第123話 安全策
家の中の空気が張りつめていた。
原因はカエデの放つ殺気だったが、本当の原因は彼女ではなくルーセントだった。
彼はレンを殺すつもりでこの家に来た。その際、邪魔になるならカエデも一緒に殺すつもりだったが、これがいけなかった。
カエデは自分に対する敵意や殺意に敏感に反応する。それは野生動物のカンのようなもので、理屈ではなく本能だった。
この時のカエデは、ルーセントの殺意を完全に見抜いていたわけではない。なんだか嫌な感じがする、ぐらいの感じでルーセントのことをにらんでいたのだ。
とはいえカエデは他人に対して容赦がない。
嫌な奴がおかしな動きをした、というだけで、躊躇なく斬りかかったりするのがカエデだった。
この点、カエデをためらわず人を殺すような相手と見抜いた、ルーセントの目は正しかったといえる。
殺し合いになったとき、本当に恐ろしいのは強い者ではなく、ためらいがない者だとルーセントは思っている。どんなに強くても、他人を殺すことにためらいがあれば、最後の最後で、その隙を突かれてしまうかもしれない。
逆にためらいなく人を殺せる者は、本当にあっさりと人を殺す。
人間も、ダークエルフも、いざ誰かを殺すとなると、多少はためらうのが普通だ。ためらいなく他人を殺せるなら、そいつは異常者だとルーセントは思っている。この赤い目も、そんな異常者の一人に違いない。
これはマズいと彼は思った。
彼が一言命じれば、この場にいるダークエルフたちは全員がそれに従う。だがこの赤い目は、自分がおかしな動きをすれば、即座に斬りかかってきそうな気がする。命令を発する前に斬り殺されたら、他のダークエルフは動けなくなる。
ひとまずここは自重すべきか、とルーセントは判断した。
「――というわけで、ルーセントさんの力を借りられないか、と思いまして」
ルーセントはレンから大まかな事情を聞いた。
二人はテーブルを挟み、向かい合わせに座っている。
他のダークエルフたちは全員が同じ部屋にいたが、座っているのは二人だけで、他は全員が立ったままだ。カエデはレンのすぐ後ろに立って、ルーセントのことをジッと見ている。
それにしても大したものだ、とルーセントは思った。
カエデのことではない。レンについてだ。
すぐ後ろで赤い目が殺気を放っているというのに、まるで気にするそぶりを見せない。さすがに最初は少し緊張していたようだが、今はだいぶ落ち着いている。
まだ少年といっていい年だと思うが、鍛え上げられた体と、それにふさわしい度胸を持っているようだ。
「事情はわかりました。我々に関することでもあるし、どこまで力になれるかはわかりませんが、できる限り協力しましょう」
「そうですか。ありがとうございます」
レンが軽く笑って頭を下げる。
「お礼などやめて下さい」
ルーセントが慌てて言う。
最初の挨拶もそうだったが、貴族に頭を下げられると、うれしさよりも居心地の悪さを感じてしまう。
ゼルドから聞いていた通り、このレンという貴族は相当の変わり者だ。だからこそ油断できない。
「繰り返しますが、我々の仲間を殺されたのですから、これは我々の問題でもあります」
「その我々というのは? もしかして殺された方と、ルーセントさんは何か関係があるのですか?」
「我々というのは……我々ダークエルフという意味です」
「ああ、なるほど。人間と違って、序列があるダークエルフは、全員が仲間ってことですね」
全員が序列を持つダークエルフは、全員で一つの集団なのだ。だから例え知らない相手であっても、我々の一員というわけだ――とレンは理解した。
一方、ルーセントは序列という言葉に、ピクリと反応した。
どうするべきか、少し迷ったルーセントだったが、まずは重要な点をはっきりさせておこうと思い、こちらから訊いてみることにした。
「領主様は我々の序列についてご存じだと聞きましたが?」
「はい。ダールゼンさん、黒の大森林の集落のリーダーをやってる方なんですけど、その方から教えてもらいました。それで思い出したんですけど、もう一つ頼みがあるんですが」
「なんでしょうか?」
何を言ってくるつもりかと身構えたが、
「序列については、人間に知られないよう秘密にしてほしいんです」
なんだ、そんなことかと拍子抜けした。
「それについては大丈夫です。ゼルドからも、領主様が序列を秘密にするよう命じている、ということは聞きましたが、私も知る限りのダークエルフに同じようなことを命じています。序列のことは秘密にするように、と」
「あ、そうだったんですか」
今度はレンの方が拍子抜けした。
「それはやっぱり人間の差別を恐れたからですか?」
「そうなります」
人間を非難するようなことを言ったのだ。少しは嫌な顔をされるかと思ったのだが、
「そうなんですよねえ」
嫌な顔どころか、レンはその通りだと言わんばかりに、うんうんとうなずく。
「人間の僕が言うのもなんですけど、人って自分たちと異なるものを排除しようとしたりする部分がありますよね。で、序列ってダークエルフだけが持つもので、人間とは決定的に異なる部分じゃないですか」
「そう……ですね」
言っている内容については同意するのだが、同じ人間について、まるで他人事のように語るレンに対し、どう答えればいいのか迷う。
