第148話 足場
これはまずいぞ、レンとエッセン伯爵は同じように思った。
というより、この場のほぼ全員が同じように思っていたはずだ。
足場の悪い細い道で、隊列は長く伸びている。そこへ上から魔獣――バジャナが襲ってくるのだ。
これでもかというほど悪条件が重なっている。
「伯爵、一度退却すべきでは!?」
「わかっている!」
レンの言葉に、エッセン伯爵が怒鳴るように返事をする。
不利は明らかなので、一度下がった方がいいのはわかっているが、それができるかどうかは別問題だ。
ただでさえ道が細いのに、今はそこを荷馬車がふさぐ形になっている。
これでは下がろうと思っても簡単にはいかない。
もっと慎重に行くべきだった、とエッセン伯爵は後悔したが、バジャナはそんな彼をあざ笑うように襲ってくる。
最初に襲ってきたバジャナに続き、さらに五体のバジャナが上から斜面を転がり降りてきた。
その中の一体に矢が突き刺さった。
悲鳴を上げたバジャナが大きく体勢を崩す。
おおっという声が、兵士たちから上がった。
矢を射たのはガー太に乗ったレンだった。
そのまま連射して、さらに二体、三体と命中する。
矢が当たっても転がり落ちてくるのは変わらないが、人間を狙ってくるのと、単に転がり落ちてくるのとでは脅威が違う。
下にいた兵士たちは慌てて左右に避け、矢を受けたバジャナは、そのまま崖の下へと落ちていった。
だがレンが倒したのは五体のうちの三体で、残りの二体は落ちてきたままの勢いで兵士に飛びかかった。
バジャナに狙われた二人の兵士は、どちらもそれを受け止めることができず、悲鳴を上げながらバジャナと一緒に崖の下へ落ちていった。
これが人間同士なら自爆攻撃なのだが、魔獣は衝撃に強い。ここから崖下に落ちたら、人間ならよくて重傷だが、バジャナはしばらくしたら回復してくるだろう。
「下がれ! 一度後ろに下がるんだ!」
さっきから伯爵が大声で命じているが、狭い道、しかもバジャナに襲われながらなので、全然進まない。
「ロゼも二人を連れて後ろに下がって!」
レンも後ろの馬車に向かって叫ぶ。
この道では馬車を方向転換するのは無理だから、捨てて逃げるしかない。
伯爵が率いる警備隊や傭兵たちは混乱していたが、後ろのダークエルフたちは落ち着いていた。
「領主様は大丈夫ですか?」
馬車から出てきたリゲルが聞いてくる。
「僕は大丈夫。だからみんなは一度後ろに下がって。あ、カエデはちょっと来てくれる?」
「はーい!」
慌てて逃げていく人間の兵士たちに対し、ダークエルフたちは粛々と後ろに下がっていく。
イールの二人も馬車から出て、ロゼにくっついて後ろに下がる。頭からすっぽりフードをかぶるというあやしい格好だが、この状況では誰も気にしていない。
そんな中、カエデだけが前に出て、レンがいる荷馬車の上にぴょんっと上がってくる。
「カエデ、悪いけど一番前に出て、向こうから来る魔獣を防いでくれる?」
斜面の上からだけでなく、道の先からも、何体かのバジャナがこちらに向かってくるのが見えた。あれがそのまま突っ込んでくれば、今度こそ味方は総崩れだろう。
「あいつらを殺せばいいの?」
「うん。けど無理しちゃダメだからね。みんなが後ろに下がったら、カエデも後ろに下がるんだよ」
「はーい!」
と元気よく返事をすると、カエデは前に飛び出していく。
だが前の細い道は兵士たちでいっぱいだ。
どうするのかと思っていると、カエデはその兵士たちの頭や肩を踏みつけ、ジャンプしながら前へ進んだ。
踏まれた兵士が、なにやら文句を言っていたようだが、この非常事態だ。許してもらおう。
兵士たちの列を抜け、地面に着地したカエデは、そこで左右の腰に下げていた剣を抜く。
これで前の方は大丈夫だろう、とレンは思った。もしカエデがあっさり突破されるようなら、何をやっても無駄だろう。
そしてまたも斜面の上に数体のバジャナが現れる。
また転がり落ちてくるつもりかと弓を構えたレンだが、今度のバジャナは違う動きをした。
なんと岩を持ち上げ、それを投げ落としてきたのだ。
レンは驚愕した。まさか魔獣にそんな知恵があるとは思ってもいなかったのだ。
投石は単純だが強力な攻撃だ。小さな石だったとしても、当たり所によっては死んでしまうが、バジャナが投げてきたのは人の頭ほどもある岩だった。
直撃を受けた兵士が悲鳴を上げて倒れ、あるいはそのまま崖下に転落する。
「くそッ!」
レンは再び岩を持ち上げようとするバジャナに向けて矢を射た。
それは見事に命中したが、バジャナは少しよろけただけで、そのまま岩を持ち上げる。
レンが使っている弓は強弓だが、下から打ち上げているので威力は落ちる。そして使っている矢は、魔獣の素材を使った魔矢だが、どうやらバジャナには効果が薄いようだ。
