第163話 儚げな中身
別に怒ってないことを必死に説明し、どうにかネリスにも納得してもらい、やっと落ち着いて彼女から話を聞くことができた。
「別に集落での暮らしに不満があったわけではないんです。一度、外の世界を見てみたいなあ、なんて軽い気持ちで……」
ネリスをさらったゲルケスという男は、最初、遭難して死にかけていたところをイールに助けられた。
イールたちは外の世界との交流がほとんどないため、自然と閉鎖的になってしまった。だが過去には聖樹の民と呼ばれる部外者に、彼らの神である氷竜ランドリスを救ってもらったこともある。
そんな歴史もあって、イールはよそ者を積極的に受け入れようとはしないが、死にかけている遭難者を見捨てるほど冷たくもなかった。
助けられたゲルケスは、ケガが治って体力も回復すると、お礼を言って集落から去った。
ネリスとゲルケスは、特別仲良くしていたというわけではない。彼の滞在中、外の世界の話を色々と聞かせてもらったが、これは彼女だけではなかった。
どうやらゲルケスは色々な相手に話しかけ、外の世界に興味がありそうな者を見定めていたようだ。
集落を去ったゲルケスは、しばらくしてからまた集落に戻ってきた。ただし今度はひっそりと。そして他の者には見つからないように、ネリスに接触してきたのだ。
「俺は助けてもらったお礼に、この集落をもっと豊かにしたい。そのためには外との交流が必要だ。ネリスにはその架け橋になってもらいたい」
まずはネリスに外の世界を見てもらい、それを他のイールたちに紹介してもらいたい、なんてことを彼は言った。
今なら彼の言うことがおかしいとわかる。本当に集落のことを考えているなら、隠れてコソコソせず、堂々と正面から交渉すべきなのだ。
だがネリスは彼の言葉にころりとだまされてしまった。外の世界への興味が、彼女の判断力を狂わせてしまった。集落のリーダーは外の世界に否定的だったから、このチャンスを逃せば、外に行く機会はないかも、なんて気持ちもあった。
ゲルケスはリリムとミミのことも知っていて、
「二人も一緒に連れて行ったらどうだ?」
とも言われたが、これはさすがに断った。
こうしてネリスはゲルケスと一緒に密かに集落を出た――つもりだったのだが、それを目撃した者がいて、彼女はゲルケスにさらわれた、という話になったらしい。
「ちょっと軽率でしたね」
なんてネリスは言う。
いや、ちょっとどころじゃないだろうとレンは思ったが、彼女は言葉通り、ちょっと失敗しちゃいました、みたいな感じで、まるで笑い話のように話している。
やっぱり儚げな見た目と、中身がだいぶ違うような……?
「山から下りて、だまされたと気付いたときには手遅れでした。ゲルケスの他にもたくさんの人間の男たちがいて、ああ、私はこれからこの男たちに言葉にもできないような辱めを受け、徹底的に陵辱されてしまうんだ、なんて覚悟を決めたのに、ゲルケスは――」
「安心しろ。お前は大事な商品だから、おとなしくしている限り手荒なマネはしない」
「――なんて言って、馬車に押し込まれて、本当に言葉通り何もされませんでした。そのままここまで連れてこられて、貴族のロレンツ様に売られ、ああ、いよいよこの人に徹底的な嬲り者にされるんだ、と思っていたら、ロレンツ様からも手荒なマネはしないから安心しろと言われ、その通りでした。ちょっと暑いことをのぞけば、今の暮らしは集落にいるより快適なぐらいです」
彼女にとっては非常に幸運なことだっただろう。だが何だかそれをあまり喜んでいないような……? レンの気のせいだろうか?
