第131話 深夜の誘拐
深夜、宿屋のベッドで寝ていたカイルは静かな声で起こされた。
「起きろ」
という声に目を開けると、眠気は一気に吹き飛んだ。
暗い部屋の中、ベッドの周囲に数人の男たちが立っていて、しかもこちらに剣を突きつけていたのだから。
「静かにして、言う通りにしろ。わかったな?」
カイルはうなずくしかない。
トルノさんの指示か? という問いが口から出かかるが、どうにかそれを飲み込む。
彼は周囲の男たちを、犯罪ギルド・サイアスのメンバーだと思い込んだ。
ここはギルドの息のかかった宿屋だし、部屋には監視役のメンバーもいた。それなのにいきなり現れたのだから、男たちのことをギルドメンバーだと思うのも無理なかった。
もしかして俺は切り捨てられたのか? と思った。危惧していたことが現実になったのだろうか。
男たちは後ろ手にカイルを縛り、猿ぐつわをかませ――たまではまだよかったが、大きな布袋をかぶせられたところで、何だかおかしいと思い始めた。
体全体がすっぽり入る大きな袋に入れられ、まるで荷物のように抱え上げられる。
もし彼らがギルドメンバーだとして、ここまでする必要があるだろうか? 黙ってついてこいと言えば、カイルはそれに従うしかないのに……
不安に思ったカイルだったが、今更どうにもできなかった。
布袋に入れられたため、外の様子は全くわからなかったが、担ぎ上げられたり、ロープに巻かれて引き上げられたり、下ろされたりしたようだ。最後は荷馬車に乗せられ、かなり長い時間運ばれた。
どこへ運ばれていくのか、ますます不安になる。
やがて荷馬車がどこかに到着すると、カイルは担ぎ上げられ、しばらく運ばれてから固い床の上に乱暴に投げ出された。
「うっ!?」
傷みにうめき声を上げていると、やっと布袋から出された。
そこはどこかの部屋の中だった。
まだ夜は明けておらず、室内にはランプが置かれていたが、それでも薄暗かった。
そんな室内には、十人以上の人間がいた。いや、人間だけではなくダークエルフもいる。数は半々ぐらいだろうか。
猿ぐつわも外されたので、カイルは大きく息を吐いた。
そんな彼に、男たちの一人が声をかけてきた。
「俺はダルカンのシーゲルだ。知ってるか?」
「ダ、ダルカンのことは知っています」
驚きながらもカイルは答える。
犯罪ギルド・ダルカン。カイルが取引しているサイアスと対立しているギルドだ。
ということは、俺はもしかしてギルド同士の対立に巻き込まれたのか、と思った。
「で、こちらがオーバンスさんだ。お前らが襲った荷馬車の持ち主だな」
カイルはさらに驚いた。
こいつにさらわれたのか、という驚きもあったが、それ以上に驚いたのが、そいつがダルカンの人間と一緒にいたことだ。
商人の背後にいた貴族が、警備隊と組んで、自分のことを探しているのは知っていた。それがどうして別の犯罪ギルドの人間と一緒なのか。
「これからいくつか質問する」
シーゲルが静かに言った。
「お前は聞かれたことに素直に答えるんだ。わかるな?」
「わかりました」
カイルとしてはそう答える以外にない。
「名前は?」
「カイルです」
「カイルか。お前はこちらのオーバンスさんの荷馬車を襲ったな?」
「いえ、私は単なる――」
「おい」
カイルの答えを最後まで聞かず、シーゲルは後ろに呼びかけた。
するとダークエルフが一人、前に出てきて、いきなりカイルの顔を殴りつけた。
ものすごい力だった。
床に座っていたカイルの体は倒れ、ゴロゴロと転がる。
手は後ろに縛られたままだったので、体勢を整えることもできず、痛みに耐えるしかなかった。
殴ったダークエルフは彼の体を引き起こし、元の場所に座らせる。
「こっちはそれなりにお前のことを調べたんだ。ウソはすぐバレる。もう一つ言っとくと、このダークエルフたちは、お前らが殺したダークエルフのお仲間だ。お前を殺したくてウズウズしてるのを、俺が止めているんだ。わかるな?」
カイルはこくこくとうなずいた。
「じゃあもう一度聞くぞ。お前はオーバンスさんの荷馬車を襲ったな?」
「襲ったといっても、私は下っ端で――」
再びダークエルフが出てきて、今度は腹を殴られた。
傷みに悶絶しているところに、三度目の質問が来る。
「お前が襲ったな?」
「ですから私は下っ端なので――」
