第111話 王都近郊の戦い
さて、やっと王都まで来たけど、まずやらないといけないのは――と考えたレンはゼルドに聞いてみた。
「まずは泊まるところを探そうと思うんですけど、どうでしょうか?」
「わかりました。街の方へ行けば宿屋もたくさんあると思います」
「それなんですけど、宿屋だとゼルドさんたちが泊まれませんよね?」
「領主様だけが泊まって下さい。我々は街の近くに住んでいるダークエルフを捜し、そこに居候しようと思います」
あっさりとゼルドが言う。ダークエルフ同士なら、初対面でもなんの問題もなく家に泊めてもらえるだろう。今はお金に余裕があるので、それなりの謝礼を支払うこともできる。
「だったら僕も一緒に泊めてもらえませんか?」
「ダークエルフが暮らしているのは、ほとんどが貧民街だと思いますが……」
「そうか。それじゃあダメかな……」
「はい。領主様はもう少しちゃんとした宿で――」
「いえ、そうじゃないんです」
貧民街の粗末な家だからダメ、というわけではない。
野宿でも平気なのだから、屋根さえあれば十分、ぐらいに今のレンは思っている。問題は他にあった。
「街中にあるんじゃ、ガー太が一緒に泊まるのは無理ですよね?」
これまでもそうだったが、ガー太が一緒だと目立ちすぎるので、街に入るときはいつも外で待ってもらっていた。ガー太に乗ったまま王都に行けば、珍しいガーガーとして話題騒然だろうが、レンは目立ちたくはなかった。
一日二日なら、今までのようにガー太には街の外で待っていてもらえばいいが、盗賊たちを捜すとなると、もっと時間がかかるだろう。その間、ガー太と離ればなれというのはいやだった。
ゼルドもそれを理解してくれたようだ。
「でしたら最適なのは、どこか郊外の一軒家とかでしょうか。離れてポツンと建っているような」
王都は広い。外壁に囲まれた街の外にも、多くの民家が建ち並んでいるが、そこから一時間も歩けば、周囲は農地や手つかずの自然が残っている。人家もまばらになり、人の目も届かなくなるだろう。
ダークエルフたちが動き回るとしても、そういう場所に拠点を構えた方が便利に思えた。
「では王都にいるダークエルフに手分けして話を聞いてみましょう。よい場所が見つかるかもしれません」
「そういえば王都にはどれくらいのダークエルフが暮らしているんですか?」
「さて……これだけの巨大な街でたくさんの人がいますから、ダークエルフの数も多いとは思います。ですがどれくらいかと言われると、よくわかりません」
レンはもちろん、ここにいる全員が王都に来るのが初めてだった。土地勘もないが、そこはダークエルフたちを頼るしかなかった。
「じゃあ行きましょうか」
そう言って歩き出そうとしたところで、ガー太の足がピタリと止まった。
レンは左の方へと目をやった。ここは小高い丘になっているので視界はいい。レンの視線の先には小さな林があった。
「レン、あそこ」
カエデもレンが見ている林を指差した。どうやら彼女も気付いたようだ。
「あの林ですか? なにが――」
ゼルドも林の方を見たとき、ちょうど林の中から何人かの人間が飛び出してきた。いずれも武器を持ち、鎧を身にまとっている。どうやら彼らは兵士のようだった。
最初の数人に続き、兵士たちが次々と林の中から飛び出してくる。その全員が何かに追われるよう走っていた。
そして林の中から、兵士以外のものが飛び出してきた。
「ハウンドだ!」
ダークエルフの誰かが叫んだ。
すでにレンも何度も見たことがあるし、戦ったこともある、オオカミのような魔獣が逃げる兵士たちに襲いかかっていた。ハウンドも一体だけでなく、次々と林の中から飛び出してくる。
「魔獣の群れと戦っているみたいですけど、どうしますか?」
「助ける!」
リゲルの問いに短く答えると同時に、ガー太はレンを乗せたまま魔獣の群れに向かって走り出した。このあたりは以心伝心、言葉はいらなかった。
王都警備隊に所属する百人隊長のガトランは死を覚悟するしかなかった。
話が違うじゃねえか!