「人間の男というのは、私のようなイールの女性に対して、そういう欲求を抱かないのでしょうか?」
「そんなことはないと思いますよ。あなたは――」
単に幸運だっただけです、と言う前に、
「ではレン様はそういうおつもりなのですね? あなたが大会で優勝して私を手に入れたら、私を好き放題、やり放題に扱うおつもりなのですね?」
「いえ、ですから――」
ぐいぐい迫ってくるネリスに、外見と中身が違うのでは? という彼の疑問は、確信に変わりつつあった。
レンは一度、郊外の森に戻るためロゼと一緒に城を出た。
リリムとミミは城に残してきた。他でもないロレンツ公爵が客人として扱うと言っているのだから、二人は安全だろう。
一方、城の外は危険だった。前みたいに他の大会出場者に襲われる可能性もあるので、ロゼには一緒に来てもらった。
城の兵士を護衛に付けてもらうという手もあったが、見知らぬ兵士たちに囲まれて、というのは嫌だった。
「領主様」
「うわぁ!?」
城から出て歩き始めたところで、いきなり背後から声をかけられたレンは跳び上がるほど驚いた。
「びっくりさせないで下さいよ……」
「失礼しました」
声をかけてきたのはダークエルフ、三人のシャドウズの一人だった。
足音を立てずに近付いてこられたので、レンは全く気付かなかった。どうやらロゼは気付いていたようだが、ガー太に乗っていないレンだと、彼の気配には気付けなかった。
「どうしてここに?」
「領主様を捜していました」
昨日、レンが戻ってこなかったため、シャドウズの三人はレンの捜索を始めていた。
主に街のダークエルフたちから情報を集めた結果、関係ありそうな事件が見つかった。
城からエルフの女性を連れ出した者がいて、それを兵士たちが捕まえた、という話だった。
情報が錯綜していて、確かなことはわからなかったが、もしかしたらリリムかミミが見つかって、間違って捕らえられてしまったのでは? と当たりを付けて、一人がずっと城の様子をうかがっていたところへ、中から普通にレンが出てきた――ということだった。
後の二人はまだレンを捜しているとのことなので、レンは今までの経緯を簡単に説明して、残りの二人を連れて森へ戻ってもらうように頼んだ。
レンとロゼは、そのまま二人で先に森へと戻ったが、途中でロゼが話しかけてきた。
「領主様。一つ聞いてもいいでしょうか?」
「なに?」
「領主様は、このまま大会に出るおつもりですか?」
「そのつもりだけど」
何か問題があるのかと思ったレンだったが、彼女が聞いてきたのは別のことだった。
「優勝してネリスさんを手に入れるためだと思いますが、他にも目的があるのでしょうか?」
「その言い方は誤解を招きそうだからやめてね。あくまで彼女を助けるのが目的だから」
「わかりました」
本当にわかってくれたのか、ちょっと不安だった。
「で、目的は彼女を助け出すことだから、他には何もないよ。もしかしてロゼには何かあるの?」
「いえ。私は領主様の命令に従うだけです。ですが私もリリムとミミのために、ネリスさんを助け出したいと思っています」
「うん。一緒にがんばろう」
「でもどうして私は、二人のためにネリスさんを助けたいと思っているのでしょうか?」
「はい?」
聞かれた意味がよくわからなかった。どうして助けたいかと聞かれても、助けたいと思うのが当たり前ではないか。
「リリムもミミも、ダークエルフではありません。二人のためにネリスを助けても、領主様はともかく、我々には何の利益もありません。それなのに、どうして私は二人を助けたいと強く思い、そのために領主様が行動してくれることをうれしく思っているのでしょうか?」
「難しく考えすぎだよ」
レンは笑って答えた。
「確かにリリムとミミはダークエルフじゃないよ。でもロゼは二人のことが好きなんでしょ?」
「好き……そうですね。二人のことは好きです」
「好きな相手のために、何かしてあげたいと思うのはダークエルフでも同じでしょ? ダークエルフは序列に従い、個人より全体の利益を優先するっていっても、個人の感情もあるんだからさ」
「それでいいのでしょうか? 全体のことを考えず、個人の好き嫌いだけで行動しても……」
「いいと思うよ。個人の好き嫌いはダークエルフ関係なしってことで」
と言いながら、レンは一つの嫌な可能性に気付いていた。
もし序列が上の者に、二人を殺せと命令されたらロゼはどうするのだろうか?
答えはわかっている。きっとロゼは命令通りに二人を殺すのだろう。これまでの経験上、序列の前に個人の好き嫌いは無意味だ。
それがダークエルフなのだ。
だがそんなことは考えたくもなかったし、ここで言いたくもなかった。ロゼにはこのまま二人を好きでいてほしかったし、二人のためを思って行動してほしかった。
だからレンは努めて明るく言った。
「ロゼは二人のことが好き、だから二人のために何かしてあげたい、それでいいんだよ」
「わかりました。ありがとうございます」
ひとまず納得したのか、ロゼは笑顔で答えてくれた。
ずっと忘れていた、五章の登場人物一覧を追加しました。
簡単な人物一覧なので、名前がわからなくなったときなどに見ていただければ。