第150話 生き埋め
エッセン伯爵が出した結論は「前へ進む」だった。レンの提案を採用したのだ。
「よろしいのですか?」
副官が心配そうに聞いてきた。
「この先を考えてのことだ。途中で襲われることなく街に帰れたとしても、その先はどうする? レン殿がへそを曲げて協力してくれなくなったら、我々だけでバジャナの群れを倒せるか?」
バジャナはこの近辺にちょくちょく出没する魔獣で、伯爵たちも何回か倒したことがある。ただしいずれも一体だけだ。
一体でも機敏で戦いづらい相手だったが、それが群れで襲いかかってきたらどうなるか、嫌というほど思い知らされた。
レンたちの助力が得られなければ、今回以上の兵力を集める必要があるだろう。もう一度傭兵を雇うとか、近隣の貴族に援助を求めるとか、いずれにしても金と時間がかかる。
ただしこれは伯爵の考え過ぎだった。
レンは自分の提案が却下されても、別に気にしなかっただろう。ここを通るため、エッセン伯爵に協力する気でいた。
伯爵も多分大丈夫だろうと思っているが、レンの性格をつかみ切れていなかったので、まさかの可能性があるとも思っていた。
「それに二回目があるかどうかもわからん。失敗の責任を取らされ、我々のクビが飛ぶかもしれないからな」
どちらかといえば、こっちの心配が大きかった。
エッセン伯爵は王国の役人だから、今回の失敗を理由に街の領主を解任される恐れがあった。
損害を出しても魔獣を倒せたならいい。しかしここで逃げてしまえば、作戦は完全な失敗に終わってしまう。
副官もこれには同意するしかない。エッセン伯爵がいなくなれば、彼の地位も危ういからだ。
さらにもう一つ、口には出さなかったが思っていることがあった。
オーバンス伯爵との関係だ。
今回の件をきっかけに、親交を持ちたいと思っているが、それにはレンの仲介が必要だ。
ここで彼の提案に反対して悪い印象を持たれると、それがダメになる可能性があった。
それらを考慮して、エッセン伯爵は砦に向かうことにした。
これは危険な賭になるが、伯爵はここまで成り上がるため、今回以上の危険な賭に出たこともあった。
失敗すれば終わりだが、だったらしょせん自分はそこまでの男だったということだ――エッセン伯爵はそういう思い切りのよさも持っていた。
再出発した隊列は、最初と逆でレンとダークエルフたちが先に進み、その後ろにエッセン伯爵の軍勢が進むことになった。
砦までは一本道なので迷う心配はない。
さっき襲われた細い崖道を通るときは、レンも少し緊張した。
いつでも後ろに下がれるように、まずはレンとダークエルフたちだけで進んだが、魔獣が襲ってくることはなく、無事に通り抜けられた。
そこから先も順調だった。
周囲を警戒していたが、魔獣の気配も感じることはなかった。
「出て来ないですね」
「うん……」
隣を歩くリゲルに、レンは微妙な返事をした。
「何か心配でも?」
「いや、二人の体調がね……」
魔獣も心配だったが、イール二人の体調も心配だった。
食べ物や体を冷やすための水は、全部馬車と一緒に崖の下に落ちてしまった。
ロゼが気遣ってくれていて、まだ大丈夫なようだが……
二人は頭からローブをかぶっているので、顔とかは見えないのだが、足取りが重そうなのはレンにもわかった。
途中、わき水を見つければ休憩しているのだが、いつまでもつかわからない。いざとなったらロゼやディアナにおんぶしてもらおうと思っていたが。
ちなみに二人は伯爵たちからも奇異の目で見られていたが、それ以上にガー太やカエデが目立っていたので、そこまで注目されていなかった。
そして一行はついに砦が見えるところまでやって来た。
「レン!」
「わかってるよ」
カエデが少しうれしそうに言ってきた。
レンもその気配を感じ取っていた。
あそこに魔獣がいる。
砦はそれほど大きくなかったが、峠の頂上あたりに、道をふさぐようにして建っていた。
後で説明を受けたが、この砦は関所の役目も果たしているそうだ。
商人などはここで一泊しつつ、王国へ持ち込む、あるいは王国から持ち出す荷物のチェックも受ける。
そのためここには兵士だけでなく、王国の役人も常駐していた。
その安否も不明だ。
「エッセン伯爵。やっぱりあそこに魔獣がいるようです」
「そうなのか?」
レンの隣まで出てきた伯爵は、半信半疑のようだ。
「ここから見る限り、どこも壊れていないようだが? いや、バジャナなら城壁をよじ登れるか……」
自分で言ったことを、すぐに自分で否定する。
伯爵の言う通り、砦の外壁に壊された所などは見あたらず、門も閉じられたままだ。
だが見張りの兵士も見えないので、やはり異常事態なのは間違いないだろう。
「魔獣に襲われたのなら、やはり砦の部隊は全滅か」
「残念ながら……でも気になることがあります。魔獣がいると思うんですが、砦から出てくる様子がありません」
人間同士の戦いなら、砦にこもるというのは当たり前だが、魔獣がそんなことをしないだろう。
単にこちらに気付いていないだけかもしれないが。
「とにかく行ってみましょう」
これまで以上に慎重に進み、ついに砦の目の前まで到着したが、やはり魔獣は出て来ない。
こうなると逆にどうしていいかわからなかった。
伯爵と相談して、魔獣を招き寄せるのも覚悟の上で、大声で中に呼びかけてみることにした。
