第154話 ビロウスのあせり
長くなりすぎたので、上下に分けることにしました。
続きは今日中に上げるつもりです。
しばらく前からビロウス・シュベンドはあせりを感じていた。
彼はダランの街でも一二を争う商人であり、商売も順調、傍目にはあせる必要などないように思える。
だが彼はあせっていた。グラウデン王国から入ってきたとある噂が原因で。
ビロウスの店は主に衣類を扱っているが、他にも食料品や貴金属など手広く商売している。
取引相手はダーンクラック山脈の向こう側、グラウデン王国の商人たちだ。
「山を越えれば金になる」
がビロウスの口癖だ。
国内で様々な商品を仕入れ、それを山脈の向こうのグラウデン王国へと運んで売る。逆に向こうから商品を仕入れて、こちらで売る。それが彼の商売だ。
単純だが誰でも簡単にできる商売ではない。個人の手荷物ぐらいならともかく、大々的に国境を越えて商売するには、色々な手続きが必要だった。
だがそこは抜かりない。
ダランの街や国境の砦を治める貴族、役人たちとは懇意にしている。
金品を送ったり、街で接待したり――少なくない費用が必要だったが、見返りに様々な便宜をはかってもらっている。彼の商売が順調なのもそのおかげだ。
そうやって商売している彼の元には、商品だけでなく、様々な情報やうわさも国境を越えて入ってくる。その中に気になる話があったのだ。
グラウデン王国内での物流が大きく変わりつつある、といううわさだった。
この世界の商人にとって物流は大きな問題だった。
物を運ぶというのは、それだけで金と時間がかかるものだが、それに加えて盗賊や魔獣という大きな危険がある。
ビロウスも自分の隊商が魔獣に襲われ、大きな痛手を受けたことがある。
それはこの国に限らず、どこの国でも事情は同じ――はずだったのだが、グラウデン王国でそれが変わろうとしている、というのだ。
各地の犯罪ギルドが手を結び、安全かつ安定した密輸ルートを構築しているという。
くだらない噂だ、と笑い飛ばしてもよかったのだが、ビロウスはなぜかそれが気になった。商人としてのカンだったのかもしれない。
ビロウスは噂の真相を確かめるべく動いた。
それなりの金を使い、犯罪ギルドから情報を仕入れ――結果、どうやら噂が本当らしいと知った。
驚くべきことだった。
ビロウスは自分もその話に一枚かんでみたいと思った。もちろん金儲けが第一だが、それだけではなくロマンを感じてもいた。
安定した巨大物流網の構築。何とも壮大で、心躍る話ではないか。
だが大きな問題があった。
その話は今のところ犯罪ギルドを中心にして進み、そこへ犯罪ギルドと親しい商人が加わりつつあるというのだが、ビロウスは犯罪ギルドにツテがなかった。
商人にも様々なタイプがいるが、ビロウスは極力犯罪ギルドと関わらないようにしてきた。
連中を上手く利用すれば大きな利益を得ることもできるが、逆に食い物にされ、身を滅ぼす危険もある。
だから彼は裏社会に関わらないようにしてきたのだが、今回はそれが裏目に出ている。
今まで付き合いがなかった相手に、こちらからのこのこ近付いていけばどうなるか。しかも向こうは犯罪ギルドだ。足元を見られ、それこそいいように食い物にされてしまうだろう。
かといって無視することもできない。
もしうわさが本当だったなら、彼の商売への影響は甚大だ。
新しく作られた物流網を利用し、彼より大量かつ安定的に商品を売買する者が現れればどうなるか?
「うちの商売は安泰だ」
とあぐらをかいていた商人が、足をすくわれ没落するのを、彼は何度も見てきた。
これを見逃せば自分もそうなるかもしれない――という危機感があった。
だからビロウスは動くことにした。
色々と打つ手はあったが、その中でも大きな一手が、娘のナタリアの見合いだった。
彼はナタリアのことを高く評価していた。
妻に似た美しい娘だから、というわけではない。あの娘は自分の美貌にうぬぼれず、それを武器として使う術を心得ている、と彼は思っていた。
頭の回転も速く、人を見る目も持っている。
こいつが息子だったなら、と何度思ったことか。そうであれば、迷うことなく店を継がせただろうに。
だがいくら有能でも女を店の跡継ぎにはできない。それはこの世界の常識だった。
だったら、誰か有能な人間を婿に迎えて、その入り婿に店を継がせるか、とビロウスは考えていた。
その方針を転換して見合いさせたのは、グラウデン王国での動きが原因だった。
相手のジョシュア・バンナークというか、嫁ぎ先となるバンナーク商会は、ロッタムの街の有力な商人だ。そことの結びつきを強め、新しい動きに対応できるようにする。
話を持ちかけると向こうも乗り気だったので、このまま話は進むと思われたのだが……
「魔獣の群れに襲われた!?」
見合いに出て行ったナタリアが帰ってきたと思ったら、とんでもないことを報告してきた。
「はい。幸い、私たちはどうにか無事でしたが」
「それはなによりだった」
安堵するビロウスだったが、
「ですがジョシュア様が、彼のお父様と一緒に亡くなられたようです」
「バンナーク殿が!?」
ダーンクラック山脈は人の住まない土地だが、例外的に魔獣が少ないことで知られている。
ビロウスも取引しているからよく知っているが、竜の爪跡を通る隊商が魔獣に襲われることは年に一回あるかないか。魔獣の群れとなると、数十年に一度あるかないかだろう。
それがよりにもよってこのタイミングで現れるなど、なんという運の悪さか。
しかも親子そろって死んだというのがさらにマズい。
ジョシュアだけが死んだのなら、他の息子を跡取りにして、ナタリアの相手もその息子に、となっただろう。
当主の父親だけが死んだのならジョシュアが跡を継ぐだろうから、そのままナタリアを妻として送り込めばいい。そうなっていればナタリアを通じて向こうの店を乗っ取れたかもしれない。
だが親子そろってとなると、向こうも大混乱だろう。
残された者たちで後継者争いが始まり、周囲の貴族や犯罪ギルドも介入してくるかもしれない。とてもナタリアを嫁にやれる状況ではない。
見合い話は無くなったと判断するしかなかった。残念だったが、心のどこかで喜んでいる自分がいた。やはり婿取りの方向で話を進めるべきか?
