第164話 夕食の誘い
「あ、レン! おかえりなさい」
街を出て、森で野営していたところに戻ると、まずは笑顔のカエデが迎えてくれた。
「どこ行ってたの?」
駆け寄って抱きついてきたカエデが、少し不満そうな顔で聞いてくる。
「ごめん。ちょっと用事があってね」
カエデにはレンが行方不明になったとは伝えず、街で用事があってレンは帰ってこないことになった、と伝えられていた。
本当のことを教えたら、
「だったらカエデも捜しに行く!」
となりかねなかった。もしそんなことになったら、この場にカエデを止められる者はいなかったし、騒ぎになるのは必定である。
街で会ったシャドウズの一人から、それを聞いていたレンも、適当に話を合わせておく。
「カエデも行きたかったなあ」
「もし行ったとしても、部屋の中でじっとしてなきゃダメだったよ」
「じゃあ行かない」
相変わらずカエデはわかりやすい。
ディアナとリゲルも出迎えてくれたので、
「ごめんね。心配かけて」
と謝っておく。
「無事でよかったです。ところでリリムとミミの二人は?」
リゲルが聞いてきたので、何があったのか説明する。
「そんなことが……すみません。僕もお供すべきでした」
「いやあ、結果的にはよかったと思うよ。ネリスは見つかったし、ロレンツ公爵とも知り合いになれたし」
本当ならレンがロレンツ公爵に会いに行かねばならなかったのを、向こうから会いに来てくれたようなものだ。
やがてジョルスたち三人も帰ってきたので、あらためて今までのことと、これからの方針を説明する。
「では領主様はその大会に出場し、ネリスさんを取り戻すつもりなのですね?」
話を聞き終えたジョルスが、確認するように聞いてくる。
「そのつもりです。それが一番、穏便なやり方だと思うので」
と答えた後で、
「もちろん絶対に勝てるとは限らないので、勝てなかったときは、また別の手を考えます」
ネリスはロレンツ公爵から、優勝者に賞品として渡される。その優勝者から金で買い取るか、横からかっさらうか、やり方はその時になって考えるしかない。
「すみませんがジョルスさんたちは、公爵の子供たちについて、情報を集めてもらえますか? どの子と組んで参加するのか、決めないといけないので」
「わかりました。早速行動に移ります」
こうして一通りの話を終えたレンは、城に戻ることにした。
最初はここに残ってもいいかな、と思っていた。
設備も食事も、城の方が森で野営するよりずっと豪華だ。ロレンツ公爵も客人として扱うと言ってくれている。
だが向こうはなんだか落ち着かなかった。世話役として付けてくれたメイドさんも、ありがた迷惑だった。こっちでみんなといる方が気楽だったのだ。
だがリゲルから、
「お城へ戻った方がよくありませんか?」
と言われてしまい、やっぱりそうだよなあ、と思い直した。
大会までもう日がない。ジョルスたちに情報収集を頼んだものの、レンもどの子供に付くのがいいか、情報を集めるべきだろう。
気乗りしないが、ちょっとぐらいがんばってみようかな、と思った。
ロゼも一緒に城に戻ることになったが、問題は他の者たちだった。
シャドウズの三人には情報集めを続けてもらうとして、リゲル、ディアナ、そしてカエデをどうするか。
特にカエデは城に行っても窮屈なだけだろう。
昨日などもそうだが、レンがいない時にカエデが一人で何をやっているかというと、あたり気ままに探検している、寝ている、ガー太相手に戦っている――といったことらしい。
城へ連れて行っても、寝ているのはできるだろうが、他はできそうにない。ガー太はもちろん連れていけない。
それに城に連れて行ったダークエルフたちが、どういう扱いを受けるかもよくわからない。
ロゼに聞いたのだが、最初は彼女だけ、城から追い出されるところだったらしい。貴族たちはダークエルフを自分の家に入れることさえ嫌がったりする。だからロレンツ公爵の城から、彼女だけ追い出されてもおかしくなかった。
だがリリムとミミの二人が、ロゼに会わせろと騒いだおかげで、特別に二人と一緒にいることを許されたらしい。イールは特別だから、ロゼも一緒に特別扱いというわけだ。
ここでレンが新たにカエデたち三人を連れて行ったとして、問題なく受け入れてもらえるかどうかわからない。受け入れてもらっても、まともな扱いをしてもらえるかどうかもわからない。
連れて行って嫌な思いをさせるぐらいなら、ここで待っていてもらおうと思った。
「できればレン様の側にいたいのですが……」
リゲルはそう言って行きたそうにしていたし、ディアナとカエデも同じだった。