魔矢がどれだけ効果を発揮するかは、素材の魔獣と、標的の魔獣の相性による。相性がいいというか、悪いというか、そこは言い方の問題だが、とにかく大きな効果を発揮すれば、魔獣は超回復を阻害し大きな苦痛を与える。だが効果が薄ければ、普通の矢と変わらない程度のダメージしか与えられない。
今使っている魔矢はバジャナに対して効果が薄いようで、命中してもほとんど苦しむ様子を見せなかった。
攻撃してくるレンを脅威と見なしたのか、それとも腹を立てたのか、バジャナたちはレンを狙って反撃してきた。全部のバジャナが、レンに向かって岩を投げてきたのだ。
「ガー!」
ガー太がその場で跳び上がり、ほとんどの岩を回避する。
ただ一つだけ、空中にいるガー太に当たる軌道で飛んできた岩があったが、空中でくるりと回転したガー太は、それを回し蹴りでサッカーボールのように蹴り飛ばした。
回避をガー太に任せていたレンは、空中で再び矢を放つ。
これもバジャナに命中、しかも顔面に命中したが、それでもバジャナは平気な様子で動いている。
ダメだ、と思った。こうやって下から射ているだけでは、この魔獣は倒せない。
跳んだガー太が、荷馬車の上に着地しようとしたところで、大きないななきが聞こえた。
荷馬車を引いていた馬が棹立ちになっていた。
魔獣の気配におびえていた馬が、荷馬車に岩が当たった衝撃で限界を迎えたようだ。
御者が必死になって抑えようとしたが、馬は暴走して前に走り出した。
ガー太が慌てて荷馬車から飛び降りる。
荷馬車は前にいた兵士を何人か巻き添えにしつつ、御者を乗せたまま道を踏み外して崖から転落した。
御者や巻き込まれた兵士は不幸だったが、これで道が大きく広がり、まだ残っていた兵士たちがどっと動いた。
「伯爵、大丈夫ですか!?」
いつの間にか馬を下りていた伯爵にレンは呼びかける。馬はどこにも見えないが、崖から落ちたのだろうか。
「どうにかな。レン殿の方こそ大丈夫か!?」
「もう少し時間を稼ぎます。早く逃げて下さい」
「すまん、恩に着る」
逃げる伯爵とすれ違い、レンは前に出る。
上にいるバジャナはまだレンを狙っていたので、もう少しオトリになるつもりだった。
その目論見通り、バジャナはガー太とレンに向かって次々と岩を投げてくる。
ガー太はひょいひょいと動きながら岩をかわし、乗っているレンも弓での反撃をあきらめて動かない。そうやって回避に専念していれば、そうそう当たるものではなかった。
「カエデ、もういいから下がって!」
「えー!?」
もういいだろうと思うぐらい兵士たちが逃げたのを見て、レンは前で戦っているカエデに呼びかけたが、彼女からは不満そうな返事が返ってきた。
カエデは四体のバジャナ相手に戦っていた。
前から来たのが三体と、最初に上から落ちてきた一体だ。
きっちり敵を引きつけ、殿の役目をはたしているのだが、カエデは魔獣相手に苦戦していた。
まだ一体も倒せておらず、逆に相手に押され気味だった。
それが不満そうな返事の理由だろう。
苦戦の原因は、足場の悪さとバジャナの動きにあった。
ここは細い道なので、どうしてもカエデの動きは制限された。大まかに言えば前に出るか、後ろに下がるかしかできない。
条件はバジャナも同じはずだったが、向こうは別の移動方法を持っていた。
剣で斬りつけたカエデの攻撃を、一体のバジャナがナナメ方向、急斜面の方に向かって跳び上がって回避した。そのまま三角跳びでもするのかと思ったら、バジャナはピタッと斜面に張り付き、這うように移動する。
バジャナは手と足に細長い指を持っていて、それで小さな凹凸をつかみながら、斜面を自由自在に動き回るのだ。
さすがのカエデも、このバジャナの動きは真似できない。
動きが制限されるカエデに対し、斜面を利用して立体的に動き回るバジャナ。このためカエデは相手を追い切れず、受け身に回っていた。
この状況で四体相手にほぼ互角、というだけでレンはさすがだと思ったが、どちらが不利かは明らかだ。
両者は互いに小さな傷を負わせていたが、超回復のある魔獣に対し、カエデの傷はすぐには回復しない。かすり傷も積み重なれば大きな傷になる。その前に一度下がるべきだ。
「後ろにもうちょっと広い場所がある。そこで戦うんだ!」
ここは僕にとっても、カエデにとっても足場が悪すぎる。
「うー……」
まだ不満そうだったが、カエデは四体のバジャナの間をすり抜け、言われた通りに下がってきた。
レンはそれを弓で援護する。
カエデがレンの近くまで走ってきたところで、ガー太もくるりと向きを変え、一緒になって走って逃げ出す。
この頃には、レンたちの馬車も道から消えていた。
どうやら先に落ちた荷馬車と同じように、こちらも馬が暴走して崖から落ちたようだ。
ダークエルフたちが逃げたのは確認していたから、特に気にすることもなく、レンは道を駆け抜けた。