第119話 けじめ
三人組――今は一人が地面に倒れているが――は、店から出てきたキリエスを見て、ホッとした表情を浮かべる。
これで助かったと思ったようだが、そんな彼らに対し、キリエスは冷たく言葉を放つ。
「お前ら、何やってんだ?」
「えっ? だってキリエスさんが――」
「黙れ」
三人組の一人が何か言おうとしたが、キリエスはそれをさえぎる。
「チンピラが軽々しく俺の名前を呼ぶな」
三人組はさらに何か言おうとしたが、キリエスはにらみつけて黙らせた。ここで余計なことを言わせるわけにはいかないので、さらにたたみかける。
「お前ら、この人が誰だかわかってるのか? 立派な伯爵家の息子だぞ?」
「えっ?」
三人組は絶句した。彼らはレンの素性について何も聞かされていなかったのだ。もちろんキリエスがわざと言わなかったのだが。
言ってしまえば、彼らはレンにケンカをふっかけるのを尻込みしたはずだ。貴族相手に無礼な態度を取って、無事ですむはずがない。
今さらになってその事実を知り、彼らは愕然としたのだ。
「消えろ」
「えっ?」
「そこでのびてるバカを連れて、さっさと消えろって言ってるんだよ! それとも牢屋にたたき込まれたいか?」
「す、すんません!」
キリエスの怒声に、二人は慌てて倒れていた仲間を引き起こし、脱兎のごとく逃げ出した。
どうやらだまされていたことに彼らも気付いていたが、相手は警備隊の百人隊長、文句を言える相手ではなかった。
「すまないなレン。ああいうクズどもを、のさばらせてるのは俺の責任だ。王都警備隊の隊長として謝罪する」
「いえ気にしないで下さい。大丈夫でしたから」
レンたちに怪我はない。
むしろ相手の方が心配だった。
向こうが一方的にケンカをふっかけてきたのだから、反撃されても自業自得だ。だがディアナのあの一撃、あれはやり過ぎではないだろうか?
マジで死んでなければいいんだけど……
「すみませんレン様。勝手なことをしてしまいました」
心配そうなレンの顔を見たからか、ディアナが泣きそうな様子で謝ってきた。
「ディアナが謝る必要なんてないよ。助かったよ、ありがとう」
慌ててお礼を言う。
「本当ですか?」
「本当、本当。さすがディアナ、助かったよ」
とにかくほめておく。もちろん「やり過ぎでは?」なんてことは言わない。
ほめまくったおかげか、ディアナが少し笑ってくれたので、レンはホッとした。
「迷惑をかけたお詫びに、昼飯は俺がおごろう。中々いい店があるんだ」
「いえ、それはちょっと……」
「何か予定でもあるのか?」
せっかくのキリエスの誘いだったが、レンはためらった。
あまり知らない人とご飯を食べに行くのが嫌だった、というわけではない。あまり気は進まなかったが、これからのことを考えれば、行った方がいいのはわかっている。仕事上のお付き合いみたいなものだ。
レンがためらったのは別の理由があって、
「そのお店、ダークエルフが一緒じゃダメですよね?」
「こいつらも一緒に連れて行くつもりか?」
「はい」
「レン様。僕らのことなど気にせず行ってきて下さい」
リゲルからはそう言われたが、レンは譲らなかった。
「いや、僕一人だけでおいしいものを食べに行くわけにはいかないよ」
これはレンのけじめだった。
この世界でダークエルフが差別されていることは、現実として受け入れるしかない。今のレンが何を言ったところで、その現実は変えられない。
だが自分がその差別に加担するようなことはしたくなかった。
店がダークエルフの入店を拒否するなら、その店には行かない。宿がダークエルフの宿泊を拒否するなら、その宿には泊まらず野宿する。
それがけじめだった。
おかげでレンはこの世界に来てから、お店に入って料理を食べたことがない。
ジャガルの街に行ったときも、マルコからは、
「おいしいお店に案内しますよ」
などと誘われたのだが、そういうのは全て断っていた。
正直、かなり心は揺れた。
なにしろこの世界に来て以来、おいしいものを食べていない。
塩味だけの肉とか、硬いパンとか、そんなのばかりである。
食べるものがなくて飢えるよりマシだ、というのはレンもわかっているが、現代日本の食生活に慣れていたレンにとって、この食生活はかなりつらかった。
ラーメン、ハンバーガー、牛丼――そういう味の濃いものが食べたかった。
幸い、ダークエルフの懐事情にはかなり余裕ができてきた。これまでは量が優先だったが、これからは質にもこだわっていくべきだろう、と考えているところだ。
おいしい料理が食べられるようになるには、まだ時間がかかりそうだが、自分で決めたのだからしょうがない。キリエスの誘いも断るしかなかった。
そんなレンの返答を聞いたキリエスは、なるほどな、と思った。
それがこいつの人心掌握術か、と納得していた。
キリエスはダークエルフを嫌っていた。
王都にも多くのダークエルフがいるが、差別されている彼らは、ほとんどまともな職には就けない。結果、人がやりたがらない汚れ仕事とか、犯罪ギルドの使いっ走りとか、そういうことばかりをやっている。
警備隊のキリエスからしてみれば、そんな彼らは目障りな存在でしかない。先程の三人組のチンピラと同じクズだった。
レンはそんなダークエルフを部下として使っているが、彼にそんな考えはない。ダークエルフを全く信用していないからだ。
だがクズでも使いようはある、というのは理解できた。レンは上手くやっているのだろう。それが彼のやり方というなら、こちらに害を及ぼさない限り、文句を言うつもりはない。
そして部下として扱うなら、相手がダークエルフであっても、ある程度はご機嫌を取る必要がある。
アメとムチ、というやつだ。キリエスだって、たまには部下たちをねぎらったりしている。そうでなければ人はついて来ないし、それはダークエルフだって同じだろう。
レンはダークエルフが一緒でなければダメだと言ったが、それを聞いたダークエルフたちはどう思うだろうか?