三人とも城に行きたいというより、レンと一緒に行きたかったようだが、ここはレンが説得して残ってもらうことにした。
「明日もここに来るよ」
最後にそう言って、レンは来た時と同じように、ロゼと二人で城へ戻った。
「そういえばロゼはリリムやミミと一緒の部屋なんだよね? 部屋はどこ?」
城門をくぐったレンは、自分の部屋に戻る前にロゼに聞いてみた。
レンは城の一室をメイドさん付きで与えられていたが、ロゼたちとは別の部屋だった。
「こちらです」
ロゼに案内されたのは、城内にある普通の部屋だった。まさか牢屋とかではないだろうとは思っていたが、ちゃんとした部屋が用意されていたようで安心する。
ただレンの部屋と違って、ロゼの部屋の前には見張りの兵士が二人立っていたが。
すでにロゼやレンのことを知っているのだろう、ロゼが扉を開けようとしても、兵士たちは立ったまま動かなかった。だが、
「ち、なんでダークエルフが……」
兵士の一人がぼそりと言う。つぶやきというには声が大きかった。明らかにこちらに聞こえるように言っている。
ロゼは無視して部屋に入ったが、レンの方が立ち止まる。
一言文句を言ってやろうかと思ったのだが……やめておく。
残念ながらここでは兵士たちの方が常識なのだ。
レンは貴族で、向こうは単なる兵士だから、ここでレンが文句を言えば兵士は謝るだろう。だがそれは貴族に謝っただけで、ダークエルフへの差別を反省したわけではない。少しはレンの気が晴れるかもしれないが、それだけだ。根本的な解決にはならない。
だからレンも黙って部屋に入ることにした。
「あ、ロゼ姉さま!」
「おかえりなさい」
室内にいたリリムとミミが、帰ってきたロゼに抱き着いている。
「おかえりなさいませ」
とレンに挨拶してきたのはネリスだ。
「あれ? みんな一緒の部屋なんですか?」
「はい。公爵様が、その方がいいだろう、と」
どうやらロレンツ公爵の恩情のようだ。後継者決定大会とか、無茶苦茶なことをやっているが、根はいい人なのだろうとレンは思った。
彼は、もう少し来るのが早ければネリスを返してやったのに、と言っていたが、あれも本気だったように思える。彼女が大会の優勝賞品になっていなければ、もうすべて解決していたかもしれないのだ。
今更どうしようもないが、もう少し早ければ、と思ってしまうレンだった。
自分の部屋に戻るため、レンがロゼたちの部屋を出ると、すでに夕方になろうとしていた。
もうすぐ晩ご飯か、と思った。
昨日の夕食はロレンツ公爵と一緒だった。
ここに来るまで何があったかとか、色々と話を聞かせてほしいと誘われたのだ。
レンはよく知らない相手と一緒に食事をするのが苦手だ。だから断りたかったのだが、さすがにロレンツ公爵のお誘いは断れない。
こうして気乗りしない夕食となったのだが、予想に反して楽しい夕食だった。
ロレンツ公爵が気さくで、聞き上手だったおかげだ。
あまり上手ではないレンの話を、公爵は面白そうに聞いてくれた。また公爵からも色々と興味深い話を聞かせてもらった。おかげで話題が途切れることもなく、楽しい夕食になったのだ。
また公爵が一緒だったからか、出された食事も豪華だった。
海の側だけあって、魚を中心に色々な料理が出てきたのだ。残念ながら刺身は出なかったが。一応聞いてみたのだが、この国には生食の習慣はないらしい。
いつもは薄味の料理ばかり食べているが、昨日は味の濃い料理も多かった。クセがあって微妙な料理もあったが、全体的に見てとてもおいしかった。
森に残してきたみんなのことを考えると、一人だけ豪華な食事というのに罪悪感もあるのだが、今回は仕方ない。許してもらおうと思う。
このように昨日はロレンツ公爵からの誘いがあったが、今日は何も言われていない。多分、一人で夕食だろう。
日本で生きていたころのレンは、ほぼ毎日一人で夕食を食べていた。寂しいなんて思わなかったし、むしろ一人の方が気楽だと思っていた。
だから一人の夕食には慣れているはずなのだが、ちょっと寂しいなと思ってしまった。
こちらの世界に来て、環境が激変したのが原因だ。
レンがこちらに来てから、すでに二年以上がたっているが、その間、食事を一人でしたことはほとんどない。いつも誰かが、というかダークエルフたちが一緒だったので、日本にいた頃とは逆に、みんなで食べるのが当たり前になってしまった。おかげで一人の食事を寂しいと思ってしまう。
だったらロゼたちと一緒に食べようか、とも思ったのだが、みんなで楽しく食事しているところへ割り込むことになってしまわないだろうか?