またもダークエルフが出てきたところで、
「待った! 待ってく下さい!」
とカイルは叫んだ。
「しゃべります、しゃべりますから」
懇願するように言う。
ここまではカイルの計算だった。
最初からペラペラしゃべっても疑われる。だからある程度、逆らってから話す。これで少しは信憑性が増すだろう。
問題はどこまで話すか、だと思った。
向こうは全部知っているような口ぶりだが、これはウソだと思った。もし本当に全部知っているなら、わざわざ尋問する必要もないはずだ。
どこまで話すべきか考える。
本当に全部話してしまえば、襲撃の発案者ともいえる自分は、間違いなく殺されるだろう。だが全部ウソを言っても通用しない。
だったら本当のことを話しつつ、肝心な部分だけウソを混ぜる。
これしか生き残る道はないと思った。
シーゲルによる尋問の様子を見ながら、レンは顔をしかめていた。
こういう暴力行為は苦手である。今すぐここから逃げ出したい。
シーゲルからも、
「全部こちらでやりましょうか?」
と言われたが、そこは断った。
責任者として、イヤなことを他人に押しつけるわけにはいかない、なんて思ったからだったが、すでに後悔していた。
こちらの世界に来てから、何度か戦いを経験したが、戦いと一方的な暴力は全然違う、というのを改めて思い知った。
そもそもこの誘拐もシーゲルの発案だった。
ルーセントからは、ギルドの上役だと彼を紹介された。
シーゲルは一見すると穏やかそうな人間だった。暴力的な雰囲気がなく、犯罪ギルドの幹部だと言われても、そうは思えないほどだった。
だが言動はやはりギルドの人間だった。
「あやしい奴がいます。身柄をさらって調べましょう」
いきなりこれである。
聞けば、確かに状況はあやしい。だが確かな証拠もなしに、いきなり誘拐というのはどうなのだろうか。
悩んだレンだったが、結局は向こうの提案に乗った。
手詰まりになっているので、情報が欲しかった。それに相手は犯罪ギルドの人間だ、という思いもあった。普段から犯罪行為を行っているような連中だ。多少手荒なことをされても文句は言えないだろう、と自分を納得させた。
誘拐はシャドウズが行った。
「うちの連中が使えればいいんですが、そういうわけにもいかず……」
シーゲルが動くと、ギルド同士の戦争になりかねないので、それは避けたいということだった。
そこでレンはゼルドにできるか聞いてみた。
「できます」
というのが彼の答えだった。
シャドウズの隊員たちは、レンの屋敷に忍び込むという訓練を繰り返していた。
ガー太とカエデに阻まれ、まだ一度も成功したことはなかったが、これは相手が悪すぎるせいだった。
宿屋に忍び込んで人を誘拐する、というのも簡単ではないが、カエデもガー太もいないのだからやれるでしょう、というのがゼルドの答えだった。
というわけでシャドウズに任せることにしたのだが、その際、レンは一つ条件をつけた。
「可能な限り、人を傷つけないで下さい」
と頼んだのだ。
相手が泊まっているのは普通の宿屋なので、無関係の宿泊客を巻き込むわけにはいかない。それにまだ犯人と決まったわけでもなかったので、手荒なマネは避けたかったのだ。
ゼルドたちは、この難しい注文に見事に応えてくれた。
カイルには見張りが付いていたが、その見張りを一撃で気絶させ、他の客にも気付かれずに誘拐することに成功した。
シーゲルもその見事な手並みに感心して、
「うちのギルドにほしい」
と言っていたほどだ。
宿屋からさらった後は、全てシーゲルが準備してくれていた。
馬車に身柄を積み込み、王都の門を抜けてレンがいる郊外の家まで運んできた。門番には賄賂でも渡していたのか、ノーチェックで通れたようだ。
シーゲルも自分の部下たちと一緒にやってきた。
そして尋問開始となったわけだが、どうやら読みは正しかったようだ。
最初は言い逃れしようとしていたカイルだったが、殴られるのを恐れて、本当のことを話すことにしたようだった。
カイルはこれまでのことを正直に話した。
情報を仕入れ、盗賊団に話をつけ、それが成功した後は、品物をさばくために王都までやって来たことを。また、自分は段取りしただけで、実際の襲撃には関わっていないことを特に強調しておいた。
そしてその中に一つ、大きなウソを紛れ込ませた。
