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異世界の竜騎士……になるはずが  作者: 中之下
第一章 出会い
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第8話 魔獣

 この日のレンはいつもと同じように過ごしていた。午前中はずっと勉強、そして午後からは屋敷の外へガー太と一緒に散歩に出かけた。

 ガー太は元気に走り回り、レンはその後をのんびりついて行く。今日は天気もいいし、広々とした草原を歩いているだけで気持ちいい。

 まるで犬の散歩をしているみたいだなとレンは思った。といっても実際に犬の散歩をした経験はなかったのだが。

 ただ少し気になったことがあった。どこにもガーガーの姿が見えないのだ。

 散歩に出ればいつもガーガーを目にしていたのだが、今日に限っては一羽も見ていない。

 そんなこともあるだろう、とあまり深く考えていなかったが。

 そうやって散歩をして、そろそろ帰ろうかとレンが思い始めた頃だった。


「クエーッ!」


 レンの前を駆け回っていたガー太が、突然大きな鳴き声を上げ、慌ててレンのところへ駆け戻ってきたのだ。

 さらにレンの足下でもガーガーと騒ぎ続ける。何かを必死に訴えているようだ。


「どうしたの?」


 問いかけてみるが、ガー太は騒ぐばかりで、具体的に何が原因なのかわからない。

 何かあるのかと周囲を見回すと、数百メートルほど離れた場所に一匹の獣が立っていることに気付いた。

 最初は大きめの野犬かと思ったのだが――ちなみにこの世界にも犬や猫がいる――その獣が走り出し、どんどん自分の方へ近付いてくるのを見て、それが野犬などではないことがわかった。

 確かに見た目は犬に似てはいたが、何かが根本的に違うのだ。

 それは生理的に無理な生き物を見た感覚に似ていた。例えばレンは蛇が苦手で、にょろにょろ動いている蛇が自分に向かってきたら悲鳴を上げて逃げ出すだろう。

 実は蛇の多くは臆病で、こちらから手を出そうとしなければ大丈夫――などと理屈は関係なく、嫌いだから嫌い、無理なものは無理なのだ。

 その獣を見たレンは同じようなものを感じた。生理的な嫌悪というか、得体の知れない不気味さというか。


「逃げるぞガー太」


 その場から走って逃げ出したレンにガー太が続く。だがガー太はすぐにレンを追い越し、少し進んだところで立ち止まると、早くしろとばかりに振り返る。


「お前速いな!?」


 生まれてから数日だというのに、ガー太はレンよりはるかに速かった。

 これが野生の力かと驚きつつ、後ろを振り返るとあの獣がどんどん距離を詰めてきていた。こちらもレンより足が速い。

 うれしくないが、距離が近付いたので、よりはっきりと獣の姿が確認できるようになった。

 やはり犬に似ている。犬種でいえばシェパードだろうか? 体毛は黒い。

 だが大きく開いた口からは、大きく鋭い牙が飛び出している。犬の牙はあんなに大きくないだろう。

 さらに目が赤く光っている。太陽の光を反射して、などではなく本当に赤く光っている。目が光る犬などいない、というか普通の動物ではない――と思ったところで、レンはその獣の正体に思い当たった。

 魔獣だ。この世界に生きる人間の天敵、人智を越えた力を持つ凶悪なモンスター。

 そういえばマーカスも言っていたではないか。

 ガーガーがいなくなるのは、魔獣が現れると兆候だ、と。

 今日ガーガーを全然見なかったのは、この魔獣の気配に気付いて逃げ出したからではないか? ガー太はついさっきまでいつも通りだったが、これはまだまだ子供だから気配を察知する能力が低いからだろうか。ガー太にはもっと早く気付いてほしかったと思ったが、今さらそんなことをいってもどうしようもない。

 魔獣について色々話は聞いていたレンだが、いつかこの目で見てみたいな、ぐらいにしか考えていなかった。現代日本に生きてきたレンは、いくら言われても魔獣の脅威を実感できなかったのだ。その結果が今の状況である。

