第160話 大会
最初にロゼが跳び蹴りを食らわせた男は、まだ起き上がってこれない。
その後でロゼは男二人を相手にして、レンは別の男一人を押さえ込んだ。
これで四人。だが男たちは五人いた。その最後の一人が取った手段は――
「てめえら動くな!」
五人目が狙ったのは、この場でもっとも弱い存在、ミミだった。
ミミに襲いかかった男は、左手で彼女の体を抱きかかえ、右手に持ったナイフをのど元に突きつけた。
ミミは動かない。フードに隠れて顔は見えないが、おそらく恐怖のあまり声も出せないのだろう。
「ミミを離せ!」
隣にいたリリムが男に飛びかかったが、
「引っ込んでろ!」
男に蹴り飛ばされ、悲鳴を上げて地面に倒れる。
その衝撃でフードが外れ、リリムの顔があらわになった。エルフのような白い髪と白い肌が。
あ、まずい――とレンはあせった。街中で彼女の素顔は目立ちすぎる。
だがそんなレンより、蹴った男の方が驚いていた。
「エルフの女!? 大会の賞品がなんで――」
そして男はレンに向かって訊ねる。
「てめえ、まさか公爵の関係者か!?」
その顔には、先程までとは違うあせりのようなものが浮かんでいた。
聞かれたレンの方は答えられない。
リリムを見てエルフと間違うのはわかる。だがわかったのはそれだけだ。大会の景品と言われても意味不明だ。そもそもさっきから男たちが言っている、大会がなんなのかわからない。
「その大会っていうのは、何のことですか?」
レンは男に向かって訊ねたが、男が返事をする前に、別の声がした。
「お前ら、何を騒いでいる!」
声を上げ、こちらに向かって走ってくるのは街の衛兵たちだった。
レンが思ったのは、これで助かった、ではなく、面倒なことになった、だった。
別に悪いことはしていないが、事情の説明などで余計な時間を取られることになる。特にリリムやミミについて色々聞かれるだろう。
逃げられるなら逃げたいが、さすがにこの状況では動けない。せめてミミが捕まってさえいなければ、全員一緒に逃げられたかもしれないが。
男たちの方も事情は同じらしい。さすがにこれ以上争いを続ける気はないようで、逃げたそうにしているのはわかったが、仲間の一人がレンに取り押さえられているため、逃げるに逃げられないようだ。
逃げた方がいいんじゃないのか? と男たちに提案してみようか、なんて考えているうちに、衛兵たちはすぐそこまで来てしまった。こうなってはもう逃げられない。
どうやって事情を説明しようか、なんてレンは思っていたが、衛兵たちの行動はレンの予想を超えていた。
「エルフの女!?」
駆け寄ってきた衛兵たちは、まずリリムを見て驚いていた。
ここまではレンも予想していたが、そこから先の行動が違った。
「お前ら、このエルフをどうやって連れ出した!?」
連れ出したもなにも、リリムはずっとレンたち一緒にここまで来たのだ。
「すみません。誰か別の人と――」
勘違いしてませんか? とレンは聞こうとしたのだが、衛兵たちはレンと会話する気はなさそうだった。
「全員捕らえろ! 城まで連行する」
隊長らしい男の命令に、衛兵たちが動く。
レンたちも、相手の男たちも、全員まとめて捕まえるつもりのようだ。
レンは二人の衛兵に左右の腕を捕まれ、強引に押さえつけられる。
「痛てて!」
思わず声を上げてしまったレンだったが、それに反応したのがロゼだ。
「領主様!」
「だめだロゼ!」
慌てたレンの言葉に、ロゼはピタリと動きを止めた。もう少し遅かったら、衛兵たちに襲いかかっていただろう。そうなったら、ただでさえややこしい状況が、さらにややこしくなってしまう。
この場にいるのがレンとロゼの二人だけなら、あるいはもしガー太がここにいたなら、衛兵たちを蹴散らして逃げるという手もあっただろうが、ガー太がいない状況で、リリムとミミを連れて逃げるというのは無理だろう。
おとなしく捕まるしかなかった。