それは全ての発案者が、犯罪ギルド・サイアスのボス、トルノだというウソだった。
最初に思い付いたのがカイルだと知られたら命はない。だからトルノに罪をかぶせることにした。その一点に、生き残りをかけたといってもいい。
「じゃあ最初に言い出したのはトルノなんだな?」
そんなシーゲルの質問に、カイルは答える。
「そうです。誰かから、ジャガルの街でダークエルフが運送屋を始めたらしいって話を聞いたようで、ちょっと探ってこいと命じられました。本当にダークエルフがそんなことをやってるなら、裏切らせたりして、盗むこともできるんじゃないか、みたいな感じで」
「王都にいるトルノが、わざわざジャガルの街まで行かせたのか?」
「私は元々、ジャガルの方へ行くつもりだったんです。さっきも言いましたが、私はギルドの人間じゃなく、あちこち行っては、そこでちんけな犯罪を繰り返してます。トルノさんも、ついでに調べてこい、ぐらいだったと思います。ところが実際行ってみると、色々と上手く話がつながって……」
「まんまと荷馬車を奪うことに成功した、というわけか」
シーゲルは、カイルの言葉に納得したようにうなずくと、レンに訊ねた。
「どうするオーバンスさん?」
「どうするっていうのは?」
「こいつは知ってることを全部しゃべったようだ」
奪った荷馬車がどこにあるか、盗賊たちがどこにいるか、カイルは知っている限りのことを話していた。
「もう用済みだし、こっちで始末しましょうか? それともそっちで殺して、死体の始末だけ請け負ってもいいですよ」
「それは……」
レンが迷ったそぶりを見せたその瞬間、カイルは動いた。
彼はまさに今この瞬間に賭けていたのだった。
カイルはレンの方へと走った。
近くいたダークエルフたちが、慌てて彼を取り押さえようとしたが、その前に彼はレンに向かって平伏した。
腕を縛られたままだったので、倒れるような不格好になったが構わない。彼は必死にレンに懇願した。
「どうか、どうか命までは! 知ってることは全部話しました! やれと言われればなんでもやります! ですからどうかお助け下さい!」
さっきまで話をしながら、カイルはずっと周囲の人間やダークエルフたちを観察していた。
シーゲルとその部下はダメだった。彼は一見穏やかそうだったが、犯罪ギルドの人間らしく、目には酷薄な光が宿っていた。どんなに命乞いをしても無駄だろう。
ダークエルフたちも同じだった。こちらを見る目は冷たく、助けは期待できそうもない。
唯一、哀れむような目でこちらを見ていたのが、この貴族の少年だった。
彼には甘さがある、と見たカイルはそこに賭けたのだった。
はたして、レンは困った顔になった。
平凡な日本人だったレンだが、こちらの世界に来てから人を殺したことがある。以前の盗賊退治で、一人の盗賊を弓で射貫いたのだ。その時は、自分でも驚くほど冷静だったが、今回は冷静でいられなかった。
戦いの中なら、敵を殺せるかもしれない。だが、目の前で命乞いをしてくる相手を、あっさり殺せるほど非情になりきれなかったのだ。
これが主犯ならば、心を鬼にできたかもしれない。だが相手は命じられただけで、しかも襲撃には直接加わっていないという。どこまで本当かわからないが、そういう相手を殺すのには覚悟が必要だった。
「……あちこちの犯罪ギルドに顔が利く、みたいなことを言いましたね?」
「はい! これでも顔は広い方でして」
カイルが必死の形相で言う。
その顔を見て、レンはやっぱりダメだと思った。甘いと言われそうだが、自分には彼を殺せそうもない。ここで殺せば、後々まで悪夢にうなされそうだ。
「シーゲルさん。彼を殺すのは待ってもらえますか」
「こちらは別に構いませんが」
「ゼルドさんもそれでいいですか?」
「領主様がそうおっしゃるなら」
ゼルドは当然のように言った。他のダークエルフたちを見ても、誰も不満そうな顔をしていない。それでレンの心は決まった。
「彼には使い道があるかもしれません。だから今は殺さないでおきます」
ウソではなかった。思い付いたことがあるのは本当だ。しかしそれは一番の理由ではなかった。
この決断が正しかったことを祈るしかない。
「それよりも優先すべきことがあります。まずは犯人の盗賊たちを倒しましょう」
やっと見つけたのだ。まずはそっちだと思った。