第106話 荷馬車襲撃
荷馬車の護衛のダークエルフ五人は、三人が外に出て荷馬車の左右と背後を警戒し、残り二人は荷馬車に乗って休憩、というローテーションで警備を行っていた。前は御者が見ている。
森に近付いたとき、レパントは馬車の後ろを歩いていた。
レパントは気を抜かず後ろを警戒していたし、馬車の左右を歩いているダークエルフも、御者も、ちゃんと周囲を警戒していた。
それでも対応できなかったのは、森の中からいきなり弓矢で攻撃されたからだった。
彼らが一番警戒していたのはやはり魔獣だった。盗賊はその次で、しかも襲ってくるにしても、まずは荷馬車の前に出てきて道をふさぎ、
「命が惜しければ荷物を置いていけ」
などと脅してくるだろうと思っていた。いきなり矢が飛んでくるというのは、ダークエルフたちも予想していなかったのだ。
盗賊たちは全部で二十人ほどいた。彼らは木の影などに身を潜め、荷馬車が来るのを待ち構えていた。そして十分な距離まで近付いてきたところで、盗賊のリーダーが命じた。
「やれっ!」
盗賊たちが、つがえていた矢を一斉に放った。
狙われたのは、御者と荷馬車の左右にいた二人だった。
御者のダークエルフは何も反応ができず、数本の矢を受け、ほとんど即死だった。馬車の右にいたダークエルフも同じように矢を受けて倒れた。左にいたダークエルフだけはギリギリのところで動いたが、それでも矢を避けきれず、右の太ももに矢を受けて転倒した。
荷馬車の背後にいたレパントは、それが盾となって弓には狙われず無傷だった。
そして荷馬車の中にいた残り二人のダークエルフが飛び出してきた。一人は男で名前はルードル、もう一人は女でレオナという名前だった。
襲ってきた盗賊たちも弓を捨て、剣を持って森の中から飛び出した。彼らは荷馬車へ向かって走ったが全員ではない。何人かはその場に残り、弓に次の矢をつがえた。
十数人といったところか――荷馬車から出てきたルードルが、こちらに向かってくる敵の数を確認する。
ダークエルフたちにとって唯一の幸運は、この場の六人の中で、ルードルの序列が一番高かったことだった。
もしルードルが荷馬車の外にいて、最初の弓攻撃で倒されていたら、残りのダークエルフたちはどうしていいかわからず、そのまま全滅していただろう。
指揮官が倒されるともろい、というのは人間の集団でも同じだが、ダークエルフたちはそれがさらに顕著だ。
レンは最初に序列の話を聞いた時、例えば戦場で指揮官が倒されてしまっても、次の指揮官が誰になるかはっきりしているので、混乱することはないだろうと思っていた。
だがもう少し詳しく話を聞くと、そうではないことがわかった。
ダークエルフの序列は絶対である。
序列が下の者が、上の者に逆らうことはない。これは窮屈にも思えるが、見方を変えれば楽でもある。上の者がいる限り、下の者は何も考える必要はなく、ただ上の者の命令に従っていればいいのだ。これは従順というより盲従といったほうがいい。
それがいきなり上の者がいなくなり「次のリーダーはお前だ」となったとしても、多くのダークエルフはその心構えができておらず、どうしていいかわからなくなって混乱してしまうそうなのだ。
全部一人で決めていたワンマン社長が、いきなりいなくなったようなものだろうか。
さらにもう一つ問題がある。
はっきり死んだとわかればいいのだが、意識不明の重体とか、生死不明の行方不明などの場合だ。
人間なら負傷した指揮官が「後はお前に任せた」とか、部下の方で「負傷された指揮官に代わって私が指揮を執る」なんて展開もあり得るが――レンもそういう燃える展開が好きだ――融通のきかないダークエルフではあり得ない。
リーダーが死んだことがはっきりするまで、命令を待ち続けるだろう。
平時ならばともかく、戦場でそれは致命的だ。
だからもし最初にリーダーのルードルが倒されていれば、残りのダークエルフたちは混乱し、なすすべなく倒されていた可能性が高かったのだ。