自分の身元を証明する、というのは現代日本だと簡単だった。
免許証とか学生証とかを持っていればそれですむし、そういう身分証が手元になかったとしても、多少の時間をかければ証明できる。
一方、この異世界での身分証明というのは大変だった。
身分証どころか、顔写真もなく、連絡手段も限られるこの世界では、自分の身元を証明したり、逆に誰かの身元を確認するというのは、中々に難しいことだった。
そういう世界だから、自分の身分を偽るような犯罪も多い。
「俺はどこそこの貴族の息子だ」
なんてウソをつく人間も多くいたし、それを簡単には見破れない。
そういう身分詐称に対し、各国の王や貴族が取った対抗策は厳罰化だった。
どこの国でもニセ貴族への処罰は死刑と決まっていた。貴族は自分たちの身分が一番大事なので、それを騙る者を決して許さない。
こうなるとニセ貴族を名乗るのにも、相応の覚悟がいる。
例えば衛兵に捕まった状況で、自分は貴族だとウソをつく人間は者はほとんどいない。貴族だとウソをついて捕まった場合は別である。その場合、バレたら死刑なのでウソを突き通すしかない。
そうではなく、捕まってから初めて「自分は貴族だ」とウソをつく人間はほとんどいない、ということだ。
本物かどうか、調べるのが難しくても不可能ではない。そしてバレれば死刑なのだから、あまりにリスクが大きすぎる。
だがその場しのぎのウソではなく、最初から周到に準備していた場合は別である。
証拠を用意していたり、容易にバレないような話をしたり――そんな中で最も単純で効果的なのが、外国の貴族を名乗ることだった。
国内の貴族でも調べるが大変なのに、それが外国となると難易度はさらに跳ね上がる。
「あの男はどっちだと思いますか?」
マイルが訊ねた。
彼はハーベンの街の衛兵だった。
街の住人から、傭兵連中が武器を持って暴れていると通報を受け、現場に急行、暴れていた連中をまとめて捕まえた。そこまではよくある仕事だった。特にここ一週間ぐらい、毎日同じようなことを繰り返している。
だが今回はちょっと違った。捕まえた連中の中に、普通ではない者が混じっていた。
彼が取り調べた若い男もその一人だ。
てっきり流れ者の傭兵だと思っていたのだが、
「僕の名前はレン・オーバンス。一応、グラウデン王国の貴族です」
なんてことを言い出したのだ。
貴族となれば、傭兵なんかと同じ扱いはできない。対処に困ったマイルは上司を呼んだ。
「まだ決まったわけじゃないが、俺は本物だと思う」
その上司が答えた。
最初はマイル一人で行う予定だった取り調べは、上司を入れて二人で行うことになった。
「どうしてそう思うんですか?」
マイルは、取り調べた男が貴族とは思えなかった。
取り調べはほとんど上司が行い、マイルは横で聞いているだけだったが、その時の男の態度が貴族には見えなかったからだ。
衛兵の仕事をしていると、たまに貴族がらみの事件に関わることもある。そこで彼が見た貴族はみんな偉そうだった。
貴族はまず、マイルの生まれを聞いてきた。これは確実だった。彼らはまず相手の出自を確認するのだ。
そこでマイルが平民出身だとわかると、貴族たちは露骨に態度を変えた。
平民風情が――口に出して言われたこともあるし、言われなくても態度で丸わかりだったが、彼らは平民を当たり前のように見下す。マイルもそれを当たり前だと思っている。貴族が平民より偉いのは当たり前だからだ。
ところがさっき取り調べていた男には、そういう貴族特有の偉そうな態度がなかった。マイルたちの生まれも聞いてこなかった。
だからあの男は貴族ではなく、ウソをついているのでは? と疑ったわけだが、上司の意見は違うようだ。
「ウソだとしたら中途半端だ。グラウデン王国の貴族なら、本物かどうか、調べようと思えば調べられる。どうせウソをつくなら、ザウス帝国あたりの貴族を名乗ればいい。そうすれば簡単には調べられない」
