第145話 体温
ロゼたち三人が帰ってきたのは夕方だった。
「なんだかしんどそうだね?」
「いえ、大丈夫です」
とレンに返事をするロゼだったが、疲労の色は隠せない。
対照的にリリムとミミの二人は元気だった。ロゼと一緒に街を回ってきたのが、よほど楽しかったのだろう。
二人の面倒をみていたロゼは疲れたってことか、とレンは思った。
「特に問題とかはなかった?」
「はい。いくつか問題が起こりそうになりましたが、全て未然に防ぎました」
「何があったの?」
「はい。まずは――」
ロゼの話を聞くと、問題だらけだったようだ。
まず二人は大はしゃぎだった。見る物全てが珍しいのだから、二人が楽しかったのはわかる。
だが二人は正体を隠さねばならない。それなのに走り回って、かぶっていたフードが取れたのが数回。いずれもロゼが素早く対処したので大事にはならなかったが、何人かには姿を見られてしまった。
二人の顔を見た者は全員が驚いていたが、肝心の二人の方は、自分たちの外見がどれだけ人目を惹くのか、まだよくわかっていなかった。そのため二人は無防備に動き回り、ロゼが苦労するはめになった。
そして二人が一緒に動いてくれればいいが、別々に動き回ったりすると、どうしても片方から目が離れてしまう。そうやって迷子になりかけたのが数回。
そしてそして、二人はお金というものを知らなかった。イールの集落では、お金がないからだ。
これはロゼもよくわかった。ダークエルフの集落でもお金は使われていないからだ。人間相手の取引では使用するが、今も集落内でお金は使われていない。ロゼも集落を出るまで、お金について知らなかった。
だがここは人間の街である。物を買うにはお金が必要で、二人はそれを知らなかったため、何回かトラブルになりかけた。
後は人間のチンピラにからまれたらしい。
「買い物をしているところに、人間の男三人が声をかけてきました」
男三人はニヤニヤ笑いながら、
「ダークエルフのガキのくせに金持ってるねえ。俺たちにもちょっと分けてくれないか?」
「このお金は領主様からいただいた大切なお金です。与えることはできません」
「領主様? ダークエルフに金をめぐむなんて、どこの物好きだ?」
「レン・オーバンス様です」
この言葉で、チンピラたちの顔から笑いが消えた。
彼らもレンのうわさを聞いていたのだ。
「レンってあのレンのことか?」
「確かにダークエルフだが……」
ボソボソと話し合ってから、一人がロゼに聞いた。
「お嬢ちゃんは、そのレンさんとはどういうお知り合いかな?」
さっきまでとは態度が全然違っていた。
「私は領主様のお側にお仕えしています」
「ヤバイぞ。レンはそっちの趣味だって話だぞ?」
「俺も聞いたぞ。子供ばかりを側にはべらしてるって……」
「じゃあこのガキも……?」
顔を見合わせた男たちは、最後に「失礼しましたッ!」と言って走り去った、らしい。
「さすがは領主様です」
とロゼは誇らしげだったが、レンは腑に落ちなかった。
たまたま僕の名前を知ってる連中だったんだろうか?
レンは自分の名前が裏社会に広く出回っていることを知らなかったので、それぐらいしか思い付かなかった。
「とにかくお疲れ様。でもそんなに大変だったなら、リゲルやディアナにも付いていってもらえばよかったかな」
二人はロゼに大変なついているので、三人の方がいいかなと思ったのだが、考えてみれば一人で子供二人の面倒を見るのは大変だ。
「いえ、私が二人の同行を頼んだのですから、私がきっちり面倒を見ます」
「そう? まあロゼがそう言うならいいけど、無理はしないでね」
「お任せ下さい」
「ロゼ姉様、おなかがすいた」
リリムがそんなことを言い出した。
「ご飯なら、もうすぐできると思うよ」
この屋敷には、レンたちの他に、マルコの下で働くダークエルフたちがたくさんいた。食事の準備なども、全部彼らがやってくれている。
「ということなので、二人とも、もう少し待って下さい。それにしても、あれだけ食べたのに本当によく食べますね」
「わたしもミミも、今日はたくさん動いたからな」
街では色々買い食いしたようだが、二人はもうおなかがすいたようだ。
さすがは育ち盛りの子供――という理由だけではない。
イールの二人は、とんでもない大食漢だった。
レンやカエデも、よく食べるときがある。
ガー太に乗って走り回ったり、激しい戦いを行ったときなどは、軽く二三人前をたいらげる。
激しい運動を行えば、それだけエネルギー補給が必要というわけだ。
だがリリムとミミはそれ以上に食べる。
朝昼晩の三食だけでなく、毎日五食ぐらい食べているし、一食の量も大人二人前ぐらいは食べている。
どこの相撲取りだ、と言いたくなるような食事量だが、二人は別に太っていないし、それどころか小柄でほっそりしている。
では食べた物はどこへ消えているかというと、レンは体温調整に使われているのではないか、と考えていた。
実は二人の体温はとても低い。
