第157話 山を越えれば金になる
週末に更新しようと思ってたんですが、結局こんな時間に。
このところ遅れ気味ですが、最低週一回を守れるようにがんばります。
レンはイーリスに興味を持っていた――と言われたら、
「誤解を招くような言い方はやめてくれませんか」
とレンは抗議していただろう。
より正確にいうと、レンは彼女の計算能力に興味を持っていた。
現代日本なら気にならないが、ここは義務教育もない異世界だ。小さな女の子が、どこでどんな勉強をしたのか。
だが彼女の答えは意外なものだった。
「勉強……? なんにもしてない」
「じゃあどうやって計算できるようになったの?」
「見てるうちにおぼえた」
計算って見ているだけで自然と覚えられるものなのだろうか?
無理じゃないかと思ったが、前の世界で、そういう数学者の話を聞いたことがあるような、ないような。
満足に勉強もしていないのに、自然と難しい数式が解けるようになった、みたいな話を。
もしかしてこの子も、そういう類の天才なのだろうか。
「でもあの人に負けた……」
「リゲルのこと? あの子はそろばんをやってるからね」
「そろばん?」
「計算をするための道具だよ。興味ある?」
こくこくとうなずくイーリス。
「今持ってたかな……。もしあれば、イーリスちゃんにプレゼントするよ」
自然にあれだけの計算ができるようなったというなら、そろばんだってすぐに覚えるのではないだろうか。
などと思っているとドアが開き、中年の男性が部屋に入ってきた。
走ってきたのだろうか。男の額には汗が浮かび、息も上がっている。男は太めの体型だったので、余計にしんどそうに見えた。
「オーバンス様、ですな? 私が、この店の主、ビロウス・シュベンドでございます」
と息を切らしながら挨拶してくる。
レンもソファーから立ち上がり、彼に挨拶しようとしたのだが、
「今回は娘のナタリアをお助けいただき、誠にありがとうございます。また、それにもかかわらずのご無礼、申し訳ありません」
とまたもいきなりの土下座である。
「顔を上げて下さいビロウスさん。別に怒っていませんから」
ここまでされると、自分の方がひどいことをしているように思えてくる。
レンの中では、一言「すみません」ですむ話なのだが。
「寛大なお言葉、感謝いたします」
顔を上げたビロウスは、ここで室内にいたナタリアとイーリスに気付いたようだ。
特にイーリスがいたのが意外だったようで、
「もしかして、この子が何か無礼でも?」
とレンに聞いてきた。
「いえいえ。イーリスちゃんはすごく計算が得意ですよね。ですからどうしてそんなに得意なのか、色々話を聞いていたんです」
「ああ。確かにこの子は計算だけは得意で。ただ女ですからなあ。これが男ならよかったんですが、女が計算ができても無駄ですから」
レンは落胆の表情を浮かべた。
ビロウスは女に勉強は無意味と言い切ったが、これは彼だけの意見ではない。この世界の常識なのだ。
すでにレンはそのことを知っている。
レンは現代日本だと、どちらかといえば古い考えの持ち主だった。
母親に捨てられたも同然で育ったこともあり、母親はまずは育児に専念すべきだと思っていたりする。結婚どころか、恋愛経験もないレンが思っても無意味だったが。
だがそんなレンでも、この世界ではとてつもなく先進的な考えの持ち主だった。
男女平等なんて言葉は、まだ存在すらしていないのだから。
「何か?」
ビロウスはレンの顔が曇ったのを見逃さなかったようだ。
「いえ、これは僕の個人的な思いなんですが、女の子でも勉学の才能があるなら、それを伸ばしてあげるのもいいじゃないかと思うんです」
ビロウスは、レンの言葉に驚いたようだ。
そりゃそうだよなあ、とレンは思った。この世界の常識に反することを言っているのは自分の方なのだから。
ビロウスは何やらしばらく考えてから口を開いた。
「よいお考えかもしれません。実は私も、この子の才能を伸ばせないか、と考えたことがあります」
予想外の応えにレンは驚いた。まさか彼が賛同してくれるとは思わなかったからだ。
ナタリアも父親の言葉に驚いている。
「本当にそう思いますか?」
「はい。女であっても、才能があるならそれを伸ばすべきでしょう」
この世界にもそういう進んだ考え持った人がいるんだ、とレンはビロウスに好感を持った。
「ただそうはいっても中々難しい。女に勉強を教えてくれる者などいませんからな。そこでオーバンス様にお願いがあるのですが」
「僕にですか?」
「はい。イーリスに数学の才能があるというなら、それをオーバンス様が教えていただけませんか? 娘をあなた様にお預けしますから、色々と教育してもらえれば」
「いきなりそんなことを言われても……」
「ご無理は承知ですが、そこをどうにか」
頼まれたレンは考える。