「それだけで本物だと思うんですか? 単にあの男がそこまで考えていなかった可能性もありますよね」
「それはある。だがあの男の話はちゃんと筋が通っていた。エルフの女の子の話、お前も聞いただろ?」
「そりゃまあ……」
捕まえた連中の中で、おかしかったのは男だけではなかった。一番の問題は、一緒にいたエルフの少女だ。それも二人。
今、この城にはエルフの女がいるという。
マイルも実物を見たわけではないが、公爵様が大金を出して買い取り、今回の大会の賞品にすると言い出したのだ。
だから最初に街中でエルフの少女を見たとき、マイルは城にいたエルフの女が逃げ出したと思ったのだ。
ところがあの男の話は全然違っていた。
そもそもあのエルフの少女たちはエルフではなく、別の種族だという。真っ白な外見は話に聞くエルフそのものだが、イールという違う種族なのだ、と。そしてそのイールの集落が男の領内にあり、男はそこからさらわれた女を探しに来たのだ、と。
「にわかには信じられない話だったが、男の話の中に矛盾はなかった。もしあれが作り話だとするなら、自分の身分についても、もっとバレにくいのを用意するだろう」
男の話はマイルも聞いていた。上司の言うように矛盾はなかった――と思う。そんな手の込んだ作り話をするような男なら、あっさりバレるようなウソは言わないだろう、という上司の言葉はその通りだろうと思える。
だとすれば、貴族にしては不自然だった男の態度も、逆に本物っぽいのだろうか。貴族だとウソをつくなら、もっと貴族らしい貴族を演じるはずだから、貴族らしくない貴族の方が信じられる?
考えていたマイルは、どれが正しいのがよくわからなくなってきた。
「今、男の話の裏付けを取っているところだ。それがわかればはっきりするだろう」
どっちなんだろうな、とマイルは思った。すでに事件は彼の手を離れていたから気楽だった。
レンは城の一室に軟禁されていた。
扱いは悪くないというか、丁重にもてなされているといえるだろう。
部屋は広くてきれいだった。ベッドもふかふかだったし、高そうな調度品も置かれていたりする。ここは牢屋ではなく貴賓室だ。
レンが貴族と名乗ったから、この待遇になったのだろう。
もっとも貴族だとちゃんと証明できたわけではなかった。証拠はなかったし、レンを取り調べた男たちも、本当かどうか疑っていたと思う。
それなのにこの待遇なのは、本物の貴族だったら後で困るからだろう。もし向こうがレンの話をウソだと判断したら、その時点で牢屋行きかもしれない。
疑いが晴れていないから、行動の自由も許されていない。部屋の中では自由だが、扉の外には見張りの兵士が立っていて、外に出ることができない。
さらに問題がもう一つ。
室内にはメイドさんが一人いた。それも若くてきれいなメイドさんだった。
「何なりとお申し付け下さい」
なんて言われたのだが、レンは一言も口を利いていない、というか話しかけられなかった。
普通の健全な男性なら、美人のメイドさんと聞けば大喜びだろう。レンだってその気持ちはわかる。彼も二次元ならメイドさんは大好きだった。
だが二次元とリアルは違う。美人のメイドさんに気後れしたレンは、チラチラと様子を見るぐらいしかできなかった。
向こうはさすがにプロというべきか、レンの不審な態度にも嫌な顔一つせず、常に柔らかな微笑を浮かべて待機している。
一緒の部屋にいると緊張するし、向こうにも悪いと思うので、もう部屋から出て行ってもらいたいのだが、それすら言えないのでどうしようもなかった。
仕方がないので、全然別のことを考える。
例えばメイド服だ。
ここにいるメイドさんもそうだが、この世界のメイド服は元の世界のメイド服とよく似ている。エプロンドレスにカチューシャという組み合わせも同じだ。
一口にメイド服といっても色々種類があって、専門家ではないレンには断言できないが、ロングスカートで正統派(?)と呼ばれるものに近い……と思う。
これは偶然なのだろうか?