飛びかかってきたハウンドを剣で切り払いながら、彼は心の中で悪態をついていた。
王都の郊外に住む農民が、警備隊の詰め所に駆け込んできたのは今朝のことだった。
「魔獣の群れが出た!」
錯乱する農民をどうにか落ち着かせて話を聞いたところ、彼の住んでいた集落が、突然魔獣の群れに襲われたらしい。すでに多くの犠牲者が出ており、農民は命からがらここまで逃げ延びてきたようだ。
王都の近郊にも魔獣は出没する。というよりも魔獣はどこにでも現れる。前触れもなく、突然現れることも珍しくない。
そのほとんどが単体だが、魔獣の群れが現れることもまれにある。
話によると現れたのはハウンドが十体ほど。
決して油断できる数ではないが、ガトランがすぐに集めることができる警備隊の兵士は五十名ほどいる。これなら対処可能と判断した。これ以上の犠牲者を出さないためにも、迅速な対応が必要だと思った彼は、すぐに招集可能な兵士を集めて魔獣討伐へ向かった。
念のため、王都の警備隊本部にも救援要請を送っておいたが、自分たちだけで片がつくだろうと思っていたし、その先のことを考えるぐらいの余裕があった。
魔獣の群れを討伐すれば大手柄だ、と彼は思っていた。
素早く動いたのは、もちろん被害の拡大を防ぐためだったが、功名心があったことも否定できない。その功名心が、彼から慎重さを奪ったともいえる。
襲われたのは数軒の家だけの小さな集落だったが、ガドランたちが到着したときには、すでに生存者はいなかった。そして魔獣の群れの姿もなかった。
彼は近くの林があやしいとにらみ、そこへ探索に入った。
そこまでは順調だった。だが問題が起きたのはそこからだった。
林の中にハウンドたちが潜んでいて、こちらに襲いかかってきたのは予想通りだった。だがその数が予想より多かったのだ。見通しの悪い林の中だったことも災いした。戦闘に突入してから、相手の数が多いことに気付いたのだ。
「踏みとどまれ! すぐに王都から援軍が来る!」
ガトランは必死の形相で部下を鼓舞した。
もっと慎重にいくべきだったと後悔したが、すでに戦いが始まってしまった以上、逃げることはできなくなってしまった。戦いながら後ろへ下がるというのはとんでもなく難しい。余程の練度がなければ、少しでも下がった途端に部隊は崩壊してしまう。だからその場で防御陣を組んで踏みとどまるしかなかった。
とはいえそれが難しいことも承知していた。
一般的に魔獣と戦うには三倍の兵力が必要だとされている。
相手にしているハウンドは二十……いや三十ぐらいだろうか。だからそれと戦うなら百人ほどの兵士がほしいが、今の彼が率いているのは五十人ほど。これでは勝つのは難しい。
そんな不利な状況ではあったが、ガトランの部隊はしばらくハウンド相手に持ちこたえた。
これはガトランを含め、警備隊の兵士の多くが、ハウンドと戦った経験があったからだった。
ハウンドはもっともよく出没する魔獣の一つで、王都近郊に現れることも多い。そのため警備隊が戦うことも多かった。だがその多くが単体で、群れと戦うことはほとんどなかった。
戦況は確実に悪化していった。
兵士たちは一人、また一人と傷つき、数を減らしていく。
対するハウンドの方は傷を受けても超回復ですぐに回復して再び襲いかかってくる。それを防ぐためには徹底的に攻撃してとどめを刺すしかないのだが、兵士たちは襲いかかってくるハウンドに対処するのが精一杯で、傷ついた個体を殺し切るだけの余裕がなく、ハウンドの数はほとんど減っていない。
そして決定的な崩壊が訪れた。
兵士の一人が武器を捨てて逃げ出すと、それを見た他の兵士たちも悲鳴を上げて逃げ出し始めたのだ。
「逃げるな! 踏みとどまれ!」
ガトランが声をからして叫ぶが、一度崩れ始めた部隊を立て直すことはできない。
もう無理だ、と判断したガトランも、
「退却だ! 全員、退却しろ!」
と叫んで逃げ出した。言葉では退却と言っているが、どう見ても潰走である。
もちろんハウンドはおとなしく逃がしてくれない。
逃げる兵士たちの背後へ襲いかかり、一人、また一人と兵士たちが悲鳴を上げて倒れていく。
何人が逃げられるのか、それよりも自分の命が助かるのか、とにかくガトランも必死になって走った。
そしてついに林の中から脱出できたが、それで終わりではない。
逃げる彼らの後を追って、ハウンドたちも次々と林の中から飛び出してくる。
ガトランにも一体のハウンドが向かってきた。
立ち止まったガトランは、振り向きながら両手に持った剣を振るい、飛びかかって来たハウンドを横薙ぎにした。戦闘開始時には剣と盾を装備していたが、すでに盾は投げ捨てている。
ハウンドは腹のあたりを切り裂かれ、悲鳴を上げて倒れる。これでも殺せてはいないが、回復までにしばらく時間がかかる。
その間に少しでも逃げようとしたガトランだったが、自分の方にさらに二体のハウンドが向かってくるのを見て絶望する。
走ったところで追いつかれる。かといって二体を相手に勝てるとは思えない。
ここまでか、とガトランは覚悟を決めるしかなかった。そして覚悟を決めると腹が据わった。
こうなったら最後まで戦ってやると剣を構える。自分がここで魔獣二体を相手に時間を稼げれば、それで助かる部下がいるかもしれない。
自分に向かってきたハウンドに、ガトランは剣を振り下ろす。だがその一撃はわずかにそれて、ハウンドにかすり傷を負わせただけだった。ハウンドは止まらずに襲いかかってくる。さらにその後ろから来た二体目のハウンドが飛びかかってくる。
両方に対処することはできない。
これで終わり、時間稼ぎもできないのか――と絶望する彼の顔をかすめるように、なにかが通り過ぎた。
それは一本の矢だった。
ガトランの背後から飛んできた矢は、飛びかかってきていたハウンドの眉間に突き刺さり、空中にいたハウンドは体勢を崩して落下する。
さらに続いて飛んできた矢が、一体目のハウンドに命中し、矢を受けたハウンドは悲鳴を上げて倒れた。
援軍が間に合ったのか!
絶望から一転、大喜びで背後を振り返ったガトランだったが、
「なんだありゃ?」
口から出たのは、緊迫した状況にそぐわない、間抜けな言葉だった。
弓を持った一人の男が、こちらに向かってくるのが見えた。
ここからはまだ百メートル以上離れていて、あの距離から魔獣に命中させたとなるとかなりの腕だが、他に弓を持った者は見えない。あの男が助けてくれたに違いない。
男は自分の足ではなく乗り物に乗っていた。
これが馬に乗っていたのなら、ガトランはなんの迷いもなく歓喜の雄叫びを上げていただろう。
だが男が乗っていたのは馬ではなかった。
ガトランを助けてくれた男はガーガーに乗っていた。