「今のところ、この世界の人たちは序列を知らないようですけど、これが知られたりしたら、ダークエルフへの差別がもっとひどくなると思うんです」
「おっしゃる通りかと……」
「でもダールゼンさんは、それをあっさり僕に教えてくれたんです。だからこれはマズいんじゃないかと思って……」
ダールゼンから序列について教えられた時のこと、それを聞いて、これは秘密にしておいた方がいいと思い、彼に秘密にするよう頼んだことなどを話す。
「ダールゼンさんに周知徹底してもらいましたから、少なくとも集落近辺では秘密は守られているはずです。他の地域については、どうなのかなと心配していたんですけど、ちゃんとルーセントさんのような方が注意していたんですね。さすがです」
「いえ、そんなことは……」
「やっぱりダークエルフの序列は、人間には秘密にしておくべきですよね?」
「それは、まあ……」
ルーセントの受け答えが、どこかぎこちない。
レンの言葉が、彼には一々意味深に聞こえていたからだ。
「僕の他に、序列について知っている人間っているんでしょうか?」
「私の知る限り、領主様以外にはいません」
「じゃあ僕が例外ってわけですか。それだけ長い間、ダークエルフの皆さんが秘密にしてきたってことですよね。あ、もちろん僕も誰にも話していませんから安心して下さい」
安心できるか! と思ったルーセントだったが、それを口に出せるはずもない。
「じゃあ、もし僕が死んだら、秘密を知る人間は誰もいなくなるんですね」
今の言葉はどういう意味だ? とルーセントは動揺した。
序列の秘密を守るために俺を殺すつもりだろう、と挑発しているのか? それとも別の意味が……と考えた彼は、一つの可能性に思い当たって愕然とする。
もしかして、すでに他の誰かに話しているのか!?
別に直接話す必要はない。例えば信頼できる相手に手紙を渡しておく。相手は貴族だ。信頼できる部下の一人や二人いるだろう。そんな部下に、
「俺に何かあったら開封しろ」
と手紙を渡しておくのだ。もちろん中に書かれているのはダークエルフの序列について。
自分が死ねば秘密が公表されるというわけだ。この場合、ルーセントは簡単にはレンを殺せない。
ルーセントは自分の愚かさを罵りたくなった。
どうしてこんな簡単なことに気が付かなかったのか。
秘密が知られたとあせりすぎたか、と思った。冷静に考えたつもりだったが、全然冷静ではなかった、というわけだ。
ダークエルフとは仲良くしているから、重大な秘密を知っていても大丈夫。殺されることなんてあるはずない――なんて思っている脳天気なお人好しでもなければ、自分の身を守る安全策を講じていて当然ではないか。
そういうことか、とルーセントは思った。全て理解できた気がした。
つまりこちらの考えなど、向こうには最初からお見通しだったというわけだ。
ダークエルフがどう思おうが関係ない。絶対的な秘密を握った以上、ダークエルフはもう自分には逆らえないとわかっているからだ。
殺せるものなら殺してみろ。ただし俺を殺したらどうなるかわかっているな? そんな風にあざ笑う声が聞こえた気がした。ダークエルフに寛大なのも、自分が上にいるからこその余裕なのかもしれない。
ここは負けを認めるしかなかった。
殺すのをあきらめたわけではない。だがレンがどんな安全策を講じているのか、それがわからないと手が出せない。まずはそれを調べなければ。
「領主様のお考えはよくわかりました。とにかくその盗品については、調べられるだけ調べてみます」
嘘ではない。レンのことを知るためには、レンの信頼を得るところから始めなければならない。相手の油断を誘いつつ、情報を集めるのだ。そのためにしばらくの間は、忠実な部下を演じるつもりだった。
またこれとは別に、その盗賊たちはダークエルフを殺した犯人でもある。
二つの理由から、全力で探すつもりだった。
「とはいえ俺も下っ端です。どこまで調べられるか保証はできませんが……」
「一応、王都警備隊のキリエス百人隊長にも調べてもらうよう頼んでいます。表側と裏側っていうんですか、とにかく両方から調べてもらえれば、何か見つかるんじゃないかと期待してるんですけど」
「警備隊にお知り合いがいるんですか?」
「ちょっとした縁があって。キリエス隊長をご存じですか?」
「いえ。自分の地区の百人隊長はもちろん知っていますが、その名前は知りません。他の地区の隊長まではちょっと……」
百人隊長は現場の最高指揮官ともいえる立場で、各自がそれぞれの地区を担当している。自分の地区の百人隊長がどんな人間なのかは、犯罪ギルドにとって死活問題だ。
王都警備隊と犯罪ギルドは敵対関係にある。そして立場は王都警備隊の方が上だ。
犯罪ギルドを徹底的に叩くタイプなのか、多少は話がわかる相手なのか、そういう性格によって、付き合い方を考えていかねばならない。
だからルーセントも自分のいる地区の百人隊長のことは詳しく知っていたが、他の地区の百人隊長のことは知らなかった。これが幹部になってくれば、また違ってくるのだと思うが、彼のような下っ端だと、それで十分だった。
それにしても、すでに王都警備隊にも話を通しているとは、やはり抜け目のない奴だ、とルーセントは思った。