第110話 雨宿り
しばらく屋敷を空けます、という連絡をロゼにお願いして、レンたち一行はジャガルの街を出発した。
目指す王都ロキスまでは、ここから西に向かって、成人男性の足でおよそ二十日。
少し迷ったが、レンは荷馬車を使わず、最低限の荷物だけ持って王都へ向かうことにした。
荷馬車で向かった方がなにかと便利だが、今回はそれよりもスピードを優先した。
ガー太に乗っているレンはもちろん、ダークエルフたちも荷馬車より足が速い。
ただダークエルフにも個人差があり、今回のメンバーだと、カエデやシャドウズの隊員と比べて、リゲルとディアナの体力が見劣りする。そして忘れがちになるが、ディアナの身体能力はかなり高い。カエデは別格として、同年代のダークエルフの中では群を抜いている――らしい。性格はおとなしくて引っ込み思案なのだが。
そんなわけで一行はリゲルのペースに合わせつつ、できるだけ急いで王都へ向かうことになった。普通の人間よりもペースは速いから、おそらく十日かからず到着できるはずだ。
ちなみに街の外にいたガー太は、レンが街から出たところで、向こうから駆け寄ってきてくれた。
まるでレンが来るのがわかっていたかのようだったが、本当にわかっていたのだろう。近頃ではレンの方も、ガー太と離れていても、どこにいるのかなんとなくわかるようになってきていた。
レンたちは街道を西へと向かう。
途中、街道沿いにはいくつもの街や村があったが、レンたちは全て素通りして先を急いだ。
立ち寄っている時間を惜しんだことが一つ、加えてダークエルフたちの集団が歓迎されないだろう、というのがわかっていたからだ。
「レン様だけでも宿に泊まったらどうです?」
リゲルにはそう言われたし、ディアナやゼルドからも同じようなことを言われたが、レンはそれを断った。
みんなをおいて一人だけ特別扱いというのは気がとがめた。
幸い今は四月だ。気温も暖かくなってきていて、野宿もそれほど苦にならない。
魔獣や盗賊など、普通の人間にとって、街の外での野宿は大変危険だ。だがこのメンバーなら大丈夫だろうと思っていた。
前回、黒の大森林を通り抜けた時と比べれば、街道沿いの野宿の危険度は低い。
それでも道中で二回、魔獣と遭遇した。二回ともカエデがあっという間に倒してしまったが。
この世界に来てからの経験で、レンもすっかり野宿に慣れてしまった。ただレンが平気で野宿できたのはガー太の存在が大きかった。ガー太と一緒にいると、不思議とどこでも安眠できたのだ。
そんな王都への道中で、一番困ったのが雨に降られたときだった。
ほぼ丸一日、強めの雨が降った日があったのだ。
雨の中を歩くとかなり体力を消耗するし、最悪、体調を崩す恐れもあったので、慌てて雨宿りできるような場所を探した。結果、街道近くの森の中に入り、大きな木の下で雨宿りすることになった。
この世界にも傘はあって、しかも元の世界と全く同じような形をしている。世界は違っても考えることは一緒、というわけだろう。ただボタンを押して開くようなジャンプ傘はまだないようで、それどころか折りたたんだりもしないらしい。
らしい、というのはレンも話に聞いただけで、現物を見たことがないからだ。この世界では傘は高級品で、庶民が使うような物ではないのだ。
大半の人間は雨の日でも傘を使わず、そのまま濡れて行動している。というか雨の日にはあまり出歩かない。
レンも屋敷にいたときは、雨の日に外へ出ることはほとんどなかった。
この時のレンたちも傘を持っておらず、雨宿りするしかなかったのだ。
木の下で雨宿りをしながら、レンはどうにかして安い傘を大量生産できないだろうか、などと考えていた。
骨組みは木でいいとして、問題はあの部分……なんて言えばいいんだ?