「私はエッセン伯爵だ! 誰かいたら返事をしろ!」
最初に伯爵が声を上げ、それでも返事がないので、兵士たちも大声で呼びかける。
「誰かいないのかー!?」
「返事をしろー!」
それでも反応がなかった。魔獣も出て来ない。
レンもどういうことなのかわからなかった。確かに魔獣の気配を感じるのだが……
このままこうしていても埒が明かないということで、とにかく中へ入ろうということになった。
ただし門が閉まっていて、そのままでは中へ入れない。
「カエデ、行ける?」
「うん。まかせて」
カエデに城壁をよじ登ってもらい、中から門を開けてもらうことにした。
石積みの城壁の高さは三メートルほど。
わずかな出っ張りに手足をかけながら、カエデは危なげなく城壁を登っていって中へと消えた。
戦いが起こるかと心配していたが、そんなこともなく、しばらくしてから門が開いた。
「誰もいないよ。いると思うんだけど」
カエデの言う通り、魔獣も人間もいなかった。
だが外から見たのと違い、中は無事とはいえなかった。
何人か、兵士らしい死体が転がっている。魔獣に殺されたのか、無惨な死体ばかりだった。さらに、
「建物も壊されているな」
外壁は無事だったが、中の建物が半分ぐらい崩壊していた。
魔獣との戦いによるものだろうか。
そして魔獣の気配も、その建物の方から感じる。
「もしかして、魔獣が生き埋めになってるんじゃないでしょうか?」
「あの瓦礫の下にか?」
「そうとしか思えないんですが」
「建物の地下には食料庫などもあったはずだが、そこまで行って生き埋めになった可能性もあるな」
魔獣が建物の中に突っ込み、そこで暴れ回って建物が崩壊、そして生き埋めになったと考えればつじつまが合う。いかに怪力の魔獣でも限度はある。自力で出られなければ、ここから動くこともできない。
そしてここで新たな問題が生じた。
生き埋めになった魔獣をどうするか、だ。
このまま放置しておくのも一つの方策だったが、
「掘り出して倒したいと思う。レン殿、力を貸してもらえないだろうか?」
魔獣を生き埋めにしたまま、砦を再建というのは現実的ではない。倒さなければならないなら、レンの力を借りるのが一番だ。
だがレンの方はこのまま放置でも問題ないのだ。後のことは伯爵に任せ、先に進むという手もあったのだから。
「わかりました。やりましょう」
レンはあっさり承諾した。彼はそのまま先へ進むなど思ってもいなかった。最後まで協力するつもりだった。
だがその態度が、逆にエッセン伯爵に疑念を抱かせた。
協力的すぎる、と思ったのだ。
現代日本人なら、レンの行動をそれほどおかしいとは思わないだろう。困ったときはお互い様というのが、日本人の気質だ。レンもそういう思いで協力を申し出ている。
だがこの世界の人間にとっては、十分におかしな行動だった。
特に貴族同士の付き合いというのは、常にお互いの力関係とか、貸し借りとかを計算しながら行うものだ。
いい悪いではなく、厳しいこの世界では、そうしないと生きていけないのだ。
なにか裏があるのかと思った伯爵だったが――今は考えても仕方ないな、と気持ちを切り替える。
魔獣を倒すにはレンの力が必要なのだ。大きな借りを作ることになるが、支払う代償は後で考えればいいことだ。
「瓦礫をどけろ! 慌てる必要はないぞ。慎重にやれ」
伯爵の命令に従い、兵士たちが瓦礫の撤去作業に取りかかる。
作業は伯爵の兵士たちだけで行った。
レンやダークエルフたちはさぼっていたわけではない。
魔獣の出現に備え、戦闘態勢で待機することになったのだ。
ただしロゼとイールの二人は、日陰に入って休憩中だ。ロゼは自分だけ休むのが嫌そうだったが、二人から、
「ロゼ姉様?」
とすがるような目付きで言われると、離れることはできなかった。
レンはそんなロゼの様子が少しほほえましい。まじめな彼女も、二人には弱いようだ。
当たり前だが撤去作業は全て人力だった。
重機でもあればなあ、とレンは思った。ショベルカーとかがあれば、もっと作業は早く済むのだが。
無い物ねだりとわかっていても、ついついそんなことを思ってしまう。
作業する兵士たちの心境は複雑だった。
「この下に魔獣が埋まっている可能性が高い。それを掘り出すんだ」
と言われて、すんなり納得とはいかない。命令だからやるしかなかったが。
こうして魔獣を倒すために、魔獣の救出作業が進められた。
撤去作業を続ける兵士たちの中に、トムスという若者がいた。
他の兵士たちが、どこか微妙な様子で作業をしているのと違って、彼は必死になって瓦礫をどかしていた。
まだ可能性はある、と彼は思っていた。
この砦には彼の兄がいた。兄は彼と同じ警備隊の兵士だった。
砦に到着して、トムスは真っ先にそこにあった死体を確認したが、兄の死体はなかった。
だったらこの瓦礫の下に埋もれて生きているかもしれない。彼が必死に作業を続けるのも当然だった。
「うおおおおっ!」
力を込めて、大きめの瓦礫を持ち上げようとしたときだった。
ボコリと地面の一部が崩れた。
下に穴が空いた、つまり何かの空洞とつながったのだ。
トムスは慌ててしゃがみ込み、穴の中をのぞき込んだ。
真っ暗だったが、下の方に何か赤い光が見えた。
えっ、赤い光?