 レンはもう一度後ろを振り返った。

 魔獣はもうすぐそばまで迫っていた。走る速度は全然落ちていない。対して、逃げるレンの方はすでにバテてきていた。息が上がり、走る速度が落ちてきている。このままではすぐに追いつかれてしまう。

 少しでも荷物を捨てて軽くしようと思い、レンは腰に帯びた剣に手をやり――そこで走るのをやめて立ち止まった。

 レンが腰に帯びている剣は飾りではなく本物の武器だ。マーカスから何かあったときのために、と言われて屋敷の外に出るときは常に身につけるようにしている。

 その剣を逃げるため捨てるのか、あるいは武器として使うのか。

 残念ながら屋敷まではまだ遠い。どう考えても追いつかれるだろう。だったら戦うしかない――追い詰められたレンはそう決断し、息を整えながら剣を抜いた。

 勝算がないわけではない。

 日本にいた頃のレンは武道どころかスポーツもやっておらず、当然ながら剣道の経験もなかった。しかし今、剣を抜いて構える姿は様になっていた。

 元のレンのおかげだ。

 性格的には色々問題があったようだが、今のムキムキの体つきを見てもわかる通り、元のレンは体をしっかりと鍛え、剣の修練も積んできている。手にした剣がなじむのは気のせいではなく、体がそれを覚えているからだ。

 レンは落ち着け、落ち着けと何度も自分に言い聞かせながら待ち構える。両手に持った剣はずしりと重かったが、今はその重さが安心感を与えてくれる。

 立ち止まったレンに追いついた魔獣は、走ってきた勢いのまま彼に飛びかかった。


「うおおおおッ!」


 魔獣の咆哮と、レンの悲鳴混じりの叫び声が交錯し、両者がすれ違う。

 そして地面に着地した魔獣の体から、黒い血しぶきが上がった。

 まっすぐ飛びかかってきた魔獣に対し、レンは右へよけつつ剣を横に振った。剣は大きく開いた魔獣の口のちょうど真ん中部分を振り抜く形になり、左ほほから首のあたりまでをざっくりと切り裂いた。

 やれた! とレンは思った。狙って剣を振ったのではなく、体が勝手に反応してくれたおかげなのだが、とにかく相手に一撃を食らわせることができた。

 普通の獣だったら、この一撃で追い払えたかもしれない。だが相手はただの獣ではなく魔獣だった。

 レンはその違いをまざまざと見せつけられることになった。

 魔獣の傷がみるみるうちに治っていくのだ。


 超回復!?


 レンは驚愕し、そしてマーカスから聞いていた話を思い出した。

 まるでビデオの巻き戻しを見ているような傷の回復。この異常な回復能力は魔獣の特質の一つで、それをこの世界では超回復と呼んでいる。

 日本でも筋トレなどで超回復という言葉が使われているが、それとは全く違う。本当に超スピードでの傷の回復だ。

 魔獣が人類の天敵と恐れられている大きな理由の一つが、この超回復だ。

 これのせいで魔獣を倒す手段は限られたものになっている。

 まず殴る蹴るといった打撃はほとんど通用しない。体をぺしゃんこに押し潰すぐらいなら別だが、普通の人間の打撃ではダメージを与えても即座に回復してしまうため、牽制程度にしかならない。

 突きも効果が薄い。武器で突き刺して体に穴を開けても、すぐにふさがってしまうからだ。だが突き刺したまま武器を抜かなければ、超回復を阻害するので多少の効果がある。

 もっとも効果的とされているのは切ることだった。ただこれも小さな切り傷ではすぐに回復してしまうので、できるだけ大きな傷を与え、可能なら部位を切断するのが望ましいとされている。