だがルードルは荷馬車の中にいて、最初の攻撃を免れた。
彼は急いで状況を判断する。敵はそこまで迫っており、悠長に考えている時間はなかった。
御者を含めた三人は弓で倒されてしまった。まだ息がある者もいるようだが、戦闘能力を失ってしまったのは変わらない。
残りは自分を含めて三人だけ。
一方、襲撃してきた敵――おそらくは盗賊――は、十人以上がこちらに向かってくる。しかもご丁寧なことに、馬に乗っているのが二人いる。
ダークエルフの身体能力は人間を上回るが、さすがに三倍以上の数が相手では勝ち目はない。
そう判断したルードルは命令を下す。
「逃げろレパント! そしてマルコ様にこのことを伝えろ!」
「はい!」
これが人間であれば、仲間を見捨てて一人逃げることに躊躇したかもしれない。だがダークエルフであるレパントは命令に従い、即座に逃げ出した。
何度か後ろを振り返るが、決して足を止めたりはしない。
「一人逃げたぞ! 逃がすな!」
盗賊たちもレパントに気付いたようで、彼めがけて十本近い矢が飛んだ。
その内の数本が彼の体をかすめたが、命中したものはなかった。
最初の弓攻撃は、こちらに向かってまっすぐ歩いてくるダークエルフたちを狙った。だから狙いは正確で、三人に命中させることができた。
だがレパントは走って逃げていた。盗賊たちの弓の技量では、そんな彼を捉えきれず、続けて放った矢も全て外れる。
盗賊たちは弓でレパントを殺すのをあきらめ、馬に乗った二人がその後を追おうとした。
しかしその前にルードルとレオナが立ちはだかる。
「すまないが、一緒に時間稼ぎをしてもらうぞ」
「わかってるわよ」
ルードルの言葉に、レオナが笑って答える。
相手に馬がいなければ、三人バラバラに逃げるという手もあったんだが……
しかしルードルはそれを選ばなかった。
人間よりもダークエルフの方が身体能力が高いが、それは走力や持久力も同じだ。走り合いなら、逃げられる可能性は高い。だが、さすがに馬には勝てない。相手に馬がいるなら、一人一人追いつかれて殺される可能性が高い。
だったら二人が残って一人を逃がす方がいい、とルードルは判断した。
レパントを逃がしたのは、彼の戦闘能力が一番低いからだ。実戦経験もなく、ろくに剣の練習もしていない彼が残っても、すぐに殺されてしまう。だから自分とレオナが残った。そして彼を逃がすためには、敵の馬を止めねばならない。
「そっちは左を。俺は右をやる」
「わかったわ」
馬に乗った盗賊は二人。どちらもレパントを追うつもりのようで、ルードルたちを無視して二人の横を駆け抜けていこうとした。
そこへ二人が襲いかかった。
ルードルは自分で言った通り、向かって右側の盗賊を攻撃した。
走り抜けようとした馬の方へと駆け寄り、すれ違いざまに剣で斬りつけたのだ。
「うおっ!?」
彼が横から斬りつけた剣は、馬の胴体に命中したが、その衝撃で剣ははじき飛ばされ、ルードルも後ろに引っ張られるように倒れた。
剣は馬を軽く傷つけただけだったが、その痛みで馬が暴れ、乗っていた盗賊は悲鳴を上げながら振り落とされた。
一方、レオナの方は剣で斬りつけるのではなく、持っていた短剣を抜いて投擲した。
馬上の盗賊は慌てて避けようとしたが、短剣は盗賊の左肩に命中した。その痛みに盗賊は手綱を離してしまい、バランスを崩して落馬した。
「大丈夫かい?」
「どうにかな」
レオナが差し出した手をつかみ、ルードルが立ち上がる。
どうにか馬は止めたが、ホッとする余裕はない。走ってくる盗賊たちが、もう目の前まで迫っていた。
「もう一暴れといくぞ」
二人は剣を構え、盗賊を迎え撃った。
「五人やられ、おまけに一人取り逃がすとは……」
カイルは不満そうな顔でつぶやいた。
段取りは完璧だった。
情報を知る傭兵たちを見つけ出し、仲間に引き込むことに成功し、彼らから得た情報で、荷馬車を待ち伏せすることができた。
