第144話 知らぬは本人ばかり
レンが取り返してきた荷物は、全て持ち主に返された。引き替えに支払っていた補償金は返してもらった。
ここで問題になったのは、やはりゴナスのことだった。
「ゴナスさんはどうしましょうか?」
とマルコはレンにお伺いを立てた。
「他と同じように荷物を返して、支払っていたお金は返してもらう、でいいんじゃないでしょうか? ただ、そういう方と、この先も取引を続けるのはどうかと思いますが」
言い値で高い補償金を支払った、と聞いたレンは、ふっかけてきたゴナスにも腹を立てたが、それ以上に自分のうかつさを反省した。
日本と同じ感覚でやっちゃダメなんだな、と改めて思う。人の考え方も、法律も、日本とは全然違うのだから、もっとよく考えて行動しなければ、と。
ゴナスという商人には、それを教えてもらった、と思っておくことにした。
「わかりました。ではこの先、ゴナスさんとの取引はなしということで」
マルコとしては、少しぐらいやり返した方がいいと思っていた。気分の問題もあるし、他の商人への警告にもなる。
だがレンからは王都での商売の話を聞かされた。
ゴナスなんかに関わってる場合じゃないな、と彼も気持ちを切り替えることにしたのだ。
それにこの先、王都との商売が始まれば、きっと向こうは後悔するだろうとほくそ笑んだ。目先の小金に目がくらみ、大儲けの機会を逃してしまった、と。
こうして二人の中でゴナスのことは終わったことになった。レンも今日言われるまで、すっかり忘れていた。
だがゴナスの方はそうではなかった。
補償金を過大に請求したことで文句を言われ、きっともめ事になるだろうと覚悟していたのだ。
だがそんなものはなかった。
奪われた荷物が返ってきて、先に受け取っていた補償金は返した。単にそれだけだった。
マルコからは、それ以上何も言ってこない。
拍子抜けしたゴナスは、マルコのことをあざ笑った。
相手は新参者の若造だ。きっと自分ともめ事を起こすのが怖くて何も言ってこないのだと思い込んだのだった。
しかしそんな余裕は、知り合いの商人からうわさ話を聞くまでだった。
「いやー、ゴナスさんも、とんでもない方ともめ事を起こしたようですが大丈夫ですか?」
「何のことでしょうか?」
「レン・オーバンス様のことですよ」
その商人は、犯罪ギルドの方で噂になっているようなのですが、と前置きして、
「なんでも自分の荷馬車を襲った王都の犯罪ギルドを探し出し、そこの連中を皆殺しにしたそうじゃないですか。しかも単に殺すだけではなく、生きたまま魔獣に食わせたとか、ダークエルフたちを使って拷問したとか、とにかくその残忍な手口には、他の犯罪ギルドの連中ですら震え上がったそうで……いやはや、恐ろしいお方のようです」
このようなうわさ話が広がった原因の一つは、各地の犯罪ギルドと交渉したカイルにあった。
彼はレンのことを、かなり大げさに吹聴したのだ。
おかげでジャガルの街の裏社会では、レンはかなり話題になっていた。情け容赦のない貴族だ、各地の犯罪ギルドと太いつながりがある、ダークエルフの謎の犯罪ギルド・シャドウズの黒幕――等々、虚実入り乱れた情報が飛び交っていたのである。
そんなうわさ話はマルコにも聞こえていたし、彼に真偽を確かめに来る者も多かった。彼は内心で苦笑しつつも、うわさを否定はしなかった。彼としてもレンが恐れられていた方が都合がよかったからだ。自分の背後に大物が控えていると思わせることができれば、それだけ商売がしやすくなる。
そんなうわさ話が、犯罪ギルドと取引のある商人を通じてゴナスの耳に入ったわけだが、それを聞いた彼は、当然ながら震え上がった。
自分に逆らった犯罪ギルドを皆殺しにするような貴族が、自分をだまそうとした商人をそのまま見過ごすだろうか?
そんなはずはない。
こうなってくると、向こうが文句を言ってこないのも不気味に思えてきた。
どうせ殺す相手だ、わざわざ文句を言う必要もない――レンはそう考えて、自分に何も言ってこないのでないか?