できるか、できないかでいえばできるだろう。レンの屋敷ではダークエルフの子供たちを集めて勉強を教えている。そこにイーリス一人を増やしても問題ないだろう。
あそこなら女の子が勉強しても無駄だとか、そういう問題も存在しない。ダークエルフは男女平等である。
ビロウスが言うように、勉強するならここにいるよりも、いい環境だと思えた。
「イーリスはどう思う? 数学とかもっと勉強したい?」
「勉強?」
「そう。計算とかをもっと練習して、もっともっと難しい問題とかに挑戦したりして、そういうのを勉強してみたい?」
「むずかしい問題……やりたい」
どうやらイーリスにも勉強したいという意欲はあるようだ。
だったらそれをかなえてやるのが自分の役目かもしれない、とレンは思った。
「わかりましたビロウスさん。彼女のために、できる限りのことをしてあげようと思います」
「おお、ではイーリスはあなた様にお預けします。どうかよろしくお願い致します」
笑みを浮かべたビロウスが、深々と頭を下げる。
レンは少し感動していた。きっと、彼のような人物が少しずつ社会を変えていくんだろう、なんてことまで思っていた。
「お前たちはもう下がっていなさい。私はもう少しオーバンス様と話がある」
ナタリアが一礼し、彼女に促されてイーリスもペコリと頭を下げ、二人は部屋を出て行った。
話ってなんだろう? とレンは思った。一応お礼も言われたし、もう話すこともないと思うのだが。
「実はちょっとしたうわさを耳にしまして、それについて、ぜひオーバンス様にお聞きしたかったのです」
「なんでしょう?」
「オーバンス様はグラウデン王国で、ダークエルフたちを使った大規模な商売をしているとか」
「運送業のことですか?」
「まさにそのことでございます」
「よくご存じですね」
同じ王国内ならわかるが、まさかバドス王国にも知っている人がいるとは思わなかった。さすがは商人、情報収集能力が高いんだな、と感心する。
「その運送業を、この国まで広げるつもりでしょうか?」
「一応、考えてはいますよ」
業務は順調に拡大しているというか、むしろ業務の拡大が速すぎて、人材の確保が追いついていないというか。
だがいずれはグラウデン王国内だけでなく、別の国でも、というのは考えていた。
「それを私どもがお手伝いできないか、と考えているのですが」
「それはつまり、ビロウスさんの店で運送屋を使いたいってことですか?」
安全安心の運送屋が存在しないというのは、この国でも同じだろう。だからこちらと取引したいのかと思ったのだが、
「それだけではございません。もちろん山脈を越える荷運びなど、ぜひ利用したいとは思っていますが、その先についてもお手伝いできるのではないか、と。私はロッタムの街とも商売をしていますが、国内でも結構手広く商売しているのです」
熱心な口調でビロウスは話す。
「オーバンス様がバドス王国でも商売をなさりたいなら、色々な方をご紹介したりすることもできます。いわば、この国の窓口として、オーバンス様のお手伝いができるのではないか、と考えているのです」
悪い話ではないと思った。
ダークエルフたちの運送業で、何が問題なるかといえば、やはりダークエルフへの差別意識である。
「大事な荷物をダークエルフなんかに預けられるか」
という人間は多い。
だが最初にビロウスが利用し始めて、さらに他の商人にも紹介してくれるというなら、取引が一気に増えるかもしれない。元の世界でも、この世界でも、商人は利益第一だ。使えるとわかればダークエルフでも気にしないだろう。
なによりレンはビロウスに好感を持っていた。
女性の教育に賛同するような、先進的な考えを持つ彼となら、上手く商売をやっていけそうに思えた。
「私は常々言っていることがありまして。山を越えれば金になる、と。オーバンス様ならおわかりいただけると思いますが」
よくわかる言葉だった。
レンの場合は山ではなく森だ。黒の大森林を越えた密輸は、ダークエルフたちに大きな利益をもたらしている。
ここでは森ではなく山なのだ。山を越え、国境を越えて上手く商売ができれば、国内だけよりも大きな儲けが期待できる。
「わかりました。僕は商売の実務には関与していませんが、この国での所用をすませ、グラウデン王国へ帰ったら、商人の方と話をしてみます」
積極的なマルコのことだ。バドス王国まで商売を広げたいと言っても、反対されることはないと思う。
ただ彼は彼で、もう動いている可能性があった。すでにこの国での取引相手を見つけているかもしれないが、その時はその時だ。
とにかく一度話してみようと思った。
「それではイーリスのことも含め、よろしくお願い致します」
ビロウスは満面の笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。