第135話 最後の一押し(下)
その日の深夜。
王都の中を、一台の荷馬車が進んでいた。
こんな深夜に出歩く者も珍しいが、その荷馬車を動かしている者たちはさらに珍しかった。
一人を除いて、彼らはダークエルフだった。
レンとその仲間たちである。
彼らはシーゲルに頼まれてここへ来たのだ。
「サイアスの連中を、まとめて俺の配下に取り込みたい。そうすれば、もうあんたたちに手出しはさせない」
という彼からの申し出に、レンは「いいと思いますよ」と賛成した。
「本当にいいのか? 自分で言うのもなんだが、ずいぶんとむしのいい話だと思うんだが」
「シーゲルさんが彼らを取り込んでくれるというなら、反対する理由はありません」
犯罪ギルドがどうなろうと別に構わなかった。シーゲルの言う通り、彼が新しいボスになって、報復を押さえ込んでくれるというならそれでいい。
犯罪ギルドの連中を皆殺しにでもすれば、報復の心配もなくなるだろうが、さすがにそこまでやるつもりはなかった。
「じゃあ、むしのいい話ついでに、もう一つ頼みたいことがあるんだが」
「なんでしょうか?」
彼には色々と情報を教えてもらった。その恩返しをしたいと思っていたところだ。
「奴らはあんたたちにやられ、相当まいってるはずだ。だが奴らにもプライドやメンツがある。簡単に俺の配下になるとは言えないだろう。そこで、最後にもう一押し、奴らの心を折るようなことを頼みたい。何かないか?」
「もう一押しですか……」
そう言われてレンには思い付いたことがあった。というより、それは前々から考えていたことだったのだが。
それをシーゲルに伝えると、
「本当にそんなことができるのか?」
と驚いていたから、効果は絶大だと思われた。
危険はあるが、今ならやれるだろうと思い、やってみることにした。
その成果が今、荷馬車に乗っている。
荷物を壁の中に運び込む手はずは、シーゲルが整えてくれた。おそらく門番の兵士に賄賂でもはずんだのだろう。荷物はそのまま門を素通りできた。
普通に入ろうとしたら、絶対に通してくれないだろう荷物だった。
夕方頃に壁の中の街に入り、それから深夜になるまで待機。
住民たちが寝静まってから動き出したレンたちは、とある通りの曲がり角まで来て止まった。
角から通りの先を確認すると、犯罪ギルド・サイアスの屋敷が見えた。
「それじゃあカエデ、練習通りに頼める?」
「はーい!」
カエデが元気に返事をする。
レンが王都へ行くときはずっと留守番だったが、今夜は一緒なので機嫌がよかった。
なお、ガー太は今夜も留守番である。
レンたちは荷馬車に積まれていた荷物を外へ出す。
荷物は縦横、高さが1メートルぐらいの大きさだった。分厚い布で何重にも覆われ、それをロープでぐるぐる巻きにしていた。
ロープをほどき、布を外すと、中から現れたのは木製の檻だった。
そして檻の中に入っていたのは魔獣――一体のハウンドだった。
ハウンドは弱り切っていた。その体には何本も矢が刺さっている。全てダークエルフ製の特別製だ。魔獣の超回復を阻害する矢が、ハウンドを死にかけの状態にしていた。
つまり魔獣を生け捕りにしたのである。
この世界の人間に、魔獣を生け捕りにするという発想はない。なにしろ魔獣には超回復がある。痛めつけて弱らせても、すぐに回復するのだから、そんな危険な生き物を生け捕りにしようとは思わない。
超回復を阻害する、ダークエルフの矢があってこそだった。
レンは前々から、この矢を使えば魔獣を生け捕りにできるのでは、と考えていて、今回それを実行に移したのだ。
一番大変だったのは、生け捕りそのものより、魔獣を見つける方だったかもしれない。
来てほしくないときには現れるくせに、いざ探すと中々見つからなかった。
ガー太に乗ってあちこち走り回り、見つけた後は、わざと急所を外して矢で射抜いた。そうやって十本近く矢を命中させると、ハウンドは弱り切り、ほとんど動かなくなった。
なんだか動物虐待をしているような気分になったが、魔獣の目は死んでいなかった。体は弱って動けなくなっても、赤い目には変わらず暗い憎悪が燃えていた。
その後、ダークエルフたちと一緒に魔獣を檻に入れ、ここまで運んできたのだ。
シーゲルも、本当に捕まえてきたのかと驚いていた。そして、
「これなら最後の一押しに十分だ」
と喜んでいた。
レンたちが檻の外から手を入れ、魔獣に刺さっていた矢を引き抜くと、変化はすぐに現れた。
弱り切っていた魔獣が回復し、動き始めたのだ。
凶暴さも取り戻し、うなり声を上げる。
「カエデ、頼む」
この檻は頑丈に作られているが木製だ。早くやらないと、壊されるかもしれなかった。
檻には取っ手のような物が取り付けられ、そこに太いロープが結びつけられていた。カエデはそのロープを握ると、自ら回転して檻を振り回し始めた。