悪い想像はどんどんふくらみ、心労で夜も眠れず、体調を崩すほどだった。
そんな時にレンがやって来たという話を聞いたのだ。
いよいよ自分を殺しに来たのか!? と恐怖しつつも、これが最後のチャンスと思い、勇気を振り絞って謝罪にやってきたわけだが……レンをレンだと気付かないまま、追い返されてしまった。
彼の苦悩は、まだまだ続くことになる。
自分のうわさを知らないレンは、ゴナスがここへ来たのも、単に取引再開を望んでのことだろう、と思っていた。
さすがに、こちらをだまそうとした相手と再び取引するつもりはない。それだけははっきり伝えておいて、後の対応はマルコに任せておくことにする。
改めて、さてこれからどうしようかと思ったレンだが、リリムとミミの様子がおかしいことに気付いた。
イールの二人の少女は、肌や顔を隠すために、だぶだぶのローブを着て、フードを目深にかぶっている。少し、いやかなりあやしい格好で、チラチラ見てくる通行人もいるが、顔をさらすよりはマシだ。
そんな二人は、落ち着かない様子で周囲をきょろきょろ見回している。
「二人とも、どうかした?」
とレンが聞いてみたが、
「なんでもない!」
リリムに強い調子で否定されてしまった。
「どうかした?」
「うん。人が多くてびっくりしてる」
ロゼが聞くとあっさり答える。横ではミミもこくこくとうなずいている。
イールの数は全体でもそんなに多くないようだ。山脈にはいくつかの集落があるそうだが、一つの集落の人口は多くても百人とか二百人とからしい。そんな彼女たちにとって、初めて見る外の街は驚きの連続だろう。
「ロゼ。二人に街を案内してあげたら?」
「え? ですが領主様の側を離れるわけには……」
「ここは街の中だし大丈夫だよ」
「……わかりました。領主様がそうおっしゃるのなら」
答えるロゼは、どことなくうれしそうに見えた。
二人を案内するといいつつ、ロゼ自身、このジャガルの街をほとんど知らない。
レンはマルコと会うために何度も来ているし、その時はリゲルやディアナも一緒に来ている。だがロゼは屋敷の子供たちの取りまとめとして留守番しているのがほとんどだったので、この街のことをほとんど知らない。
おそらく二人と同じように、ロゼも興味津々なのだろう。
「というわけで二人とも、私と一緒に街を回ってみますか?」
「ロゼ姉様と一緒に!?」
「やったあ!」
二人とも喜びをあらわにする。ちなみにいつの間にか、二人はロゼのことをロゼ姉様と呼ぶようになっていた。
「早く行こうロゼ姉様」
「姉様、あれは何ですか?」
二人はさっそくロゼの手を引いて、どこかへ行こうとする。
「ちょっと待った。これを」
レンはロゼに革袋を手渡した。ジャラリと音がする。中に入っているのは銅貨だった。
「これで何か好きな物を買うといいよ」
「いえ、そのような無駄遣いは……」
「二人にも何か買ってあげるといいよ。食べ物とか、装飾品とか」
まじめなロゼは、一人だとお小遣いを受け取らないと思った。だが二人のため、ということで納得してもらう。
どこの街でもそうだが、ダークエルフだけで買い物というのは難しい。店が売るのを拒否するからだ。だがジャガルでは、しばらく前からそれが変わり始めていた。
マルコの店で働くダークエルフが増えた影響だ。
ダークエルフが増えれば、自然と買い物も増える。荷物を運ぶダークエルフが、あちこちの商店に顔を出すようにもなった。そういった影響で、ダークエルフ相手に商売する店も増えていたのだ。
格式の高い店などは、まだまだダークエルフお断りというのがほとんどだが、屋台で食べ物を売っているような店なら、普通にダークエルフにも売ってくれるようになった。商売人は変わり身も早い。
「じゃあロゼ、僕らは街の外の家に戻ってるから」
そう言ってロゼたち三人を見送る。
街の外の家というのは、マルコが新しく建てている家のことだった。
街中にあるマルコの店は、マルコが暮らしている家でもある。
従業員のダークエルフたちもそこで寝泊まりしているのだが、やはり街中となると、色々窮屈に感じるダークエルフも多く、そんな彼らのために、街から少し離れた場所に、大きな屋敷を建てているのだ。
今はまだ一部が完成しているだけだが、そこでも寝泊まりはできる。
レンも寝泊まりにそちらを利用するつもりだった。
なにしろイールの二人にカエデ、ガー太と、人に見られたくないものがいっぱいある。街の中より外の方が都合いいのだ。
それに多くの人がいる街中より、ダークエルフたちに囲まれている方が落ち着くことができた。
この世界に来て以来、人とふれ合うより、ダークエルフたちと一緒にいる方が長かったので、いつの間にかそう感じるようになっていた。