不意打ちも成功し、最初の攻撃で三人のダークエルフを倒した。
予想外だったのはその後の展開だ。
こちらは今回の襲撃を二十五人で行った。数の差は歴然だし、最初に仲間を倒されるのを見たダークエルフたちは、すぐに逃げ出すだろうと思っていた。それを逃がさないように馬も用意していた。
ところがだ。
生き残ったダークエルフたちは、一人だけをさっさと逃がし、残りの二人は立ち向かってきた。
しかもこの二人が強かった。
逃げたダークエルフを追おうとした馬の邪魔をして騎手を叩き落とし、その後も数に勝る盗賊たち相手に果敢に戦った。最後は数で勝るこちらが二人を殺したが、こちらも五人が殺された。
見誤っていたな、とカイルは少し反省した。
最後に残った二人のダークエルフが予想外に強かったのもそうだが、それ以上に予想外だったのは、彼らの士気の高さだ。どうせすぐ逃げるだろうと思っていたのに、仲間を一人逃がし、残りは最後まで懸命に戦っていた。
「どうした暗い顔して」
機嫌よさそうに話しかけてきたのはグレイクだった。カイルが酒場で声をかけた傭兵だ。
グレイクとその傭兵仲間二人は、情報を提供するだけでなく今回の襲撃にも加わっていた。
「襲撃は大成功。荷物も全部手に入れたんだ。もっと喜んだらどうだ?」
死んだ五人はいずれも盗賊だったから、何人死のうがグレイクは全然気にしない。おそらく傭兵仲間が死んでいても、彼は気にしなかっただろう。しょせんは金だけの付き合いだ。
「ですが一人逃がしてしまいました」
「ああ。でもそんなのはどうでもいいだろ?」
気楽なグレイクの言葉に、カイルは不満そうな表情を浮かべたが、すぐにそれを消していつもの愛想笑いを浮かべる。
「そうですね。ですが念のため、予定を早める必要があります。逃げたダークエルフが襲撃を報告したら、すぐに兵士が来るかもしれません。その前に出発すべきでしょう」
当初の予定では、護衛のダークエルフたちは皆殺しにするつもりだった。そうすれば事件の発覚は遅れるし、その間にゆっくり逃げればよかった。だが一人逃がしたせいで、その予定が狂ってしまった。
「そんな必要あるか? あのダークエルフもどっかへ逃げるだろ」
グレイクが言ったことは傭兵たちの常識だった。
護衛していた荷馬車が襲われ荷物が奪われたとあっては、報酬はもらえない。それどころか裏切りを疑われたり、全ての責任を押しつけられて処分される恐れもあった。
だからグレイクなら雇い主の下へは戻らず、そのままどこかへ逃げる。逃げたダークエルフもそうするだろうと思っていた。
カイルもその意見に賛成だった――襲撃前までは。だが最後に残って戦ったダークエルフたちのことが気になった。あのダークエルフたちなら、最後まで仕事を投げ出さず、急いで商人のところへ戻りそうな気がしたのだ。
グレイクも、他の盗賊たちもそんな心配はないと思い込んでいるようだが、そのお気楽さがカイルには苛立たしい。
だがカイルは彼らのリーダーではないし、そもそも盗賊団の一員でもなかった。今回はたまたま一緒に仕事をしただけの関係だ。そんな彼が強く言ったところで、盗賊たちは聞かないだろうし、それで彼らの気分を悪くしたら、余計な面倒を引き起こしてしまうだろう。
だからカイルは内心の苛立ちを押し殺し、あくまで穏やかに言う。
「ですから、あくまで念のためですよ」
これから盗賊たちのリーダにも話をして、さっさと動いてもらわねばならない。
心配しすぎか、とも思うのだが、最後まで気を抜かないというのが彼の信条だ。そうやってこれまで生き残ってきたのだから、今回も最後まできっちりやるべきだ。
それにしてもマルコとかいう運送屋は、どうやってダークエルフたちをあそこまで手なずけたのだろうか。あるいは彼の背後にいるというオーバンス伯爵の力だろうか。
カイルの心の中には小さな不安が残り、中々消えてくれなかった。