 いかな魔獣でも手足を切断されればすぐに再生できないし――強力な魔獣の中にはすぐに再生するものもいるらしいが――頭を切り落とされれば死ぬ。

 今のレンの一撃は魔獣の体を傷つけたが、致命傷には遠かった。

 魔獣と戦うときの基本は、攻撃の手をゆるめないことだ。

 傷を与えることができたなら、その傷が超回復で治る前に次の傷を与え――というように、とにかく攻撃を繰り返して殺しきるしかない。

 だがレンは追撃することもなく、魔獣の傷が回復していくのを見ているだけだった。話には聞いていたが、実際に自分の目で見て、その常識外れの現象に驚愕していたのだ。

 回復した魔獣はうなり声を上げ、再びレンに飛びかかってきた。


「うわッ!?」


 とっさに体が反応した。剣を横にして、どうにか魔獣の攻撃を受け止める。

 魔獣は剣にかみつく形になったが、ぶつかってきた衝撃は予想以上に強く、レンは受け止めきれずに後ろに倒れた。

 レンの上にのしかかってきた魔獣は、剣を口にくわえ込んだまま、レンの体にかみつこうと開いた口を近づけてくる。

 レンは左手を剣の刀身に当て、両手を使って持ち上げようとする。まるでベンチプレスでバーベルを持ち上げようとするような格好だが、渾身の力を込めても剣は上がらず、逆に魔獣に押されてじりじりと下がってくる。

 なんて力だ!? とレンはあせった。

 体はレンの方が大きいのに、力は向こうの方が強いのだ。どこからそんな力を生み出しているのかわからないが、今はそんなことを考える余裕もない。力で押し負け、この体勢では逃げることもできない。

 魔獣と至近距離で向き合うことになったレンは、その赤く光る目の中に強烈な憎悪を感じ取った。

 呪い尽くしてやる、殺し尽くしてやる――まるでそんな声が聞こえてくるようで、レンはその憎しみの強さに恐怖した。魔獣の赤く光る目に他の感情はうかがえず、ただ圧倒的な憎悪だけが燃えさかっていた。


「お前に恨まれるようなことは、何もしてないだろ!?」


 レンは抗議の声を上げたが、そんな言葉を魔獣が聞いてくれるはずもない。

 じりじりと近づいてくる魔獣の牙を見て、レンは死の恐怖を感じた。

 せっかく異世界まで来たのに魔獣に食われて死ぬのか、とあきらめかけたとき助けが駆けつけてきた。


「クエーッ!」


 鳴き声を上げて魔獣に飛びかかったのはガー太だった。先に進んでいたのだが、レンが襲われているのを見て慌てて戻って来たのだ。

 走ってきた勢いのまま地面を蹴って飛んだガー太は、右足で魔獣を蹴り飛ばした。それは見事な跳び蹴りだった。

 魔獣が体の割に強い力を持っていたのと同じように、ガー太も小さい体ながら強力な脚力を持っていた。十分なスピードから放たれた跳び蹴りは、魔獣の体を数メートルも蹴り飛ばした。