別の世界の人間でも、同じような進化の経緯をたどり、メイド服へ行き着く可能性もないとはいえない。
それとも誰か異世界からメイド服を持ち込んだ人間がいるのだろうか?
などと、どうでもいいことを考えていると、部屋のドアが開いた。
「失礼するよ」
言いながら入ってきたのは中年の男性だった。
どこかの会社の営業マン、といった感じの、穏やかで気さくそうなおじさんだった。
彼を見たメイドさんが、深々とお辞儀をする。
軽装だったが、高そうな指輪なんかをしているし、お供の兵士を後ろに従えているので、彼が偉い人だというのはレンにもすぐわかった。
「初めてお会いする。私がロレンツ公爵だ」
「どうも初めまして。レン・オーバンスと言います」
レンはお辞儀して挨拶する。相手は公爵で、レンより身分が上だから、頭を下げるのはレンの方になる。もっともレンの場合、誰が相手でも丁寧に挨拶するのだが。日本人として生きてきた習慣である。
「お待たせして申し訳なかった。調べるのに色々と時間がかかってね」
レンが街で騒ぎに巻き込まれ、衛兵に捕まったのは昨日の昼のことだった。
それから一夜明け、今はお昼前である。
「どうやら君は本物のオーバンス伯爵のご子息らしい、ということがわかった。非礼をお詫びしよう」
「いえ、わかっていただけてよかったです」
レンはホッとした。ニセ者と思われるのはもちろん、本物かどうかわからずに軟禁が続く、というのも恐れていた。
特に残してきたカエデのことが心配だった。レンが捕まったと聞いたカエデが、城に乗り込んでくるんじゃないかとヒヤヒヤしていたのだ。カエデならやりかねない。
「君のことは、あらためて客人として歓迎しよう。もちろん自由に行動してもらって構わない。君の部下も同様だ。しかし問題もある」
ここでロレンツ公爵は一度言葉を切って、他の者たちに部屋から出て行くように命じる。残ったのは護衛の兵士が二人だけだ。
「君の目的は聞いている。イールの女を捜しているのだろう?」
「そうです」
すでにレンはここまで来た目的など、聞かれたことは全部話していた。レンが隠しても他の者たち、特にリリムとミミがしゃべるだろうから、正直に全部話すことにしたのだ。
「結論から言うと、君の捜していた女はここにいる」
「本当ですか?」
レンは驚いたが、もしかしたらとは考えていた。ネリスをさらった男たちは、どこかの貴族に雇われたという話だった。その貴族がロレンツ公爵だったとしても、おかしなことではない。
「君が連れてきた二人と顔合わせもした。間違いない」
捜していた人物を見つけることができたのだ。だがレンの目的はネリスを見つけ出すだけではない。まだその先がある。
「すでに話をお聞きしていると思いますが、僕の目的は――」
「わかっている。あの女を取り返しに来たのだろう? あれは貴重な商品になるからな。わざわざ君自身が乗り出してきたのも理解できる」
それは違う、とレンは思った。どうやらロレンツ公爵は、イールを商品と見ているようだ。人身売買の発想である。エルフとよく似ている彼女たちを、高値で買いたいと思う者も多いだろう。他でもないロレンツ公爵がそうなのだから。
レンにそんな考えはなかったが、違うと反論はしなかった。ここで反論しても話がややこしくなるだけだし、お互いの価値観が違いすぎて、理解し合うのは無理だろうとあきらめていたからだ。
「少し前なら、君にあの女を返してもよかったんだがなあ」
「今はダメということですか?」
「そうだ。すでにあの女を大会の賞品にすると発表してしまった。それをなしにはできない」
「すみません、その大会って何のことでしょう?」
昨日の男たちも、そんなことを言っていた。
聞かれたロレンツ公爵はちょっと驚いたようだ。
「知らないのか?」
「ここへ来たばかりなので……」
「今、この街では大きな大会を開こうとしているのだ。私の跡継ぎを決める、後継者決定大会をな」
今度はレンが驚いた。