雨を弾く膜の部分と言えばいいのか、現代だとビニールで作られている部分だが、あらためて考えると、そこの名前がわからない。
まあ名前はどうでもいいとして、そこに安く使える素材があれば、傘を作れるんじゃ? などと考えていたレンだったが、ふとリゲルとディアナの様子が気になって声をかけた。
「二人とも、もっとこっちに来たら? 暖かいよ」
二人はレンから少し離れて座っていた。
木の下で雨宿りしているレンは、右をガー太、左をカエデに挟まれ座っていた。
春先でも雨が降るとやはり冷える。
だからガー太とカエデに体をくっつけて座っていたのだが、特にガー太が暖かい。
ガー太は雨に濡れても全然平気みたいだったが、くっついているとあったかいのでレンが呼んだのだ。
リゲルとディアナも少し寒そうにしていたので、一緒にどうかな、と思って呼んでみたのだ。
「いいんですか?」
「いいよねガー太?」
「ガー」
よくない、といった感じでガー太が鳴いた。相変わらずダークエルフたちには冷たい。
「そんなこと言わずに。頼むよ」
「ガー」
「ありがとう。ほら、ガー太もいいって言ってるよ」
「じゃあ失礼します」
目を輝かしたリゲルが立ち上がり、さっそくガー太の横に移動する。
「暖かい……」
ガー太の羽に顔を寄せたリゲルが、うっとりした顔でつぶやく。
ディアナはまだためらっているようで、そんなリゲルをうらやましそうに見ている。
「ディアナも来たら?」
「でも……」
「側に来たくないなら別にいいけど」
「いえ!」
そう言ってディアナは慌てて立ち上がり、ガー太の横に座ると、おずおずと手を伸ばしてガー太に触れた。
ガー太の方はさわられてもじっとしているというか、もうあきらめているというか、とにかく動いたりしない。
それをおっかなびっくり確認しながら、ディアナもガー太にもたれかかるようにして顔を寄せた。
その顔も幸せそうで、単に暖かいというより、ふれているだけで幸せ、といった感じだ。
ふと視線を感じたレンが周囲を見ると、他の木の下で雨宿りをしているシャドウズの面々が、ガー太に寄り添う二人をうらやましそうに見ていた――ようにレンには思えた。
「……ゼルドさんたちもこちらに来ます?」
ちょっとためらいながら、レンはリーダーのゼルドに聞いてみる。
「いえ、そんな恐れ多いことは……」
とゼルドは断ったが、その目には隠しきれない期待が見える気がする。だからレンはもう一度聞いてみた。
「みんなで集まった方が暖かいと思いますよ?」
「そうですか……では失礼して」
そう言ってゼルドが立ち上がると、他のメンバーも立ち上がってガー太の側に寄ってくる。
「ガー!」
そこまでは許可してないぞ! とでもいった感じでガー太が抗議の鳴き声を上げたが、レンは「まあまあ」となだめながら、少し横に移動した。ガー太の周りに十人以上が集まってくると、さすがに狭いので場所を空けたのだ。
ダークエルフたちに囲まれたガー太は、仕方がないとあきらめてくれたのか、動かずじっとしてくれている。
レンが場所を移動すると、カエデも同じように移動して、レンのヒザの上に乗るようにして座った。
「カエデはガー太のところに行かないの?」
「あいつは敵」
ちょっと不機嫌そうな声で、予想通りの答えが返ってきた。
雨は災難だったけど、彼らにはちょっとした幸運だったのかもしれないな――ガー太を囲むダークエルフたちを見ながら、レンはそんなことを思った。
このように雨で一日潰れた以外、行程は順調だった。
そして王都までの途中、レンたちは大きな川を二回渡った。
ダークエルフたちは泳げないので、歩いて渡れない深い川は、橋を探すか、渡し船を使うしかない。
ロッシュの街に行ったときは、ルベル川をまたぐ巨大な石橋に感激したレンだったが、ああいう石橋は例外で、ある程度以上の大きい川では、橋が架かっている方が珍しい。
渡河手段は圧倒的に渡し船だった。
金を払って川を渡ることになるわけだが、レンは少し危惧していた。
ダークエルフたちの乗船を拒否されたらどうしよう、と思っていたのだ。この彼の不安は的中していた。正規のルートで渡し船に乗ろうとしたら、拒否されていた可能性が高かっただろう。
だが渡し船にも裏のルートが存在していた。
盗賊などが、表沙汰にできない品物を運ぶ際に利用されるもので、金さえ出せばなんでも運んでくれる。
