第122話 殺害の障害
殺す、といっても相手は貴族である。街のチンピラを一人殺すのとはわけが違う。
そして実行の機会は一度だけだ。失敗して向こうがダークエルフに狙われていることに気づけば、序列の秘密を暴露し、弾圧する側に回るだろう。
だがルーセントには勝算があった。
今のレンは無防備に近い。
ゼルドの話では、レンは人間の従者を連れていない。ダークエルフばかりなのだ。序列最上位のルーセントが命じれば、全員がその通りに動く。
これは大きなチャンスだった。なんとしても王都を去る前に殺しておきたい。
殺した後のことは考えない。貴族を殺して無事にすむとは思えないが、序列の秘密が守れるならば、ルーセントは自分の身がどうなっても構わない。ダークエルフのために死ぬのであれば命は惜しくなかった。
そして逃げ延びることを考えなければ、殺しの難易度はさらに大きく下がる。
とはいえ別に死にたいわけではない。ここでレンを殺すことができれば、周囲にいるのはダークエルフだけだ。口外しないように命じれば、事件を闇に葬ることもできるかもしれない。生き延びることができるなら、そちらの方がいいに決まっている。
「ゼルド。お前たちでレンを殺せるか?」
突然の質問にゼルドは驚いたようだった。これが人間ならば、なぜそんなことを聞くのかと即座に問い返すところだが、彼はダークエルフらしく聞かれたことに素直に答えた。
「場合によります。領主様が一人でいる時に不意打ちできれば、確実に殺すことができると思いますが……」
「できない場合もあると?」
「領主様の側にカエデがいたら、殺害はかなり困難です」
「カエデ……赤い目か……」
ルーセントは赤い目のダークエルフに会ったことはない。
ゼルドの話では、世界樹の加護を受けたダークエルフよりさらに強いらしいが、いまいちその実力を計りかねていた。
「序列を持たない赤い目だから、俺の命令も無視してレンの擁護に回るということか。だが、お前たち十人でかかれば倒せるだろう?」
「わかりません。少なくとも二人がかりでは勝てません。さすがに十人がかりなら勝てるとは思いますが、それでも五分五分かもしれません」
「お前ら全員で五分五分なのか?」
ゼルドたちの実力は、すでに見せてもらっていた。
世界樹の加護を受けている彼らの身体能力は高い。
王都周辺には世界樹がなく、ルーセント自身は世界樹の加護を受けたことがない。それどころか世界樹を見たことすらない。
だが世界樹の加護を受けたダークエルフには、以前にも会ったことがある。
世界樹に触れたダークエルフは、その加護を受け、身体能力を大きく向上させる。以前に会ったそのダークエルフも高い身体能力を持っていたが、ゼルドたちはさらにその一つ上をいっている。
高い身体能力に頼るのではなく、それを存分に生かすための技量も兼ね備えているのだ。
加護を受けたダークエルフは、それだけで普通の人間二人か三人分ぐらいの強さを持っているが、ゼルドたちはそれ以上だ。一人で五人、十人を相手にできるかもしれない。
しかもここにいる三人だけでなく、全部で十人いるのだ。全員集まれば、百人とだって互角に戦えそうな気がする。
そんな彼らはシャドウズと名乗っている。
ここ数ヶ月、徹底的な鍛錬を繰り返し、ここまでの強さを身につけたそうだが、そのゼルドをして「シャドウズ全員で五分五分」と言わせる赤い目は、どれほど強いのか。
「赤い目の噂は聞いたことがある」
会ったことはないが、そういう特別なエルフがいる、という話を聞いたことはあった。
「それがダークエルフにもいたというのは初耳だが、本当に序列を持たず、しかもお前たち以上に強いのか?」
「あれは怪物です」
ゼルドは断言した。
「我々がここ数ヶ月で大きく力を付けたように、カエデも圧倒的に成長しました。もう一対一では誰も勝てません。もしかしたら本当に史上最強のダークエルフかも……」
