第159話 ハーベンの街
遅くなってすみません。
三連休だったのに忙しくて。まあ、佐世保とかに遊びに行ってたせいなんですが……
とにかく遅れないようにがんばります。
ハーベンの街に近づくにつれ、少しずつ周囲の様子が変わっていった。
まず街道をゆく人たちが増えた。ガー太に乗ったレンは注目されることが多くなり、ちょっと居心地が悪い。
そして風が変わり始めた。
今までダーンクラック山脈の方から吹いていた風は、カラッとしていてさわやかだったのだが、これが南からの湿った風に変わった。
気温はそれほど変わっていないのだが、湿度が上がり、過ごしやすさがだいぶ違う。
レンはまだ平気だったが、人間と比べ寒さに強く暑さに弱いといわれるダークエルフたちは、ちょっとしんどそうだ。そしてそれよりひどいのがイールのリリムとミミで、二人はバテてぐったりしていた。
それでも二人はレンに向かって弱音を吐かなかったので――代わりにロゼに甘えていたようだが――変わらぬペースでハーベンへと向かった。
そしてロレンツ公国に入って五日目。
レンたちはハーベンの街へ到着した。
さすがにロレンツ公国の中心だけあって、ハーベンは大きな街だった。
街を見下ろす高台には大きな城が建っていて、きっとあれがロレンツ大公爵の居城だろう。そこから街は下に向かって広がり、その先にあるのは広大な青い水面――海だった。
当たり前だけど、この世界にも海があるんだなあ、とレンは思った。異世界に来てから海を見るのは初めてだったが、日本で海は見慣れている。
だから海を見ても驚くことはなかったが、異国の街並みと海の組み合わせは新鮮で、まるで海外の観光地にでも来た気分だった。
「すごい! ロゼ姉さま、あれ全部水なのか!?」
一番はしゃいでいたのはリリムだった。隣ではミミも同じように驚いている。
海が見えるということで、馬車から出てきてもらったのだ。周囲に人影がないのは幸運だった。
山から出たことがなかった二人にとって、今回の旅は見るもの全てが新鮮だったに違いないが、その中でも海を見た衝撃は一番だろう。
「そうですね。多分、水です……」
と応えるロゼだったが、その顔はちょっと固い。
「姉さま、どうかした?」
「気分が悪いの?」
「いえ、そんなことは」
心配そうなリリムとミミに応えるロゼだったが、やはりその顔はさえない。
彼女だけでなく、ダークエルフ全員が、なんだか微妙な顔をしている。
いつもならはしゃいでいそうなカエデも黙っているので、レンは聞いてみた。
「どうかしたカエデ?」
「レン、今からあそこに行くの?」
「海まで? 別に行ってもいいけど――」
と答えたところで、レンはダークエルフたちの様子がおかしい理由に気付いた。
「もしかして海が怖い? あの広い水のことを海っていうんだけど」
コクリとカエデがうなずく。
やっぱりそうだった。カエデも、他のみんなも海が怖いのだ。
ダークエルフは基本泳げない。同じ体格でも人間より体重が重く、水に浮かないのだ。だから彼らは水に入るのを恐れる。
レンの屋敷には自然の温泉があったが、最初はそれに入ることさえ怖がる者が多かった。
そんなダークエルフたちが海を見ても、その広さと美しさに感動するより、恐怖する方が勝るのだろう。
「大丈夫だよ。街は海のそばにあるけど、別に海に入る必要はないから」
「ほんと?」
「本当、本当」
それを聞いてカエデはやっと安心したようだ。
他のダークエルフたちも同様で、リリムとミミだけが、よくわからないといった様子だった。
問題なくハーベンの街に到着したレンたちだったが、そこから先の展望はなかった。ハーベンに来たのも、他にいい案がなかったからだし、ここで手がかりがつかめるという保証もない。
それでもやられるだけのことはやろう、というわけで、
「すみませんけど、頼みます」
いつものようにジョルスに頼む。彼が率いるシャドウズの三人に、現地のダークエルフに接触してもらって情報を集めてもらう。同時に序列の高い者に連絡してもらうように頼んだ。
