(1) 終わっているので、なにも「ない」
世界は、終わりました。
とりあえず、ヒトと呼ばれた存在が認識できるたぐいの、一切の事象は、とある時点で完全に終わってしまったようでした。
終わったとはどういうことなのか、説明しようにも、なにがどうしてどうなったかを確認したり判断したりすることのできる存在が、どこにもいないので、どうにもなりません。
なんにもない。
まったくない。
とにかくない。
そんな感じです。
たしかに「あった」はずの、あらゆるものが、ありません。突如、すべてが消えました。
つまり、「ない」のです。
場所も、時間も、それらを日々実感しながら生きていたはずの、とてつもなく多様な生命体も、母なる大地も、それが所属していた惑星系も、宇宙全部とその歴史も、当然のことながら、すべてに関する記憶や記録も、なにもかもが、「ない」ことになっていました。
「でもね、『ない』ってことが、わかるってことは、『ある』という状態は、完全には消滅してないんじゃないかと思うんだよね」
おや。
存在しないはずの時空に、なんだか小難しい思考が、細かな泡のように湧上がってきたようです。
「だって、『ない』という現状は、『あった』から存在してるわけだし。最初っから『なにもない』なら、そもそも『ない』とか『なくなった』みたいな状況の認識も、不可能なわけじゃない。もともと何もなければ、違いとか変化なんて、ありようがないもの」
はあ。
ところで、何をしてるんです?
「さあ、なにもしていないんじゃないかな」
一体いつから?
「なにもしていないことが、いつからなのかは、わからないね。すごく長いような気もするけど、ついさっきからのような気もする」
どこにいるんです?
「うーん。『いない』んじゃないかな。だって、なにも『ない』わけだから」
でも、考えてる。
「そうね。ほかにすることもないし」
退屈では?
「どうだろ」
何か、やりたいことは?
「なにも『ない』ね」
いま、やってることは?
「というと?」
思考、概念の組み立て、コトバの羅列・・・
「これは、そういうことを『している』ってことに、なるのかな」
そうなんじゃないですかね。
「ふむ。たしかにそうかもしれない。なんでできるのかはわからないけど。でも、それだけだね」
そうでしょうか?
「だって、他にできること、ある?」
たとえば、「名前」をつける、とか。
「何に? なんにも『ない』のに」
名前があれば、実体なんて、わりとあとからついてくるものだったりするんじゃないですかね。
「そんなもんだっけ。まあやってみるか。他にやることも『ない』し」
なぜか後書きに出現するアンケート。
回答があれば、のちほど追記します(たぶん)。
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《選択肢 1 》
最初の名前は、何だったでしょう。
1. 神
2. 天使
3. 犬
4. 休息
5. 果実
6. その他
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