第143話 新しい道
「それにしても、店も大きくなったし、人も増えましたね」
「いやー、それもこれも、全てレン様のおかげです」
笑いながらマルコが答える。
レンが彼の店に来たのは一ヶ月ぐらい前、王都からの帰りに寄って以来だが、その間に引っ越しして、さらに大きな店に移っていた。
最初は小さな家を借りて商売を始めたのたのが、引っ越すたびに店が大きくなり、今や豪邸と呼べるほどの立派な屋敷になった。
他の商人とちょっと違うのは、そこで働く者のほとんどがダークエルフということだろう。
お客の相手をする営業や販売のような仕事は人間がやっているが、その他の仕事はほとんどダークエルフだ。
読み書きや計算が必要な仕事も、それができるダークエルフが増えてきたので――レンの教育の成果だ――ダークエルフがこなすようになってきている。
荷馬車に乗って荷物を運ぶのは、もちろん全員がダークエルフだ。
荷物の取扱量が増え、それを運ぶ荷馬車が増え、それを動かすダークエルフが増えて、マルコが雇っているダークエルフの数は、千人近くになっている。
千人の人間を雇っている商人は他にもいるだろうが、これだけの数のダークエルフを雇っている商人はマルコだけだろう。ダークエルフの数だけでいえば、この国どころか大陸最大かもしれない。
「犯罪ギルドとの取引はどうですか? 問題とかありませんか?」
「順調ですよ。あえて言えば、順調すぎるのが問題というか。そちらの仕事に手一杯で、他の商人まで手が回っていない状態です。引き合いはいっぱい来てるんですけど」
レンの仲介によって、マルコは王都の商人たちと取引できるようになった。しかも王都警備隊も話に絡んでいて、新しい商会まで作ることになっている。
このインパクトは絶大だった。
噂を聞き付けた商人たちが、次々にマルコの所へやって来たのだ。
ジャガルの街にも、王都と取引している商人はいる。だがやはり運送が問題なのだ。国内の移動でも危険が伴うし、金もかかる。
ここで、もし王都との間に安定した運送手段ができたとしたら? きっと王都との商売で多額の利益が見込めるだろう。
このおいしい話に乗り遅れまいと、多くの商人が動いたのだ。
マルコも最初は彼らを相手に、さらに商売を拡大するつもりでいた。
しかし彼らより早く動いた者たちがいた。
それが犯罪ギルドだ。
金儲けなら商人は素早く動くが、それより早いのが犯罪ギルドだった。なにしろルール無用の裏社会に生きる連中だから、思い立ったら即行動である。
王都を中心として、各地の犯罪ギルドを結びつけ商売を行う――この計画にあちこちの犯罪ギルドが参加して取引が急増、あまりの展開の速さに、マルコですら全体像がつかめなくなってきていた。
現状は過熱しすぎで、いずれどこかで落ち着くと思っているが、それまではもうしばらくかかりそうである。
そしてもう一つ、犯罪ギルドとの取引には利点があった。
密輸した商品についてだ。
ターベラス王国からの密輸は、依然、マルコやダークエルフたちにとって最大の稼ぎだが、これまでは密輸品を売るのに気を使う必要があった。
あまり大量に、しかも安く売ろうとすると、その商品の出所を疑われる恐れがあったからだ。
だが犯罪ギルド相手なら、その心配がない。
堂々と密輸品を売りさばけるのだ。売る相手もジャガルの街だけでなく、王都まで広がった。需要はいくらでもあった。
最初にレン様が言っていたのは、こういうことだったんだな、とマルコは実感していた。
運送業をやることについて、マルコは最初、乗り気ではなかった。色々と問題があるので、上手くいかないだろうと思っていたのだ。だがレンは、
「物を運びたいという需要はあるはずで、それを掘り起こせばいいんです」
みたいなことを言って、最初から積極的だった。
今になって、やっとその意味がわかった気がした。
王都との取引が始まったことで、そこから黒の大森林を経由して、ターベラス王国まで続く一本の新しい道が開通したのだ。
新しく便利な道ができれば、そこを人や物が行き交うのは道理だ。そしてその道を今、マルコが支配している。
そして競合相手がいないのが、この商売の最大の強みだった。他の商人がマルコと同じように運送屋をやろうとしても、働き手のダークエルフを確保できないだろう。
もっともダークエルフを雇っているのはマルコだが、彼らを集めてきたのはレンだ。
どうやってレン様はダークエルフたちを手なずけているのだろう?
