第139話 東から来た馬車
六月。初夏となり、暖かいから暑いに変わりつつある頃、レンは自分の屋敷でのんびりとした日々を送っていた。
異世界に来てから三回目の夏となる。
幸い、レンの屋敷がある地域は、夏でも湿度が低く、日本の猛暑と比べれば過ごしやすい。おかげで冷房がなくても、どうにかなっていた。
それでも昼の炎天下に出歩くのは、そろそろしんどくなってきた。
ガー太はまだまだ元気で、この日もガー太に乗って散歩に出かけていた。
レンが外に出るときは、ほとんどの場合、ロゼ、ディアナ、リゲルの三人のうちの誰かが護衛としてついてくる。一人の時もあれば、三人の時もある。
そしてカエデも一緒についてくることが多い。
今日の散歩にはロゼが一緒だった。カエデは昼寝をしていたので置いてきた。
三人のうち、ロゼはかなりまじめだった。
散歩に出てきても気を抜かず、真剣な表情で周囲に目を配っている。
「もっと気楽にいこうよ」
とレンが声をかけても、
「いえ、これが私の仕事ですので。領主様はお気になさらず、ガー太様と散歩をお楽しみ下さい」
などと言って、決して気を抜こうとはしない。
こちらを思って真剣なのはわかるのだが、正直、もっとリラックスしてくれた方が、レンとしてもありがたいのだが。
散歩の途中、ガー太がスピードを上げて走り出すと、ダークエルフでもついてこれない。だがこのあたりは見晴らしのいい平原なので、余程離れないと姿を見失うことはない。
この時もレンはガー太を気持ちよく走らせていたのだが、ふと気が付けば、ロゼが手を振ってこちらを呼んでいるのが見えた。
魔獣だろうか、と思ったレンはそちらへと向かった。日々の散歩は気晴らしがメインだが、魔獣のパトロールも兼ねていた。
「領主様。あちらに馬車が見えるのですが」
ガー太に乗っているときのレンは、視力も強化されているので、かなり遠くまで見通せる。
ロゼが示す方向を見ると、確かに馬車が一台、こちらの方へ、つまり東から西へと進んでいる。
「おかしいな。あれってダークエルフの馬車じゃないよね?」
「はい。そのような話は聞いていません」
現在位置はレンの屋敷からちょっと東だ。
そしてあの馬車は屋敷のさらに東から来たことになるが、どこから来たのかわからない。
屋敷の東にも、黒の大森林の監視村があり、巡回商人の馬車も村々を回っている。だが監視村に行くなら街道を進むだろう。わざわざ街道を離れ、こんな所を通る理由がない。
監視村の他には、黒の大森林とダーンクラック山脈があるだけだ。どちらも人が住むような場所ではないはずだが……
「どうしますか?」
「一応、確認しに行こう」
別に放っておいてもよかったが、一応、領主だしな、とレンは思った。気になったら調べておくべきだろう。
馬車の方へ近付いていくと、向こうが予想より大所帯だとわかった。馬車の周囲を、十人ぐらいの男たちが歩いていた。全員が武装しているが、装備はバラバラで、どこかの正規兵ではなく傭兵のようだ。
あるいは盗賊か――レンの警戒心が上がった。だが盗賊だとしても、こんな場所にいる理由がわからない。
向こうもこちらに気付いたようで、馬車の動きか止まる。レンの方を見てざわついているようだ。
多分、ガー太に驚いているのだろう、と思った。
ある程度の距離を置いてレンも止まり、馬車の男たちと向かい合う。
「どうも初めまして。僕はレン・オーバンス。一応、このあたりの領主をしています」
最初にレンが名乗ると、男たちのざわめきが大きくなった。
「私はバルエスと申します」
男たちの一人が、レンの前までやって来て挨拶する。
「この隊商のリーダーです。ちょっと近道しようと街道を外れたら、道に迷ってしまいまして」
そう言いながら、男はふところから革袋を取り出す。
「お騒がせして申し訳ありません。迷惑料として、お納め下さい」
どうやら革袋には金が入っているようだ。
あやしい、と思った。
迷子でこんな所に来るとは思えないし、いきなり金を渡そうとするのもおかしいだろう。何か見られて困る物でも運んでいるのだろうか。
金を受け取ったりはせず、レンは訊ねた。
「馬車の中身は何です?」
「色々な品物を詰め込んでおりますが……」
「変わった馬車ですね」
ロゼが横から発言した。
「板を打ち付けて窓をふさいでいるようです。外から中を見られないようにしているようですが、見られて困るような物を運んでいるのですか?」
「そんな物は運んでいませんよ」
なんだこのダークエルフは、といった顔でバルエスが答える。
「中を見せてもらっても?」
「別に構いませんが」
相手が承諾したので、中を確かめることにする。
レンたちは馬車に近付いていくが、この時バルエスはレンに背を向けていた。そして彼は声には出さず、目線で他の男たちに合図を送る。
その合図で男たちが動いた。
剣を抜き、レンとロゼを囲むように移動する。
「どういうつもりですか?」
レンは落ち着いた様子で訊ねた。囲まれても動揺はない。となりのロゼも同じように落ち着いている。二人とも、男たちの様子がおかしいことには気付いていた。
レンたちは二人と一羽。対する男たちは十数人。
人数差は圧倒的だが、余裕がないのは男たちの方だった。
「いいのか? こいつが、あのレン・オーバンスだろ」
男たちの一人が、弱気な声で言う。
「びびるな。相手は二人だけ、殺せば問題ない」