にわかには信じられない話だった。だがゼルドがそこまで言うのだから、無視はできない。
「じゃあ確実にレンを殺すなら、その赤い目がいない時を狙うしかないか……」
やり方は色々とあるだろう。四六時中、一緒にはいないはずだ。
とにかくレンの方を先に殺してしまえば、赤い目といってもダークエルフ一人、どうにでもなると思った。
「他に問題はないか?」
「あります。ガー太様です」
「レンが乗っているというガーガーか?」
ルーセントはガーガーを見たことがない。人が多い王都周辺に、ガーガーが現れることは滅多にない。
だがガーガーが臆病で、人が近付いただけで逃げるような鳥だとは知っている。
それに人が乗っているというだけで驚きだが、
「そいつに乗って逃げられるってことか?」
「逃げる……かもしれませんが、ガー太様はカエデと同等かそれ以上に強いのです。領主様がガー太様に乗って戦えば、殺されるのは我々の方でしょう」
これまた信じられないような話だ。
今まで聞いてきたガーガーのイメージと、そのガー太とかいうガーガーのイメージがどうしても結びつかない。
「本当にそんなガーガーがいるのか?」
「カエデが特別なダークエルフならば、ガー太様はもっと特別なガーガーです。超個体と互角に戦うほどなのですから」
ゼルドの言葉には、強い畏敬の念が感じられた。ガーガーが好きだというならルーセントもわかる。だが崇拝までいくとちょっとわからない。どうしてそれほど強い思いを抱けるのか。
もしかすると、その思いはレンに対する忠誠心より強いかもしれない。ゼルドがレンに忠誠を誓っているのは間違いないし、その心にウソはないだろう。おそらくレンが命じれば、それが命がけの仕事であっても、ゼルドは全力で挑むだろう。
だがどれほどの崇拝して、どれほど忠誠心を持っていても、序列を優先するのがダークエルフなのだ。だからこそ、それを人間たちに知られてはならないし、知られたからには殺さねばならないのだが……
不確定要素が多すぎるな、とルーセントは思った。
最初はゼルドたちもいるし、簡単に殺せると思ったのだが、赤い目とガーガーの話を聞いて、大きな障害が二つあることがわかった。どうやら簡単ではなさそうだ。
「俺がレンに会うことはできるか?」
とにかく会ってみようと思った。レンだけでなく、赤い目のダークエルフも、ガー太とかいうガーガーも、自分の目で見て判断する。それで今後の方針を決める。
「会いたいと伝えれば、すぐに会って下さると思います」
「相手がダークエルフでも?」
「領主様は気にしないと思います。むしろ知らない人間に会うことの方を、面倒くさがっているような気も……」
「本当に変わり者のようだな」
そんな変わり者の貴族だからこそ、ダークエルフばかりを側に置いているのだろうが。
「だったら今から帰って伝えろ。明日の朝、俺がそっちの家まで会いに行くと」
もちろんその場で殺せるなら殺すつもりだった。
これが昨日の話し合いの内容だった。
そして一夜明けた次の日。
この日は朝から雨だった。
昨日はレンを含め、大半が家を出て王都に行っていたが、今日は誰も出て行かない。ここに来る予定のルーセントというダークエルフを待っていた。
初めて会う相手なので、レンはちょっと緊張していた。しかも頼み事をする相手だ。
どういう風に説明して頼もうか、なんてことを考えながら、頭の中で会話の予行演習を繰り返していた。
「来たようです」
外を見ていたダークエルフの一人が報告してくれる。
まだ朝の早い時間だったが、向こうも急いで来てくれたようだ。
ドンドンと家のドアが叩かれ、ダークエルフの一人がドアを開けた。
「失礼します」
入ってきたダークエルフはずぶ濡れだった。この時代、まだ傘は高級品で、平民なら雨の日はずぶ濡れで歩くのが当たり前だった。当然、彼も傘を持っていなかった。