集落のダールゼン、王都ロキスのルーセントのように、ハーベンの街にも現地のリーダーがいるはずだ。その協力を得られれば、情報集めもはかどるだろう。
協力を断られることはないだろう、とレンは楽観視していた。今のレンには取引材料があったからだ。
ダークエルフの運送業をこの国まで広げる――安定した仕事を得られるとなれば、ダークエルフたちも協力してくれるだろう。少なくとも、この国に来てから会ったダークエルフたちは、みんな興味を示してくれた。
もっとも取引材料というのはブラフだったが。
今回、もし協力を断られたとしても、レンはここにも運送業を広めるつもりだった。それがダークエルフたちの利益になるというなら、やらない理由はない。それも嫌だと言われたら困ってしまうが……さすがにそれはないと思いたい。
シャドウズの三人を送り出したレンは、自分も街へ行ってみることにした。
街の様子も見ておきたかったが、それより異世界の海に興味があった。多分、地球の海と変わらないと思うが、やはり一度自分の目で見ておきたい。
いつもならレンが行くと言えば、カエデも行くと言い出すのだが、今回は違った。
「行かない。海キライ」
カエデを連れて行くと目立ってしまうので、残ってくれるならそれでいい。ガー太と一緒に留守番してもらうことにした。
代わりに行きたいと言い出したのが、
「わたしも海が見たい!」
リリムだった。隣ではミミが、こちらは口には出さないものの、行きたいと目で訴えていた。
「うーん……」
二人の安全を考えれば、連れて行かない方がいいに決まっている。だが二人はここまで、ずっと文句も言わず馬車の中で我慢していた。それを考えると、連れて行ってあげたい。
「わかったよ。一緒に行こう」
「いいのか!?」
やったあ! と喜ぶ二人。
「でも勝手なことしちゃだめだからね。ちゃんとロゼの言うことを聞いて、おとなしくしてるんだよ」
「えっ?」
と声を上げたのはロゼだった。
「いや、二人が行くなら当然ロゼもって思ったんだけど……」
そこで思い出す。最初、ロゼも海を見てかなり嫌そうな顔をしていた。
「もし嫌なら無理しなくても――」
「いえ、ご一緒させていただきます!」
とロゼが強い調子で答える。
「領主様と一緒なら、どれほど危険な場所でも、いえ危険な場所だからこそ一緒に行きます」
「いや別に危険ってわけじゃないから」
船に乗って沖へ漕ぎ出そうというのではない。どこか港か海岸まで行けば十分だった。
こうしてレンたちは四人で街へ向かうことになった。
リゲルとディアナは、カエデと一緒に留守番となった。カエデを一人にするのは色々と心配だったし、後二人ともやっぱり海は嫌そうだった。
ハーベンの街には外壁がなかった。
高台に建つ城は城壁に囲まれていたが、街を囲むような外壁はない。
これまでレンが見てきた大きな街は、大なり小なり外壁があった。人口が増えた結果、壁の外まで広がってしまった街は何度も見たが、それでも壁は存在していた。外壁が全くない大きな街というのは初めてだった。
これは後で聞いた話なのだが、海に面した街というのは、外壁を持たないことが多いらしい。
理由は海に棲む魔獣だった。
海魔や魔魚などと呼ばれる海の魔獣は、陸の魔獣と相性が悪いようで、陸の魔獣はあまり海沿いには近寄らない。
レンはこの話を聞いた時、ガングのことを思い出した。黒の大森林の湖には、ガングと呼ばれる大魔魚が棲んでいるが、これを恐れてか、他の魔獣は湖のそばに近寄らないとのことだ。では湖のそばが安全かというと、そうではない。並みの魔獣より、ガングの方がはるかに恐ろしいからだ。
海沿いの街も同じようなものだ。
陸の魔獣が近寄らなくても、海の魔獣に襲われる危険性がある。
だが海魔や魔魚の多くは、海中を住処としていて、滅多に陸には上がってこない。また上がってきたとしても、その力は海中と比べて大きく劣るから対処しやすい。