「でもよう……」
「いいから殺せ!」
バルエスの命令で、男たちが一斉に斬りかかってきた。
ロゼが剣を抜いて応戦する。
彼女の技量は高い。元々身体能力も高いが、シャドウズの訓練に混じったりして、日々の鍛錬も怠らない。並みの使い手なら、圧倒できるだけの技量を持っていた。
斬りかかってきた一人目の剣を避けつつ、横になぎ払って相手の腹部を切り裂く。
続けて襲ってきた二人目の剣を受け止め、つばぜり合いになるが、力で押し込んで相手の体勢を崩す。見た目は華奢な少女でありながら、その力の強さに相手の男が目をむいた。
ロゼはとどめとばかりに剣を突き出そうとしたが、寸前で後ろへ下がった。横から振り下ろされた剣が空を切る。
あのまま二人目の男を倒そうとしていたら、この三人目の男に斬られていただろう。
男の方は、まさか避けられるとは思っていなかったようで、動きに動揺が見られた。ロゼはその隙を見逃さず、三人目の男の腕に剣を振り下ろし、手首のあたりを切断する。
男が悲鳴を上げて地面を転げるが、ロゼはもうそちらを見ていない。
冷静に次の相手に向かう。
多人数を相手に、一歩も退かない戦いを見せるロゼだったが、男たちが攻撃してきたのは彼女だけではない。
レンの方にも向かって来たが、こちらはもっと圧倒的だった。
「ガー!」
正面から来た相手を、ガー太が右足で無造作に蹴り飛ばす。無造作だが、その動きの速さと威力は驚異的だ。
「がはッ!」
悲鳴を上げた男の体が、数メートルも吹き飛ばされる。
だがこれでもまだ手加減しているのだ。ガー太が本気になって蹴れば、一撃で死んでもおかしくない。
前に上げた右足を、ガー太はそのまま今度は後ろへ突き出す。
「ごふっ!?」
斜め後ろから襲いかかってきた敵が、一人目と同じように吹き飛ばされる。
二人が立て続けにやられたのを見て、他の男たちの動きが止まった。
レンはガー太の上で何もしていない。
魔獣の出現に備え、弓も持ってきていたのだが、使うまでもなかったなと思ったところで、馬のいななきが聞こえた。
馬車の御者が、馬にムチを入れたのだ。
「急げ!」
いつの間にか御者の隣に乗っていた男――最初にバルエスと名乗ったリーダーらしき男だ――が声を上げる。
かなわぬと見て、仲間を見捨てて逃げることにしたらしい。
「ロゼ、ここは一人で大丈夫?」
「はい。お任せ下さい」
自信に満ちた答えが返ってくる。それに他の男たちも、バルエスが逃げ出したのを見て戦意喪失したようだ。これなら大丈夫だと判断し、
「ガー太」
「ガー」
馬車を追ってガー太が走り出す。
馬だけで全力疾走しているならともかく、馬車を引いていては、それほどスピードは出ない。
すぐに追いついたレンは、馬車へ呼びかける。
「馬車を止めろ!」
その声に御者台の男が振り向き、ギョッとした顔になる。こんなに早く追いついてくるとは思っていなかったようだ。
だが馬車が止まる気配はない。
レンは併走しながら弓に矢をつがえた。
こちらを見ているバルエスの顔には、驚きつつも余裕があった。
走りながら射ても簡単に当たるものか、と思っているのかもしれない。
そんな彼に向かって、レンは狙いを定めて矢を放つ。それは狙い通り彼の肩に突き刺さった。
痛みに悲鳴を上げたバルエスは身をよじり、それでバランスを崩して馬車から落下する。
レンはそれを横目でチラリと確認しつつ、さらに馬車を追う。
残りは御者一人。
レンは再び馬車を止めるように呼びかけたが、やはり馬車は止まろうとしない。どうも御者は逃げることに必死になりすぎて、こちらの声が聞こえていないようだ。
仕方ないな、と思ったレンは、今度は御者を狙って矢を放つ。
これも見事に命中し、御者は悲鳴を上げて馬車から転落する。だが手綱を握ったままだったので、馬が驚き急に右へ曲がる。そのせいで馬車が横に振られ、横転した。
地面に倒れた馬車は、数メートルほど横滑りして止まった。
レンはまず近くに放り出された御者に近付いた。矢を受け、地面に激突した御者は、痛みにうめき声を上げていた。死んではいなかったが、逃げ出す元気もなさそうなので、レンは彼をそのままにしておいて、馬車の方へと近付いた。
「領主様!」
呼ばれた方を見ると、ロゼが走ってくる。
「ご無事でしたか!?」
「うん。ロゼも大丈夫だった?」
「はい。ですが申し訳ありません。何人か逃がしてしまいました」
「それはいいよ。リーダーらしい人は捕まえたし、問題の馬車もこうして逃がさなかったし。後は中に何が入っているかなんだけど……」
「確認します」
ロゼは倒れた馬車に近付いた。馬車は横倒しになっていたので、横についているドアが上にきている。
ドアは外から、かんぬきをかけるようになっていたので、ロゼはそれを外し、ドアを開ける。
中をのぞき込んだロゼは、すぐにそれに気付いた。
「領主様、子供が二人います」
そう言ってから、馬車の中に入る。
二人の子供は、どちらも十代前半ぐらいの少女で、よく似た顔立ちをしていた。もしかしたら双子かもしれないが、それよりロゼが驚いたのは少女の肌と髪の色だった。
二人の少女は白い姿をしていた。雪のような白い肌に、少し青みがかった白い髪。
まさかエルフなのかと思ったが、耳の先が尖っていない。つまりエルフではないようだが、こんな姿の人間がいるとは、見たことも聞いたこともなかった。
一体何者だろうとロゼは思った。