ひんやりしている、どころではなく明らかに冷たいのだ。ちゃんとした体温が測れないので――体温計が存在しない――正確なところはわからないが、数度どころではなく、十度ぐらい体温が低いのではないだろうか。
聞けば、イールは冬のダーンクラック山脈でも、それほど厚着したりせず、平気で動き回れるらしい。それだけ体が寒い地域に特化しているようだ。
だがここは平地で、しかも季節は初夏の六月。
イールの二人にとっては暑すぎる場所のはずだが、二人は元気に動き回っている。人間に置き換えれば、気温四十度以上の中、平気な顔をしているようなものだろうか。
それを可能としているのが、イールの体にある体温調節機能だった。
どうやらイールは体の一部から、熱を体外に放出しているらしい。両足と背中が放熱器官になっているようで、実際にさわらせてもらったロゼによると、足のヒザから先がかなり熱いそうだ。
また、これも実際に見せてもらったロゼによると、背中には大きな出っ張りが二つあって、そこもかなり熱いらしい。
冷却効率をよくするためだろう、二人は足を水につけたり、背中に水をかけたり、そういうことをよくやっている。
レンは水冷パソコンを連想してしまった。
ちなみに背中の出っ張りがあるため、イールには特別製の寝具が必要で、それがなければ基本的にうつぶせで寝ている。
体内の構造がどうなっているかわからないが、この冷却器官は常に動きっぱなしだろう。それも暑ければ暑いほど、がんばって動き続けなくてはいけない。
そのために多くのエネルギー、つまり食事を必要とするのではないか? とレンは考えていた。
それは推測でしかないが、一つはっきりしているのは、やはりイールは人間ともダークエルフとも違う、別の種族ということだろう。
はしゃぎ回って疲れていたのか、リリムもミミも、ご飯をいっぱい食べるとすぐに寝てしまった。
起きているときは、雰囲気の違いでどちらがどちらかすぐにわかるのだが、眠ってしまうと全然見分けがつかない。本当にそっくりな双子だった。
「ロゼはどっちがリリムで、どっちがミミかわかる?」
「寝ているとわかりません」
試しに聞いてみたが、ロゼもわからないようだ。彼女でわからないなら誰もわからないだろう。
「二人には言わなかったけど、明日、出発しようと思う」
「何かわかったのですか?」
「うん。ロゼたちがいない間に連絡が来てね。手がかりが見つかった」
二人に言わなかったのは、言うと「今すぐ出発だ」と騒ぎかねないからだった。
「もっと時間がかかると思ってたんだけどね。運がよかったみたいだ」
とレンは思っていたが、実際は違った。
マルコはいくつかの犯罪ギルドに情報提供を呼びかけたのだが、それを受けた犯罪ギルドが、
「あのレン・オーバンスに恩を売るチャンスだ!」
と張り切った結果だった。
おかげですぐに情報が集まり、迅速にレンに届けられたのだった。
「やっぱりここから南に向かったみたいだよ。一ヶ月ぐらい前に、そういう馬車を見たらしい」
密輸などの場合、中が見えないようになっている荷馬車などは、それほど珍しくはない。
だがその馬車は、普通の人が乗る馬車を改造し、窓をふさぐなどして中が見えないようにしていた。ちょうどリリムとミミが運ばれていた馬車と同じような馬車だ。
というか最初にそちらの馬車が作られ、それを真似て二人を運ぶ馬車が作られたようだが。
それはともかく、そういうちょっと変わった馬車だったため、それを覚えていた者がいたのだ。
「竜の爪跡を越えてバドス王国へ向かったんだと思う」
おそらくそうだろうと思われていたが、裏付けがとれたのだ。後は足取りを追うだけだったが、
「多分、ダーンクラック山脈までは足取りがつかめると思う」
イールの女性、ネリスをさらった男、ゲルケスはできればどこの街にも寄らず、野宿しながら最短で南を目指したかったかもしれない。だがそれは危険すぎる。
ダークエルフの荷馬車ならそれが可能だが、人間の集団だときっと不満に思う者が出てくる。
ゲルケスがそれを抑え込むには高額の報酬などが必要だが、捕まえた男たちによると、そういう話もなかったようだ。
だから彼らは途中の街に立ち寄って宿泊しているはずだ。おそらく犯罪ギルドの力を借りてひっそりと。
レンたちはその情報を集めつつ、後を追っていけばいい。
「問題は竜の爪跡を越えた向こう側、バドス王国へ行ってからですね」
バドス王国がどんな国なのか、レンにはほとんど情報がない。
マルコも行ったことがないそうで、聞いた話として教えてもらったのは、
「有力な部族が複数あって、分割統治しているような国らしいですよ」
ということぐらいだった。
時間をかければもっと詳しい情報が集まるだろうが、今はその時間が惜しい。
出たとこ勝負になるが、行ってみるしかない。
それにレンには頼れる味方がいた。
ダークエルフだ。
ターベラス王国へ行ったときも、向こうのダークエルフたちに助けてもらった。
今回も現地のダークエルフの助力が期待できる。
国の違いは人間に大きな影響を与えるが、ダークエルフはどこの国でもダークエルフだ、とレンは思っていた。