「さすがは領主様、私たちのことを考えて下さっている」
と感謝するのではないだろうか?
普段、差別されているダークエルフたちなら、その思いは一層強いかもしれない。
食事というのは単純だがわかりやすい。人間であれ、ダークエルフであれ、同じものを食べるというのは効果的だろう。
そうすることでレンは銅貨一枚も使わず、ダークエルフたちの感謝を得たことになる。
力自慢のガキかと思っていたが、中々計算高い奴じゃないか、とキリエスはレンを評価した。彼は人の上に立つ者には、そういう計算高さが必要だと思っていた。
「ダークエルフが一緒じゃないとダメなんだな? わかった、そういうことなら店主に話をしてみよう」
「いいんですか?」
「これでも多少は顔が利くんだ」
ここは相手に恩を売っておこうとキリエスは思った。
まだレンのことはよくわかっていない。だが彼の勘が、こいつと付き合えば得になる、と告げていた。
彼はひとまず自分の勘に従うことにして、レンたちを連れてなじみの店に向かった。
「あのダークエルフたちも一緒にメシを食わせてやってくれ」
店の外で待っているレンたちを指差して言うと、予想通り店主は嫌そうな顔をした。
「残飯でもめぐんでやればいいんですか?」
「ちゃんと店に入れて、俺たちと同じ料理を出すんだ」
「なんでダークエルフなんかに……」
ここでキリエスは声をひそめるようにして言う。
「ダークエルフたちと一緒の少年がいるだろう? あいつは伯爵家のご子息でな。そのご子息が、従者のダークエルフも一緒に入れろと言い出したんだよ」
「なんでまたダークエルフなんかを?」
「知るか。気まぐれか何かだろうが、貴族ってのはそういうもんだろ?」
「ダークエルフなんか入れると、店の評判に傷がついてしまいますよ」
「じゃあお前が断ったって言っていいんだな? 伯爵家の恨みを買うかもしれないぞ」
「勘弁して下さいよ……」
結局、最後はキリエスが押し切った。百人隊長としての立場と、レンの伯爵家の息子という立場を合わせた力業で。
レンたちは店の奥のテーブルに案内された。
すでにお昼のピークは過ぎていたが、店内にはそれなりに客がいた。彼らは入店してきたダークエルフたちを見て、何でダークエルフが? といった顔付きになったが、警備隊の装備を身につけたキリエスが一緒だったからか、文句を言ってくる者はいなかった。
「注文は俺がしていいか? この店は鳥肉がうまいんだが」
「お任せします」
この世界の料理を知らないので、キリエスに任せるしかない。
「念のために聞いておきますけど、ガーガーの料理は出たりしませんよね?」
さすがにガーガーを食べるつもりはない。
「ガーガーは俺も食ったことがないな」
キリエスが笑って答える。レンの言葉を冗談と思ったようだ。
「もしかしてガーガーを食べたいのか?」
「まさか。間違って食べたらまずいと思っただけです」
「安心しろ。頼んでも出てこない。店主も神罰が怖いだろうし」
「神罰ですか?」
「ドルカ教の教えにもあるだろ。ガーガーに害を与えるなかれ、ってやつだ」
初耳だった。
ガーガーは魔獣の気配に敏感だから、そこにガーガーがいることは、近くに魔獣がいないことの証明になる。だから人間はガーガーに決して手出ししない、という話は聞いていた。ガーガーを追い払えば魔獣がやってくる、なんて言い伝えがあるとも聞いていた。
だがそこに宗教も絡んでいたとは知らなかった。
この国の国教でもあるドルカ教について、レンはほとんど知らない。
屋敷にいるマーカスもハンソンも、ドルカ教の信者であるとは聞いている。だが二人ともあまり熱心な信者ではないようで、教義がどうこう、なんて話は聞いたことがない。
というか多分、レンも信徒のはずである。ちゃんと確認していないが、貴族の息子なのだから国教の信徒のはずだ。入信したのは今のレンではなく前のレンだが。
前のレンが熱心な信徒だったとは思えないので、マーカスもハンソンも、もうとっくにあきらめて何も言わないだけかもしれない。
これまではそれで問題なかった。屋敷にいてダークエルフとばかり付き合っていたから、人間の宗教については知る必要がなかったのだ。
だがこうして大きな都市に出てきて行動するなら、最低限のことは知っておいた方がいいかもしれない。
知らずに宗教的なタブーを犯してしまったりしたら大変なことになる。
宗教にはあんまり関わりたくないんだけどなあ……
だがそうもいってられないな、と思った。