大きな街道が川をまたぐ場合、その両岸は大きな宿場町になっていることが多い。
今回、レンが渡った二つの川も、両岸が街になっていた。その街と街の間で、頻繁に船が行き交っていた。
そしてある程度大きな街には、必ず犯罪ギルドが存在している。
部外者がいきなり犯罪ギルドに接触しようとすると、色々と問題が起こったりするのだが、そこはダークエルフたちが上手く取りはからってくれた。
シャドウズのメンバーが街に入って、現地のダークエルフと接触し、すぐに犯罪ギルドにいるダークエルフと連絡を取ってくれた。そこからもぐりの渡し船に話をつけてもらう。
ダークエルフたちは最初から裏のルートを使おうと思っていたようで、レンに確認をとってきた。
「その方が面倒も起きないし早いと思います。多少お金がかかりますが、よろしいですか?」
「仕方ないですね」
あまり非合法な手は使いたくないのだが、時間もないし、それがいいというならそうしようと思った。
幸い、手持ち資金には余裕があった。
王都に着いてから、犯罪ギルドとの交渉で必要になるかもしれいないと、お金は多めに持ってきている。
今のダークエルフたちには、それだけお金に余裕があった。
もちろんダークエルフのお金なので、レンが無駄遣いするわけにはいかないが、必要なら惜しむつもりもなかった。
こうしてレンたちは足止めされることもなく、さっさと川を渡ることができたわけだが、渡し船の船頭はレンたちを見て目を丸くしていた。
普段からヤバイ物を運ぶ彼らは、船に乗せた人間や荷物について興味を示さない。そうでなければ裏の仕事を続けてはいけない。
そんな彼らだから、ダークエルフの集団を見ても無関心だったが、さすがにガー太を見ると驚いていた。
「それはガーガーですか?」
そんな質問が今にも口から出そうになっていたようだが、それを押し殺してレンたちを無事、対岸まで運んでくれた。
用意された船が小舟だったので、川を渡り終えるまで、ダークエルフたちは皆、恐怖に顔を引きつらせていたが。
やっぱりガー太は目立つんだなあ、とレンはあらためて思った。
街道を歩いていても、行き交う人々がみんなレンとガー太を見てくるのだ。中には話しかけてくる者もいたし、それどころかガー太を売ってくれてと言ってきた者もいた。
人付き合いが苦手なレンは、そういう人たちから声をかけられ、一々相手をするのが面倒だった。できる限り相手をせず、先を急いだが、道中ずっと気が重かったのだ。
いっそのこと、少し街道を外れるか、とも思ったほどだ。まだ魔獣に襲われた方が気が楽だった。
だが街道を外れて道に迷ったりしたら大変なことになる。人の目を気にしつつ、街道を歩いて王都に向かうしかなかった。
そうやって街道を歩くこと十七日。
レンたちはついに目的に到着した。
「あれが王都ロキス……」
大きい街だな、とレンは思った。
今彼らがいるのは、小高い丘の上だった。王都まではまだ距離があるが、おかげで王都の全体像が見渡せた。
王都は大な城を中心にして街が形成されていた。城は城壁に囲まれ、その外の街も大きな外壁に囲まれている。つまり二重の壁があった。そして、街の外壁の外にもたくさんの家が建ち並んでいた。
これまでにも何度か、人家が壁の中に入りきらず、街並みが外まで広がっている街を見てきたが、王都はその規模が大きい。
城の西側には川が流れているのだが、その川には何本も橋が架けられ、対岸にも街並みが広がっているのだ。
そしてその街並みの周辺には、これまた広大な耕作地が連なり、それがずっと遠くまで続いていた。
王都ロキスは、異世界に来てから見た街の中で、間違いなく一番大きかった。
それでも規模でいえば現代日本の都市には及ばないだろう。だが石造りの建物が並ぶ様子は、日本の都市とは違う独特の雰囲気を持っていて、歴史の重みのようなものを感じさせられた。
やっと到着した、と一息ついたレンだったが、すぐにいやいやこれからだぞ、思い直す。
これから王都に行って、荷馬車を襲った犯人を捜さねばならない。
けど本当に捜せるのかな、とレンは思った。
この目で王都を見て、こんな広い街の中から、はたして盗賊たちを捜し出せるのだろうか? と少し不安になってしまったのだ。それに盗賊たちが本当にここまで来ているかもわからない。これからやろうとして事は、全くの無駄かもしれない。
だがとにかくここまで来たのだ。やるだけやってみようとレンは思った。