ハンマー投げと同じような動きである。
十分に勢いをつけたところで、カエデは檻を投げ飛ばした。
レンはその行方に注目する。
何回か練習しただけで、カエデはすぐにコツをつかみ、かなり正確に投げられるようになった。だがここで失敗したら、とんでもないことになってしまう。
しかしその心配も無用だった。
高く放り投げられた檻は、まっすぐ目標に向かって飛び、命中した。
「よしッ!」
思わずガッツポーズが出た。
目標というのは、犯罪ギルド・サイアスの屋敷だった。
投げ込まれた檻は、屋敷の二階の壁に命中した。
そのあたりの壁は、先日、警備隊が乗り込んできたときに壊されてかけていた。檻はその痛んでいた壁を突き破り、家の中に飛び込んでから壊れた。
大きな音が響き渡り、屋敷で寝ていたギルドメンバーたちが飛び起きる。
ボスのトルノが殺されたのが、昨日の夜である。
メンバーたちは、また侵入者か!? と色めき立ち、武器を手にして、二階の部屋へと駆けつけた。
それは侵入者には違いなかった。だが彼らが予想していた侵入者より、凶暴で凶悪な侵入者だった。
ギルドメンバーの一人が、持ってきたランプで壊れた室内を照らす。
その明かりに、二つの赤い目が反射した。
「えっ?」
自分の目にしたモノが信じられず、そのメンバーが間抜けな声を上げた。
侵入者は凶暴なうなり声を上げ、ランプを持ったメンバーに飛びかかった。
「ギャアアアアッ!」
魔獣に食らいつかれたメンバーが、大きな悲鳴を上げる。
「ハウンド!?」
「何で魔獣が!?」
「そんなことより、さっさとこいつを殺せ!」
屋敷は大混乱になったが、武器を持ったメンバーは十人以上いた。
相手はハウンド一体。
最初の混乱が収まれば、倒すのは難しくなかった。
最初に食いつかれた男が重傷を負い、翌朝に死亡したが、後は軽傷が数人出ただけで、どうにかハウンドを倒すことができた。
しかしハウンドを倒しても、メンバーの顔は深刻だった。
問題はどうして屋敷にハウンドが出たか、だった。
ここは郊外の一軒家ではない。壁に囲まれた王都の中なのだ。
魔獣はどこにでも現れる。ごくまれに、突然街中に魔獣が出現することさえある。だが今夜のハウンドが、たまたまここに現れたと考える者は誰もいなかった。
「魔獣使いじゃないのか?」
誰かがぽつりといった言葉に、他のメンバーたちがざわつく。
「あいつらを襲いに行った連中が言ってたよな? 奴らの中に魔獣使いがいたって」
この世界に生きる人間たちにとって、最大の脅威は魔獣である。
ならばその魔獣を自由に操る存在――魔獣使いがいるのではないか、という話が出てくるのは必然といえた。
魔獣使いの伝説は大陸の各地に残っている。だがそれはあくまで伝説。魔獣使いはそんな伝説やおとぎ話の中にしか存在しない、と多くの者が思っていた。魔獣使いを自称する者もいたが、そいつらは全員が詐欺師のたぐいだと思っていた。だが同時に、もしかしたら本当にいるかもしれない、と思っている者も多い。
「魔獣使いなんて、本当にいるわけないだろうが」
「じゃあこのハウンドは何なんだ!? こいつはここに投げ込まれたよな。そんなマネ、魔獣使い以外の誰ができるっていうんだ!?」
その言葉に明確に答えられる者はいなかった。
さらに誰かが言う。
「ダークエルフは魔獣の血を引いてるんだろ? だったら魔獣使いがいても、おかしくないんじゃないのか?」
さらに誰かが言う。
「もし奴らの中に魔獣使いがいたとして、そんな奴らに勝てるのか?」
人間やダークエルフ相手なら、どんなに強くても数を揃えれば勝てるだろう。
だが魔獣使いに勝つことができるのか。
答えられる者は誰もいなかった。
翌朝。
昨日言っていた通り、再び屋敷を訪れたシーゲルを出迎えたのは、やつれた顔の幹部たちだった。
「一晩見ないうちに、ずいぶんいい顔になったな」
そんなシーゲルの軽口には反応せず、幹部の一人が彼に訊ねる。
「一つ教えろ。昨日、お前が言っていたダークエルフの犯罪ギルド――」
「シャドウズのことか?」
「それだ。そいつらの中に魔獣使いがいるのか?」
「魔獣使いがいるかどうかは俺にもわからない」
だが、とシーゲルは続ける。
「お前たちは二回も魔獣に襲われた」
なぜ昨夜のことを知っている? と聞く者はいなかった。
「一回だけなら偶然かもしれないが、それが二回続くなら、三回目や四回目もあり得るだろうな」
「……お前が仲介すれば、話はまとまるんだな?」
「約束しよう。だが昨日の条件も覚えているな?」
しばらくの沈黙が続き、やがて幹部の一人が口を開いた。
「その条件を飲む。俺たちはお前の下に入る」
事実上、犯罪ギルド・サイアスが消滅した瞬間だった。