彼は中にいた人たちを見回し、レンに目をとめた。人間は彼一人だから、すぐに目当ての人物だとわかったのだろう。
「オーバンス伯爵家のご子息様でしょうか?」
その場にひざまずき、上目遣いで聞いてきた。
「レンといいます。雨の中、わざわざ来てもらってすみません」
軽く頭を下げながら挨拶すると、向こうは驚いたようだった。
それはレンにとっても、すでに慣れた反応だった。
貴族が平民に頭を下げることは滅多にない――というのは、もう十分に承知している。それどころか執事のマーカスや、商人のマルコなどからは、
「軽々しく頭を下げると、相手に軽く見られてしまいます」
みたいなことを言われ、
「貴族なのですから、もっとどっしり構えていて下さい」
みたいなことも言われていた。
レンは基本的に郷に入っては郷に従えの考えで、この世界の常識に合わせて行動しようと思っていたが、この貴族的な振る舞い、というのが苦手だった。
特に挨拶だ。
初対面の相手に頭を下げて挨拶というのは、日本人として生きてきたレンにとっては当たり前すぎて、やらないと気持ち悪いぐらいなのだ。
だからもう挨拶に関しては、相手に軽く見られても別にいい、どうせ軽い存在なんだし――と開き直っていた。
「ルーセントといいます。こちらこそ、失礼いたします」
慌ててルーセントはその場に平伏した。
まさかいきなり頭を下げられるとは、ルーセントも思っていなかった。昨日、変わり者という話を聞き、レンという男をそれなりに理解した気になっていたが、どうやら甘かったようだと彼は思った。
「頭を上げて下さいルーセントさん。ゼルドさんから話を聞いてるかもしれませんが、僕は貴族といっても勘当されたみたいなものなんで、あんまり気にしないで下さい」
「はあ……」
ここはどう答えるべきか、と思いながら顔を上げたところで、ルーセントはレンのすぐ横にいたダークエルフと目が合った。
その小柄なダークエルフの少女は、赤い目をしていた。
ルーセントの背中に寒気が走った。
こいつはダメだ、と一目見ただけでルーセントは思った。
生まれたときから王都の底辺で育ち、犯罪ギルドの一員として生きてきたルーセントにはわかった。見た目はかわいらしい少女でも、その中に化け物がいる。
聞いていた通り、少女は赤い目をしていたが、それよりもルーセントが感じた印象は、暗くにごった目、だった。
こういう目をした人間を、ルーセントは何人か見たことがある。
いずれもダークエルフどころか、同じ人間であっても、ゴミか何かのように躊躇なく殺せるような人間だった。まともな人間がするような目ではない。
もしかして見抜かれているのか? とルーセントは不安に思った。
少女の目には、明らかにルーセントに対する敵意が浮かんでいる。
今日、ルーセントはレンを殺す覚悟を持ってここへ来た。もちろん殺意は表に出さず、表面上は穏やかに対応するつもりだった。だがこの少女は、そんなルーセントの心の内を見抜いているかのようだ。
改めて周囲の様子をうかがえば、この少女の剣呑な気配を、ゼルドたち他のダークエルフも感じ取っているようで、家の中の空気がピンと張りつめている。
「さあどうぞ。本当に家具とか、何もないですけど」
ちょっと愛想笑いを浮かべながらレンが言った。
ごく普通の笑顔だった。まるでこの緊張した空気に気付いていないかのような、普通の笑顔だった。そんな笑顔を見たルーセントは逆に戦慄した。
とんでもない鈍感なのか? そんなわけない。
ずっと平和な家の中で育ってきたとか、そういう世間知らずの貴族のお坊ちゃんもいるかもしれないが、レンの経歴を考えてもそれはない。
わかっていて平気な顔をしているのだ。
これは、とんでもない相手に秘密を握られたかもしれない、とルーセントは思った。