そのため海沿いの多くの街では、外壁が築かれなかった。
壁を築く労力と、魔獣に襲われる危険性を秤にかけた結果だった。
外壁がないので街への出入りも自由で、これはレンにとって都合がよかった。ちょっとワクワクしながら街中に入ったレンだったが、すぐに雰囲気がおかしいことに気付いた。
レンは異世界に来てから何度か戦いを経験しているが、そのおかげで気づくことができた。街の空気は、戦いを前にしたそれに近かった。みんなピリピリしているようなのだ。
また街を行く人々の中に、なんだかガラの悪い連中が多く、そのほとんどが武器を持っていた。おそらく傭兵だろうが、この時代の傭兵は、盗賊や山賊なんかと変わらないものが多い。そんな連中がたくさんいれば、街の空気が悪くなるのも当然だった。
実際、あちこちでトラブルが起きているようで、同じ装備で身を固めた衛兵らしい者たちが、走っていくのを何度か見た。
「一度帰った方がいいかな?」
「はい。それがいいと思います」
ロゼが即座に賛成したのは海が怖いからではなく――もしかしたら少しはそれもあったかもしれないが――彼女も街の雰囲気がおかしいことに気付いていたからだろう。
「ええーっ!?」
と反対したのはリリムだ。ミミも帰りたくない、という顔をしている。
「海に行くのをやめたわけじゃなくて、一度帰るだけだから。また後で来ようよ」
ジョルスたちが戻ってくれば、街で何が起こっているのかわかるだろう。海に行くならその後でもいい。
「二人とも、領主様の命令ですよ。わがままはいけません」
レンだけでなく、ロゼからもちょっと厳しめに言われ、二人ともシュンとする。
「ごめんなさい……」
「わかってくれればいいんです。領主様の言うとおり、一度帰って、また後で行きましょう」
「そうだ。海を見るだけなら、別のところに行こうか」
街と海を一緒に見ようと思ってここへ来たわけだが、海を見るだけなら街から離れた場所でもいい。二人はいつものようにフードをすっぽりとかぶっていたが、人がいなければ顔を隠す必要もない。そっちの方が楽しめるだろう。
とにかく一度戻ってからだな、と思ったレンはさっさと街を出ていくことにした――のだが、それはちょっと遅かったようだ。
「おい兄ちゃん」
レンの前をふさぐようにして、声をかけてきたのは五人組の男たちだった。
いずれもガラの悪そうな中年男性で、全員が剣を帯びていた。ちょっと顔が赤いのは、酒を飲んでいるからだろう。
一目見てまともな相手じゃないと思ったレンは、無視して横を通り過ぎようとしたのだが、男たちは回りこんできた。
「おいおい無視するなよ」
「ガタイはでかいし、かなりの腕自慢みたいだが、なんでダークエルフのガキなんかを連れてるんだ?」
「人間よりそっちの方がいいのか?」
「まさかガキでしかたたないってことはねえよな?」
好き勝手言ったかと思うと、声を上げて笑いあう。
ダークエルフ差別主義者か、とレンは思った。ダークエルフというだけで気に入らない、という人種に違いない。そうでなければ、からまれる理由がわからなかった。
自分でいうのもなんだが、今のレンはかなり強そうだ。もとから大柄で鍛えられていた体だったが、ガー太に乗っているうちにさらに鍛え上げられ、今や筋肉ムキムキ状態だ。これにケンカを売ろうという相手は、そうはいないと思われる。
こちらが一人に対して向こう五人で気が大きくなったのかもしれないが――知らない人間から見れば、ロゼは無力な少女である――迷惑な話だ。
相手の言動に腹は立ったが、それでもレンは黙って通り過ぎようとした。
体は強くなっても、もめごとが苦手な性格は変わっていないし、ここでトラブルを起こしても、いいことは一つもない、という理性の方が勝っていた。
だが男たちはしつこかった。
「待てって言ってんだろ!」
男たちの一人が声を上げ、いきなり腰の剣を抜いた。後の四人もそれを止めるどころか、同じように剣を抜く。