 助かったと安堵したレンだが戦いはまだ終わってはいない。

 少し離れたところでは、ガー太と魔獣のとっくみあいの戦いが始まっていた。

 魔獣が吠えてガー太を押さえつけようとすれば、ガー太は「ガー!」と叫んで魔獣の体を蹴り飛ばす。

 体はガー太の方がだいぶ小さかったが、ほとんど互角に戦っていた。

 剣を構えて加勢しようとしたレンだったが、両者が目まぐるしく動くのでなかなか手が出せず、じりじりしながら見ていると、


「ガー!?」


 ガー太が悲鳴のような鳴き声を上げた。

 有利な体勢となった魔獣が、ガー太の首もとあたりにかみついたのだ。赤い血が飛び散り、魔獣はそのままガー太を押し倒そうとする。


「こいつ!」


 叫んだレンが剣を振り下ろす。

 下手に考えたりせず、必死だったのがよかったのかもしれない。体はスムーズに動き、剣は魔獣の首を一刀両断して斬り落とした。

 剣を振るったレン自身が驚くほどの見事な一撃だった。元のレンの鍛錬の賜物だろう。

 だが首を落とされても魔獣は死んでいなかった。ガー太にかみついたまま、ギロリとレンをにらんできたのだ。


「ひっ!?」


 思わず悲鳴を上げて後ろに下がったレンだったが、それが最後に残された力だったようだ。魔獣の目から赤い光が消え、それ以上動かなくなった。


「ガー太、大丈夫か?」


 ガー太にかみついたままの魔獣の口をこじ開け、食い込んだ牙を抜いて首を投げ捨てる。牙が抜けた傷口からはどくどくと赤い血が流れ出してきた。


「ガー……」


 弱々しく鳴くガー太を両手に抱えると、レンは屋敷に向かって走り始めた。

 できれば獣医に駆け込みたいのだが、この付近に獣医はいない、とういうかこの世界に獣医という存在がいるかどうかもわからない。

 とにかく屋敷に連れ帰って手当を、と思いながらレンは必死になって走った。

 そうやって屋敷に帰り着いたときには息も絶え絶えになっていたが、最後の力を振り絞ってマーカスを呼ぶ。

 出てきたマーカスは、レンとガー太の様子を見て驚いたが、とにかくすぐにガー太の手当をしてもらった。

 だがここには薬などはなかったため、手当といっても包帯を巻くぐらいしかできなかったのだが。


「ガー太は大丈夫かな?」


 レンはガー太を自分の部屋に連れてきて、ベッドの上に寝かせることにした。今は穏やかな息を立てて眠っている。


「出血は収まったようですし、容態も安定していると思います。ですが、なにぶん子供なので体力が心配です」


 レンは心配そうな顔で、寝ているガー太の体を優しくなでた。

 するとおかしな感覚を覚えた。ガー太に触れた手から、体の力が抜けていくような気がしたのだ

 慌てて手を引っ込めたが、すぐにもう一度、今度はゆっくりと手を伸ばしてガー太に触れた。

 やはり同じだった。

 目を閉じるとさらによくわかる。自分の中にある力が、ガー太へと注ぎ込まれていくのを確かに感じる。

 怪我をして弱ったガー太が、僕から力を吸い取っているのか?

 レンはRPGなどに登場するエナジードレインという能力を思い出した。

 相手の体力を吸い取り、自分の体力を回復するという能力で、吸血鬼などが持っていることが多い。

 そんな能力をガー太が持っていて、今まさに自分の力が吸い取られているのだとしても、レンは恐怖を感じなかった。

 むしろ自分の力を吸収して傷を癒しているのなら、どんどん吸い取ってくれと思った。

 あのとき、ガー太が助けてくれなければ、レンは確実に殺されていたはずだ。ガー太は命の恩人なのだから、今度はこちらがその恩を返す番だとレンは思った。


 日本で生きていた頃のレンは、狭く浅い人間関係の中で暮らしていた。

 家族も恋人もいない一人暮らしで、親しい友人もいなかった。

 会社ではそれなりに愛想よく振る舞っていたが、プライベートな関わりは持たず、あくまで仕事上のつきあいだった。

 祖父母を亡くして以来、親身になって助けてくれる人間はいなかったし、逆に必死になって誰かを助けたこともなかった。あのタンクローリーの事故までは、命の危機に陥ったこともないから、誰かに命を救われたこともない。

 つまりレンは誰かに助けてもらうことに慣れていなかった。自分に困難が降りかかってきても誰も助けてくれない、自分で何とかするしかないと思っていた。

 それなのにガー太は命がけでレンを助けてくれた。

 レンはそんなガー太に深く感謝し、感動していたのだ。自分の命を捨ててでも恩に報いようとするほどに。

 神様でもドラゴンでもなんでもいい。どうかガー太を助けてください。

 レンは心の底から祈っていた。

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