最前線に立ち、黒の大森林で日夜魔獣と戦っているとか」
「間違いじゃないんですけど、ちょっと大げさというか。実際に日夜魔獣と戦っているのは、僕じゃなくてダークエルフたちです」
「ここへ来る途中も、ダーンクラック山脈にいた魔獣の群れを倒してきたと聞いたが?」
「よく知ってますね」
すでにそんな情報まで伝わっているのかと驚いた。
「最初にレン殿がここに現れた時、父上が色々と調べたのじゃ。失礼ながら、ニセ者かもしれないということで、な」
現れたというか、兵士に捕まってここへやって来たのだが。
あの状況ではニセ者と疑われても仕方ないかと思った。
レンは自分のことを正直に話したが、その裏付けをとるために色々と調べたのだろう。
「レン殿のことは、家中で噂になりつつある。この時期に魔獣退治の専門家がやって来たのだから、噂になるのも当然じゃな。わらわは兄上や姉上より、少しだけ早くレン殿のことを知ることができた。おかげで一番早く声をかけることができたと思うが?」
「そうですね」
「危うくシンシア姉上に横取りされるところだったがな。さっきも言ったが、よく姉上ではなくわらわの話を聞く気になったな」
それについては笑ってごまかすしかなかった。大人の女性が苦手なんです、とは言いづらい。
「わらわの事情はすべて話した。だから次はレン殿の話を聞きたい。何をしに公国へやって来たのじゃ? 父上が呼んだのではないか、とのうわさもあるが」
「僕がここへ来たのは偶然みたいなものですよ」
レンはこれまでのことを簡単に説明した。イールのネリスがさらわれ、それを追ってここまで来たのだと。
「あのエルフの女性――ではなくイールだったか? 彼女はレン殿の領地からさらわれてきたのか」
サーリアは驚いていた。彼女にとっても、これは予想外だったらしい。
「レン殿の目的が彼女だというなら、もちろんわらわが勝てばお返ししよう。他にも望みがあるなら言ってくれ。可能な限り応えよう」
「……今のところはそれだけですね」
「今、何か考えたな?」
「いえ、それだけですよ」
実は少し考えた。
ダークエルフの運送業についてだ。
ここハーベンの街は海上貿易の拠点で、様々な品が海を渡って入ってくる。もしこの街までダークエルフの物流ネットワークを伸ばせれば、飛躍的な効果が期待できるのではないか? それを公爵家が後押ししてくれれば尚更だ――と考えたのだ。
特に香辛料だ。香辛料はこの街でも高価だが、それがグラウデン王国ではさらに高値で取引されている。この取引に食い込めれば大きな商売になりそうだし、安く手に入るようになれば、ダークエルフの食事をもっと豊かにすることもできるだろう。
ただ、これは今思い付いたことで、具体的な計画もない。この場で言うのはまだ早い、もう少し考えてから話をするべきだろうと思った。
「ではレン殿。あらためて聞くが、わらわと組んでくれるか?」
「そうですね……」
組んでもいい、と思った。
元々、自分たちの力だけで勝つつもりだったのだ。だったら彼女の言うとおり、下手に味方が多いより、他に味方がいない方がやりやすい気もする。
だがレンは一度返事を保留した。
他の話を聞いてからでも遅くないと思ったからだ。そしてできれば彼女の話の裏付けを取りたい。
「まあ当然じゃな」
レンの答えを予想していたのか、サーリアはあっさりそう言った。
「他からも話を聞いて、それでもわらわと組む気があるのなら、いつでも声をかけてくれ。いい返事を期待しておる」