レンは驚いた。
剣を抜いたら、それはもうケンカではなく殺し合いである。当たり前だが、ケンカと殺し合いでは全然違う。
「お前も大会の参加者だろ? だったら事前の潰し合いが、おとがめなしなのも知ってるよな?」
男たちが気になることを言った。
大会とか参加者とか、レンには何のことかわからない。だがそれを聞き返している余裕はなさそうだ。
男たちの一人が、剣を振り上げる。
これはかなりまずい状況だった。今のレンは武器を持っていないし、ガー太も近くにいない。武器を持った複数相手に、素手で勝てる自信はなかった。
だが男たちの機先を制するように動いた者がいた。
ロゼである。
剣を振り上げた男に向かって走ったロゼは、その勢いのまま飛び蹴りを放つ。
男の方は全く反応できなかった。レンの後ろにいたロゼに、まったく注意を払っていなかったというのもあるが、注意していても反応できたかどうか。それほどロゼの動きは素早かった。
見た目は細身の少女だが、ダークエルフである彼女の身体能力は、並みの男を凌駕する。だから蹴りの威力も相当なもので、
「ぐぎゃっ!?」
顔面に飛び蹴りを食らった男が、悲鳴を上げて吹き飛ぶ。
「てめえ!」
もう一人の男が、ロゼに向かって斬りかかるが、彼女は横に動いてそれをかわし、さらに軽く後ろへ飛ぶ。
三人目の男が、横薙ぎに振るった剣が空を切った。
これで二対一、しかも相手の二人は武器を持っていたが、ロゼにはまだ余裕がありそうだ。
しかし男たちもこれで全員ではなかった。
四人目の男は、ロゼではなくレンに向かってきた。
まずいぞ!? とレンはあせる。ロゼも男の動きに気付いたようだが、彼女の助けは間に合いそうにない。自分一人で対処するしかなかった。
ガー太に乗っているときとは違い、恐怖に身がすくみそうになるレンだったが、おかしなことに気付いた。
なんだか妙に相手の動きが遅く見えたのだ。
男が剣を振り下ろしてくるが、これなら左に動けば簡単にかわせそうな気がする――と思ったレンは、その通りに左に動く。
すると予測通り、あっさりと一撃をかわすことができた。
攻撃してきた男の方は、勢いがよすぎたのか前につんのめりそうになったが、どうにか踏みとどまって二回目の攻撃。
レンはこれもあっさりと回避する。
「こいつ、ちょこまかと!」
男がいらだったように声を上げ、三度、四度と斬りかかってくるが、レンはそれも全て回避する。
相手の動きが見える、とレンは思った。
これは日頃の訓練の成果だろうか――そんなことを考えられるぐらいの余裕が生まれていた。
いざというときに身を守るため、という理由でレンはずっと剣の訓練を続けていた。
訓練相手はロゼやリゲル、あるいはシャドウズのメンバーだったが――カエデは手加減が苦手なので論外だ――これがもう、全く相手にならなかった。
シャドウズはもちろん、ロゼやリゲルにも全然歯が立たないのだ。
正直なところ、こんな訓練を続けても無意味なんじゃ? などと思いながら続けていたのだが、ちゃんと意味はあった。
レンの場合、相手が強すぎたせいで技量の向上を実感できていなかっただけで、訓練は身に付いていたのである。
これならいける、と思ったレンは反撃に転じた。
攻撃をよけつつ相手の右腕をつかみ、同時に相手の足も払う。
「うおっ!?」
空振りを繰り返し、息が上がり始めていた男は、あっさりと転んだ。
レンがつかんだところを中心に、男の体はくるりと一回転して、背中から地面にたたきつけられた。
「がはッ!」
と悲鳴を上げた男をうつぶせにして、さらに腕をひねり上げる。
これも訓練で教えられた体術だ。
腕の痛みに男が悲鳴を上げたところで、レンは少し力を緩める。このまま力をかけ続ければ、男の腕をへし折ることもできただろうが、さすがにそこまでやる気にはならなかった。
やった、やったぞ!
上手く男を取り押さえたレンは、かなり興奮していた。
その場で叫び出したいぐらいだった。