最初からずっと疑問に思っていた。
ダークエルフがまじめに働くのはいい。意外だったが、うれしい誤算だ。しかしまじめすぎる。
一人や二人ならともかく、千人近いダークエルフを雇いながら、その全員がまじめに働いているのだ。
積み荷や金を奪って逃げたとか、仲間同士でもめ事を起こしたとか、そういう話が全然出て来ない。
それは喜ばしいことだったが、異常だった。
マルコも不気味に思い始めていたが、まじめに働いているのはおかしい、と文句をつけるわけにもいかない。
気にはなったが、商売が順調にいっているのだから、それでいいじゃないかと思うようにしている。
知らなくていいことは知ろうとしない、というのがマルコの処世術だった。
レンとダークエルフの関係は、きっとその「知らなくていいこと」の範疇に含まれている、と彼のカンが告げていた。
だからあの二人のことも、知らなかったことにしようと思った。
レンが連れてきた二人の少女のことだ。
一目見て驚いた。白い肌に白い髪、噂に聞くエルフそのものだったからだ。レンの話ではエルフではないらしいが……
とても興味はあるが、こちらから色々聞くのは控えた。
わざわざここまで連れてきたということは、レンは二人の少女を自分の側に置くつもりなのだろう、と理解した。
ここまで付き合ってきて、レンが人間の大人の女性にあまり興味がない、というのはマルコもわかってきていた。
代わりに側に置いているのはダークエルフの少女や少年ばかり。
正直、あまりいい趣味とは思えないが、それこそ余計な口出しをするつもりはない。レンの性癖と、マルコの商売には関係ないからだ。
人によっては、一々言わなくてもわかるだろう、みたいなタイプもいる。そういう相手には、気を回してこちらから色々やらねばならない。だがマルコの見たところ、レンはそういう気遣いを嫌がるタイプに見えた。
だから頼まれたことはやる、それ以上は無用、とマルコは割り切っていた。
マルコに情報収集を頼み、後はその結果待ちとなったレンは、さてどうしようかと思いながら店を出た。
多分、早くても一日二日はかかるだろう、なんて思っていると、
「おい、そこのお前」
店を出たところで、声をかけられた。
相手は中年の男性だった。後ろには若い男が控えている。どうやら中年男性が上司で、若い方がその部下のようだが。
「僕ですか?」
「そうだ。今、この店にレン・オーバンス様が来ていると聞いてきた。すぐに取り次いでくれ」
言われてちょっと驚く。
自分に会いに来たらしいが、レンは彼の顔に見覚えがなかった。
ちなみにレンは動きやすい簡素な服を着ていた。一緒にいるのはダークエルフばかりで――目立つリリムたちはフードを目深にかぶっている――一目見ただけでは、貴族とはわからないだろう。中年男性も、こちらを店の下働きぐらいに思っているようだ。
「何のご用ですか?」
自分がレンだとは言わずに、取りあえず聞いてみる。
「いいから取り次げ」
男は苛立ったように言った。
「ゴナスが来たと――」
「おやおやゴナスさん。何のご用ですか?」
ここで店の中からマルコが出てきた。
ゴナスと呼ばれた中年男性は、今度はマルコに向かって話しかける。
「これはこれはマルコさん。先日はこちらの手違いで、色々とご迷惑をおかけしまして」
愛想笑いを浮かべ、腰の低い態度で挨拶する。レンに対する態度とは大違いだ。
「レン・オーバンス様がこちらにいらしていると聞きまして。改めて謝罪にうかがったのですが……」
「オーバンス様なら……」
チラッとレンに目をやって、
「もう帰られましたよ」
事情がわからないレンは、黙って聞いておくことにした。
「そんなことを言わずに! せめて一言だけでも――」
「疑うなら中に入ってもらって結構ですよ。本当にいませんから」
「本当なんですか?」
「はい」
マルコの返事を聞いたゴナスは、ガックリと肩を落としたが、すぐに顔を上げ、
「それでオーバンス様は、私について何か言っていましたか?」
「あちらからは何も」
「そうですか……」
気落ちした様子で、ゴナスは帰っていった。
彼が通りの向こうに消えたのを見てから、レンは訊ねた。
「今の方は誰ですか?」
「ゴナスさんという商人です。覚えていませんか? 襲われた荷馬車の荷主の――」
「ああ! 思い出しました」
しばらく前にダークエルフの荷馬車が襲われたが、その際、荷馬車に積んでいた荷物は、三人の商人から依頼された物だった。
その三人の一人が、ゴナスという名前だったはずだ。ちなみにレンは実際に会っていないので、お互い顔を知らないのは当然だった。
「じゃあ、あの人が問題の……」
三人の商人に対し、レンは奪われた荷物の全額補償を申し出た。これは思い付きに近かったが、マルコは言われた通りに話をまとめた。
だがそこで問題が起きた。
三人の商人は、いずれも荷物の合計金額を、実際の値段より高く出してきたのだ。
だがマルコはそれも仕方がないと思った。
ちゃんとした資料もないし、そもそも物の値段を正確に算出するのが難しい。だからまずは高めの値段を出して、その後の交渉で妥協点を探る、というのが普通のやり方だ。
それを全額補償するとこちらが言ってしまったのだから、相手の言い値を受け入れるしかなかった。
だが三人の中で、さらにゴナスだけが問題となった。
後の二人は、まあまあ妥当な金額を提示してきて、そのまま話はまとまった。
だがゴナスは全額補償と聞いて、荷物の値段をつり上げてきたのだ。
「いくらなんでも高すぎでは?」
さすがにマルコも黙っていられなかったが、
「高いと言われても、計算した結果がこれですから。どうしようもありません」
この野郎、とマルコは思った。
きっとゴナスは今回で、こちらとの取引を打ち切るつもりなのだと思った。最後だから、取れるだけ取っておけというわけだ。
腹は立ったが、結局は相手の値段を受け入れた。レンの命令を優先したのだ。
だが話はそれで終わらなかった。
それからしばらくして、レンが奪われた荷物を取り返してきたからだ。
マルコも、まさか本当に取り返してくるとは、と驚いたが、きっとゴナスはそれ以上に驚いたに違いない。
荷物が戻ってくるはずないと思ったから、あんな高値をふっかけたのに、証拠の荷物が戻ってきてしまったのだから。
しかもゴナスを驚かせたのはそれだけではなかった。
しばらくしてから、別のうわさ話が彼の耳に飛び込んできたからだ。
レンが荷馬車を襲った王都の犯罪ギルドを壊滅させ、そこの連中を皆殺しにしたというのである。
話を聞いたゴナスはレンに対して、敵に容赦しない、冷酷非情な貴族というイメージを抱いた。だとすれば、いわば金をだまし取ろうとした自分のことも許さないのでは……?
ゴナスが震え上がったのも当然だった。