少なくともロゼはレンのことを気にかけるだろうし、ネリスは緊張しそうだ。リリムにも歓迎されないだろう。ミミだけは喜んでくれるかも――考えていたら、なんだか悲しくなってきた。
やはり一人で食べるのがいいか、なんて思いながら歩いていると、
「失礼いたします。オーバンス様でしょうか?」
メイドさんに声をかけられてしまった。レンの世話役のメイドさんではない。見たことのない顔というか、ずいぶんと若いメイドさんだった。見たところ十代前半、日本だと中学生ぐらいだろうか。
髪は短く切りそろえていて、まだ若いのに落ち着いた印象を受けた。
「そうですが……」
何の用だろうかと思いながら返事をすると、若いメイドは丁寧に頭を下げた。
「失礼いたしました。わたくし、こちらのサーリア様にお仕えしているメイドでございます」
とメイドさんは後ろを指し示す。彼女の背後には、彼女よりも幼い少女が一人立っていた。メイドさんが中学生ぐらいなら、こちらは小学校高学年ぐらいだ。
長い髪はきれいな金髪で、顔立ちもかわいらしい。お人形のような少女だった。
「初めまして。わらわがサーリアじゃ」
と言われても誰だかわからないのだが――そんなレンの心を読んだわけでもないだろうが、
「と言っても誰だか分らんじゃろうな。わらわはロレンツ公爵の末娘じゃ」
「あ、どうも初めまして」
レンは軽く頭を下げて挨拶する。
相手は小さな女の子だが、ロレンツ公爵の娘なら立派な貴族だ。失礼はできないだろう。言葉遣いも子供らしくなかったが、これも貴族として教育されているからだろうか。
「実はオーバンス殿に話があって来た。よければ今晩の夕食を一緒にと思うのだが、どうじゃ?」
このタイミングでレンに話というのは、大会がらみに違いない。レンも情報が欲しかったので、
「いいですよ――」
と言いかけたところで、
「そこの男」
と後ろから別の女性の声がした。
振り返ると数人の女性が立っていた。
「僕ですか?」
「ええ。あなたのことよ、レン・オーバンス」
答えたのは、彼女たちの先頭にいた女性だ。
年齢は三十ぐらいだろうか。顔立ちは美しく、スタイルもよくて色気があった。ちょっと性格がきつそうな目をしていたが、それがいいという男も多そうだ。着ているドレスは細かな意匠が施されており、一目で高い物だとわかる。後ろに従えている女性たちは、彼女に仕えるメイドと女官だろう。
この人も貴族だな、と思ったレンだったが、それをサーリアの言葉が裏付けてくれる。
「これは姉上。ご機嫌麗しく」
そう言ってサーリアと後ろのメイドがうやうやしく頭を下げる。
サーリアが姉というなら、こちらの女性もロレンツ公爵の娘ということになる。
だが彼女は挨拶が聞こえていないのか、それともあえて無視したのか、サーリアの方を見ることもなく、レンに話しかけてくる。
「レン・オーバンス。あなたに話があります。後で使いの者をやりますから、わたくしの夕食に同席しなさい」
いきなりの上から目線である。自分の方が立場が上、と判断しての言葉だろう。
「すみません。夕食は、こちらのサーリアさんと約束があって」
「わたくしの誘いを断るというの?」
彼女の顔が変わった。明らかに不機嫌そうに。
「断るというか、先に約束を――」
「もう結構。あなたは、わたくしが相手にするような人間ではないとわかりました」
それだけ言って、彼女は去っていった。
現れてからあっという間の出来事で、レンはちょっと呆気にとられてしまった。
「よかったのかオーバンス殿?」
こちらを気遣うように、それでいてどこか面白そうに、サーリアが訊ねてくる。
「ええ。サーリアさんとの約束が先だったので」
と答えたが、これは理由というより言い訳に近い。
もし先にあの姉の方から誘いを受けていたら、レンはかなり迷っただろう。
ああいう色気のある美女というのは、レンがもっとも不得意とする人種だ。そんな彼女と一緒の夕食など、考えただけで緊張してくる。だからサーリアとの約束を言い訳にして断ったのだ。
向こうは怒ってしまったようだが、これでもう誘われることはなさそうだと思うと、残念より安堵の方が勝った。