と思ったときには、それが動いていた。
下からの衝撃で瓦礫が跳ね上げられ、トムスも後ろに倒れる。
地面の下から飛び出してきたのは巨大なバジャナだった。身長は三メートルを超えるだろう。
トムスのすぐ側に着地したバジャナは、彼をじろりとにらんできた。
「ひっ――」
と言っただけでトムスは動けない。
バジャナが右腕を振り上げるのを見て、あんなでっかい手で叩かれたら死んでしまう、と思っても動けない。
「ギィィィィィッ!」
耳障りな鳴き声を上げ、バジャナが右手を振り下ろす。
目をつぶったトムスは、横から強い力で引っ張られるのを感じた。
レンだった。
ガー太に乗ったレンが走り込んできて、右手で彼の体をつかみ、引きずるようにして駆け抜ける。
バジャナの右手が地面を叩きつけられたが、そこにトムスの姿はない。
間一髪だった。
「兵士の方は下がってください!」
とレンが叫ぶが、その前に兵士たちは声を上げて逃げ出している。
代わりに前に出たのはやはりカエデだった。
二本の剣を抜いて、巨大なバジャナへと斬りかかっていく。
だがバジャナの動きは機敏だった。あれほどの巨体でも、軽々と跳び上がってカエデの攻撃を回避する。
レンは助けた兵士を地面に降ろし――ちょっと乱暴になったが気にしている余裕はない――カエデの加勢に向かった。
あの巨体。間違いない、あれが群れを率いていた超個体だ。
超個体が飛び出してきた穴からは、普通のバジャナも何体か出てくる。他にも埋まっていた魔獣がいたのだ。
そちらはシャドウズたちに任せることにして、レンは超個体を攻撃する。
戦う場所は砦の中庭だ。それほど広くはないが、ガー太で走り回れるだけの空間はあった。
ガー太は超個体を挑発するように、その周囲を走り回り、レンはそこから弓で攻撃した。
相手の動きは素早いが体も大きい。
狙いを外すことなく、次々と矢が命中するが、超個体にはダメージを受けた様子は見られない。
それでもレンをうっとうしいと思ったのか、ガー太を狙って右腕を振り下ろしてきた。
相手の攻撃を、ガー太は回避するのではなく迎え撃った。
その場で足を止めて、回し蹴りで超個体の手を蹴り飛ばしたのだ。
体は向こうの方が大きかったが、パワーでは負けていなかった。
振り下ろした手を逆に蹴り上げられ、超個体の姿勢が大きく崩れた。
そこへカエデが走り込む。
狙いは超個体の左足だった。
カエデの剣の一撃は、狙い通り左の足首あたりを深く斬ったが、
「むー」
カエデが不満そうな声を上げる。
与えた傷は深かったが、両断まではいかなかった。相手が当たる寸前で動いたせいだ。そして傷は超回復でみるみる治っていく。
レンたちの攻撃は当たるものの、致命的なダメージを与えることはできず、しばらく一進一退の攻防が続いたが、決着までそれほど時間はかからなかった。
魔獣の攻撃をカエデが受け止めた。飛びかかって来たのを避けるのではなく、剣を交差させ受け止めたのだ。
相手の勢いと体重を受けて、カエデの足が地面に沈んだが、力負けすることはなく両者の動きが少しの間止まった。
そこへガー太が走り込んだ。
正面から超個体に突っ込みジャンプ、体をひねりつつ右足で顔面を蹴り飛ばした。
「ギィアッ!?」
これは効果があった。悲鳴を上げた超個体がふらつき、明らかに動きが鈍った。
そこへカエデが斬り込む。
動きが遅くなってしまえば、超個体もカエデには対抗できなかった。
次々に体を斬り裂かれ、ついに左腕を切り落とされた。
超個体は悲鳴を上げ、残された右腕を振り回したが、それも悪あがきに過ぎず、最後はカエデの一撃が脳天を真っ二つにした。
この頃には他のバジャナもダークエルフたちが倒していた。
こちらの被害は、シャドウズの一人が軽傷を負っただけで、伯爵の兵士たちにも死傷者はいなかった。
崖では苦戦した相手だったが、開けた場所で戦えばレンたちの圧勝だった。