だが今はナタリアの将来より商売の話だ。新しい物流網に備えて、別の手を考えなければならない。
「もうダメかと思いましたが、エッセン伯爵様が兵士たちを率いて駆けつけ、私たちを助けて下さいました。後、レン・オーバンス様という方も一緒に。こちらはグラウデン王国の伯爵家のご子息で――」
「レン・オーバンス?」
ナタリアの話を聞いていたビロウスが、そこで口を挟んだ。
レン・オーバンス、どこかで聞き覚えのある名前だったが……
「レン・オーバンスだと!?」
突然父親が大声を上げたので、ナタリアはびっくりする。
「それは本当にレン・オーバンスだったのか?」
「確かにそう言っていましたが……」
「なんということだ」
各地の犯罪ギルドが手を結び、巨大な物流網を作り始めた裏には、一人の黒幕がいるという話だった。
その黒幕こそがレン・オーバンス。
凶悪なダークエルフたちを手足のように操り、逆らう者は皆殺し。犯罪ギルドすら恐れる冷酷非情な貴族らしいが、まさかその本人とナタリアが出会うとは。
しかしレン・オーバンスがなぜバドス王国に?
理由を考えたビロウスは、一つの答えにたどり着く。
グラウデン王国に引き続き、バドス王国でも新たに物流網を構築するつもりではないのか?
一国だけでなく、二国間に渡って物流網を構築できれば、その効果は倍増どころか、何倍、何十倍にも高まることだろう。
もしかしたら、バドス王国でのパートナーを選ぶつもりなのかもしれない。だから他人任せにせず、本人が直接乗り込んできたのだ。そうだ、そうに違いない。
こうしてはいられないと思った。
レン・オーバンスがここにいるのだ。この千載一遇のチャンスを逃さず、なんとしても会って話をしなければ。
彼と関係を深めることができれば、ビロウスの商売にも大きなプラスとなる。
「ナタリア、オーバンス殿とは何か話をしたか? まさか悪い印象は持たれていないだろうな?」
「悪い印象というか、ちょっと誘惑してみようと思ったのですが上手くいきませんでした」
「お前でもダメだったのか?」
ナタリアは男を手玉に取るのに長けている。
見た目は文句のない美人だし、相手の好みに合わせた女性を演じることもできる。たいがいの男は、これでコロッとだまされるのだが。
さすがはレン・オーバンス、一筋縄ではいかない男だ、と思ったが、
「これは私のカンですが、あの方は特殊な性癖をお持ちだと思います。今思えば、最初から私のことを苦手にしているようでした」
特殊な性癖と聞いて、ビロウスはある話を思い出した。
レン・オーバンスは普通の女性より、子供の方が好きだというのだ。対立する相手が流した、悪意のあるうわさ話ぐらいに思っていたのだが、ナタリアの話で信憑性が出てきた。
「オーバンス殿はどんな男だった? お前の印象を聞かせてくれ」
「見た目はいかにも力自慢の若者、といった感じでしたが、話してみるとむしろ逆、とても穏やかな感じの方でした」
ビロウスはうなった。
犯罪ギルドを裏で動かし、敵対する者は皆殺し、などと言われる男が穏やかなはずがない。それなのにナタリアがそう感じたというなら、そういう人間を演じているに違いない。
単に粗暴な男なら扱いやすいが、外面をコントロールして、容易に腹の中をのぞかせない人間は手強い。まあそれぐらいでなければ、犯罪ギルドを裏で操ることなどできないだろう。
「他には何かあったか?」
「そういえばガーガーに乗っていました」
「ガーガー? あのガーガーか?」
「はい。あの鳥のガーガーです」
「ガーガーは人を乗せたりしないだろう」
「私もそう思うのですが」
「どういうことだ。何かの比喩か?」
「いえ、本当にそのままです」
わけがわからない。
やはり一度会ってみなければ、と思った。
どんなに情報を集めても、伝聞では限界がある。直接会って話してこそ、相手のことが理解できるのだ。
幸いビロウスには娘を救われたという名目がある。そのお礼をしたいということで接触すれば、相手も無下には断れないだろう。それでなんとしても一度会ってもらう。
ビロウスは部下に命じ、レンが泊まっている宿を探させた。この街にいるなら、すぐに見つかるだろうと思った。
この時、彼の頭の中からは、娘の見合い相手のことはすっかり消え失せていた。